1929年、京都の伏見稲荷大社の協力を得てご分霊を勧請し創建。併せて西武新宿線の上保谷駅が東伏見に改名、96年には地名も東伏見となった。ご祭神は宇迦御魂大神さま、佐田彦大神さま、大宮能売大神さま。お稲荷さまのピリッとした雰囲気よりも、もう少し柔らかい空気でした
写真がメインのブログです 都内近郊の神社さんやお寺さんや街撮りのスナップが多いです 被写体によってカラーもモノクロもあります
1929年、京都の伏見稲荷大社の協力を得てご分霊を勧請し創建。併せて西武新宿線の上保谷駅が東伏見に改名、96年には地名も東伏見となった。ご祭神は宇迦御魂大神さま、佐田彦大神さま、大宮能売大神さま。お稲荷さまのピリッとした雰囲気よりも、もう少し柔らかい空気でした
六歌仙に名を連ねる在原業平さまを祀る大石神社。亡くなった業平さまが変じたという大石をご神体として祀っています。(由来については諸説あり)創建時期は不明との事ですが、境内には大きな樹がいくつもいるのでそこそこ歴史はあると思われます。大石神社の鳥居の横に建つ
言い伝えによると、武蔵国桝杉城主であった稲毛三郎重成が夢のお告げを受け、文治三年(1187年)に日本武尊さまとお妃さまの弟橘比売命さまを御祭神としてこの地に祠を建て白鳥前川神社と名づけたそうです。明治43年に近くの神明社に祀られていた伊邪那岐命さまと伊邪那美命
小田急線の相模大野駅から徒歩5分ほど、大通りに面した角地に鎮座する蚕守稲荷大明神。この地で養蚕が行われていた江戸時代に養蚕の守り神として祀られ、現代では五穀豊穣や交通安全などの神さまとして祀られています。お仕事の関係で近くにいたのでお参りさせていただきまし
河川は多摩川で地名は玉川という。(両方の表記が混在していたが、河川は明治期の表記の統一で多摩川が採用され、地名はそのまま残ったから)目黒通りに隣接する玉川神社。もともとは熊野信仰の神社で隣接する満願寺が別当寺。ご祭神は伊邪那岐神さま、伊耶那美神さま、事解
大井町線等々力駅のすぐ近く、23区内唯一とも言われる等々力渓谷に鎮座する等々力不動尊。こちらのお不動さまは線路の反対側に鎮座する満願寺の別院です。等々力駅から徒歩4分ほどの地に鎮座する満願寺、山号は「致航山」、院号は「感應院」、寺号が「満願寺」となります。宗
元々あった諏訪神社が明治期に玉川神社に合祀され廃社となっていたが昭和3年に再興。昭和13年に渋谷区の氷川神社から社殿を譲り受け東玉川神社と改称。社殿は世田谷区の有形文化財。ご祭神は建御名方命さまと大山咋尊さま。鳥居の前で百日紅の花が出迎えてくれます世田谷区有
甲斐の武田氏の居館である躑躅ヶ崎館の跡地に建てられた武田神社ご祭神は武田信玄公甲府駅から定期バスが運行されており、神社として甲府で一番メジャーかも知れない(と思う)境内で烏骨鶏が鳴いていました水琴窟の音色は綺麗で心が安らぎます広い境内には椅子やテーブルも
甲府駅の近く、山梨県庁の裏手に広がる城跡の甲府城別名舞鶴城徳川家康の命で築城された立派な石垣とお濠がんじょうそうな門天守のあった場所には空に繋がる空間だけが残るこうして見ると甲府が山に囲まれた土地である事がよく解る駅の方角には電車が見えました
穴切大神社ご祭神は素戔鳴命さま、大己貴命さま、少彦名命さま素戔鳴命さまの八岐大蛇退治伝説から悪い蟲を断ち、縁結びの神の大己貴命さま、少彦名命さまのお力で良縁を授かれるという狛犬さま髄神門
正ノ木稲荷大明神「稲積神社」お稲荷さまなので大きな紅い鳥居が目を引きますご祭神は宇迦之御魂大神さま、大宮能売大神さまインパクトのあるご神木天満天神社と撫で牛ご神水の井戸
青沼浅間神社貞観7年(865年)に建立の古社ご祭神は木花咲耶姫命さま
朝気熊野神社ご祭神は伊邪那岐命さま、伊邪那美命さま、速玉男命さま、事解男命さま日本武尊さまが酒折宮に泊まった翌朝にこの神社の辺りに煙が立ち上るのを見て立ち寄られ、村人が歓び迎えて朝餉(朝食)を献上したことから『朝気(あさけ)』と名付けられたというので、酒
山梨県では唯一記紀に記述のある神社「酒折宮」ご祭神は日本武尊さま日本の連歌発祥の地としてその筋では有名とかこちらは別方向の入り口境内にいくつもの古い祠静かな落ち着いた雰囲気の場所でした
ひたちなか海浜鉄道の終点の阿字ヶ浦駅のすぐ近く、誉田別尊さまを祀る堀出神社。その境内にほしいも神社が建てられています。なんだかのんびりとした雰囲気を感じる空間でした。少し歩くと海です。
文徳天皇の斉衡3年(856年)に現在鳥居が建つ神磯に降り立ったという神を祀った大洗磯前神社。ご祭神は大己貴命さまと少彦名命さま。海に面した地に大きな鳥居が立っています。鳥居の反対側はこんな感じで海に続いています。鳥居の右手に清良神社奥には水の上に建つ鳥居鳥居を
鶴見の駅近く、飲食店とマンションが並ぶエリアの一角にお稲荷さまが鎮座していました。五の日稲荷大明神。こじんまりとした神社ですが、夜の街の中の佇まいに何故か惹かれてお参りしました。
鶴見の駅近くには曹洞宗大本山の總持寺という大きなお寺さんが鎮座しています。總持寺さんとは駅の反対側の海側に横浜最古といわれる鶴見神社が鎮座しています。ご祭神は素戔嗚尊さま、五十猛命さま。多くの境内社が建つ境内の奥には浅間神社と富士塚お参りしたら雨が降り出
佐助稲荷神社から徒歩数分。きつい坂道の途中にぽっかり空いたトンネルが銭洗弁財天宇賀福神社への入り口です。ご祭神は本宮が市杵島姫命さま、奥宮が宇賀神さま(弁財天さま)です。トンネルを抜けると境内に本宮奥宮は洞窟の中上之水神宮下之水神宮七福神社参拝を終えてト
鎌倉駅から市役所を超え住宅街の中を抜けた先、鎌倉の隠れ里と呼ばれるエリアに鎮座する佐助稲荷神社。源頼朝の夢枕に現れ挙兵を促した神様を祀っています。「佐殿(すけどの)=頼朝」を助けた稲荷さまなので佐助稲荷神社と呼ばれているそうです。閑静な住宅地を登って行く
[橘神社]人形町のA4出口を出て直ぐの地に建つ神社。ご祭神は倉稲魂命さま。[小網神社]橘神社から南西に数分、ビルに挟まれたように建つ神社。ご祭神は倉稲魂神さま、市杵島比賣神さま、福禄寿さま、他。東京大空襲でも被害を被らなかった、神社の御守を受け出征した氏子の兵
南千住駅数分の地に鎮座する素盞雄神社。ご祭神は素盞雄大神さまと飛鳥大神さま。千住は奥の細道の旅の出発地としても知られており、境内に句碑が建つ。スサノオノミコトさまは『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、速須佐之男命、須佐之男命、『日本
戸越公園の駅の近くに佇む小さなお稲荷さまが二つ。それぞれ別の神様を祀っています。戸越「伏見稲荷神社」駅から北に進む商店街の中に鎮座案内板によると京都伏見稲荷大社のご分霊がお祀りされていて、ご祭神は宇迦之御魂大神さま、大宮能売大神さま、佐田彦大神さま、田中
横浜市営地下鉄ブルーラインの阪東橋駅のアーケードの脇に佇む金刀比羅大鷲神社。安政6年(1859)の横浜の開港にあたり港崎遊郭に金刀比羅社を祀ったのが始まり。明治5年の金刀比羅神社の高島町遷座で、吉原に倣って「おとり様」を勧請し末社として祀り、後に相殿となった。ご
自由が丘に鎮座する熊野神社。ご祭神は速玉之男尊さま、伊弉冊命さま、泉津事解之男尊さま。参道脇に遊具百日紅が咲いていました。境内社の稲荷神社稲荷社の脇を奥に進むとご神木の夫婦松神社のお隣には道祖神さまの祠人の多い自由が丘にあって緑豊かで静かな落ち着いた空間
大久保の皆中稲荷神社。ご祭神は倉稲之魂之大神さま、伊邪那岐之大神さま、伊邪那美之大神さま、諏訪大神さま、日本武命さま。摂末社に百人町大鳥神社、百人弁財天社、御嶽神社、三峯神社、厄除稲荷神社。江戸期、百人町の鉄砲隊が夢のお告げで参拝したところ百発百中になっ
【徳船稲荷神社】は鉄砲洲稲荷神社の近くの南高橋の袂に建つ神社。もとは越前松平家下屋敷の屋敷神として祀られていた。ご祭神は宇迦之御魂神。南高橋橋の袂のこじんまりとした神社です。徳船稲荷から少し歩いたところに建つ【 於岩稲荷田宮神社】四谷怪談のお岩さんを祀る
八丁堀に佇む、平安時代(841年)創建の古社。ご祭神は稚産霊神さま、豊受比売神さま、宇迦之御魂神さま。境内社に八幡神社、琴平神社、住吉社、浅間社、三輪社、天満社。朝から地元の方が参拝されるような地域に大事にされている神社でした。
恵比寿駅から、稲荷坂と呼ばれる線路沿いの坂を上る途中に建つビルの敷地内に鎮座していた、福徳稲荷というお稲荷さま。お参りしようと訪ねましたが、見つかりませんでした。ビルの工事で屋上へ移転するという書き込みをネットで見かけましたが、残念ながらビルの屋上へ上が
恵比寿駅のすぐ近くに恵比寿神社がありますが、徒歩10分ほどの距離のガーデンプレイス内にも恵比寿神社が建っています。こちらは明治27年にサッポロビールが兵庫の西宮神社から恵比寿大神を勧請して工場内に祀ったのが始まりで、平成6年の恵比寿ガーデンプレイスの竣工で新殿
駅前の大通りから1本入ったマンションと飲み屋さんが混在するエリアにこじんまりと佇むお稲荷さま。この辺りは昔は山下町と呼ばれていたそうです。道の先に赤い幟が見えたからお稲荷さまかなと思ったらお好み焼き屋さんだった、、、。新しく立て直された境内は手入れが行き届
恵比寿駅の近く、飲食店などが多く並ぶ中に佇む恵比寿神社。天津神社として、国常立神さま、豊雲野神さま、角杙神さま、意富斗能地神さま、伊邪那岐命さま、伊邪那美命さまの六柱が祀られていた。戦後の区画整理で現在の場所に遷座される際に事代主命さまを勧請し恵比寿神社
高円寺の駅近くに鎮座する氷川神社。境内には日本唯一の気象神社が鎮座しています。氷川神社のご祭神は素戔嗚尊さま。気象神社のご祭神は知恵の神様の八意思兼命さま。天の岩戸開きの作戦立案など知恵を駆使して活躍した神様として有名です。素戔嗚尊さまを祀る社殿からは力
高円寺と阿佐ヶ谷の間くらいに鎮座する神社。ご祭神は宇迦之魂神さま(稲荷神社)と大麻等能豆神さま(御嶽神社)。相殿に伊弉册神さま(白山神社)、美都波能賣神さま(水神社)、菅原道真朝臣(天神社)。石鳥居の二の鳥居には昇龍と降龍が彫られています。二の鳥居昇竜降
1900年ほど昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したのが始まりと伝えられる古社。主祭神は須佐之男命さま 大山咋命さま 誉田別命さま、相殿に 大国主命さま 菅原道真公。楼門茅の輪くぐり唐門の梁に卍の刻印水鉢にも卍舞殿境内社の乙女稲荷神社(ご祭神は倉稲魂命)朱色の千
西日暮里の駅近く、学校に隣接した神社。ご祭神は向陵稲荷大明神さま(宇迦之御魂神さま)。昭和20年の戦災で全町焦土となるもこの神社は戦災を免れたという神威赫赫とした霊験あらたかな神社として崇拝されているそうです。南天の花が咲いていました。
元久2年(1202年)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請したのが始まり。ご祭神は建御名方命さま。「諏方」は諏訪の古い表記とのこと。木々に囲まれて緑の中に静かに佇んでいました。諏方神社の一の鳥居の横にはお寺さんの山門浄光寺は真言宗豊山派の寺院で諏方神社の元別
水道橋にある金刀比羅宮は香川県の金刀比羅宮の分社。文政2年(1819年)、板橋 市左衛門の邸内祠として祀られたのが始まりで、ご祭神は大物主神さまと倉稲魂神さま。水道橋といえばの風景(東京ドームもあります)大通りを挟んだ反対側にこんぴらさん金刀比羅宮 東京分社のお
白山神社にお参りしてそのまま歩いて目赤不動にもお参りその途中にいくつかお寺さんがありました定泉寺は浄土宗のお寺さん。江戸三十三観音札所の9番です。夢現地蔵尊近くに咲いていた夾竹桃やっぱり紫陽花天栄寺は浄土宗のお寺さん。駒込土物店は江戸三大市場の一つで幕府の
白山神社から本駒込駅に向かう途中にある天台宗のお寺さんの南谷寺。江戸五色不動の一つ、目赤不動として知られています。門をくぐると紫陽花本堂には阿弥陀如来さまが祀られています(朝早かったからか扉が閉まっていて見られませんでした)本堂と紫陽花不動明王さま
文京区の白山神社は天暦2年(948年)に白山信仰の総本社の石川県白山比咩神社を勧請したのが始まりで、一帯の白山の地名の由来にもなっている神社です。ご祭神は菊理姫命さま、伊弉諾命さまと、伊弉冊命さまです。境内に様々な紫陽花が咲いており、毎年6月中旬に紫陽花祭りが
天平2年(730年)大己貴命が皇居大手門付近に祀られたのが始まりで、後に平将門公が合祀された。時が経ち元和2年(1616年)江戸城の表鬼門除けとして現在の地に遷座され江戸総鎮守となった。正式名称の神田神社より神田明神という呼び名の方が通っている神社ご祭神は一之宮に
妻恋神社は、湯島三丁目、湯島天満宮と神田明神の間の地に建つ神社ご祭神は倉稲魂命さま、日本武尊さま、弟橘姫命さま東征に出た日本武尊一行の危機を御妃の弟橘姫命が身を投げて救い、(その地に建てられたのが走水神社)帰路にこの地に日本武尊が逗留した事から郷民が尊と
上総一ノ宮の玉前神社から2駅、外房線の太東駅からさらに歩いて20分、3つのレイライン(天道の道・皇道の道・人の道)の起点となる玉崎神社。ご祭神は豊玉毘賣命さまと鵜葺草葺不合命さまのどかな田舎の駅といった雰囲気の太東駅近くには踏切踏切から見た太東駅少し進むと田
千葉県を走る外房線の上総一ノ宮駅から徒歩数分の場に佇む玉前神社。ご祭神は玉依姫命さま。ここを東の起点として神奈川の寒川神社、富士山山頂、山梨の七面山、滋賀の竹生島、伊勢神宮の内宮が遷座したとされる京都の元伊勢、皇大神宮、鳥取の大山の大神山神社、出雲大社ま
長野の善光寺と関わりの深い3社。まずは湯福神社ご祭神は健御名方命さまの荒魂善光寺の北西に位置しています。大勧進と大本願の石柱が狛犬さまと並んでいましたとんでもなく巨大なケヤキがどどーんと直径2mくらいありそうな巨木なんてそうそうお目にかかれないです思いつくの
長野市の善光寺の一大イベント『御開帳』。善光寺は飛鳥時代から続く無宗派のお寺さんで、日本最古の仏像とも言われインド発祥とされるご本尊(一光三尊阿弥陀如来)は絶対秘仏として(開山当初は秘仏ではありませんでした)、誰の目にも触れることはありません。鎌倉時代に
船江神社と神明宮が合祀されて古町神明宮となった神社歴史は古く船江神社は建立から1700年以上で『延喜式』神名帳に式内社として記述されているそうです神明宮のご祭神は天照大御神と豊受大神、船江神社は猿田彦大神と大彦命同じく総鎮守の白山神社の近くに佇んでいますお伊
新潟市の中心部、市役所のお隣に建つ広い敷地の大きな神社主祭神は菊理媛大神(白山大神=白山比咩大神)、伊邪那岐命、伊邪那美命配祀神が天照皇大神、八幡大神合祀神(明治期の白山公園造成で合祀した境内社)が住吉大神、稲荷大神、天満天神(菅原道真)、出雲大神(大国
西武池袋線の椎名町駅前に建つ真言宗のお寺さん火災で焼失後に現在の場所に移ってから長崎神社の別当寺となっていた赤門(将軍家に縁のある家だけに許された朱塗りの門)江戸時代、火災で焼き出された人を保護していた事から時の将軍・徳川家治より許可された木石鉄道の線路
長崎といっても九州の長崎県ではなく豊島区の長崎西武池袋線の椎名町駅のすぐ近くに佇む神社旧長崎村の鎮守社で江戸時代は十羅刹女社と呼ばれ信仰を集め明治の神仏分離令以降は須佐之男命さまを合祀し長崎神社となった池袋の隣駅とは思えないほどに緑が多く静かで落ち着いた
平安時代に須佐之男命さま、大國主命さま(大己貴命さま)を祀る氷川神社として建立明治期に天満社、浅間社、稲荷社、諏訪社を合祀し地名の大間の大と中野の野をとり大野神社となったそうです境内社アジサイが咲いていました鴻巣駅から徒歩15分ほど一軒家の並ぶ住宅街の中に
鴻巣駅から徒歩5分ほどに鎮座する鴻神社鴻巣宿の氷川社、熊野社、雷電社の三社を合祀したのが始まりですご祭神はスサノオノミコトさま、ハヤタマノオノミコトさま、ワケイカヅチノミコトさま(オフィシャルサイトに倣いカタカナで表記します)また、お供え物をしないと祟る「
埼玉県加須市に建つ玉敷神社は奈良時代(もっと古いという説あり)建立のとても歴史のある古社でご祭神は大己貴命さまです鴻巣駅と東武伊勢崎線の加須駅を結ぶバスでお参りできます茅葺き屋根の神楽殿多くの摂社・境内社が祀られていました境内社の厳島社にはちいさな弁天さ
豊受稲荷本宮から柏駅までバスで戻る途中、柏駅の手前に柏神社前というバス停があります。山形の出羽神社と京都の八坂神社それぞれから勧請したご祭神を合祀した神社ですご祭神は月讀尊さま、大山祇命さま、大己貴命さま、少彦名命さま、伊氐波神さま、稲魂魂命さま、素盞嗚
豊受稲荷本宮(ゆたかいなりほんぐう)~神仏混淆のお稲荷さま~
JR常磐線と東武東上線の柏駅から歩いて20分くらいなのですが、運良く本数の少ないバスの時間に合ったのでバスで移動。バス停から向かっていたら神明神社が建っていたので先にお参り。バス停から5分くらい歩いたらお稲荷様らしく赤い幟が見えてきますまだコロナは収束していま
武蔵国の二宮となる歴史ある神社です埼玉県の端っこのほぼ群馬県な場に鎮座していますご神体が御室山という山そのものなので本殿が無いという原始信仰の形を残した貴重な神社です日本武尊が身に着けていた火鑽金(火打金)を御霊代として納め、天照皇太神さまと素戔嗚尊さま
社伝『臥龍山宮伝記』によると景行天皇53年(紀元前162年)日本武尊が東征からの凱旋でこの地に立ち寄り、天皇より下賜されたヒイラギの鉾を奉納し出雲の(オオナムチノミコト)を祀った後、成務天皇の御代に武蔵国造(国造:地方を治める官職)兄多毛比命(エタモヒノミコト
350年ほど昔、大きな入り江であった一帯を埋め立てて新田を造営し、鎮守として江戸の山王社を勧請して創建された神社です。主祭神は大山咋命さまで相殿神として宇迦之御魂命さまが祀られていますあたりを歩いていても昔は海だった雰囲気は見つかりませんが、オフィシャルサイ
弘明寺から桜木町まで続く大岡川沿いの桜並木は神奈川県内でも随一のお花見スポット京急の南太田駅から日枝神社に向かうと大岡川を渡るのでプロムナードが楽しめます川沿いの桜というと目黒川が思い浮かびますが、このエリアの大岡川は目黒川よりも大きな川に見えます住民の
横濱水天宮・太田杉山神社のすぐお隣に建つ真言宗のお寺さんご本尊は阿弥陀如来さま盛りを過ぎた枝垂れ桜が美しく佇んでいました大光寺から駅に向かって数分歩くと見えてくる山門があります京急の南太田駅のガード下に参道が続くこちらは西中山常照寺という日蓮宗のお寺さん
1945年の横浜大空襲で全焼してしまった水天宮が杉山神社に相殿神として合祀されています横浜水天宮のご祭神は天御中主神さま、安徳天皇、建礼門院、二位の尼大田杉山神社のご祭神は日本武尊さま狛犬さまは子に乳を与えている姿で安産・子育ての象徴となっています。社殿の奥
京急の金沢八景駅から徒歩数分の距離に建つ神社です主祭神は祭神 誉田別命さま相殿に大山咋命さま、倉稲魂命さま、太田命さま、磐長比売命さま、建速須佐之男命さまです天王社江戸時代制作の雄獅子・雌獅子が納められているみたいです駅から海はすぐそこです途中で見かけたと
地域タグ:金沢区
(昨日の続き)京急で東神奈川へ一駅移動して熊野神社に向かう途中金蔵院は真言宗のお寺で平安時代から続く古刹近くの熊野神社の元別当寺(神社を管理するお寺さん)桜が咲き始めていました般若心経のマニ車(回すとお経を唱えたのと同じ功徳が得られる便利アイテム)山門か
地域タグ:神奈川区
横浜駅から数分(東急の反町や京急の神奈川からも)大綱神社(飯綱権現)と金刀比羅神社(金刀比羅権現)が合祀されて大綱金刀比羅神社ご祭神は大物主神さま、金山彦神さま、日本武尊さま、大山津見神さま社伝では源頼朝の創建だそうです地元では横浜のこんぴらさんとして親
地域タグ:神奈川区
横浜の中華街というとこういう(細い通りに大きな中華料理店の看板がごちゃっと並ぶ)雰囲気がイメージされますよね実際その通りなんですが(上の写真は横浜中華街)まっ黄色の壁が目を引いて更に自販機とカラーコーンが微妙にマッチしてたり(これも中華街)目が
地域タグ:中区
横浜中華街の中にこれまた中華な公園があります海の方にある有名な山下公園と名前が被りそうですがこちらは山下町公園です中区の山下町にあるから山下町公園です中華街に建つ横浜大世界という派手目なビル(8階建ての総合エンタテインメント施設)の近くです媽祖
地域タグ:中区
横浜中華街に建つ関帝廟以外のもう一つの寺院です媽祖という実在した女性が神として祀られています海の守り神さまで水運だけでなく病気や災害からも守ってくださる神さまなのだそうです煌びやかな建物が目を引きます派手派手に見えますがとげとげしいよ
地域タグ:中区
相鉄線の天王町駅が最寄りの神明社は1000年以上の歴史を誇る神社です ご祭神は本社が天照大御神さま 摂社が豊受大御神さまです 境内社の水神社 稲荷社 月読社と風宮 鹿嶋社、日之王子社、切部之王子社
相鉄線の星川駅から見上げた山の上に鎮座する星川杉山神社 1200年ほどの歴史を持つ神社で ご祭神は日本武尊さまです 手水舎が見当たらないと思ったらこちらの建物の中でした 近づくと水は自動で流れます
京急横浜の隣の戸部駅から徒歩7分ほどの場所に鎮座する戸部杉山神社 この地を開拓した一族が白雉三年(652)に「出雲大社」の分霊を勧請して創建された神社 ご祭神は大己貴命さま 大国主命さまの神話から境内には狛犬さまの他に狛ねずみさまの像
東秋留駅から普門寺の少し先に行った場所に建つ神社さんです ご祭神は素戔嗚尊さまです 鳥居を潜って直ぐの左手に境内社の日枝神社 反対側には祓戸大神 水の流れる水路の奥には弁財天社 手前の水辺まで下りられる場所では地元の農家の方が
普門寺から道路を挟んだところに建つ薬師堂 鶴岡八幡宮にあった薬師三尊像がこちらに安置されています 薬師如来のご真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか が書かれています お参りする時は7回唱えましょう
JUGEMテーマ:東京の神社仏閣二宮神社から線路を超えた駅の反対側に建つ鎌倉時代から続く臨済宗のお寺さん 二宮神社の跡地に建てられた事から神護山の山号だという説があるそうです 葉を落とした樹々が良い雰囲気です 枝ぶりまで考えて手入れされてい
二宮神社から国道を挟んだところにお池があります社宮橋と書かれた小さな橋を渡るとおしゃもじ様を祀った社宮司社咳を直してくださる神さまですこのお池は東京の名湧水57選に名を連ねる湧水でとても澄んだ綺麗な水で満たされています大きな鯉と鴨が
あきる野市に鎮座する二宮神社ですJR五日市線の東秋留駅から徒歩3分ほどのという駅近な神社さんですご祭神は国常立尊さまです大鳥居から階段を上ると丘の上から町が一望できます手水舎には柄杓が置かれていましたアルコール消毒スプレーも置いてありま
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1929年、京都の伏見稲荷大社の協力を得てご分霊を勧請し創建。併せて西武新宿線の上保谷駅が東伏見に改名、96年には地名も東伏見となった。ご祭神は宇迦御魂大神さま、佐田彦大神さま、大宮能売大神さま。お稲荷さまのピリッとした雰囲気よりも、もう少し柔らかい空気でした
六歌仙に名を連ねる在原業平さまを祀る大石神社。亡くなった業平さまが変じたという大石をご神体として祀っています。(由来については諸説あり)創建時期は不明との事ですが、境内には大きな樹がいくつもいるのでそこそこ歴史はあると思われます。大石神社の鳥居の横に建つ
言い伝えによると、武蔵国桝杉城主であった稲毛三郎重成が夢のお告げを受け、文治三年(1187年)に日本武尊さまとお妃さまの弟橘比売命さまを御祭神としてこの地に祠を建て白鳥前川神社と名づけたそうです。明治43年に近くの神明社に祀られていた伊邪那岐命さまと伊邪那美命
小田急線の相模大野駅から徒歩5分ほど、大通りに面した角地に鎮座する蚕守稲荷大明神。この地で養蚕が行われていた江戸時代に養蚕の守り神として祀られ、現代では五穀豊穣や交通安全などの神さまとして祀られています。お仕事の関係で近くにいたのでお参りさせていただきまし
河川は多摩川で地名は玉川という。(両方の表記が混在していたが、河川は明治期の表記の統一で多摩川が採用され、地名はそのまま残ったから)目黒通りに隣接する玉川神社。もともとは熊野信仰の神社で隣接する満願寺が別当寺。ご祭神は伊邪那岐神さま、伊耶那美神さま、事解
大井町線等々力駅のすぐ近く、23区内唯一とも言われる等々力渓谷に鎮座する等々力不動尊。こちらのお不動さまは線路の反対側に鎮座する満願寺の別院です。等々力駅から徒歩4分ほどの地に鎮座する満願寺、山号は「致航山」、院号は「感應院」、寺号が「満願寺」となります。宗
元々あった諏訪神社が明治期に玉川神社に合祀され廃社となっていたが昭和3年に再興。昭和13年に渋谷区の氷川神社から社殿を譲り受け東玉川神社と改称。社殿は世田谷区の有形文化財。ご祭神は建御名方命さまと大山咋尊さま。鳥居の前で百日紅の花が出迎えてくれます世田谷区有
甲斐の武田氏の居館である躑躅ヶ崎館の跡地に建てられた武田神社ご祭神は武田信玄公甲府駅から定期バスが運行されており、神社として甲府で一番メジャーかも知れない(と思う)境内で烏骨鶏が鳴いていました水琴窟の音色は綺麗で心が安らぎます広い境内には椅子やテーブルも
甲府駅の近く、山梨県庁の裏手に広がる城跡の甲府城別名舞鶴城徳川家康の命で築城された立派な石垣とお濠がんじょうそうな門天守のあった場所には空に繋がる空間だけが残るこうして見ると甲府が山に囲まれた土地である事がよく解る駅の方角には電車が見えました
穴切大神社ご祭神は素戔鳴命さま、大己貴命さま、少彦名命さま素戔鳴命さまの八岐大蛇退治伝説から悪い蟲を断ち、縁結びの神の大己貴命さま、少彦名命さまのお力で良縁を授かれるという狛犬さま髄神門
正ノ木稲荷大明神「稲積神社」お稲荷さまなので大きな紅い鳥居が目を引きますご祭神は宇迦之御魂大神さま、大宮能売大神さまインパクトのあるご神木天満天神社と撫で牛ご神水の井戸
青沼浅間神社貞観7年(865年)に建立の古社ご祭神は木花咲耶姫命さま
朝気熊野神社ご祭神は伊邪那岐命さま、伊邪那美命さま、速玉男命さま、事解男命さま日本武尊さまが酒折宮に泊まった翌朝にこの神社の辺りに煙が立ち上るのを見て立ち寄られ、村人が歓び迎えて朝餉(朝食)を献上したことから『朝気(あさけ)』と名付けられたというので、酒
山梨県では唯一記紀に記述のある神社「酒折宮」ご祭神は日本武尊さま日本の連歌発祥の地としてその筋では有名とかこちらは別方向の入り口境内にいくつもの古い祠静かな落ち着いた雰囲気の場所でした
ひたちなか海浜鉄道の終点の阿字ヶ浦駅のすぐ近く、誉田別尊さまを祀る堀出神社。その境内にほしいも神社が建てられています。なんだかのんびりとした雰囲気を感じる空間でした。少し歩くと海です。
文徳天皇の斉衡3年(856年)に現在鳥居が建つ神磯に降り立ったという神を祀った大洗磯前神社。ご祭神は大己貴命さまと少彦名命さま。海に面した地に大きな鳥居が立っています。鳥居の反対側はこんな感じで海に続いています。鳥居の右手に清良神社奥には水の上に建つ鳥居鳥居を
鶴見の駅近く、飲食店とマンションが並ぶエリアの一角にお稲荷さまが鎮座していました。五の日稲荷大明神。こじんまりとした神社ですが、夜の街の中の佇まいに何故か惹かれてお参りしました。
鶴見の駅近くには曹洞宗大本山の總持寺という大きなお寺さんが鎮座しています。總持寺さんとは駅の反対側の海側に横浜最古といわれる鶴見神社が鎮座しています。ご祭神は素戔嗚尊さま、五十猛命さま。多くの境内社が建つ境内の奥には浅間神社と富士塚お参りしたら雨が降り出
佐助稲荷神社から徒歩数分。きつい坂道の途中にぽっかり空いたトンネルが銭洗弁財天宇賀福神社への入り口です。ご祭神は本宮が市杵島姫命さま、奥宮が宇賀神さま(弁財天さま)です。トンネルを抜けると境内に本宮奥宮は洞窟の中上之水神宮下之水神宮七福神社参拝を終えてト
鎌倉駅から市役所を超え住宅街の中を抜けた先、鎌倉の隠れ里と呼ばれるエリアに鎮座する佐助稲荷神社。源頼朝の夢枕に現れ挙兵を促した神様を祀っています。「佐殿(すけどの)=頼朝」を助けた稲荷さまなので佐助稲荷神社と呼ばれているそうです。閑静な住宅地を登って行く
1929年、京都の伏見稲荷大社の協力を得てご分霊を勧請し創建。併せて西武新宿線の上保谷駅が東伏見に改名、96年には地名も東伏見となった。ご祭神は宇迦御魂大神さま、佐田彦大神さま、大宮能売大神さま。お稲荷さまのピリッとした雰囲気よりも、もう少し柔らかい空気でした
六歌仙に名を連ねる在原業平さまを祀る大石神社。亡くなった業平さまが変じたという大石をご神体として祀っています。(由来については諸説あり)創建時期は不明との事ですが、境内には大きな樹がいくつもいるのでそこそこ歴史はあると思われます。大石神社の鳥居の横に建つ
言い伝えによると、武蔵国桝杉城主であった稲毛三郎重成が夢のお告げを受け、文治三年(1187年)に日本武尊さまとお妃さまの弟橘比売命さまを御祭神としてこの地に祠を建て白鳥前川神社と名づけたそうです。明治43年に近くの神明社に祀られていた伊邪那岐命さまと伊邪那美命
小田急線の相模大野駅から徒歩5分ほど、大通りに面した角地に鎮座する蚕守稲荷大明神。この地で養蚕が行われていた江戸時代に養蚕の守り神として祀られ、現代では五穀豊穣や交通安全などの神さまとして祀られています。お仕事の関係で近くにいたのでお参りさせていただきまし
河川は多摩川で地名は玉川という。(両方の表記が混在していたが、河川は明治期の表記の統一で多摩川が採用され、地名はそのまま残ったから)目黒通りに隣接する玉川神社。もともとは熊野信仰の神社で隣接する満願寺が別当寺。ご祭神は伊邪那岐神さま、伊耶那美神さま、事解