「その2」のつづきです。吉田郡山城三ノ丸へ登ってきました。 石碑には「三之丸跡」と刻まれています。「本丸・二ノ丸・三ノ丸」という呼称は豊臣時代以降の言葉で...
どうする家康 第29回「伊賀を越えろ!」 ~神君伊賀越えと山崎の戦い~
本能寺の変の報せを受けた徳川家康一行は、たちまち大ピンチとなります。というのも、織田と同盟関係である徳川は、明智光秀からみれば敵といえました。もし、明智軍...
去る令和5年(2023年)7月22日、姫路城城下町跡の発掘調査現地説明会に行ってきました。今回の発掘調査は、なんと第480次とのことです。さすが、キング・...
どうする家康 第28回「本能寺の変」 ~家康の堺遊覧と信長の横死~
時は天正10年(1582年)6月2日・・・・といえば、言わずと知れた「本能寺の変」ですね。天下統一を目前にした戦国の覇王、織田信長が、最も信頼していた家...
去る令和5年(2023年)7月15日、京都府舞鶴市にある田辺城跡の第33次発掘調査説明会が開催されるという情報をいただき、急遽行ってきました。旬なものは旬...
どうする家康 第28回「安土城の決闘」 ~家康の安土入りと光秀の饗応役~
甲州征伐の論功行賞で、織田信長は徳川家康に駿河一国が与えられました。そして、その帰路、信長は富士山見物をし、家康の居城である浜松城に立ち寄った話が前話で描...
どうする家康 第26話「ぶらり富士遊覧」 ~武田滅亡と信長の駿河訪問~
息子の松平信康と正室の築山殿を失った徳川家康でしたが、落ち込んでいる間もなく、武田に奪われていた高天神城攻めを本格化します。天正3年(1575年)以降、高...
今年の大河ドラマは『どうする家康』ということで、各地にある徳川家康関連のお城は観光客で賑わっているようですね。ドラマの論評はさておき(笑)、当ブログでも乗...
前回に続いて徳川家康の前半生の最大の悲劇といえる築山事件(松平信康自刃事件)が描かれました。通説と言われる事件の流れは、第24話の稿で解説したので、ここ...
武蔵滝山城攻城を歩く。 その4 <信濃曲輪・行き止まりの曲輪>
「その3」のつづきです。滝山城本丸跡まで攻略しましたが、同城の城域はまだまだあります。 本丸下段に戻って、東側には、「その3」で見た木橋が架かっています。...
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「その2」のつづきです。吉田郡山城三ノ丸へ登ってきました。 石碑には「三之丸跡」と刻まれています。「本丸・二ノ丸・三ノ丸」という呼称は豊臣時代以降の言葉で...
「その1」のつづきです。毛利元就の墓所から登山道を登ること約15分、曲輪に到着しました。 吉田郡山城の城域は東西約1100m、南北約900mに及ぶ広大な規...
8戦国時代、中国地方の覇者として君臨した毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城。江の川(可愛川)と多治比川にはさまれた吉田盆地の北に位置し、城域は郡山全体に...
龍野古城(鶏籠山城)を下山しました。せっかくなので、麓の龍野城にも立ち寄ります。 写真は西側の模擬二重櫓。その背後に見えるのが、山頂に龍野古城のある鶏籠山...
龍野古城(鶏籠山城)から紅葉谷を下山する途中に、野見宿禰と書かれた誘導板がありました。せっかくなので、行ってみることに。 しばらく進むと、「力水」と書かれ...
「その2」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア北側から、搦手道を下山します。 Ⅰ-8郭まで降りてきました。ここは主郭並みに広い曲輪です。 縄張り図を載せます。...
「その1」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア南側虎口から段曲輪を登ります。 Ⅰ-3郭切岸に、立派な石積みが残っています。 おおっ、これはスゴイ! 石積みの上...
今回は姫路の西に位置する兵庫県たつの市にある龍野城です。龍野城には、鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の時代があり、山城は鶏籠山城、朝霧城、麓の城は霞城と呼ば...
嘉吉の乱によって赤松満祐に謀殺された室町幕府6代将軍足利義教の首塚が、兵庫県加東市にある安国寺にあります。全国各地に「安国寺」という名称の寺がありますが、...
兵庫県姫路市のお城といえば、誰もが思い浮かべるのは世界文化遺産の姫路城ですが、戦国時代より前の15世紀には、姫路城の少し北西に位置する坂本城が播磨国の守護...
今回は兵庫県小野市にある河合城跡を歩きます。堀殿城ともいいます。ここも、播磨守護職の赤松氏が東播磨の拠点として築いたとされ、赤松氏一族の上月氏が城主を務め...
「その2」のつづきです。小谷城第5郭まで降りてきました。 縄張り図では、この東側に大堀切があって、西小丸と分断されています。 ここで、山頂にあった縄張り図...
「その1」のつづきです。標高は218mの小谷城城域に入りました。 麓から見えた看板。第3郭の南側に設置されています。 その看板の南側は、帯郭が東西に伸びて...
兵庫県加西市の中心市街地の北条町北側の標高218mの城山山頂に、かつて小谷城がありました。有名な北近江の小谷城は「おだに」と読みますが、ここは「こたに」と...
「その1」のつづきです。善防山城主郭まで制覇したので、次は尾根伝いに東郭を目指します。 主郭東側の虎口跡。一応、左へ曲がって右へ曲がる食い違い虎口になって...
もすぐ桜の季節になりますが、今回は2年前の桜のシーズンに訪れた善防山城を攻めます。今回も赤松氏の城です。善防山城はかつての播磨国、現在の兵庫県加西市にある...
「その2」のつづきです。石塁のあった城山城Ⅱ区からさらに南下します。 説明看板が現れました。現在地と書かれているところがこの場所です。広い削平地になってい...
「その1」のつづきです。城山城跡の北側城域に入りました。 堀切と土塁と書かれた看板があります。 まあ、たしかに堀切っちゃあ堀切かな。薄いけど。 土塁です。...
西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
「その2」のつづきです。楯岩城本丸エリアに入りました。 ここは北西段曲輪のいちばん下の曲輪です。本丸エリアは、頂上の主郭を中心に北西南の三方に段郭が伸びて...
「その3」のつづきです。山頂の城跡を攻略したので、下山して麓の居館部を攻めます。八王子城の縄張りは、標高445 m、比高約240 mの深沢山(城山)山上に...
徳川方の武将・奥平信昌の守る長篠城が武田軍によって包囲され、奥平の家臣・鳥居強右衛門より援軍要請を受けた徳川家康は、援軍として駆け付けた織田信長と共に長...
前回描かれた大岡弥四郎事件と連携するかたちで、武田勝頼は足助城、野田城などの小城を落とし、その勢いで岡崎城へ向かおうとしますが、そのタイミングで大岡弥四...
「その2」のつづきです。いよいよ山頂の八王子城本丸に向かいます。 本丸への登り口は小宮曲輪からのルートと中の曲輪からのルートがありますが、中の曲輪から登り...
「その1」のつづきです。登山口から登ること約30分、八王子城本丸下の中の曲輪に到着しました。 左奥に見える建物は、八王子神社の社殿、右手の建物は登山客の休...
武田信玄の死後、徳川家康は武田に奪われた領土をいったんは奪還しますが、これに対して、信玄の後継者となった武田勝頼は攻勢に出て、天正2年(1574年)正月に...
過日、東京出張の折、1日だけオフがあったので、かねてから行きたかった東京都八王子市にある八王子城跡を訪れました。八王子城は、小田原城を本拠とする北条氏の3...
三方ヶ原の戦いで徳川家康をこてんぱんにやっつけた武田信玄は、まさに破竹の勢いといえる快進撃で西上を進めますが、その途中、信玄は血を吐いて倒れ、そのまま病...
遠江を瞬く間に制圧していった武田信玄は、徳川家康の本城である浜松城を目の前にして、突如、進路を西に変えて三方ヶ原台地に上がり、そのまま浜松城を無視して三...
いよいよ徳川家康の人生最大のピンチと言われる三方ヶ原の戦いに突入します。 元亀2年(1571年)、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、こ...
のちに「徳川四天王」のひとりに数えられる井伊直政が出てきましたね。最初、てっきり女性だと思って観ていました。実際の直政も美少年だったといいますから、少年...
金ヶ崎の戦いで京都に逃げ帰った織田信長は、その約2ヶ月後の元亀元年(15670年)6月、大軍を率いて北近江に侵攻します。その目的は、金ヶ崎の戦いの際に反...
永禄13年4月20日(1570年5月24日)、織田信長は北国に攻め入るため京都を出陣しました。『言継卿記』によると、その軍勢は3万にも及んだといいます。そ...
永禄12年(1569年)5月、今川氏真が籠る懸川城を開城させた徳川家康は、氏真夫婦を相模の北条方に引き渡しました。しかし、これは、甲斐の武田信玄と敵対す...
永禄11年(1568年)12月13日、駿河に侵攻した武田信玄の今川館攻めによって駿府を追われた今川氏真は、遠江の懸川(掛川)城に逃れました。今川館は「館...
永禄9年(1566年)12月29日、家康は姓を「松平」から「徳川」に改めました。後世のわたしたちがよく知る徳川家康の誕生です。なぜこの時期に改姓したかと...
今回のサブタイトルは「側室をどうする!」ですが、ひとまず側室の話は後まわしにして、少しだけ描かれた歴史のお勉強をしましょう。 三河一向一揆によって松平...
三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、...
永禄6年(1563年)に起きた三河一向一揆は、徳川家康の長い人生のなかで、三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並んで家康の三大危機とされる出来事です。その理由は、...
ヤマト、999、ハーロック、子供のころ夢中になって観たSF漫画の生みの親、漫画家の松本零士さんが逝ってしまいました。謹んで哀悼の意を表します。わたしの少年...