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オンライン講師という仕事柄ですが、課題文をたくさん読みます。ほんの、ほんの、一部だけの抜粋ですが、気づかされたり、考えさせられたりして、課題文として解いているだけではもったいない著書ばかりです。「しきり」の文化論柏木 博講談社2004-05-21国語では、よく「内な
昨日のブログで書きましたが乱れた時間を取り戻すべく早寝早起き 昨夜から開始しました昨夜は11前にベッドへ今朝は予定通り5時起床久しぶりの起床時間しかも 今年は暖かい日続きの東京ですが流石に 師走の早朝は 暗くて寒いですなのに なんだか懐かしい 我が家の冬は
我儘にちがいないんです 私その我儘な言い分を うまく操ってくれる家族娘に自己肯定感が低いと笑われ夫にも もっと自信をもっていいと言われ私って すごく頑張っている!って自分で思ってもそれは 家の中だけの自惚れと整理はできているのですが母 妻 あるあるでしょ
最近私の住まいのスーパーではハンカチのワゴンを見ることがなくなりました数年前数人に一枚ずつハンカチを差し上げようとハンカチ売場のあたりに行ったのですがワゴンどころか ハンカチも選ぶほどはありませんでした出かける時にはいってらっしゃいとセットの母の言葉ハン
週末から、街はハロウィンで賑わっているようですが、私の幼い頃に、アメリカの文化を楽しんだのはクリスマスのケーキとお父さんの三角帽でしょうか。母はとても忙しく、家計が苦しかったにもかかわらず、季節の行事を楽しそうに私と一緒にすごしてくれました。その頃、ハロ
季節の言葉を入れた挨拶をよく耳にしたものですが。。。私が東京に出てきて45年その頃の東京で親しい大人がいなかったからか、あまり耳にしたことが無いまま月日が過ぎ、いまでは、Another Houseに帰っても私の親たちの世代くらいしか季節入りの挨拶はしなくなってきてい
誕生日おめでとう プレゼントを考えることが一度も億劫にならなかった人それは、母でした。母が生きていれば、今日は91歳の誕生日今頃、あの世からこの世でアタフタしている私を見ながら”あらま!” なんて言っていることでしょう。今日は朝から仕事でした。
私も 仕事漬けだった一時期はそうだったかもしれないのですが、渦中にいるときは、気づかないものなんですね。仕事の流れが少し変わったとき例えば、誰かが職場を去ったり、新しい人が加わったり、システムが変更になったり、そうした変化を、穏やかに受け止めようとできる
母は、1931(昭和6)年生まれでした。1945年度 15歳 女学校4年 無期限で授業停止の時期です。1946年度 16歳 女学校5年 修業年5年に戻され、授業再開。1947年度 17歳 女学校6年 高等女学校の新入生募集は行われませんでした。1948年
相続のこと、戦前からの経緯があり、祖母の思いがあり、母の思いがあり、結局は祖父の祖母を思う気持ちがあり、私に回ってきたストーリーです。祖父母、父母が存命であれば「そんな身内の恥のような話しを、人様にお伝えするなんて」と叱られることでしょう。けれど、流石に
先日、今シーズン初のおでんを作りました。一度食べたら絶対具を買い足さないはずが。。。夫が買い足しました。とはいえ、いつもより控えめだったので、3日でおでん完食になりました。おでんといえば、各家庭で絶対入れる具があると思うのですが、結婚して初めておでんを作
私はオフィスワーカーが一番向いていると思っていたし、今でも、「事務方の方がいいな〜」と思ったりもします。けれど、準備に追われながらも今の仕事を続けているのは?私は、贅沢な思いを持った面倒な二番手が好きな社員でした。リーダーとしてチームの上に立つのは、本当
オンラインの仕事のいいところは、通勤がないところ。通勤は若い頃は慣れていたので、そういうものと思えていたのですが、本さえ読めない通勤ラッシュ、知らない人と接近しなければならないお互いのストレスそして、費やす時間通勤ラッシュから一度離れてしまうとその時間は
以前のブログでシャビー・シックが私にとって上級だと書きました。私に縁があった外国はポーランド・フランス・タイタイはアジアですから、その家具や住まいに懐かしさがあります。ポーランドは歴史的にフランス文化の影響も受けているようです。父がワルシャワで働いた頃は
東京は、ここ数日で急に涼しさが増し、少し前から、ちょっとずつ暖房のお世話になり始めました。涼しいのはありがたいのですが、今頃、三寒四温でしょうか。今頃、秋の長雨でしょうか。東京の空はビルにカットされて、ギザギザなのですが部屋を模様替えしている最中に、出窓
木曜日の夜はほっと一息です。オンライン講師が仕事なので、オフィスワークのように毎日が決まった時間では動きません。月曜日 午前中と夕方火曜日 飛び飛び朝から夕方まで水曜日 朝だけ木曜日 朝と夕方金曜日 おやすみ!土曜日 朝だけ日曜日 おやすみ。。。日曜日は
一人っ子で育ったせいでしょうか、まだ物騒でなかった時代でしたし、幼い頃から一人で留守番をしていたことも多かったので、今でも一人で時間を過ごすことにあまり苦労をすることがありません。どちらかといえば、一人の世界に入っているのが好きな方かもしれません。そして
私が、いまでもあの時期があってありがたかったと思う職場がこのタイトルの②で書いた時期です。今でも就職は大変なようですが、私は本当になにかの最後の時期というより年に縁があったようです。私は一浪しています。オイルショックの影響は結構長く尾を引いて、男子も覚悟
前回、インテリアのこと、ちょっとだけ書きました。写真のデータを整理していたら。。。手軽にスマホでカシャ!は、楽しいけれど写真が山程。時々、整理しながら楽しみます。コロナ自宅待機期間に、DIY好きな方の多くの方が家のイメージチェンジなさったようで、多くの動画も
東京の大学に入学して、一人暮らしが始まったのですが、実家では、生活動線上奥まっているため、広いのに(十二畳!)それを私の部屋として使うことができていました。学習机、ベッド、こたつ、楽器たち。。。を置いても広い。もちろん、食事は家族と一緒にダイニングスペー
私の記憶が違っていなければ、私達が青春を迎える頃までデニム生地の服装は大人たちから敬遠されていたと思います。丁度Gパンが私の育ったローカルな地域まで流行し、ジーンズショップが並んだ時代かと。私も、一生Gパンを履いていられるような。。。なんてことを言っていま
最近のお子様にも「やればできる!」って応援するのでしょうか。よく耳にしていました。根性論全盛の時代青春ドラマでは試練のあとに成功涙を拭いもせずに夕日に向かって走るスポコン物もこれでもか!という試練の連続だって、女の子だもん 涙がでちゃう。。。男の子でも涙
私は以前”駆け抜けるおばさん”でブログを書いていたのですが、駆け抜けるというのは、勢いがあるとは少し違っていてまーーーーーー 落ち着かない日々を送っていたので。もうそろそろ 自分史などどいうものを整理してもいいのかもしれませんがまだ尻尾くらいは現役に触れ
バブルの頃ってどうだったかしら?本当は、その頃に大きな好況(?)のバブルがあってそれが弾けるまでの時代のことなのだと思うのですが。。。個人的には、毎日小さな泡ができては、日々あちらここちらに浮かんでいたような感覚です。社会人としての基本!を覚えなければな
昨日あたりから寝起きが悪いです。なんだか一日中眠くて仕方がありませんでした。私のメインのアルバイトは非常勤講師海外子女ーーー親御さんが海外赴任になられて一緒に海外で暮らしているお子様帰国子女ーーー親御さんの任期があけて帰国なさったり、自分の意思で日本に戻
私は、今年で母の年を追い越しました。母は、今の私より1年早くヒュ〜っと空に吸い込まれてしまいました。それから、3年前まで父は一人暮らし。しっかりしていると言ったら叱られそうですが、本当にあっという間に父も旅立ちました。シングル、気丈な父はどう過ごしていた
同世代のブロガーの方、Youtuberの方、すごい!私は、続けることがとても苦手です。フルタイムで仕事をしていた頃は、「忙しいから」と自分も思い込んでいた節があります。けれど、多少のアルバイトをしているとはいえ、フルタイムの仕事をしていた頃の勤務時間くらい家で過
私の職歴を尋ねられると、働き盛りに一番長く働いた会社が自分を創ったような気がしていたのですが、そして、いつかその時のような仕事に返り咲くのだろうと思ってもいたのですが。。。もう延長雇用がされたとしても退職になる年齢。気がつけば、正直office worker返り咲きま