随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
激変していく社会状況の中で、住宅業界も一変して、なかなか厳しい時代の到来に戸惑われる方も多いと思います。建設工事も数年で一変し、予算の総額が急激に高騰したために、これまで住宅ローンも土地購入から住宅建設まで自動的にセットで組めていた案件も
住まいを買うものから、少しずつ紡いでいくようなものにしていくことが、住まいづくりがどんどん難しくなってきている近年の状況の改善へのヒントになるのではないかなと思ったりします。完成品を買って、せっかくとんでもない投資をしたにも関
そもそもひとの住まいというものが、住宅産業などと言われ始めて、内需の大きな柱になって国が拡大支援するほどの業態になってきたこと自体が異様なものだったのかもしれませんが、それもこれからは一個人の価値観がしっかり育っていけば、それほどの規模で
最近は、YouTubeなどの媒体を通しての発信がにぎやかで、ただその情報もカオス化していますから、何が正しいのかがわからない時代になってしまいました。長年の研究者や実務を積み上げてきたプロもいれば、これは商売になるとPRを巧みに内包した営
消費行動としての住宅産業は、戦争とコロナによる経済的混乱によって一気に価格高騰にシフトしました。ただ、その上がりようが世の中全体の物価上昇よりもさらに激しために、私たちは戸惑いを覚えています。ただ、この数十年間国民の賃金が上がらない稀有な
長年、住まいづくりという仕事を生業としてきて、これほどまでに社会状況が目まぐるしく変わり、刻々と社会情勢が変わっていく中で、住まいづくりが翻弄されている時代は初めてのような気がします。数ヶ月ごとに価格改定のふれが回ってきて、予算の目処が立
いつものことながら、中東のきな臭い動きが世界の火種となることはこれまでの歴史が物語ってると思います。これ以上、悲惨な状況が作り出されないことを祈りたいですが、一個人として何ができるかといえば正直無力なので、ただただ平和を語り、戦争反対を言
この小さな島国で、ひしめき合って暮らすには、個性というものは邪魔なのかもしれません。だから右へ倣えし、強いものに帰属していると思い込むことで自分を保つ。また毛色の違うことを極端に遠ざけてきたのは、ある意味そういう環
この国でも、ネットに沸いているニワカ右翼のおじさんたちは、国家観を語り、他国よりも自国が優位である根拠をあれこれ掘り出して、勇ましさばかりの言動が目立ちますが、一説によると一個人として、努力したにも関わらずあまり社会的に評価されずに恵まれ
世界情勢がなんとなくきな臭いこのところを見ていると人間というものはどこかでいつまでも愚かで、闘争と破壊のシナリオを繰り返すものなのだろうかと悲しくなります。そしてこの自分も、その一員なのですから、悲しいのを はるかに通り越して、虚無感すら
イスラエルとパレスチナのニュースが緊張の中刻々と伝えられています。遠い国のお話と、ソースを寸断して仕舞えば何も感じずにそれまでですが、民間人の犠牲者が著しい悲惨な戦争状態がこの地球上でいまだに起きていることを思えば、心穏やかにというわけに
さて、世の中の流ればまさに近々の課題としての本当の省エネを渇望しているのだと思います。今回の私の項は、その省エネという指標のみで住まいを語るのは本来の目的に向かわないというようなことを語りました。ただ、あくまでも省エネは、私たちの未来を明
省エネ性に関する指標は、個々の住まいの性能値がどのあたりかという省エネ性の目安であって、他物件と比較するものではないと思えば、有効な使い方ができるのではないかと思います。YouTubeなどでよく取り上げられる数値は、最近では広く一般の方で
ただ、「快適性」という個人の感覚的な指標では、暮らすひと個人に委ねられて大きく差がありますし、逆に数値化できる省エネに関しては即座に比較できますから、どちらが優位か比べられます。それで扱いやすい「省エネ」が多用されるのだと思います。ただ、
性能値で言えば、私はどの程度までということではなく、上げられれば可能な限り高性能な方が良いと思っています。「九州だからこれくらいで…」という発言は甚だ危険ですし、私に言わせれば、そのセリフひとつで、その方の知識が30年以上前
述べてきましたように、マイノリティーがやがてブームになって、マジョリティー側に立ち位置を変えた瞬間に、当初の志というか、肝心のエッセンスのようなものが薄まってしまう。あるいは少し経路が違ったものになってしまうことを少し危惧しています。30
底上げとして、住まい全体の性能が良くなっていくことは大変良いことですが、それはやっと土俵に乗るだけのこと。その上で、そこからどういう住まいを提案していくかということだと思います。作り手も、ニーズもそこだけにあまりにもフォーカスすると少なか
要するに、エコハウス、高性能住宅という言葉が、商業的に十分旨味のあるものになってきましたから、薄皮一枚でもそこに乗っかっていれば大きく喧伝し勝ち馬に乗ろうという時代に入ったのかと思います。また確かに高性能に進んでいても、そもそもの目的から
逆境の中で志を立てて、真理に向かう一部のマイノリティーの産物であったこの国の住まいの高性能化は、誰しも認める真理へと進化したということはできると思います。下世話に言えば、大衆化しました。これは私たち古くからこのことを切望してきた者からすれ
エコハウス、高性能、省エネという言葉が業界に乱舞して、一大ブームといった感じがあります。先日何気なくみていたTVコマーシャルで大手ハウスメーカーのCMが流れて、「今までかつてない快適、エアコン一台で…」みたいなことを言ってい
窓を開けると、換気システムの邪魔をしないかと聞かれる事がありまう。確かに、有効な換気システムは、設計上吸気と排気のルートを詳細に設定して、建物の気密性能が保たれている事が前提で室内の空気を隅々まで新鮮なものに交換するものですから、いきなり
窓には3つの機能があると言われます。一つは問題の通風。二つ目は外の光を取り入れる採光。そして三つ目は内部から、外の眺望を取り入れるピクチャーウインドウとしての役割です。私などは、その役割のどれに当たるかを明確に診断しながら、場所と大きさを
いずれの換気システムであっても、吸排気の場所を計画的に定めて、より住まい全体の空気が満遍なく変わるように設計されていて、隅々まで新鮮空気で満たされると仮定すれば、窓は開ける必要はないということになります。そこで、「窓を開けちゃって、いいの
最近の、いわゆる高性能住宅では、有効な24時間換気システムが必須条件となっています。あえて、「有効な」と書きましたが、私の言う換気システムは、建物の気密性能がきちんと担保されて、吸排気グリルからきちんとした流量が確保されて、全体の換気量が
桜も終わり、春の陽気も真っ盛り、これから夏に向けて少しずつ季節が移り変わっていきます。特に梅雨前のこの季節は、私たちの身体の緊張が寒暖の差から解放されて緩み、なんとも心地よい季節という事ができるかもしれませんね。芽吹き、花が咲き、あらゆる
長年にわたる仕事からわかるのは、住まいづくりというものは具体的な構築物を購入することには違いないのだけれど、実はその前後のプロセスから、実際に住まい始めてからの長き時間も含めて、ひとえにプロセスの捉え方によって満足度が変わってくるというこ
住まいづくりも、長き人生の中での一大事業だと捉えて、無から有を生み出すプロセスだと捉えると、景色はずいぶん変わって見えてくるはずです。私たちも、確かに糧を得るために生業としてやっていることではありますから、始まりから終わりがあって、そこに
単純に目の前にあるものを「買う」という所作は、その場の欲求は十分満たすのですが、それ以上のことは起こり得ません。それに比べて、本来の住まいづくりである、「築く」という所作は一見面倒くさいようですが、エンドレスに続いていくという事が言えるの
タイトルで「旅の途中」と書きましたが、長くて短いような人の一生は、まさに冒険小説のような旅の連続であるなと、よる年並に私などはよく考える事があります。高度成長期以降のこの国は、なんだか消費することが豊かさだという了見の人が増えて、お金をい
もうずいぶん、人様の住まいを建てさせていただく事を生業として、それを通じて色々な人の人生に関わらせていただきましたが、何よりこの生業の醍醐味は、一つとして同じものがないという事なのかもしれません。住まいを建てると発起するその背景は人それぞ
昨日4/9は、日田の井上酒造の蔵開き「春搾り」が開催されました。雲ひとつない快晴の中、コロナ明けの影響もあるのか例年以上のご来場で賑やかな1日に参加させていただきました。私は例年通り、27年前に手がけさせていただいた社長であ百合仕込みの杜
さて、いよいよ明日に迫りました。日田井上酒造の毎年春恒例の蔵開き、「春搾り」が開催されます。今日も福岡は青空のいいお天気ですが、明日もこれならまずまずのお天気でしょう。楽しみです。 そもそもなぜ。建築YAの私が、井上酒造の酒米の田植えや稲
いよいよ明後日の日曜日となりました。例年、日田の井上酒造の蔵開き「春搾り」に参加していますが、今年もその季節となりました。裏メニューのノンアルコールコーナー「HIGECAFE」を27年前にお仕事として手がけた社長であり杜氏の百合さん宅で行
全く価値観の異なる新しい時代の幕開けを感じ始めている人はきっと少なくないと思います。私は進化したテクノロジーの中で、我が身の浮遊感を感じ、可変的に安定安心なポジションを未だ見出せないまま、不安を抱えて生きているというような感覚を覚えている
場所や時間で場面を意識的に切り替えて、ある意味リズムを作ってきた私たちの暮らしは、どちらも一気に溶解して溶け合うようなテクノロジーの進化によって、自由と便利は確実に手にしたといって良いのかもしれませんが、それが逆にストレスフリーにはならず