台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
激変していく社会状況の中で、住宅業界も一変して、なかなか厳しい時代の到来に戸惑われる方も多いと思います。建設工事も数年で一変し、予算の総額が急激に高騰したために、これまで住宅ローンも土地購入から住宅建設まで自動的にセットで組めていた案件も
住まいを買うものから、少しずつ紡いでいくようなものにしていくことが、住まいづくりがどんどん難しくなってきている近年の状況の改善へのヒントになるのではないかなと思ったりします。完成品を買って、せっかくとんでもない投資をしたにも関
そもそもひとの住まいというものが、住宅産業などと言われ始めて、内需の大きな柱になって国が拡大支援するほどの業態になってきたこと自体が異様なものだったのかもしれませんが、それもこれからは一個人の価値観がしっかり育っていけば、それほどの規模で
最近は、YouTubeなどの媒体を通しての発信がにぎやかで、ただその情報もカオス化していますから、何が正しいのかがわからない時代になってしまいました。長年の研究者や実務を積み上げてきたプロもいれば、これは商売になるとPRを巧みに内包した営
消費行動としての住宅産業は、戦争とコロナによる経済的混乱によって一気に価格高騰にシフトしました。ただ、その上がりようが世の中全体の物価上昇よりもさらに激しために、私たちは戸惑いを覚えています。ただ、この数十年間国民の賃金が上がらない稀有な
長年、住まいづくりという仕事を生業としてきて、これほどまでに社会状況が目まぐるしく変わり、刻々と社会情勢が変わっていく中で、住まいづくりが翻弄されている時代は初めてのような気がします。数ヶ月ごとに価格改定のふれが回ってきて、予算の目処が立
いつものことながら、中東のきな臭い動きが世界の火種となることはこれまでの歴史が物語ってると思います。これ以上、悲惨な状況が作り出されないことを祈りたいですが、一個人として何ができるかといえば正直無力なので、ただただ平和を語り、戦争反対を言
この小さな島国で、ひしめき合って暮らすには、個性というものは邪魔なのかもしれません。だから右へ倣えし、強いものに帰属していると思い込むことで自分を保つ。また毛色の違うことを極端に遠ざけてきたのは、ある意味そういう環
この国でも、ネットに沸いているニワカ右翼のおじさんたちは、国家観を語り、他国よりも自国が優位である根拠をあれこれ掘り出して、勇ましさばかりの言動が目立ちますが、一説によると一個人として、努力したにも関わらずあまり社会的に評価されずに恵まれ
世界情勢がなんとなくきな臭いこのところを見ていると人間というものはどこかでいつまでも愚かで、闘争と破壊のシナリオを繰り返すものなのだろうかと悲しくなります。そしてこの自分も、その一員なのですから、悲しいのを はるかに通り越して、虚無感すら
イスラエルとパレスチナのニュースが緊張の中刻々と伝えられています。遠い国のお話と、ソースを寸断して仕舞えば何も感じずにそれまでですが、民間人の犠牲者が著しい悲惨な戦争状態がこの地球上でいまだに起きていることを思えば、心穏やかにというわけに
さて、世の中の流ればまさに近々の課題としての本当の省エネを渇望しているのだと思います。今回の私の項は、その省エネという指標のみで住まいを語るのは本来の目的に向かわないというようなことを語りました。ただ、あくまでも省エネは、私たちの未来を明
省エネ性に関する指標は、個々の住まいの性能値がどのあたりかという省エネ性の目安であって、他物件と比較するものではないと思えば、有効な使い方ができるのではないかと思います。YouTubeなどでよく取り上げられる数値は、最近では広く一般の方で
ただ、「快適性」という個人の感覚的な指標では、暮らすひと個人に委ねられて大きく差がありますし、逆に数値化できる省エネに関しては即座に比較できますから、どちらが優位か比べられます。それで扱いやすい「省エネ」が多用されるのだと思います。ただ、
性能値で言えば、私はどの程度までということではなく、上げられれば可能な限り高性能な方が良いと思っています。「九州だからこれくらいで…」という発言は甚だ危険ですし、私に言わせれば、そのセリフひとつで、その方の知識が30年以上前
最近の傾向ととして、光熱費の高騰から省エネが叫ばれて、とにかく省エネな住まいが良いと、発信がお得意なYouTuberさんたちからの知識よろしく、プロはだしの数値データで住まいづくりを検討される方が増えてきた。決して悪いことではないし、全体
かつての省エネの考え方は、完全に冬が基準となっています。その成り立ちは、北海道にエアコンがまだほとんどなかった時代に始まっている。北から順番に、温暖地に降っていくほどに、断熱材は薄くていいよという基準は、夏のことが考慮されていないのです。
省エネの機運が高まり、性能義務み開始間近ですが、近年の夏の厳しさを考慮すると想定される省エネ基準が下限としてそのレベルの建物が増えていくことが考えられます。となると、夏対策が今よりも苦手な住まいが増えていきかねない可能性があることをお話し
要するに外と一体になれる開放型の住まいに断熱性能を与えると、ある程度冬の快適性が改善されることは確かです。そして中間期から夏は外と一体化して、建物内の熱を逃し、通風を取れば凌げていたのが夏場でも30℃あたりまでの温度帯だったかつての夏だっ
四季の変化が楽しめる気候の日本だったのですが、最近の気候はなかなか厳しいものがあります。文字通り、エアコンは文字通り冷房も暖房もこなせる優れものですが、この中間期という季節は窓を開けて外部の空気を室内に取り込めば、風だけで気持ちいいという
このところの朝晩を見ると、暑さ厳しかった夏も終わり、いよいよ秋から冬へと大きくシフトチェンジする季節の到来となるのかもしれませんね。10月に入り衣替えも躊躇うほどでしたが、いよいよのようです。そう考えると、昔に比べると秋の清々しい空気感の
来年度より悲願の省エネ性能の義務化が始まりますが、それに水を差すつもりも毛頭ありません。ただ、そこで決められる基準というものはやはり数十年前から始まった北海道から南に降るほどに、断熱材の厚みは薄くて良いというような、いわゆる寒さのための断
冬は室内で発熱する家電品や住んでいる人の発熱まで全て暖房の味方につく感じで、足りない分を加えるといった感じなのですが、夏はこれが様変わりします。今申し上げた味方になってくれる家電や人の発熱が冷房能力による効果を逆に減らしてしまうために、た
特に、私たちの居る九州では夏の制御が難しい気候帯に一段階変わった気がしているのです。つまり、冬目線で始まった住まいの高性能化ですが、さらに進めていかなければ、夏になかなか厳しい室内環境を作り出してしまうわけです。書きましたように、冬目線で
今年の夏は本当に暑かったですね。省エネや断熱という言葉が飛び交い、世の中は住宅の性能を一気に上げようという機運の中にある夏でしたが、この部分の認識について誤会話しないようにしなければならないなと、長年こんなことをしていた私としては注意深く
福岡の昨夜の中秋の名月は、満月も重なって大きく優しいひかりに満たされてそれは美しいものでした。熱い夏ももう終わり、これからは少しずつ冬に向かっての季節と移って行きます。厳しい夏の次には冬も厳しいという傾向もあるそうですから、今年は寒い冬か
昨日は、TOYOURA福岡ショールームにて第2回目のSwing By が開催されました。午前中は髭の美味しい珈琲の入れ方。昭和の喫茶店文化で供給されていたコーヒーと90年代に輸入されたエスプレッソベースのカフェスタイルは、根本
前回ご好評だったtoyouraショールームでのイベント。SWING BYの第二段が本日9月28日(木)開催です。午前は、珈琲のいれ方講座と数秘の活かし方ワンポイント。午後からは個人鑑定となります。皆様のご参加お待ちしております。JUGEMテ
さて、「住」ですがこれは専門分野ですから、書けばキリがないのですが、私は時代の流れを汲み取れば、より個性的に進んで良いのではないかなと思ったりします。今までの常識に囚われる必要は全くないと言っても良いのかもしれません。戦争とコロナは、社会
世のお母さんたちが、必ずしも晩御飯を作ってお家で待っているなどという時代はもう遠い昔だと思っても良いのではないでしょうか。少なくとも、自分が生きていくために何を食べるかは、人任せではいけません。自分に合った食事を想像することは大切だと思い
「食」に関しては、少々こだわりがあるのかもしれません。と言っても決して美食家というわけではありません。私の場合は、もう随分前から自分の食事は自分で作っているので、外食以外はベースとして自分なりの考えの食事ということになります。特に食事制限
衣食住の「衣」の部分は、今流の流行に疎い私には語る術がないのかもしれませんが、この歳になり結果的にいつも考えているのは、よりシンプルに、よりジャストサイズにということだけが残りました。元々小兵の私には、既成販売の服
不確実な世の中で、あらゆる価値観が緩み始めて、さてこれからどんな世の中が始まるのだろうかと浮遊感の中不安が募る感覚に苛まれながらも、なんとなくもがき続けている近年の感覚は、戦争やコロナが導き出している現実なのかもしれませんね。物価の高騰な
どういうことかというと、一見汎用性のある住まいの末路は、戦後みなさんが見てきた通りなんです。そんなに大切に住み継がれてきたでしょうか。ここが重要なポイントで、一見、誰でも住む事ができる汎用性は、言い方を変えれば誰にでも消費されるものから一
もしかすると、これまでのように、誰もが容易に自分の代の家族のためだけの住まいをローンを組んでまで容易に建てるということができなくなってくる時代が到来するのではないかとも思います。一代一代にそれぞれ新築を建て続けていれば、それは供給過多にな
そんな中で、先ほど述べた比較的安易な理由から始まる住まいづくりがなくなってきて、住まい手の思いのこもった住まいづくりができていけばいいなと思いますが、このコスト高の中で、その思いを具現化することはなかなか大変な状況になってきていますので、
住まいづくりをする動機というものには、子育て世代で賃貸では手狭であるとか、庭のある環境で育てたいとか、あるいは晩年に終の住処として妥協のない住環境を欲したりと、人それぞれだろうと思います。いずれにしても大変な投資ですから、みな
このところの建設単価の爆上がりは、決して歓迎できることではないし、これまでよりもかなり厳しい条件下で住まいづくりをしていかなければならない状況なので由々しき事態と言わざるを得ません。どうしても、全てを予算内で賄うという事が厳しいケースも出
まさに、気候は近年激変していく中で、国のおっとり刀の省エネ基準義務化が始まるのですが、その基準が仕方ないことですが、下限設定ですのでそのために起こりうるリスクについて最近頭の中をぐるぐる回って離れません。過去の記憶として、高気密高断熱住宅
国の省エネ政策としては十分に意味のある今回の性能義務化ですが、個々の住まいづくりにおいて、その認識を誤ると、夏のリスクに関して少し懸念が残るということは少しお分かりいただけたでしょうか。あくまで性能は下限設定であり、省エネへの寄与という意
冬のための断熱を基準として、この国の断熱基準などもこれまで決められてきた経緯がありますから、南に降るほど基準値が緩くて、例えば寒冷地より九州の方が断熱材を薄くしても良いというエリアマップの元に基準が定められているわけです。「断熱」とは「熱
長年、この国の「断熱」は、冬の寒さを凌ぐためのものでした。みなさんの感覚も防寒具を着る感覚に近い方も多いのではないかと思います。その「断熱」が今回初めて国の基準として加減が決められていく改正が行われます。省エネの観点から、建物の性能を上げ
ようやく、少し涼しく感じられる朝晩がやってきましたが、例年よりはまだまだ夏を引きずっているような気がします。これで一気に秋めいて肌寒くなるのかと思うとちょっと恐怖ですが、この夏の冷房は暮らしの必須アイテムとなってしまいましたね。エアコンが
数十年前の経験から、中途半端な気密断熱化は九州の場合、夏に外部の熱はじわじわ入れてしまう上に、外に逃げきれないという問題を起こしかねないので、要注意だということを書いてきました。今回の省エネ基準義務化は、まったく熱性能に関して何も考えずに
九州のこの数年の夏を考えると、酷暑に対する何らかの対策は必須で快適以前の生命の危険を意識するほどの暑さをどう凌いでいくかと言うことが近々の課題だと思うのです。かつて高気密高断熱住宅が南下して九州に入ってきた頃の話をしました。来年春から始ま
少しずつ、住まいの熱性能を上げていくことが緊急の課題であることは間違いありません。そして、来年からの義務化に関しても、その下限を決めるプロセスとしては歓迎して然るべきだと思います。ただ、一つだけ気になるのは、そのレベルがどういうものかとい
あまりにも急激に、私たちの周りの環境が変化していると思わないではいられない近年の状況を考えると。住まいのあり方もかなり柔軟かつ臨機応変に変えていかなければならない。夏が過ぎていく今、今年は暑かったねぇだけでは済まない気がしてなりません。四
朝晩の温度がだいぶ楽になってきました。まだ日中の暑さは否めませんが、いわゆる酷暑はゆきすぎて、秋を迎えようとしています。それにしても、あまりに暑い夏はこの数年毎回記録を更新し、天気予報も体温超えの予想気温を報じるようになりました。エアコン
心の底からくつろげる者同士、今までの概念ら少し外れても、家族と呼べる人たちで暮らすすますというものがあっても良いのかもしれません。行政や法律の方がまだまだなかなかついていけないのかもしれませんが、独居老人や単身世帯、シングルの子育て世代な
息の詰まる当たり前の家族と暮らすよりも、職場や趣味の合う仲間との共同生活に魅力を感じるというのはなんとも寂しい思いもしますが、今まで疑いもなく通り過ぎてきた部分で、コロナや戦争という社会情勢の不安定さも相まって、ひとつひとつ自分と向き合い
例えば、核家族的な4人家族がひとつ屋根の下で暮らしていても、かつてのようにダイニングテーブルに食事で全員集まるということが少し希薄になりました。食事を共にすることがあっても、それ以降はそれぞれの部屋でスマホでYouTubeをみたりゲームを
かつての大家族主義の家族は、生まれながらにしてその人の位置付けが自ずと決まっていて、家父長制度色恋なかでよく言えば、守られている。悪く言えばがんじがらめに縛られているイメージの中に個人があるという感じだったのかもしれません。戦後の高度成長
住まいづくりを35年以上続けてきて、これまで。基本的にはその住まいは複数の方のための住まいであることが基本でしたから、私はいわゆるご家族のための住まいを作ってきたことになります。独居の方の割合がどんどん増えていますから、社会情勢からすれば
実際の工事では、目の前に形がどんどん現れてきますし、具体化がどんどん進むので誰の目にもわかりやすいのですが、プロセスの中でひとつひとつを積み上げていく作業は、遅々として進まないようものがない分、寡黙で地味な作業の期間といえます。ただ、ここ
最近の社会情勢を鑑みると、日々手続き上の事務仕事は複雑化して手間ばかりが増えて、ともすると一体誰のためにこの仕事をしているのだろうかと思いたくなるほど、作業が住まい手の想いとはなかなか近づけない場面もしばしばあります。その上で、昨今の建設
住まい手ご家族のことを考えながら、あれやこれやと考えている時間ほど楽しいことはありません。ご家族が笑い合いながら、日々を送れるための空間を、どうやったら構築できるか、様々な要素を総合的に判断しながら組み上げていくことが一番好きなんだと思い
原点に立ち返れば、私はなぜ今住まいづくりをしているのかということになるのですが、そもそもものづくりが好きで、考えることが好きで、そのことで人様のお役に立ったり、そのことで褒めていただいたりやりがいを感じることが好きなんだと思います。我欲で
社会状況から、個人の住まいづくりをしていく環境が厳しさを増している昨今の状況から、40年近くにわたる自分の仕事を振り返り、一体今、自分は何をしていくべきなのかなぁと考えることが多いこの頃です。志や向かう姿勢は当初からほとんど変わっていない
この所の毎日のように続く酷暑を皮膚感覚で感じていると、これから創り出していかなければならない住まいというものは、まさにシェルターのような、私たちの生命を維持するための装置のような意味合いが出てくるのではないかなと思ったりします。温度を制御
かつては伝統工法でなぜ良かったかといえば、今とは違う気候風土があるとは思います。圧倒的に夏がまだ凌ぎやすかった。30℃を超える日などが稀だったとすれば、打ち水、風鈴で凌げたのかもしれません。冷房装置がなかった当時、室内を完全に隔離すること
要するに、伝統工法は日本の穏やかな風土の中で四季の移ろいをたくさん感じながら豊かに住むことには向いていたのですが、今となってはその工法はごく一部に限られています。それに取って代わって戦後進められて来たのは日米合作の木軸在来工法が普及して、
そもそもの日本の木造住宅は一年を通して四季を感じ、自然環境と共生していく理にかなったものとして歴史を重ね寝て来ました。ただ、私がいうそう言う伝統工法の木造住宅と、現在の戦後の軸在来の木造工法は全く別種のものです。木造を語る人でこの定義から
昨日の福岡市内の最高気温34℃、内陸部の久留米なんか37℃とすでに人間の体温ごえを示していました。明らかに、これまでとは誓ったフェーズに入ったという気がしてなりません。以前からお話ししているように、人間の身体は、本来の平熱に至るよりも少し
厳しい時代だからといって、夢のマイホームを諦めるなんてにわかには許容できません。コスト高は否めませんが、そこはなんとか知恵を使って、一捻りもふた捻りもした特殊解を導き出していきたいといつも思います。こんな状況になる以前にも、私はよく、住ま
極端に言えば、内外装の仕上げというものは、後々リノベーションで変えていくことが可能ですが、例えば窓の取り替えというものはなかなか後々は難しいものがあります。妥協してペアの複合サッシなどに落ち着かせるくらいなら、樹脂トリプルにしておくことが
優先順位を明確にして、優位なものから取捨選択していくことが鍵だと言いました。例えば地の利が優先なら小さい土地にミニマルな暮らしを想像するとか、広々暮らしたいとなれば少し郊外を選択するとか、想定の予算に住まいを当てはめていくためには、優先順
まず、土地の購入からという方は、途中から資金繰りに困られるケースが少なくないので、この数年の激変を考慮して、決してギリギリの予算立てで無理して土地を購入されないことをお勧めします。少しゆとりを持って、俗にいうランクを少し下げ気味に吟味した
かつてハウスメーカーがこぞって連呼した「夢のマイホーム」という言葉が常套句だった時代はすでに遠く、このわずかな数年のコスト爆上がりは、私たち庶民の夢を打ち砕くには十分なインパクトがあって、お仲間と意見交換ほすれば、ため息がついてくる日々が
私は住まいづくりをしていて、新しい時代のことを考えると、あらゆることの見直しと再構築、完全な個人レベルの選択と創造の起点に立っている気がしてなりません。家族の在り方もこれからは多様だし、性別、年齢、血脈、帰属のコミュニティー全てが自由にな
さて、風の時代といわれるようになって、社会基盤がなんだか盤石なものでもないと皆が気づき始めた。そして、一人一人が「で、あなたはどうするの?」と聞かれているのだけれど、ピンとこないままに流れている人も少なくないのではないでしょうか。コロナで
かつて土地に膠着し、代々その場所に住んで大家族主義を規範として生きることの多かった私たちの先祖たちは、その中に身を置くことに安堵して、身の安全や日々の糧を確保する手段を得ていたのかもしれません。一方、膠着化した自分のポジションに息苦しさを
私の家の郷里は父方は四国は愛媛県の半島の鄙びた漁村で、母方は山梨県の甲府ですから、子供の頃は海暮らしと山暮らしの両方を交互に楽しむような夏休みを送っていました。現在の拠点の福岡は、父の仕事の関係で根付いただけで、実はなんのゆかりもない土地
お盆になりますね。故郷に帰省されたり、お墓参りをしたり、ここ数年のコロナの制約がようやく緩んで、今年はそういうアクションを起こされる方も多いのではないでしょうか。時代は刻々と変化しますし、日々の生活の中では、そのリアルをやり過ごすだけて精
「ここは九州だから断熱はそこまでいらない」という当たり前のように語られる言葉は、完全に冬に焦点を当てた断熱のことだけを考えた時代にそぐわない言葉だということをよくよく理解してください。夏は九州ほど過酷です。断熱とは「熱」を「断つ」わけです
さまざまな立場の方達が住まいに携わっていますから、その一々を否定するつもりはありませんが、気候変動の加速に相反して、私たちを取り巻く省エネの意識や、快適を知り渇望するパワーは極めて弱いと言わざるを得ません。一人暮らしのお年寄りが宅内熱中症
建物の断熱性能を検討する場合、冬も夏も空調で室内温度を制御しようとした場合、近年の気候からするともはや夏の季節のほうが負荷が大きいと言うことは少し説明できたかもしれません。なんとなく、かつての気候を思い浮かべれば、打ち水、風鈴
近年の夏の厳しさを考えると、恐ろしいほどのスピードで気候変動は続いていて、例年記録更新をする最高気温は、体温超えという異常自体なのです。住まいの性能も、なんとなく冬目線で暖房効率に助力する程度のものから、外部と完全にシャツとアウトできるレ
厳しい夏の暑さが続いています。お年寄りの宅内熱中署による死亡事故が報じられていますが、加齢すると暑さへの反応も少し鈍りがちで知らず知らずのうちに時が経ってしまって、取り返しがつかなかい所まで言ってしまうということもあるそうですから、エアコ
今から思えば、H氏がお元気だった頃に、一度ふたりで蓮の花の開花の音を聞きに行けばよかったなぁと思いますが、時の流れ後悔しても変わりませんから、生きているうちに一度、その音に必ずや遭遇して、いつかあちらで再会したら、その話ができるようにして
晩年、H氏は何がきっかけだったのか、様々な植物に深く興味を持ち、日々研究者のようでした。独立をされた時もバオバブの木を会社のイメージロゴに採用するなど、その造詣の深さはことあるごとに発揮されていました。二人で歩いているとよく、植物の話にな
設計業界に立ち戻り、資格をとって独立開業したのは26歳の時でした。今から思えばただただ無鉄砲なだけで、なんの根拠もなく始めたので仕事なんかありませんでした。学生時代のオープンデスク制度の伝手でわずかばかりの下請け仕事をいただきながら始まり
私はもう40年も前に母校を卒業して、まずは京都の社寺建築専門の会社の設計部に入社しました。青臭い志だったかもしれませんが、どうせやるなら最高峰の仕事がしたいとその道を選んだのです。職人さんではなく設計部社員の採用でしたから、もちろんデスク
今、福岡城址のお濠の蓮が盛りを迎えています。先日、たまたま知人があげたインスタの記事を見てふと思い立ち移動中に立ち寄って少し眺めていたのですが、時間を忘れて見入ってしまうほどの美しい蓮の花はなんとも神々しく、昔から仏様ごとに常に引用される
社会体制や経済が乱気流のように不確実なものになってきて、えも言われぬ個人に感じる浮遊感の中で、これからこの街並みがどのように変わっていくのだろうかと思うことがあります。カオスがさらに極まりゆくのか、それとも個人が自意識に目覚め始めて独自の
罪作りなのは、誰も悪気がないことです。住まい手本人であったり、住宅メーカーの営業の方だったり、あるいは大工さんだったりが、俯瞰的な視点とは全く無関係に外観を定めていく結果として、無秩序な街並みができてくる。そんな感じです。そこに一定レベル
この国の風景が、今のような羅列に変わり果てたのは、戦後の復興期のスクラップアンドビルドの頃からのものではないかという想像は容易につきます。それがそのまま、実に今まで続いているわけです。基本的には一般に広く作り続けら
例えば、住宅街の風景を見ても、和風の設のものがあったり、住宅メーカーのサイディングのものがあったり色も素材もまちまちだし、形もまたまちまちです。なんとなく偶発的に羅列されたそこには秩序などというものはなく、ただただバラバラのものを並べたと
良く、海外へ旅行などされたあとに、この国の街並みについて嘆くつぶやきをされる方は少なくありません。確かに、無秩序に電柱が立っていて、張り巡らされた電線は蜘蛛の巣のようにカオスで、法則性の見つからない要素にどこでシャッターを切っても、なんと
バブルの惰性のような数十年間とは裏腹に、定住しないNOMADOと呼ばれるライフスタイルが取り上げられたり、近年、タイニーハウスという極めてミニマルな居住空間の家が脚光を浴びたり、暮らしのありようもごくありふれたステイルブックをなぞるような
おそらくは、時流に乗り、バタバタと年相応の時期が来たから皆がそうしているからと、なんとなくの雰囲気で住まいづくりをするというような時代はもうとうの昔に終わっているのかもしれません。人が生涯で返済できる借財で、誰もが判で押したようにすまいづ
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台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
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暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
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激変していく社会状況の中で、住宅業界も一変して、なかなか厳しい時代の到来に戸惑われる方も多いと思います。建設工事も数年で一変し、予算の総額が急激に高騰したために、これまで住宅ローンも土地購入から住宅建設まで自動的にセットで組めていた案件も
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世界情勢がなんとなくきな臭いこのところを見ていると人間というものはどこかでいつまでも愚かで、闘争と破壊のシナリオを繰り返すものなのだろうかと悲しくなります。そしてこの自分も、その一員なのですから、悲しいのを はるかに通り越して、虚無感すら
最近の傾向ととして、光熱費の高騰から省エネが叫ばれて、とにかく省エネな住まいが良いと、発信がお得意なYouTuberさんたちからの知識よろしく、プロはだしの数値データで住まいづくりを検討される方が増えてきた。決して悪いことではないし、全体
かつての省エネの考え方は、完全に冬が基準となっています。その成り立ちは、北海道にエアコンがまだほとんどなかった時代に始まっている。北から順番に、温暖地に降っていくほどに、断熱材は薄くていいよという基準は、夏のことが考慮されていないのです。
省エネの機運が高まり、性能義務み開始間近ですが、近年の夏の厳しさを考慮すると想定される省エネ基準が下限としてそのレベルの建物が増えていくことが考えられます。となると、夏対策が今よりも苦手な住まいが増えていきかねない可能性があることをお話し
要するに外と一体になれる開放型の住まいに断熱性能を与えると、ある程度冬の快適性が改善されることは確かです。そして中間期から夏は外と一体化して、建物内の熱を逃し、通風を取れば凌げていたのが夏場でも30℃あたりまでの温度帯だったかつての夏だっ
四季の変化が楽しめる気候の日本だったのですが、最近の気候はなかなか厳しいものがあります。文字通り、エアコンは文字通り冷房も暖房もこなせる優れものですが、この中間期という季節は窓を開けて外部の空気を室内に取り込めば、風だけで気持ちいいという
このところの朝晩を見ると、暑さ厳しかった夏も終わり、いよいよ秋から冬へと大きくシフトチェンジする季節の到来となるのかもしれませんね。10月に入り衣替えも躊躇うほどでしたが、いよいよのようです。そう考えると、昔に比べると秋の清々しい空気感の
来年度より悲願の省エネ性能の義務化が始まりますが、それに水を差すつもりも毛頭ありません。ただ、そこで決められる基準というものはやはり数十年前から始まった北海道から南に降るほどに、断熱材の厚みは薄くて良いというような、いわゆる寒さのための断
冬は室内で発熱する家電品や住んでいる人の発熱まで全て暖房の味方につく感じで、足りない分を加えるといった感じなのですが、夏はこれが様変わりします。今申し上げた味方になってくれる家電や人の発熱が冷房能力による効果を逆に減らしてしまうために、た
特に、私たちの居る九州では夏の制御が難しい気候帯に一段階変わった気がしているのです。つまり、冬目線で始まった住まいの高性能化ですが、さらに進めていかなければ、夏になかなか厳しい室内環境を作り出してしまうわけです。書きましたように、冬目線で
今年の夏は本当に暑かったですね。省エネや断熱という言葉が飛び交い、世の中は住宅の性能を一気に上げようという機運の中にある夏でしたが、この部分の認識について誤会話しないようにしなければならないなと、長年こんなことをしていた私としては注意深く
福岡の昨夜の中秋の名月は、満月も重なって大きく優しいひかりに満たされてそれは美しいものでした。熱い夏ももう終わり、これからは少しずつ冬に向かっての季節と移って行きます。厳しい夏の次には冬も厳しいという傾向もあるそうですから、今年は寒い冬か
昨日は、TOYOURA福岡ショールームにて第2回目のSwing By が開催されました。午前中は髭の美味しい珈琲の入れ方。昭和の喫茶店文化で供給されていたコーヒーと90年代に輸入されたエスプレッソベースのカフェスタイルは、根本
前回ご好評だったtoyouraショールームでのイベント。SWING BYの第二段が本日9月28日(木)開催です。午前は、珈琲のいれ方講座と数秘の活かし方ワンポイント。午後からは個人鑑定となります。皆様のご参加お待ちしております。JUGEMテ
さて、「住」ですがこれは専門分野ですから、書けばキリがないのですが、私は時代の流れを汲み取れば、より個性的に進んで良いのではないかなと思ったりします。今までの常識に囚われる必要は全くないと言っても良いのかもしれません。戦争とコロナは、社会
世のお母さんたちが、必ずしも晩御飯を作ってお家で待っているなどという時代はもう遠い昔だと思っても良いのではないでしょうか。少なくとも、自分が生きていくために何を食べるかは、人任せではいけません。自分に合った食事を想像することは大切だと思い
「食」に関しては、少々こだわりがあるのかもしれません。と言っても決して美食家というわけではありません。私の場合は、もう随分前から自分の食事は自分で作っているので、外食以外はベースとして自分なりの考えの食事ということになります。特に食事制限
衣食住の「衣」の部分は、今流の流行に疎い私には語る術がないのかもしれませんが、この歳になり結果的にいつも考えているのは、よりシンプルに、よりジャストサイズにということだけが残りました。元々小兵の私には、既成販売の服
不確実な世の中で、あらゆる価値観が緩み始めて、さてこれからどんな世の中が始まるのだろうかと浮遊感の中不安が募る感覚に苛まれながらも、なんとなくもがき続けている近年の感覚は、戦争やコロナが導き出している現実なのかもしれませんね。物価の高騰な
どういうことかというと、一見汎用性のある住まいの末路は、戦後みなさんが見てきた通りなんです。そんなに大切に住み継がれてきたでしょうか。ここが重要なポイントで、一見、誰でも住む事ができる汎用性は、言い方を変えれば誰にでも消費されるものから一
もしかすると、これまでのように、誰もが容易に自分の代の家族のためだけの住まいをローンを組んでまで容易に建てるということができなくなってくる時代が到来するのではないかとも思います。一代一代にそれぞれ新築を建て続けていれば、それは供給過多にな