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お疲れ様です今日は香取市にて、新築工事中のS様邸へ行き、お施主様と現場打ち合わせしてきました昨日、一日かけて建物内の吹付断熱工事を行いましたお施主様も施工状態を、ご自身で確認していただきしっかりと施工された状態にご満足していただいているようでした弊社は外張り断熱が、ほとんどの住まいで標準的になってますが今回は、さらに建物内の屋根面、外壁面を吹付断熱する、内外ダブル断熱の住まいなんですかなりの断熱・気密性を保つ超高性能な住まいと言えると思います。久しぶりのダブル断熱の住まいですが、施工業者さんは以前と同じ方で安心して施工していただきましたモコモコに膨れた断熱材、それをきれいに一定のラインにカット今、国内で吹付断熱と言えば、「硬質ウレタンフォーム」ですが、弊社で採用しているので「軟質ウレタンフォーム」これらの...ダブル断熱の家、工事中!!
少し乱暴ですが、ごく理想的なお話をすれば、性能のことなど一般の方には関係なく、プロに任せておけば安心で、もっと暮らしの微に入り細に入りの夢を住まい手は集中して考えていられる環境が整うほうが、フィット感のある良い住まいが増えるのではないかな
さて、私は住まいについて、よく「単なる箱ではないんです」という言い方をします。外皮がとても優れている単なる箱であれば、それで良いのかという問題はあると思いますし、これから高性能化が進んでいき、普及した後に出てくるものかもしれません。過度に
今でも、20年以上前の私の仕事を見てくださって、そもそもあまり宣伝などしない無精な体制で仕事をしている私をわざわざ訪ねてくださって、あなたに住まいを創ってほしいと言ってくださる方がおられるということは、すなわち現時点での性能差だけを論じて
住まいというものは、連綿とつづく住まい手ご家族の「暮らし」の舞台装置であり、住まい手にとっては生涯の大半の時を送る場所になります。それだけ住まい手の暮らしに与える影響は大きく、トイレもお風呂も隅々まで夏も冬も一定の温度で満たされているなど
先日のガイアの夜明けは、寒い冬に向けての断熱特集、弊社も所属する一般社団法人パッシブハウスジャパン森みわ代表の密着取材などもあって、まさに「時は来た!」という思いで観させていただきました。そしてそれに追随するように、NHKのクローズアップ
緊急開催で恐縮ですが、来たる1月21日(土曜日)かねてより完成に向けて工事を進めておりました福岡市西区のK邸が完成いたしますので1日限りで恐縮ですが完成見学会を催しますのでご案内いたします。時節柄、当日は完全予約制として、人数を制限しになが
戦後の大量生産、大量消費の文化は、まさに真新しくツルピカのものが良いとされてきた時代です。それがどんなに早々に朽ち果て色褪せても、すぐ代替品と取り替えれば良いということですから、それが消費だということですから、消費が容易にできるということ
例えば、ドイツの方達が、住まいの外壁に、無塗装のままの針葉樹の板を使って、建築当初はその白木の美しさを愉しみ、まただんだんグレーになっていくその劣化の色の変化を愉しんで暮らすというお話を伺い、現地でもそういうものもたくさん見てきましたが、
近頃は、支障があるからか露骨に「メンテナンスフリー」という言葉をあまり見なくなりました。住宅産業界で、結構当たり前に当然の如く一頃よく使われていました。要するに、劣化なんて未来永劫しないから、メンテナンスはありませんということなのです。お
帰巣本能のままに、我が家と言われる空間に立ち戻った時に、心から安心して心身を休め、英気を養い次への活力を再生してくれるような、住まい手の味方のような住まいができたらいいなと思います。そのためには一にも二にもフィット感だと私などは思います。
例えば、暑い寒いは住まいの外皮性能で決定づけられていきますから、昨今大ブームの高性能住宅の流れに沿って、住まい手がYouTubeなどを見尽くして性能値の小数点以下の数値に一喜一憂するという傾向は、総じて悪いとは思いません。ただ、ここで肝に
何よりも自分の居場所だと意識できて、色も素材も形も、そういう意味で住まい手に寄り添い、肉薄している住まいというものは、きっと安心だろうなと思ったりします。ヒアリングの中から、それを少しでも導き出していこうとするのが、私たちの仕事だというこ
住まいの呼称にも、いろいろなものがあって、「家」だったり「住居」「住宅」だったり、さまざまで、微妙に違ったニュアンスが醸し出されるから不思議です。「住処(すみか)」とか「寝ぐら」などという言葉だと、より住まい手の息づかいまでも感じられるよ
このところ、さまざまな社会情勢の変化で、鎮痛な面持ちになってしまうニュースも多いためか、なんとなく社会全体の表情が晴れ晴れとはしていないというか、少し塞ぎがちに感じてしまうことがあります。まぁ、世の中は自分自身の鏡だと言うこともできますか
狭小や異形な土地も、企画住宅は納まらなくても、私たちは時間がかかってもゼロから組み上げていくので、むしろそれを個性だと良い方に考えて捉えて計画を進めていくことができます。逆に言えば、少しでも理想の住まいに暮らしたいと思う反面、あまりにも何
金利や物価高騰、にも関わらず長年賃金が上がらない不景気という、スタグフレーションという状況下の経済の厳しさが増していく中で、利便の良い都市部の地価も高騰が治らないという住まいづくりにとっては最悪の状況を書いてきましたが、読み返せばこんな状
不安材料ばかり書き立てても仕方ないですが、社会情勢の厳しさが増す中で、住まいのニーズは質の向上を望んでいて、それがダブルで押し寄せてきているのでコストの上昇が半端ないという状態がこれからはしばらくつづくのではないかと思います。いわゆる、大
社会の状況を見れば、決して住まいづくりに追い風とは言い難い状況が続きます。年明けからの金利上昇が大変な話題になっていますが、この20年続いた低金利時代はそろそろ潮目が大きく変わっていくようです。アメリカの住宅ローン金利は7%台まで跳ね上が
さて、2023年卯年の一年が始まりました。今朝の福岡も穏やかな晴天のようで、大晦日から比較的暖かい年越しとなりました。今年一年が、穏やかで皆様にとって実りのある一年であることを祈念して止みません。さて、私も学校を卒業して建築の仕事につき、
皆様、明けましておめでとうございます。2023年が始まりました。素敵なお正月を迎えておられることと思います。髭は怒涛の如く大晦日の日中まで打ち合わせが入っておりましたので、バタバタとすごし、夕刻慌てて近所の蕎麦屋さんにお願いしていた年越し
いよいよあと数時間で2022年も暮れます。色々思うことの多い一年でした。世情の目まぐるしい変化もそうですが、これからの時代はなかなか大変そうです。ただ、年齢的には世が世なら御隠居さんでも良い時代。おかげさまでまだまだ元気ですが、この元気な
私の憧れの存在だった叔父のあの横顔を思い出すと、人間は生きているうちに本当にやりたいことを全てやって生涯を全うしなければならないなといつも思います。最後に残された時間が、もう少しあれば、世の中のために働きたかったと言われた叔父は、在宅の終
物言うにも、暗黙の圧がかかってくる感じが、じわじわと感じられるようになってきている傾向があります。過敏すぎると言われてしまいそうですが、あらゆる閉塞感と情勢が厳しい時代には、全体主義が正義のような顔をして振る舞いをし始めます。巨大なメディ
伊能忠敬のような大事業をこなす余力や蓄財は私にはないし、介護老人を一人抱えている身でそれほどの自由などないのですが、赤いものを身につけて生まれ変わりだと言われる「還暦」という節目の一年を送りながら、つらつらと漠然と考えてきたのは、残り時間
さて、2022年もあと数日となりました。私の日常はエンドレスに仕事が続いているので、特段変化もなく黙々と日々のルーティンを消化しながら送っておりますが、なんと言っても今年は還暦の年男。身体的には特段変化もなく、お陰様でここまで息災に暮らし
人の気分などというものは、ちょっとした言葉の掛け合いでどうにでも変容していくもので、例えばその言葉の選択一つで、陰にも陽にも変わりうるものだといつも思います。寒いこんな季節だから余計にそう思うのか、言葉は「てにをは」ひとつ変わっても、全然
言葉の劣化のお話しや、礼儀なんてお話しをすると、「まさにそれそれ!」と小躍りしてネトウヨ風のおじさん達がワチャワチャと賛同してくれますが、私が言っているのは残念ながら彼らの主張の真反対で、「かつての日本は良かった、礼儀正しく、社会の隅々ま
私の中に、どんなものがあるのかわかりませんが、幼少の頃に目に触れたオスカーワイルドの児童用の「幸福の王子」という物語に触れる機会があって、そのとき、ひとりショックで号泣したことを鮮明に覚えています。街の広場に立つ王子の像は金箔に覆われ、目
昨日は積雪で交通機関に支障が出るほどに、寒い1日となりました。本日までは同じようなお天気が続くようです。クリスマスイヴ、今宵はホワイトクリスマスになるかもしれませんね。サンタクロースの到来を期待して、ワクワクしながら一夜を明かす子供心を、
昨日の福岡の冬至は、寒波の到来で雪混じりの寒い1日でした。今朝も屋根には雪が残っています。昨日の夕方のニュースで言っていた気温、湿度を体感温度計算に入れてみると、気温5.5℃、湿度38%、風速3m/sとすると、体感温度は-2℃と弾き出され
ふとしたきっかけからリアルに疑問を持ち始めて、どこで誰とどんな暮らしをしていくかということを考える。住まいづくりというものは、そんな原初的なところから思いを巡らせていくと、プロジェクトの大小や予算に関係なく、夢は広がっていくものだなとよく
便利と効率化が進み得た暮らしは、どうもなんとなくモノトーンなイメージで、感動も薄くつまらないのではないだろうかと思うのは私だけでしょうか。以前、映画「マトリックス」で描かれたのは、今あるこの世が実は全て仮想現実空間で、私たちはそれを知らず
尊敬に値する、居住まいの良い方というのはいらっしゃるもので、もっと言えば、俗にいう「粋(iki)」な人は、いつも私の憧れの対象です。なかなかそうはなれませんが、お見かけすると少しでも近づきたいと思います。「カッコいい」ものは、やはり「カッ
口喧嘩をする時に、お相手に罵詈雑言浴びせかける時に、「カッコつけんな」とか「カッコつけやがって」なんでセリフを耳にします。要は、虚勢をはるなというような意味合いで使うのかもしれませんが、格好をつけることの全てがここに当てはまるわけではなく
もう10年以上前に、ご縁で専門学校の非常勤工事をさせて頂いていた時があります。沢山の学生たちと触れ合いましたが、今から思えば本当に良い子達ばかりでした。時折、立派な社会人になられて、ありがたくも訪ねてくださる方達がいますが、その子達が時折
テクノロジーの進化で、私たちに便利と余暇をくれた近代文明だとすれば、私たちは今、最大限にその恩恵をいただいているのだと思います。しかし、文明がどこまで発達したとしても、人間は情緒の動物です。私たちが心から感じる幸福感というものは、それとは
三次元リアルの「くらし」って、とても雑多で煩雑ですが、そのくらしの「質」というものを考えるとき、「ネット情報」という薄っぺらい、そして十分偏っている可能性を含むものが大きく影響を受けていることは少し警戒しなければならないと最近よく思います
近年の世の中を俯瞰すれば、東北の大震災以降10年余りで、この国の人々は思考停止がどんどん進んでしまっているようでなりません。インターネットの普及と、一人一台のスマホの普及は、カオスな情報の垂れ流しを助長し、そのカオス情報が何のフィルターも
住まいは、これから住まい手の皆さんとって始まる新しい暮らしを具現化し、かたちのあるものにした結晶という言い方もできるかもしれません。ともすると、日常生活のパターンがすごく受動的で、溢れ出てくるカオスな情報に本当に翻弄されてしまいがちな現代
恥ずかしながら学生時代、学年が上がっていくにつれて、私は高等数学の理解度に難があることを自覚し始めていました。なんとなく重たい挫折感を味わいながら工学に進んだ自分を恨めしく思い、次第に図書館に篭り哲学書や文学に耽る時間が増えていくような時
バブル崩壊以降のこの国は、何となく過去の栄光にしがみつき、出来ているふりをし続けてきた数十年のような気がしてしまいます。そしてパンとサーカスではないですが、スマホとコンビニにいよいよ与えられるものに翻弄されて、思考するということからどんど
近年の省エネ、エコ、高性能という一連のキーワードに皆さんが抱く期待は、少し現実離れしているほどに計り知れないと思います。また、それが諸物価の高騰や光熱費の爆上がりに今日の家計に直結する問題でもあるために、皆さんがそこから何とかしようという
世の中の動きが、高性能な住まいをニーズとして求めは記事めたことは、私たちの悲願であり、とても望ましいと心から思うのです。何十年もそこを想いの中心に据えて仕事をしてきた私たちとしては当然のことです。ただ、最近ずっと言い続けているのですが、理
最近強く思うのは、住まいを語るときに、その想いの大切さです。とかく現代社会は、人間を単なる受信装置と化してしてしまって、俗にいう一人一人を思考停止状態にしてしまう毒のようなものを持っていて、なんだか全てが受け身で、しばしばその毒に侵されて