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鎌倉の妙本寺の立つこの辺りは比企が谷といい、鎌倉時代には比企能員や比企尼をはじめとする比企一族が住んでいました。懐妊した北条政子は、比企の館に入り、万寿(後の源頼家)を出産。比企一族と頼朝の絆は、さらに深まっていくのでした。総門しかし、建仁3年(1203年)9月2日、2代将軍源頼家の外戚として権勢を握った能員とその一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされてしまいました。唯一、京都にいて難を逃れた比企能員(よ...
比企能員ゆかりの「岩殿観音正法寺」、北条政子の守り本尊がある古刹【埼玉・東松山市】
埼玉県東松山市の岩殿観音正法寺は、1300年以上の歴史を持つ古刹。鎌倉時代には家臣・比企能員に、源頼朝が妻・北条政子の守り本尊とするため再興させたと伝わります。比企能員とのゆかりとともに、岩殿観音の見どころを紹介。
岩船地蔵堂とは、鎌倉・扇ヶ谷から亀ヶ谷坂の分岐点に建つ小さなお堂で、ここには源頼朝と北条政子との長女・大姫の守り本尊とされる木造地蔵菩薩立像が安置されています。大姫は許婚の木曽義仲の息子・義高を政略のために殺され、失意のあまり病にかかってしまい、若くしてこの世を去りました。武者鑑一名人相合南伝二 大姫君(一猛斎芳虎画、国立国会図書館蔵)治承2年(1178年)、 頼朝が伊豆の流人だった頃に、夫婦の間の最初...
YouTubeの鎌倉殿解説に相変わらずはまっています NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は7/31に29回「ままならぬ玉」が放送された。「玉」とは、古井戸へと落ちて行った蹴鞠の玉(たま)を直接には指しているのだろうけれど、オープニングで描かれている蹴鞠の玉は「権力の象徴」らしいので、扱いにくく転がっていく権力を頼家がつかみ切れない様がサブタイトルになっていたのか。 とはいえ、頼家はもがきながらも少し成長した。もう蹴鞠には逃げないそうだし(逃げている自覚があったんだね)、頼家を信じようとぶつかってきた比企家の「せつ」の言葉に心動かされ、彼女が産んだ一幡を嫡男にすると決めたと義時に言っていたし。 …
鎌倉殿の13人 第27話「鎌倉殿と十三人」 ~13人の合議制~
父・源頼朝の急死により、嫡男の源頼家が継承の準備も不十分なまま、突然、鎌倉殿に就任することになりました。このとき頼家18歳。御家人たちのいざこざを調停す...
二代目鎌倉殿となった源頼家を補佐するべく発足した13人の合議制でしたが、スタートから約半年後、早くもその1人が脱落します。死んだ源頼朝が側近中の側近とし...
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、頼朝と政子を支えた安達盛長!鎌倉・伊豆に残る史跡と伝承と…です。
大河ドラマを思い起こす、安倍晋三氏の死 先ほど、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第26回「悲しむ前に」の土曜昼の再放送を見た。昨日、元首相の安倍晋三氏が亡くなったと知ってからこのドラマを見ると、フィクションの世界だけれど、不思議なデジャブを日曜夜に見ていたような気がした。 安倍氏は、7/8の昼少し前に参院選の応援演説中に狙撃され、夕方5時過ぎに亡くなったと報道があった。信じられない。元自衛官(41)が、手作りの散弾銃を使い、SPに厳重に守られていたはずの安倍氏をスナイパー張りにあっさりと銃撃したのだった。 襲撃時の様子を画像で見ると、犯人は直前まで聴衆に溶け込んで拍手なんかもしていて、そこ…
鎌倉殿の13人 第26話「悲しむ前に」 ~頼朝の後継者問題~
前話で源頼朝は死んじゃったかと思っていたのですが、まだ死んでいなかったですね。前回の稿でも述べたとおり、頼朝の死は突然だったようで、通説では落馬して間も...
建久10年(1199年)1月13日、源頼朝がこの世を去りました。享年53。それは突然の死だったようで、報せを受けた京都の公家たちの日記には、驚きの様子が...
寿福寺(じゅふくじ)北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があります
このあたりは源頼朝の父、義朝の屋敷があったところと言われ、北条政子が頼朝の父、義朝の旧邸跡に明菴栄西を招いて創建、三代将軍実朝もしばしば訪れ最盛期には十数か所の塔頭を擁する大寺であったという、現在は中門の手前まで入ることができます。 北条政子の墓 源実朝の墓 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷JR横須賀線、鎌倉駅
【読書記録】八切止夫 「新説・源平盛衰記」 平氏はどこから来て、どこへ行ったのか
八切史観による書物を初めて読みました。独自な歴史観で、教科書に書かれているように歴史を理解している人には若干抵抗があるかも知れません。しかし、教科書も、定説とされているものを選んでいますが、その定説も覆されることがないとは言えません。柔軟に理解していることの方が大切かも知れません。 八切さんは決して源義経がジンギスカンだったとは言っていません。その部分、心配された方、ご安心を。戦前、戦中になされた情報操作などにはむしろ批判的です。 ではありますが、珍説、奇説とされかねないことも多く書かれています。軽い調子で書かれていて、どちらかというと定説を信奉していて、考え方が膠着している人たちへの警鐘のよ…
鎌倉殿の13人 第23話「狩りと獲物」 ~曾我兄弟の仇討ち~
後白河法皇の喪が明けた建久4年(1193)5月、源頼朝は下野国那須野、信濃国三原野、駿河国富士野などの各地で大規模な巻狩りを催しました。「巻狩り」とは、...
今の行政区分では逗子市にありますが、鎌倉の歴史を語る上で欠かせない存在、今から1300年もの昔(721年)に創建され、現在は曹洞宗ですが最初は真言宗のお寺で990年花山法皇がこの地を訪れて法要を営み、1174年には後白河法皇が参詣されこの霊場を坂東三十三箇所霊場の第2番に定めました。 階段を登りきると、いよいよ観音堂が現れます。現在の堂は1727年に再建され、中世以来の伝統的な密教本堂形式をとりつつ、細部の構造は18世紀前半の特徴をよく反映しています。 源頼朝、実朝、政子が度々訪れたことが『吾妻鏡』にも記され、頼朝の時代には岩殿寺の山頂付近から二階堂方面へと繋がる巡礼の古道があり、734年創建の古刹、坂東三十三箇所霊場第1番の杉本寺に参拝し、古道を通ってここ岩殿寺に参詣していたそうです。 明治時代には文豪、泉鏡花が逗子滞在中に幾度も訪れ『春昼』『春昼後刻』は岩..
◆ 頼朝・政子ゆかりのパワースポット「伊豆山神社」にお参りした日(2022年5月)
画像左クリックで1,280ピクセルの大きな画像が開きます再度左クリックしていただくと元に戻ります関八州総鎮護 伊豆山神社静岡県熱海市伊豆山上野地708 番...
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、源頼朝と義経が涙の対面を果たした、静岡清水「八幡神社」対面石です。 ■いざ富士川 ときは源平合戦期。いざ富士川…。この日訪れたのは、
(1180年)源頼朝が瀬戸神社を創建した時に夫にならって北条政子が島を築いて創建したと伝えられていますご祭神は市杵島姫命さま国道16号沿いに現れる朱の塀と松が目印です白い鳥居横浜金澤七福神 弁財天の像です立ったままの弁天様は珍しいのだとか確かに弁天さまは片膝立
鎌倉殿の13人にムーディー勝山が出ていると思ったら別人だった、足立遠元を演じるのは大野泰広さん
鎌倉殿の13人にムーディー勝山が出ていると思ったら別人だった、足立遠元を演じるのは大野泰広さん足立遠元13人の1人、足立遠元殿#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/YNVpi5leaM— 弾正 (@naoejou) March