聖人を尊敬し、これに助けを求めること『公教と新教との教理上の主なる差異』
『公教と新教との教理上の主なる差異』ヤコブ・リンデン著荻原晃訳東京公教青年会、1921年4、聖人を尊敬し、これに助けを求めること【公教(カトリック)】聖人を尊敬し、これに助けを求めることは、よいことで、かつ、有益なことである。新教徒は、繰り返し繰りかえし常に、われわれ公教徒は聖人を拝むと主張する。これは、軽薄なる誹謗である。我らは神のみを拝み、聖人を神の忠実なるしもべ、また、友人として尊敬するのみである、ということは、どの正統派カトリックの信者の子どもでも知っているし、また、どのカテキズム(公教要理)の中にも書いてある。【新教(プロテスタント)】聖人を尊敬し、聖人に助けを求めることは、不合理であり、かつ、無益なことである。【反駁】1、戦争、芸術、学問に功労のある人を尊敬することは、よいことであると誰でも思...聖人を尊敬し、これに助けを求めること『公教と新教との教理上の主なる差異』
2022/08/28 04:11