地方のしがない介護支援専門員、介護福祉士。 普段から専門職としての視点と一般的であろう感覚を双方大切にしています。介護職やケアマネージャーとして日々の気づきを綴ります。
長らく前回の記事更新から間が空いており、このことを綴るのもいかがなものかと思案したのだけれど、されど今の私の気持ちを少し綴っておきたくなった。私と妻はやがて初老を迎える年齢となり、安寧の暮らしを希求してきた。しかし、いつかコウノトリが運んでくる我々の最愛なる存在が、きっと居てくれると良いなと願いながらも自然の成り行きに運命を任せており、二人だけの生活もきっと悪くないことも信じてきた。 いわゆる高齢出産と言われる年齢となっていたが、それでも難しく考えずに健康に気を使った食生活を心がけてきたのだった。幸いにも現在、私の最愛なる妻のお腹には二人の命が宿っており、DNAを99.99%同じくす
Noteでは良い出会いが多く、様々な文章を拝見し、励みになりました。いつまで更新が続けられるか分からなくなり、マガジンを停止いたしました。連絡する術も無く、ここに報告させて頂きます。ご協力ありがとうございました。真に感謝しております。
健康資本をどのように蓄えるのか。健康消費や健康投資を考えるが、いずれにせよ常に目減りしていく現状に対し、健康貯蓄が間に合わない感覚がある。それが歳をとるということなのだろうか。 若いときには、健康よりも考えることが多すぎた。漠然とした不安感か焦燥感もあった。そのようなことを考えてみると、以前よりも心は落ち着き、安定している。もともとその性質はあったが、良くも悪くも感情の起伏がより平静を保つようになっている。 しかし、家族を支えるために、生涯可能な限り長生きし、現役を続けていかねばならないのが現状。そのような決意と裏腹に、健康資本が目減りしていく現実。そこへの抵抗に関しては終わりが見
何故生きているのだろうか。そんな疑問は少なからず誰もが持つ疑問。私も御多分に漏れず、漠然と生きていたのであるが、そんな私も人生の意味をはっきりと理解することができた。それは20歳の頃唐突に訪れた訳である。私のように、それぞれがそれぞれに人生の意味を見つけるのだと思う。極端に言ってしまえば、人生に意味などなく、生きて死ぬと言うことなのだろう。だが「武士道というは死ぬことと見つけたり」という葉隠の言葉もあるが、少なくともこのように人生の意味を見つけると、随分と目の前が開けるように思える。 ある意味では、フローにおいて下がり目に見えたとしても、このようなフローを繰り返していると、その経験が
人には五感というものが備わり、脳神経が備わっている。しかし不可思議なことに、自分と他人が見ている景色はきっと同じではないはずなのだ。それを知る頃になると、言葉というものが実に不完全なものであるように思えてくる。きっと思考は、人生経験や生い立ち、環境含むあらゆるストックの上で成り立っており、また生物学的な個体差がどうにも存在する。言葉は思考を表す手段であれど、その表現は全て言葉足らずなのかもしれない。 言葉は一応に共通の意味を指しており、その組み合わせや文法によって意思や思考を伝えることができるはずなのである。しかし、厳密な意味において、私と同じストックを持ち合わせていない限り、私と同
1936年におけるこの日、日本にとっての憲政史上、重大な事件が起こった。しかし、義務教育でしっかりと教わるべき事件であるにも関わらず、用語のみの学びに終始。どうにも教わらないように感じている。一体何が起こったのか、何を原因とするのか、そしてその当時の社会世相がどうだったのか。それこそたった一世紀すら跨がない、この日の出来事をもっと詳しく学ぶべきであるように感じる。だが、いかに学ぼうとも当時の出来事に対して、肌感覚を得ることは難しい。それでも何があったのか理解しようという姿勢が大切になるように思える。 陸軍の中で統制派は内閣における陸相を通じて合法的に陸軍の要求を通していこうとする立場
大いなる誤謬。金銭取引のお客様論。私は誰に対しても尊敬が重要であると考える。お金を払うから偉いのだとか、貰うからには低腰でなければならないと言う考え方とは馴染みがない。何故なら、ものを買うということは、そこには作り手がいて、買わせてもらう立場でもあるからだ。お客様は神様ならば、取引相手は仏様とでもいうべきなのだろう。 教育にお金を払うにしても、教えてもらっている立場となる。米を買うにしても作ってもらっている。日用品であれば売ってもらっている。お客様根性になると、こうした双務契約が対等の関係に成り立つものであると言う至極当然の理解を越えているように映る。特に接客業では従僕(サーバント)
私が何故民藝に惹かれるのか。それはやはり民藝運動の父と呼ばれる柳宗悦の言葉に大きな説得力を見る気がする。 それというのも、「手には必ずや心が控えている」という言葉である。この言葉は、実に言い得て妙であり、陶芸や郷土玩具などに私が惹かれる所以でもある。民藝というものの定義はひとまず置いておいて、民藝品には情緒があり、一見するところ同じようでいて、万事同じではない。そのようなところに魅力があるのである。 民藝は決して高尚で高等なものではなく、誰もが手にしやすく、使う人のことを考えて作られる。もちろん、ここで重要になる思想こそが民藝にとっては大切な意味を持つ。「手には必ずや心が控えている
写真家・故星野道夫。彼の写真はなんと素晴らしいのであろうか。動物写真家として活躍し、自然を切り取り続けた彼の写真集を見ると何とも言えない気持ちになる。私の日常は喧騒の人間社会にある。そして普段、思惑にふけるときも人間が自然の一部であるという当たり前の事すら忘却し、そのことに視線が注がれることもない。日常の出来事に思考が終始してしまう。 新版 星野道夫 悠久の時を旅する amzn.to 3,300円 (2025年02月24日 11:53時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 彼の写真を見てい
発酵食品の世界は、私たちの生活を豊かにし、健康を促進する不思議な魅力が広がっています。自然の営みの中で生まれる発酵は、古来より人々に愛され、受け継がれてきた知恵そのものです。たとえば、体に嬉しい影響を与える乳酸菌は、発酵の過程で育まれ、私たちの腸内環境を整える働きを持っています。これらの微生物たちは、共に暮らしながら健康を常に支え続けてくれます。 発酵食品は、生き物でもあり、体の内側から活力を与えてくれます。日々の食生活に取り入れることで、私たちは自然の営みを体内に取り込むことができます。乳酸菌は、古代から伝わる知恵の中で人々の健康を支え、現代でもその重要性が科学的に裏付けられている
学生時代に読んだ『アラスカ物語』について日記にしていたので、それをちょっとだけ転記します。 アラスカ物語 (新潮文庫) amzn.to 880円 (2025年02月22日 20:35時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する アラスカ物語の主人公、フランク安田は、一見すると勇敢で英雄的な人物に見えますが、その内面には普遍的な人間の素朴さが魅力的な人です。 彼は幼い頃、医者になるという明るい未来を夢見て学問にはげみましたが、家族の不幸や様々な運命のいたずらによって、その道は閉ざされてしまいました
この記事を書かなければならないと考えたのは、ミャンマーのタイ国境付近における人身売買、大量の外国人監禁と詐欺拠点の現場が大々的に報道されている事を受けてのことです。日本の高校生が日本人に騙され人身売買の標的にされている。日本の若者が強盗殺人の片棒を担いでいる。こうした凶悪犯罪が、もはや対岸の火事では無いとますます感じたからです。 現代は情報化社会と呼ばれ、私たちが日々やり取りするデジタルデータは、単なる記録や便利なサービスの一部ではなく、一種の通貨として機能しています。スマートフォン一つ、無料で使えるLINEのようなアプリも、その背景では膨大な個人情報が収集・解析され、企業や第三者に
私が心の居場所について記そうというきっかけになったのは、おさんぽさんの記事でした。またこのことについて、おさんぽさんの言う「命の居場所」という価値観についても思うことがあり、少しこのテーマについて書かせて頂きたく考えました。 “私達が、居場所と、殊更強調するとき、それは命の居場所の事をいう、 のではないかと思います。” おさんぽ「水仙の咲くころ」 人間の根源的な欲求:居場所と帰る場所 居場所がある、帰るところがある。それこそ人間が本源的に求めているものだと感じています。例えば、私が勤めている介護現場においても同じことがいえるのです。認知症になっても「帰りたい」「帰らなければな
新型コロナやインフルエンザの重症化リスクを防ぐ、腸内細菌叢の近衛兵団
以前から知られている通り、発熱は、私たちの体が命を守るために必死に戦っている証です。ウイルスや細菌が体内に侵入すると、体はすぐさま免疫システムを起動させ、全力で敵に立ち向かいます。 免疫の防衛戦と発熱の役割 東京大学医科学研究所などの先進的な研究によれば、体温が38℃以上に上昇すると、免疫機能として腸内の善玉菌が活性化され、細菌の働きによって一次胆汁酸が二次胆汁酸に変換されるメカニズムが活性化。体内の防御反応が高まることが分かりました。人間を宿主とする腸内細菌叢は、まさに人間という宿主を守るべく、侵入した外敵に対して攻撃を開始する近衛兵団です。 この二次胆汁酸がウイルスの増殖を抑
日本経済は、実質賃金の低下や物価高騰、そして消費税の運用に伴う輸出企業に対する不均衡な還付政策など、多くの経済的歪みを抱えています。こうした政策の結果、国内でエッセンシャルワークに従事する労働者や中小企業で働く人々、一部の高齢者などは、日々の生活費に追われる一方、輸出企業や大企業には優遇措置が講じられる現実があります。これが単に所得格差の問題にとどまらず、健康格差という形で深刻な社会問題へと波及するものと思えます。 日本の関税は、平均関税率でみると国際的に比べても低く設定されており、開かれた市場だといえます。しかし、最近のトランプの発言にある通り、消費税や欧州の付加価値税が実質的に輸
現代医療の進歩や生活環境の改善により、私たちの平均寿命は延び続けています。しかし、ただ単に医薬品やテクノロジーの進歩だけが寿命の延長に寄与しているわけではありません。戦時中の飢餓状態やカロリー制限をせざる得なかったような厳しい環境において、人々はむしろ驚くべき健康効果や寿命の延びを経験していたという側面があります。ここで注目したいのが「断続的断食」の概念です。 LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界 amzn.to 2,640円 (2025年02月17日 09:43時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する
老化と認知症を予防するには、食生活が何より重要であることの考察
悲しい現実ですが、古今東西、老化現象は誰にとっても避けることのできない現実です。しわ、たるみ、しみなどの外見上の変化だけでなく、脳の機能低下や認知症の発症といった内面的な老化現象も、私たちの日常生活に大きな影響を与えます。 加齢に伴う神経細胞の老化は、しばしば「老人班」と呼ばれる老化した神経細胞の集団として脳内に見られるものの、老人班の存在自体が即ち認知症であるとは限りません。つまり、老人班は老化現象の一つの指標であって、必ずしも認知症の決定的な証拠ではありません。しかしそもそも、老化のメカニズムであると鑑みれば、一度皮膚にできたシミや皺が中々無くならないのと同じように、認知症が不可
現代医学の研究は、腸内に生息する微生物、いわゆる腸内フローラが、私たちの健康において極めて重要な役割を果たしていることを次々と明らかにしています。大腸には人体に存在する細菌の約99%が住んでおり、その数は口腔内に存在する細菌の数をはるかに上回ります。実際、日常生活で「トイレよりも汚い」とまで言われる口腔内よりも、私たちの腸、中でも大腸には、はるかに多様で膨大な数の微生物が共生しているのです。 この細菌との関係性こそが、あらゆる全身症状に深く影響するものです。 腸内フローラと認知症の関連性 近年、国立長寿医療研究センターの研究をはじめとする数々の調査により、腸内環境と認知症の発症リ
科学は常に真理への探求とともに、多くの失敗の積み重ねの上に成り立っています。カール・ヘラップ教授著「アルツハイマー病研究、失敗の構造」は、長年にわたりアルツハイマー病の原因解明において一つの仮説であるアミロイドカスケード仮説に固執した結果、研究資源が偏在し、多角的なアプローチが十分に行われなかった現状を痛烈に批判した内容です。 アルツハイマー病研究、失敗の構造 amzn.to 3,520円 (2025年02月14日 21:44時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 従来、アルツハイマー病は脳内
2月13日は名誉革命が終結した日です。1688年、イングランドは名誉革命によって、長年続いた専制政治から新たな立憲体制への扉を開きました。ジェームズ2世の専制政治に対する不満が頂点に達し、国内の議会や貴族、そして民衆が一致団結して迎えたこの革命は、武力衝突や大規模な流血戦争を伴うことなく、変革を実現しました。 この革命の結果として、ウィリアム3世とメアリー2世が即位し、政治の舵取りは国王一人の専断から、国会との協議を基本とする体制へと変わりました。そしてその流れの中で生み出されたのが、1689年に制定された「権利の章典」です。この文書は、国王でさえも法の支配に従わなければならないとい
冬の訪れとともに、部屋は冷え、外は霜が降りる季節になりました。寒い夜、布団にくるまりながら眠りに落ちると、ふと目覚めた朝に腰に感じるあの違和感。長い睡眠がもたらす静かな時間の中で、私の腰はいつも静かに、しかし確実に痛みを積み重ねていっています。 なぜ、6時間以上眠ると腰痛が悪化するのだろうか。長く寝られないことで、明らかに健康状態は悪化していくような気がします。原因の一つとして考えられるのは、寒さですかね。寒いことで、体の筋肉を無意識に固め、血流を滞らせるとも言われていまし、特に冷え込む夜には、がちがちに身体が凝り固まっているような気がします。 こんなとき、筋肉や関節は温かさを求め
負の連鎖を断ち切る―教育と医療福祉における心理的安全性の追求
私がこれまで感じてきた体罰に対する違和感と、医療や介護の現場における教育の在り方への疑問は、単なる個人的な感情に留まるものではなく、現代社会が抱える大きな課題でもあると考えます。特に幼少期の教育において、厳しい叱責や体罰が、しばしば「他者の痛みを知る」ための手段や、規律を維持するための正当な方法として容認されることがあります。 体罰と戦争 amzn.to 2,640円 (2025年02月11日 18:12時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 一瞬の服従、永遠に繰り返す傷 このような行為によ
私が大切にしているモットーは、多様性こそが自己解決能力の根幹であるというもの。私たちは日常生活の中で、さまざまな局面に直面しています。その際、ひとつの方法や考え方に固執するのではなく、異なる視点や経験を取り入れることで、予期せぬ事態にも柔軟に対応できるものと信じています。この場合、エネルギー供給から友情、仕事、自然、健康、経済、グローバルな視点に至るまで、多様性がもたらす危機対処の力について述べたいところです。 エネルギー供給における多様性 たとえば、昨今エネルギー供給の面において、普段の生活ではオール電化というものが普及し、経済効率性や安全性は向上したかに見えます。しかし、いざ停
戦後の混乱期から高度経済成長期へ、日本人の食卓は劇的な変遷を遂げました。かつては、米、魚、野菜、大豆製品といった伝統的和食が国民の命を支え、家族や地域の絆を育む生活の中心でした。しかし、経済成長とともに西洋文化が急速に流入し、冷蔵技術や大量流通システムの整備により、肉類の供給が飛躍的に拡大していくことになりました。歴史的にみれば、この変化を戦後の自給自足型の生活から、外部との交流と国際貿易に依存する近代化の過程として捉えることが出来ます。 家庭の在り方の変化と共に、食事形態も形を変えています。以前は同じ食卓を囲むことも当たり前であった時代から、核家族化が進み共働きとなって、次第に個食
朝、目覚めたばかりの身体にじわりと広がるコーヒーの香り。それは、日常の忙しさをほんのひととき忘れさせる安らぎの瞬間です。深く濃厚なアロマ、口に含んだときのほろ苦さと、その後に訪れるほのかな甘み。 さて、そんな一杯のコーヒーが、私たちの健康にも驚くほどの恩恵をもたらしてくれることをご存じでしょうか?最新の研究では、コーヒーが単なる嗜好品ではなく、健康寿命を延ばす可能性がある「飲む健康習慣」としての側面を持つことが明らかになっています。 ドリップコーヒーファクトリー リッチ ブレンド コーヒー 豆 のまま (2kg(500g×4袋), リッチブレンド) amzn.to
ナン・リンの『ソーシャルキャピタル』は、社会における関係性の価値を科学的に分析し、ネットワークがどのように資源として活用されるのかを明らかにした画期的な著作です。本書は、個人の地位達成から社会構造の変化に至るまで、幅広い現象を対象とし、人々がどのように人間関係を活用して自己の利益を最大化し、さらには社会全体に影響を及ぼすのかを考察しています。豊かな人生を送るための方策も示してくれるものです。 ソ-シャル・キャピタル: 社会構造と行為の理論 amzn.to 2,118円 (2025年02月06日 23:56時点 詳しくはこちら) Amazon
このあたりはケアマネジャー試験でも問われる法知識でもありますが、本稿では私の復習もかねて、制度の概要をまとめておきます。ちなみに行政法の中でも、この行政不服審査と行政訴訟という行政救済法の内容がある程度にイメージできる程度に分かっていると、ケアマネジャー試験で問われる法知識は十二分のものであると思われます。 介護保険制度における行政訴訟と行政不服審査 介護保険制度における行政救済の流れ 介護保険制度は、高齢者やその家族が必要な介護サービスを受けるための重要な仕組みです。しかし、行政が行う要介護認定や介護保険料の算定、介護給付の決定に対して、利用者が納得できないケースも少なくありませ
フジテレビの一連の報道は、世間一般の価値観との乖離を大きく露呈し、その中でも特にセクシャルやジェンダーに関わる問題が含まれていることから、多くの人々に衝撃を与えています。メディアがこれまで自主規制を強化し、コンプライアンスを重視する姿勢を示してきました。まさにその旗振り役ともいえる大手マスコミが不祥事の当事者となった事実は、ただのスキャンダルでは済まされない重みを持っています。 組織に潜む構造的な問題 この出来事をより一般化して考えれば、組織風土や文化というものがどの組織にも確実に存在することがわかります。今回表出した問題は、氷山の一角に過ぎず、根底には社会全体に根付いた構造的な事
私は介護職という一見するところ経済的に決して豊かではない職業についています。しかし、私の中では金銭以上に大切な価値をもたらしてくれるものであることもまた事実です。同時に資本主義の中で生き抜くには、やはり経済的な豊さがある程度に重要でもあります。私たちが日頃提供している介護ですが、私自身が満足に介護サービスを受けられないであろうことは明白。 私の中でこうした矛盾した葛藤が常に存在してきました。そこで重要になるのは思考の整理なのかもしれません。今は出来るだけ長く、健康で、生涯現役でなければならないのだと心には誓っています。しかし、将来はいつも未知数であり、同時にそれを可能とする日々を送ら
成年後見制度が日本に導入されてから20年以上が経過しました。この制度は、高齢者や障害を持つ人々の財産と権利を保護するために制度設計されたもの。特に権利擁護の手段として、介護業界においても政府から積極利用が促されています。しかしながら近年、その制度の在り方に対して厳しい批判の声が上がっていることは知っておくべき事柄です。 特に、専門職による財産管理の不正、本人の意思が尊重されない制度運用、そして裁判所の監督が機能していない現状に対し、多くの懸念が指摘されています。成年後見制度は本当に弱者を守る制度なのか、それとも別の意図によって運用されているのか。私たちが制度の被害者にならぬためにも、
リーダーとはどのような存在なのでしょうか。企業の経営者や組織の指導者、チームのリーダーに求められる資質。それは権限を持ち、指示を出すだけでなく、すべての結果に対して「自分が責任を負う」という覚悟を持つことです。この考え方を、米海軍特殊部隊ネイビー・シールズの元指揮官であるジェッコ・ウィリンク氏とリーフ・バビン氏は「極限の責任」と名付けました。「There are no bad teams, only bad leaders.(悪いチームなどない。悪いリーダーが居るだけだ)」は強烈な言葉です。 米海軍特殊部隊(ネイビー・シールズ) 伝説の指揮官に学ぶ 究極のリーダーシップ
介護保険制度では、要介護認定や介護サービスの給付に関する行政処分が行われますが、市町村に設けられた介護認定審査会による決定に対して「納得がいかない」「不当ではないか」と感じることもあるかもしれません。そのような場合、介護保険法に基づき、不服申し立てを行うことができます。そして、その審査を担当するのが都道府県に設けられた介護保険審査会です。 介護保険法と行政不服審査法の関係 行政不服審査法は、行政処分に対する不服申し立ての一般的な手続を定めた法律です。しかし、行政不服審査法には「特別法優先の原則(行政不服審査法第4条)」があり、他の法律で特別の定めがある場合には、その特別法の規定が優
今回は個人的で取り留めも無い話になっているかもしれません。さて、介護の仕事において、資格や役職は決して万能ではありません。資格を持っているからといって適切な介護ができるとは限らず、役職が介護される側にとって意味を持つこともありません。大切なのは、知識や技術の有無ではなく、目の前の人を思いやる心です。 私がこの業界に足を踏み入れた当初、十分な研修や説明を受けることはなく、現場で学ぶしかありませんでした。厳しい上司や先輩の指導を受けながら、見様見真似で覚え、試行錯誤を繰り返しながら成長してきたのを今でもよく覚えています。 やがて実務経験を積み、介護福祉士やケアマネジャーの資格を取得し、
愛国心とは、国民が自国に対する誇りや愛着を育み、社会に対して責任を持つ市民として育まれた心。しかし、それが単なる国家への忠誠心の強制や一方的な歴史観の押し付けに陥ることは避けなければならないと考えています。むしろ、愛国教育は批判的思考を育み、国際的な視点を持ち、多様性を尊重しながら市民としての責任を理解することを目的とするべきなのです。 第1章:愛国心の本質とは何か 愛国心とは何であろうか。私自身の経験を振り返ると、海外を一人で旅した際に初めて日本人であることを強く実感することになったものです。なぜなら、ある意味では、見るものすべてが自分とは異なった存在であり、仮に私が現地の国籍を
吉村昭の『高熱隧道』は、黒部ダムの下流に位置する仙人谷ダム建設の為に岩盤温度が165度にも達する苛烈な環境のもとで進められたトンネル掘削工事の実態を描いたノンフィクション作品です。学生時代に読みながら、国家と個人、組織と個人の関係をまざまざと感じたものです。そして、私の心に深く刻まれた物語でもあります。 高熱隧道 (新潮文庫) amzn.to 605円 (2025年01月29日 19:36時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 黒部川での工事の背景と苛烈な環境 この工事は、日中戦争の最中に行
再生可能エネルギーは、地球環境を守るための鍵とされ、世界中で導入が進められています。時価総額においても世界を牽引するようなグローバル企業も再生可能エネルギーへの転換を大幅に進め、サプライヤーは取引先にも協力を要請しています。気候変動に立ち向かい、持続可能な社会を築くためには欠かせない取り組みです。 再生可能エネルギーが抱える矛盾 しかし、その普及には避けがたい矛盾が存在します。その中で特に議論すべき課題が、自然環境を犠牲にして再生可能エネルギーを推進するというジレンマです。たとえば、大規模な太陽光発電所の建設は、その象徴的な一例です。森林が伐採され、豊かな草原が削られ、その広大な土
人間にとっての心地良さにつぶさに影響し、多くの場合に共通して快感を提供してくれるリズム。それは鼓動や時間や季節の移り変わりが示す通り、自然の成り行きにおける一定の周期。たとえ望んでも望まなくても、次の鼓動はきっと訪れるであろうし、そのような期待によって支えられた心地よさでもあります。例えば、リズム音楽は人間が誕生してから最初に生まれた音楽形式であるとも言われます。 リズムの一定性と不均衡の調和 リズムは一定であるという心地よさもありながら、かといって一定ではないのです。それは、自然界における一定の活動周期が、いずれもミクロ的な視点でみれば一定でないにも関わらず、長期的な視点で見ると
ジョージ・オーウェルはイギリスの作家であり、数多くの素晴らしい作品を残しています。彼の作品は、時代や社会を超えて多くの人々に影響を与えてきました。例えば、『1984』が監視社会や情報操作というテーマで読者に強烈な印象を与える一方、『動物農場』は寓話という形をとりながらも、組織や権力の本質を見事に描き出しています。この作品は、発表当時には共産主義に対するアンチテーゼであると見做されてきました。 動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫) amzn.to 880円 (2025年01月25日 09:48時点 詳しくはこちら) Amazon.co.
人間が持つ“他者を傷つけることへの忌避感”は、普遍的な価値観であり、進化生物学、心理学、人類学、さらには歴史的文脈などを通じて獲得してきた人間の能力でもあります。ある意味では、人間の根底に根付く良心とも言える特性です。この感覚の根底には、少なくとも「自己家畜化」と呼ばれる人類進化の過程が大きく影響しているように感じます。 家畜化という進化ー人間はいかに動物を変えたか amzn.to 3,850円 (2025年01月24日 20:42時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 自己家畜化とは?人間の
近年、ジニ係数や所得階級相対的剥奪、相対的貧困といった貧困の指標が示すように、社会全体で格差や貧困の問題が深刻化しているようです。特に日本では、厚生労働省が発表した最新の「国民生活基礎調査」のデータによれば、所得再分配後のジニ係数が再び上昇傾向にあり、所得格差の拡大が懸念されるところです。 ジニ係数と相対的貧困率 また、国立社会保障・人口問題研究所による調査では、所得が低いほど物質的・社会的資源の欠如が顕著になることが示されました。特に所得階層が低い程、またひとり親世帯での相対的剥奪の高さが浮き彫りになっています。 コストプッシュインフレの影響 こうした状況下で、コストプッシュイン
戦前と現代の日本社会における経済状況の類似点を考察すること。これらは将来を考えるに当たり重要な視点と成り得るように感じています。労働環境、企業構造、教育格差、そして貧富の差といった状況の類似点を見出すことが出来る点において、憂慮すべき状況が見えてくるところです。 労働環境における不安定性の構造 まず、戦前の日本においては、労働者は極めて不安定な立場に置かれていました。例えば、たこ部屋労働や人貸し業のように、劣悪な労働環境下での低賃金労働が横行していたのです。当時の労働者は労働基本権についての法的な不備、官憲による社会運動の弾圧などもあり、労働環境の改善を訴えることが困難な状況にあり
美しき埴輪の世界:挂甲の武人国宝指定50周年記念特別展「はにわ」
そういえば、はにわ展に行ってきました。素晴らしき造形美に魅了され、随分と癒されました。古来の手仕事における素朴な美しさの妙技。はにわには、現代における民藝の素晴らしさにも通ずるところがあります。柳宗悦は「手仕事の日本」の中で、「人の手には必ず心が控えている」というように表現していましたが、古墳時代に生きた人の心に触れることができるような展示でした。 古墳時代の武人イメージ さて埴輪は、日本の古墳時代である約3世紀末から6世紀頃に制作された素焼きの土人形で、主に古墳の墳丘や周囲に配置された遺物として知られています。その名称は土を意味する古語である「埴」と円形の形状を指す「輪」に由来し、最
日本の伝統は、明らかに自然の営みと密接に関係しています。発酵食品を中心とする食文化や宗教観、湯治など、豊かな自然の恵みを受けながらも、ときに台風や津波、洪水、地震、噴火といった数多くの災害に見舞われます。そのたびに人々は生活を立て直さなければならず、大きな困難に直面しながらも、その都度に日本人は立ち直ってきました。 日本の伝統知と自然災害との共存 こうした歴史のなかで、日本には理不尽な出来事をただ諦める訳でなく、「仕様がない」「仕方がない」「是非もなし」「やむを得ず」などの言葉が示す通り、柔軟に受けとめる姿勢が育まれてきました。同義語のような語彙が、いくつも派生していること自体が実
文化人類学者である梅棹忠夫『知的生産の技術』が示す「知的生産」とは、単に情報を集めるだけでなく、それらを自分なりに再構成し、新たな洞察や成果物を生み出し、さらに次へ発展させる一連のプロセスを意味します。このような手法は、経営にも応用できます。 例えば、野中郁次郎・竹内弘高が提唱した経営理論「知識創造理論」では、暗黙知である経験や感覚に基づく知識を形式知である言語や文書で表現可能な知識として変換し、それを組織全体で共有していく必要性について述べられています。 知的生産の技術 (岩波新書 青版 722) amzn.to 924円 (2025年01月19日 09:
2013年、日本の伝統的な食文化が持つ良好な栄養バランス、自然との調和、地域性を大切にする食文化の多様性が認められた結果、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。和食は主食である米を中心として、季節ごとの野菜や大豆、それらを用いた発酵食品。そして魚介類を巧みに取り入れることで、心身における健康的な食生活を実現しています。 中でも魚は、タンパク質や脂質、ミネラル、ビタミンといった栄養素を豊富に含み、歴史的にみても日本人の身体的・精神的な健康を支えてきました。 日本は地理的に海に囲まれた島国であり、古来より魚介類を中心とした食生活を連綿と続けてきました。近年、魚に含まれるオメガ3脂
近年、多くの分野で規制緩和が進められ、これが社会的に広く支持されている状況があります。グローバリゼーションの進展に伴い、ヒト、モノ、カネといったさまざまな要素が国境を越えて自由に動くことが理想的とされ、特に「保護主義」を乗り越えるべき過去の遺物とみなす風潮が強まっているように感じます。 規制の緩和は一見すると、政府の負担を軽減し、経済の効率化を促進するように映ります。しかし、実際は政府が本来果たすべき役割や責任を市場に転嫁することを意味し、その影響を慎重に見極める必要があります。 規制の本来の意義と自由の誤解 規制の存在を競争の障害とみなす意見も多い一方、規制は元来、競争を公平に
日本の介護労働市場における人手不足と低賃金の問題は深刻であり、社会全体にとっての重要な課題となっています。この問題を経済学者ジョージ・アカロフが提唱した"レモン市場"の理論で分析することで、なぜこのような状況が発生し、どのように解決可能かを探るきっかけになるものと考えます。 レモン市場理論と介護労働市場の関係 このレモン市場とは、情報の非対称性が存在する市場で、品質の高い商品やサービスが適切に評価されず、低品質の商品やサービスが市場に残る現象を指します。この理論を介護労働市場に適用するとすれば、雇用者と労働者の間で生じる情報の非対称性が逆選択を引き起こし、介護サービスの質を低下させ
昨今の報道や議論においては、ネット依存症やインターネットそのものを悪く見るようなラベリングによって、問題の本質を見落とすような表層的な見解が多いように感じられます。 この場合、ネット依存症を単に「現代の病理」として取り上げるのではなく、なぜこの現象が生まれるのか、そして私たちはその背景にどのように向き合うべきなのかを冷静に考察することが重要になります。これを怠れば、未来をより生きやすくするための本質的な議論に到達することは決して出来ないものだと考えます。 「インターネット=悪」という短絡的議論 傾向として注目すべきは、「インターネットが犯罪の引き金・温床」という前提が、しばしば議
戦場であれ、死刑執行の場であれ、または極限状態にある災害現場であれ、人間が他者を殺す、見捨てるという行為は決して容易いことではありません。それがたとえ己の生死を分ける瞬間であっても、大半の人間は「引き金を引く」という一線を超える事が出来ないし、超えずに済むならば、何とかその状況を回避しようとするのだといいます。 デーヴ・グロスマンは、アメリカ陸軍中佐であり心理学者でもあります。彼は著書『戦争における「人殺し」の心理学』の中で、第二次世界大戦において実際に発砲し敵兵を狙い撃った兵士の割合が15~20%ほどしかなかったことを指摘し、他国軍や南北戦争の事例も引用。多くの兵士が故意に弾を外し
人間はなぜ努力を続け、成長を求めようとするのか。またどのように他者の尊厳を高め、導くことが出来るのか。アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、この問いに対して「欲求階層説」という学説を提唱しています。 人間の成長と尊厳への問い この理論は、人間の行動を動機づける欲求を5つの階層に分け、基本的な欲求が満たされることで、より高次の欲求を追求するようになるであろうと考えるものです。この階層構造はピラミッドの形で示されることが多く、私たちが自分の内側に秘めた可能性を探求する道筋を理解する手がかりとなります。 欲求の階層と成長の道筋 最も基本的なレベルに位置するのは「生理的欲求」です。
音楽も趣味で作っているので、動画を作ってみました。このチャンネルでは、さまざまな論点を解説・考察していきます。 認知症はアルツハイマー型、レビー小体型、前頭側頭型、血管性認知症、正常圧水頭症などに分類され、それぞれ異なる症状を示します。症状は「中核症状」と「行動・心理症状(BPSD)」に分けられます。 中核症状は記憶障害や判断力低下などで、医療が主に対応します。一方、BPSDは幻覚や不安、徘徊などの周辺症状で、介護が環境調整や心理的サポートを通じて改善を目指します。 介護では、小さな困りごとを解消し、不安を軽減することで生活の質を向上させることが重要です。医療と介護がそれぞれの役
認知症の人における介護と医療のアプローチ、その役割の違いを考えてみます。認知症には主症状があり、そもそも型によって症状は多少異なります。認知症を大別すると、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、血管性認知症、正常圧水頭症など様々な型があり、これらを総称して「認知症」とひとくくりにされています。 これらの病変の違いによって、認知症の中核症状は変わってくるものです。 認知症の主な型と主症状 ●アルツハイマー型認知症 記憶障害、見当識障害、判断力や計画力の低下。徐々に進行する忘れっぽさ。認知症の全般症状。 ●レビー小体型認知症 幻視、幻聴、認知機能の変動、パ
今、見ているものは常に変化している。 このような考え方は仏教においても諸行無常と言われています。生を受けてからこその方、人の心や身体は常に変化を続けています。生まれてから老い、そして死へ向かう身体の変化や、今日の気分と明日の気分が違う心の変化。私たちはその変化の中で生きています。諸行無常は、まさにこのような考え方です。 変わり続けるからこそ、美しくもあり、切なくもある。 写真から学ぶ観察力と創造力 私は写真を撮り、見ることが好きなのですが、写真には光の取り入れ方や被写体の捉え方、構図づくり、配色や背景の処理、ぼかしの表現など、細かな要素が数多くあります。そして自分のものの見方や
振り返ってみると、わたしは挫折とは無縁のようです。というのも、挫折だと思う前に別の方向へ一歩踏み出しているからです。そうやって横へ寄り道するうちに、元いた場所の景色まで新鮮に映り出すようになっています。何気ない散歩道、道端に転がっている石ころに感動できれば、人生が楽しいであろうことこの上ありません。 最初は「ただの散歩と写真撮影」のつもりで出かけていた時間が、いつの間にか被写体そのものへの関心に移っています。写真はあらゆる趣味との相性も良く、全ての被写体へのリスペクトを含みます。だからこそ、よりその被写体の魅力を深く知ることが良い写真への一歩でもあります。 そして同時に、写真をする
介護現場に潜む虐待リスクとリアル 「今日も事故が絶対に起きないように頑張ろう」出勤前に呟く。 施設の中ではスタッフが常に慌ただしく走り回り、緊張感と疲労感に包まれれている。私が出勤直後に申し送りを確認すると夜間帯の状況が見えてきた。"ベッドセンサー頻回になり、ほとんど立ち上がり5分毎。夜間帯総数30回以上。立位著しく不安定。口調も強くトイレの訴え"などと記入されていて、個人の記録にはびっしりと対応の記録が書かれていた。 「日中も大変だったけど、夜は大変だったみたいよ…」ほかの職員もこぼれるように囁いた。 そして夜間帯に引き継ぎ、最後の日勤職員が退勤する。この施設は慢性的な人手不
BPSDは特別じゃない『人として当たり前』を受けとめる介護姿勢
介護現場の「BPSDの特別視」への違和感 私が介護をしていて感じるのは、BPSD(行動・心理症状)というものを特別視しすぎているのではないかという点です。介護者にとっては問題行動として捉えられることも多いものなのですが、その問題は介護者にとっての問題であり、要介護者にとっての困りごとにすぎないということです。しかもその反応は、人間であれば誰もが備えているし、むしろ人間として備えていなければならない精神的な当然の反応であると考えています。 帰宅願望など「危険行動」の捉え方 確かに認知症の人に帰宅願望などがあるとして、出て行ってしまったり、または足元がおぼつかない状態で歩こうとすると
芸術の美しさとしての価値に"コントラスト"があります。コントラストというのは対照や対比という意味です。例えば写真や物語において美しさを付加しようという場合には、このコントラストを意識することが芸術へと近づく大きな一歩となるのです。 コントラストというのは、明と暗、光と影、静と動、短いと長い、乾きと潤い、生と死、戦争と平和、赤子と老人、男と女、社会主義と自由主義、貴族と庶民、正義と悪、犯罪者と官憲、貧困と富裕、早いと遅い、白と黒、生物と干物、具体と抽象、主体と客体、災害と豊穣。このように例を挙げればきりがないのですが、実は芸術における美学の要素として過去から現在に至るまで重要とされてき
面白い経済学の説があります。それがウィリアム・スタンリー・ジェボンズの太陽黒点説です。これは太陽の黒点が増減すると人間の経済活動にも影響を及ぼすという目を疑うような経済循環説でもあります。太陽が衰えたり、盛んになる周期は約11年なのですが、この周期が経済にも見られるというのです。それもシンクロしたように。この説、現代の宇宙科学をもってすると正しい可能性が出てきています。 太陽というのは活動の周期が存在していて、太陽の磁場はものすごく強い磁力線であり、太陽の磁場によって宇宙からの影響がバリアされています。例えば、遠く大きな星が爆発すると宇宙線と呼ばれる強力な放射線が放出される訳です。放
トヨタ生産方式(TPS)は日本的経営にとって実に有意義な理論であることが伺えました。特にトヨタ生産方式が注目を浴びたのは、石油危機の時代であったと記されています。高度経済成長を遂げた日本が、少しずつ低成長の時代を迎えるとき、多品種少量生産の意義が見直されたということです。 これを裏返してみると、インフレと低成長が重なったあの時代は、まさに令和の現代における経済情勢とも重なるところがあります。円安による原油や原材料価格の上昇によって、コストプッシュインフレーションに陥っていると言われている現代だからこそ学びなおされる意義を感じるところです。 ところで、あの世界恐慌という大不況を乗り切
私は義務教育で理系科目と文系科目を同時に学ぶ理由を「未来予測」のためだと考えています。この能力は人間がパンドラの箱に残した最後の能力であるともされる程、手に入れようとしても手に入れることの出来ない、人間が欲してやまない力でもあるからです。 「なんで勉強しなくちゃいけないの?」「これが将来何の役に立つの?」「自分の好きな事だけ学べばいいんじゃないの?」子供の疑問というのはときに辛辣でありながら、現実的でもあります。私も幼少期には多くこのような疑問に苛まれていたものです。 理系の学びは、論理的で客観的な考え方を育てる一方、文系の学びは、人間や社会を深く観察し洞察する力を養います。この二
政府の失敗という言葉は、公共政策において重要な意義を持ちます。それと同時に大きな政府や小さな政府の議論においても必要不可欠な論点でもあります。これについてカルフォルニア大学の経済学者グレーザーとローゼンバーグは「成功する政府と失敗する政府」を著し、その違いについても述べています。 ●効率的な資源配分: 政府は公共財やインフラに投資し、限られた資源を有効活用することが求められる。特に教育や医療、インフラ整備、住宅供給の質が重要となる。適切な課税政策や支出管理によって、経済の安定と成長が実現される。公共「投資」をしっかりと捉える事が重要。 ●ガバナンスと透明性: 政府が透明性を持って
ある時は普段の生活を捉え、ある時は人生の節目を彩り、ある時は今は無き形を遺のこす。そうして大切に用いられてきたカメラには、人の心に寄り添い、共にしてきた歴史が詰まっています。良いものは、いつだって親世代から子世代へ、子世代から孫世代へと受け継がれます。 赤いライトの点滅が次第に早まる。 "パシャッ" まだまだ幼子たちは、集合写真に慣れていないようで、10秒のレリーズの間によそ見をしてしまいます。3枚続けざまに撮影しても、なかなかカメラの方を見るというのは難しいようでした。 私の家では毎年のお正月には、親戚が集まって恒例の宴が開かれていました。少ない親戚であっても、集まって食事を
アメリカの医師であったロバート・バトラーは、老年学の分野において、個人の心理的な健康と社会的な公平性に関する革新的な視点をもたらした人物です。その功績の中でも特に「ライフレビュー」、「エイジズム」、「プロダクティブ・エイジング」、「長寿革命」といった概念を提唱しています。 まず、ライフレビューという考え方は、人生の最終章において過去を振り返ることの重要性を説いています。バトラーは高齢者が自己の経験を再評価し、その意味を見出すことが心理的な健康を維持する鍵であると考えました。このようなプロセスは、単なる懐古ではなく、人生を統合的に理解し、平穏と幸福感をもたらす手段として機能します。
辰年と言えば干支の中で唯一、伝説上の生き物である龍の年。まさにその役割が大きく変化するような兆しがあるように感じられました。傍目から見ると大した役割の変化ではありませんが、私にとっては大きく役割が変化した年だと思っています。 特に将来に対する責任が、じわりじわりと押し寄せてきました。 たとえば家庭に対する責任です。結婚から指折り月日を考えると長い年月を過ごしてきました。私も含めて家族が幸せであることが、何よりの幸福であることは間違いありません。そして何より家族が元気で居てくれること、頑張っている姿を見ることが生きがいであることも間違いではありません。逆に私自身がポジティブに活動して
今年は胸や腰の痛みが襲い掛かり、夜も中々眠れない日々が続いていました。やはりこの仕事は身体が資本であり、商売道具です。身体は仕事だけでは無く、人生において最も大切なもの。どれだけ健康に暮らしていけるかがこれからのキーワードにもなっています。同時に経験と知識をどれだけ増やしていけるかも重要な年になりました。 今年Amazonで購入したものを自分で振り返る記事です。 Benazcap X Large 低反発ですメモリークッション 人間工学クッション 腰痛をやわらげ 姿勢を正します オフィスチェア 車椅子 座布団 お尻が痛くならない通気性 滑り止め カバー洗える amzn
プロダクトマネジメント手法としては有名な制約理論(TOC)ですが、このような観点から考えるケアも一つの方法論として光が当てられても良いように思えます。これはイスラエルの物理学者であるエリヤフ・ゴールドラットによって打ち立てられた経営理論ですが、著書である「ザ・ゴール」において、企業にとって最終的な目標は利益であると言います。 確かに企業としての目的としては確実に利益を上げることです。しかし同時に我々のような社会保障としての側面、公的保険制度の一部を担う介護従事者にとっては、利益の追求よりももっと重要となるフレーズが"利用者の満足度"であるように感じられます。そしてこれこそが、我々にと
日本において社会保障制度が持続可能性を持ち続けるために、必要とされる課題はいくつもあります。そして、これからも常に社会全体で考えていかなければならない問題でもあります。 イギリスの公共政策学者であるジュリアン・ルグランは、「公共政策と人間: 社会保障制度の準市場改革」の中で、特に福祉国家の改革や公共サービスの提供における効率性と公平性を両立させる方法論を提示しています。彼の研究は、政府主導の中央集権的な公共サービスと、自由市場経済のどちらにも偏らない「第三の道」を模索するものであり、その中心に「準市場」の概念があります。 準市場とは、市場の競争原理を導入しながらも、政府が規制や補助
突然の話ですが、私の心には内村鑑三の「デンマルク国の話」が刻み込まれています。この本を読んだ当時、青年であった私の心には感激が身震いするような、心がしびれるほどのもので、やけに感心したのを覚えています。この話は、荒廃した母国の土地に気を植える人々の話なのです。 私にとっては生まれてこのかた、砂漠のような心に、人生においてどれだけの木を植えられるのかという話に感じたものです。 苦心して植えられた木々は、少しずつ成長していき次第に原始林となり、調和を伴って繁茂していきます。このように自生的な秩序が育まれるためには、当初は人間の努力によって、少しずつ少しずつ試行錯誤を繰り返しながら、来る
心理的安全性はあらゆる組織に共通して求められる要素であり、同時に組織にとって最も大切にされるべき要素なのです。Googleの生産性が高いチームの共通点を探す"プロジェクトアリストテレス"においても、生産性向上の柱で最も重要であるとされています。 日々、事故リスクを抱えている介護や医療の現場においては、特にこの"心理的安全性"がとても大きな意義を持ちます。アメリカの経営学者であるエイミー・C・エドモンドソンは、"みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしく居られる文化"のことをそのように定義づけしています。 これは組織論ですが、家族や施設における利用者も同様であると考えます。
昨今、持続可能性のある社会が福祉国家の大きなテーマとして、のしかかっています。特に日本においては、少子高齢化が深刻化した結果。財政問題と絡めて社会福祉も語られています。そんな時に重要な示唆を与えてくれているのが、イギリスの経済学者であるニコラス・バーの理論です。 彼は著書である「福祉の経済学」において、現代の福祉国家が抱える課題と解決方法について述べています。その研究は、21世紀において世界が直面する年金、医療、失業、介護といった福祉分野の問題点を経済学的視点から分析し、経済効率性と公平性の両立を図ることに言及されたものでした。 彼は公的年金、健康保険、失業保険、介護保険は経済的効
「今における自らの感覚に集中すること」 これこそが現代人に必要とされている大切なことだと思います。 つまり、触ったものがどんな感触であるのかについて詳細に観察することです。何か食べたことについてどのような触感で見た目で味だったのかをつぶさに観察するということです。歯磨きした時にどのような感覚があるのかを観察しながら手の動きなど全ての感覚に集中することです。 行動すべてが今ある事。時にこの今に集中する事が大事なのだと思えます。瞑想というものは、その方法論の一つです。目を閉じて静かに感覚を研ぎ澄まして感じることのようにも思えますが、実は様々な方法で瞑想することが可能になるものだと思い
人間の判断に欠かせない価値判断の能力ですが、日常生活の中であらゆる判断を行っています。イギリスの神経科学者であるバーバラ・サハキアン教授の研究によると、人は1日に最大3万5000回もの判断に迫られて生活しているということです。 そのような一つ一つの判断に対して、全て熟考するということは考えられず、少なからず直感を働かせています。そしてこのような決断方法は、行動経済学においても重要な意味を持っています。例えば買い物したいときの選択肢があったとして、価格と機能、機能と重量などといった二つを判断基準にする場合に、どのような判断が下されるでしょうか。 ここでは、アメリカにおける著名な行動経
介護に従事していると様々な場面において、相手の"話を聞く"ということの重要性を感じます。この仕事は肉体労働として一般的に認知されているように思われますし、社会的にもいわゆる3K労働者と捉えられているようにも感じています。そうした側面が大きいというのも事実ではあるのですが、一方でそれよりも円滑なコミュニケーションがとても重要なのです。 または、その人が自分の意思を相手に伝えられるかどうかに関係なく、いち早くその人のニーズを把握して、それに対応するための洞察力や観察力、そして判断力が求められる職業なのです。このことは、私自身が日夜実感しています。そうした事を考えると、人間の総合力を高めて
我々のような介護や社会福祉に携わる人が対人援助において、まずもって焦点を当てる部分が「ニーズ」の充足ではないでしょうか。このニーズの充足が、その人の日々の暮らしを支え、ひいては人生を支えることに繋がると考えられるからです。同時にこのようなミクロな視点だけでなく、社会制度や政策を構築するというマクロな視点においても求められるものが、ニーズというものです。 イギリスの社会学者であるリチャード・ティトマスは、人間のニーズを社会的視点で捉える重要性を示しました。彼は、これを単なる個人的な"欲求"や"希望"として捉えるだけでなく、社会的に認識されるべき「正当な要求」として定義しました。そしてこ
対人援助職ならば是非にでも学んでおいた方がいいであろう学問。それが行動経済学だと思っています。行動経済学は経済学に心理学を掛け合わせた学問で、人間の無意識の行動や選択についても解き明かすことができる実学だからです。そして即効力があります。自己の中で無意識に潜む他者に対する偏見などに、いち早く気付くことの出来るスキルなのです。 また自己選択することの重要性については、対人援助職についている人ならば誰でも理解しているところです。人の自己実現には必ずや日々の自己選択が潜んでいて、自己選択は直近における自己決定というニーズ充足の第一歩でもあると考えられるからです。 たとえば我々のような介護
瞑想についても記録を付けていきたいところです。瞑想は筋トレとよく似た性質を持っています。筋肉に対する負荷をかけて成長させる筋トレに対して、脳の前頭前皮質に対して働きかけるのが瞑想です。こうしたことは科学的にも証明されています。 瞑想における心象は非常に斬新な気持ちでありながら、同時に懐かしみのような抱擁のような温かい感情も抱くものでした。目を閉じ全身の感覚を研ぎ澄まし、呼吸に集中をしていくと、今というものに必然的にピントを合わせる事になります。時々、心が揺れ動くとピントが外れるのだけれど、再度ピントをフォーカスしていくといった具合。 この、"今"の"感覚"というものがとても重要であ
日本の経済学者である宇沢弘文という人は、日本的な価値観を体現している人物のように思えます。鳥取県は米子という所の出身で、戦時中の疎開でお坊さんとの交流もあり、情緒的に育まれた農村の記憶がとても重要な意味を持っているようです。実際に私も米子市に訪れた事もありますが、風情ある素晴らしい郷土を持っているという事が彼の思想に表われているようにも感じられます。 ピタゴラスの定理のように"永遠の生命を持つ真理"の継承。これが数学から経済学へ転向した宇沢が持つ思想の一つでした。そしてのちに記す社会的共通資本の考え方は、そのエッセンスであると綴っています。数学の前に医学も志したことのある彼は、医学が
正義とは何か。 アメリカの哲学者であるマイケル・サンデルは、日本でもハーバード大学で最も人気のある講義を担当している教授として話題になりました。彼の語った正義の形は、ロールズの「正義論」に対するアンチテーゼでもあります。 彼は著書である『これからの「正義」の話をしよう』の中で、功利主義、自由主義、そして美徳。大きく分けて、この3つが正義に関する哲学の大きな潮流だとしています。同時にサンデルは共同体主義の立場から、この功利主義や自由主義の問題点について指摘しました。 ●功利主義とは 功利主義は、ジェレミー・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルによって提唱された哲学的立場で、「最大
行動経済学は、経済学に心理学を掛け合わせた実証的な学問です。これにより経済学は、虚学とも捉えることのできる理論的な学問から実学へと導かれることになりました。つまり日常生活の課題解決への応用が可能になっているのです。 介護の世界において、いつも問題になるテーマがあります。それは自立支援を目的にしているはずにも関わらず、かえって本人が現在持っている既存の能力を奪ってしまう。そんなことが日常の介護現場で起こりかねないということです。人手や時間に限りがあり、安全意識が重要な課題でもある介護の世界にとって、"移動"というプロセスだけをとっても大きな課題があります。 車いすを介護者が押せば、安
いつかの日にか、自分や家族が介護が必要になることがあるかもしれません。そしてその日、その時は突然にやってくるかもしれません。今は全く考えもつかないことであったとしても、これは決して無関係であるという訳では無く、誰もが確実にいつかは当事者となる問題でもあります。 近年、多様なライフスタイルが浸透していく中で、家族介護の在り方も様々です。その中でもヤングケアラー、老々介護、ダブルケアラーというような問題が昨今特に顕在化しています。その負担の大きさを鑑みれば、介護の社会化の必要性は明らかです。 日本における少子高齢化は著しく、全人口に対する65歳以上高齢者の割合は増加の一途をたどっていま
これまでと変わらぬ景色、そして見慣れたはずの風景でさえも見え方が違うような気がする。私にはそんな経験をしたことがあります。色が濃くなったような、コントラストが強まったような。兎に角、世界がもっと美しく広いものになったような感覚です。 自分に何かの価値観が加わったことで生じた化学反応。写真がフィルムから現像されるようなイメージかもしれません。 私が知らない事も、あなたはきっと知っている。私が面白いと思えなかったことも、あなたはきっと面白いのだと思える。そして、”あなたは必ず、私がしたこともない経験をしている”のです。その素晴らしさに気づいたとき、私は他人をもっと受け入れるべきであるよ
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない。」 オーストリア大学でフロイトやアドラーに師事し、心理学を修めた精神科医でもある心理学者ヴィクトール・E・フランクル。彼は第二次世界大戦における強制収容所での体験を精神分析と共に「夜と霧」に著しました。 なんら罪もない善良な市民だったはずの人々が強制収容所送りにされる理不尽極まりない状況。その上で、健康で労働力として使える価値のある者だけが、事実上"残される"ことを許されます。残された人々も名前すらない、存在するのは自分の胸に記された番号のみ。過去何をしてきたか、そして何者であったかは一切不要とされる環境でした。 家畜よりも悪
日々5分間の努力を達成すること。これによりあらゆるスキルアップを狙えるのではないかと思っています。それにも関わらず、やりたいことが多すぎてしまうと、その5分の努力を放棄してしまっている自分がいたりするのです。最近はNoteにハマっていて、結構時間が溶けていっています。「なぜ5分の努力すら出来ないのだろう。」 このように何か一つのタスクに集中してしまえば、他のタスクやToDoが疎かになってしまうという現実について試案したいところ。 5分というのは本当に短いけれど、この5分の積み重ねが"塵も積もれば山となる"という諺からすれば、将来に大きな差になって現れる筈。やりたいことが山積していた
「昔は父も兄が出征して亡くなったから、男手が無くなって馬車馬を私が引いて働いたのよ。だから、足腰が誰よりも強くなった。仕事をするのは好きだからね。」 この方の約1世紀を生きながらえた不屈の精神力には尊敬の念に堪えません。女性であっても男性と同じ仕事を苦にせず我武者羅に働いてこられたとのこと。田畑を耕し、作物を植え、出荷する。それだけでなく、時にキビを植えて家庭で箒を作っていたそうです。そしてその箒はとても評判で売れたそうです。 高齢者の知恵というのは非常に深いものがあり、我々が勝手知らぬ生活の知恵や多くの実業の方法を知っておられます。「何でも聞いてください。何でもしてきましたから。
認知症ケアでは、日本においても革命だと言われる考え方が広まりを見せています。その考え方はフランスを由来としたユマニチュードの考え方です。私は全ての事柄に共通して、理想の理念を掲げる事は大切な事だと思っています。現実と理想の狭間で常に葛藤されてきたのが社会であり、人間なのですから。 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」 世界人権宣言・第一条 ユマニチュードの考え方は、世界人権宣言のような個人の自由と自律の尊重こそが民主主義を支えている。強者が全てを
私の介護職としての経験論、いや人間として重要なのは、やはり挨拶です。挨拶というのは最高の飛び道具です。なぜなら私の気持ちを相手に投げ、相手がそれを受け取って投げ返す。その会話が成立するかどうか、相手の体調はどうかを見極め得る最高の道具として常に存在してきたからです。 急にこちらのしたいことや終わらせたいことを提案するのではなく、「おはようございます」というボールが返ってこない場合には、そのままでは相手がこちらを認識していないか、聞き入れる態勢に無いという事を教えてくれるからです。まず一人一人に挨拶をしていると、今日の気分が分かりますし、一日のコミュニケーションが非常に円滑です。 挨
真理を見通す力、真実への探求。これは人類が欲してやまない能力ではないでしょうか。一体全体どれが本当の事なのか分からなければ、常に疑心暗鬼になって不思議ではありません。 この場合に道標となるのは、球を捉える概念です。 ある方向からその物を捉えたとしても、球という形であるかどうかは判別できません。球体である事を理解するためには、あらゆる角度から物を捉えなくてはなりません。そうすると朧気ながら見えてきます。更に言えば、見るという行為だけでは形のみしか分かりません。そこで必要になるのは五感です。 我々人間には、視覚(見る)、聴覚(聴く)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)、触覚(感じる)が備わ
「体が資本」まさに健康というものは、誰もが最も必要とする掛け替えのないもの。健康寿命さえ高まれば、人生の幸福度や満足度を充足させ、よりよい人生を長く送ることが出来るはずです。私の願望として、たとえ命の灯が消える日時が定まっていたとしても、より長く日常生活を不安なく送れる程度に健康でありたいところです。 この考え方について、アメリカの経済学者であるマイケル・グロスマンは、健康がどのようにして人の幸福に寄与するか、またその健康を維持改善するために選択する行動についても経済学的な意思決定の観点から提示しています。 健康消費(Health Consumption):健康な身体そのものが
2か月勉強で介護福祉士/ケアマネジャー試験に一発で合格する方法
私は介護施設で働いていく中で、多くの同僚が介護福祉士やケアマネジャーの試験に泣かされているところを多く見て来ました。情熱をもって取り組み、そして仕事に励み、その結果として試験に落ちてしまう。その辛さは、私も痛感しています。あなたの知識欲と向上心は必ずや介護に必要とされる人材であることを表しています。 そしてまた、試験に必要とされる知識、そして勉強の経験は誰にとっても重要であるからこそ、このノウハウについて記しておきたいと考えています。 私は地方公立高校を卒業し、地方私立大学を卒業しましたが、決してそれまで学業が優秀な人間ではありませんでした。はっきり言って落ちこぼれです。しかし、公
歳を取れば誰しも、見た目だけでも老いを感じるものです。歳を重ねて10代の見た目であろうとするのは無理難題。そうすると必然とどのように年を重ねていくほうが良いのか、より健康で居たい、成熟した人間でありたいという願望が生まれてきます。 実は、老化というものに密接に関係しているのが糖化です。"老化とは糖化である"と言い換えても良いでしょう。なぜなら糖化は老化の促進因子だとされているからです。"体のコゲ"とも表現される糖化は、余分な糖質が体内でタンパク質と結びついて細胞を劣化させます。そうして、表面的には皮膚などに現れるシミやたるみの原因となっているのです。 老化はAGEsが蓄積されること
「これからをどう生きるか、何をしたいのか」この問いは介護に携わる者にとって、いつも重要なテーマとなり続けています。日々の言動に耳を傾け、目を凝らすこと。生活の些細な事柄からニーズであろうものを把握し、それを充足していくこと。これこそが利用者の効用を高める原動力であり、ひいてはその人らしく生きるという介護の在り方にとっての羅針盤となります。 たとえ認知症で少しずつ物事を忘れていくという段階にあっても、人の役に立ちたいという気持ちは誰もが持ち続けています。 他者の洗濯物を畳んであげたり、野菜の皮むきをしたり、苦戦する車いすを押してあげようとしたり、症状が進行していても優しく声を掛けて手
「人生は短い。」そう我々は先達から教わってきました。 短い人生において時間の短縮、効率化は人類の命題のように思えてならないところです。しかし、「人生」というと単なる「時間」という尺度では測れないものでもあります。 私たちの享受する技術は、一昔前の歴史と比べてみても見紛う水準に達しています。伝達という手段をとってみても、気軽に手のひらの中で会話が出来る時代となっているし、移動という手段をとってみても、徒歩から比べれば格段に高速化していることは明白です。 これは単に物事が効率化しているというだけでなく、以前より便利になり苦労せずして得られる豊かさの質が格段に上がっているという事の証左
医療や福祉といった分野は、縁の下の力持ちとも言え、社会基板でもあるエッセンシャルワークです。同時にたとえ機械化や自動化が進んだとしても完全に置き換わることは難しく、労働者による人的資本が中心を担い続ける必要のある労働集約的産業でもあります。この労働集約的産業が抱えた問題を提唱し、公的支援の必要性を示したのがアメリカの経済学者、ウィリアム・ボーモルでした。 社会が目まぐるしく変化していく中で、自動車や精密機器など資本集約的な産業が技術革新によってどんどんと生産効率性を向上させてきました。しかし、同時にクラシックのオーケストラで弦楽四重奏を奏でるのに必要な演奏家の数、看護師が包帯を巻くの
山本周五郎著「赤ひげ診療譚」は、小石川養生所の“赤ひげ"と呼ばれる医師と、見習い医師との魂のふれ合いを中心に、貧しさと病苦の中でも逞しい江戸庶民の姿を描いた連作短編時代小説集。実在した江戸の町医者、小川笙船をモデルにした活劇。黒澤明「赤ひげ」の原作。2012年から全国の都道府県医師会の推薦した「地域の医療現場で長年にわたり、健康を中心に地域住民の生活を支えている医師」を赤ひげ大賞として顕彰している。 医療というものにも必ず限界があります。そしてその限界を誰もが知り、認めるべきなのです。医療というと目の前の患者の傷病を治すという事だけが使命であるように捉えられがちです。確かにそれは一
私は介護職員として働く前からずっと所謂、一般的に言われるような社交的で積極的なコミュニケーション能力に秀でた人ではありませんでした。しかし、広く浅い関係性よりも、狭くとも深い関りを求めて来ました。その深い関りというのは、私の妻、家族や友人がしてくれたような関係です。 温かみがあり、たとえ一見厳しいようでいても、相手のことを真剣に考えているのだと感じさせる関係です。私はこのような関係性を互いに"尊敬"することだと感じていました。幼い頃から培った経験や元来の性格も組み合わさって、相互理解は、このような相手に対する尊敬の念の上に成り立つのではないかと考えてきたのです。 私のこのような理解
後天的な精神疾患は多くの場合、健全なる人間的反応、免疫のようなものであるように思えてなりません。そうして"現実の苦悩"や"恐怖"に直面した人間が自己を保とうとする正常な働きだと捉えるならば、その原因をどうにか解消しない限り、根源的な改善と解決は見込めないのだとも思えます。 投薬などによる症状の緩和が行えたとしても、それは一時の対処療法に過ぎず、完全な治癒とは言えないところです。むしろ、正常な心的機能を投薬によって押さえつける事によって、その機能の退化、脳の退化、感情の廃用が起こるのではないだろうかという疑問さえも湧いてきます。私はこの常態化に危惧を抱いているのです。 過去にはE・モ
きっとあなたはもう既に、多くの遺産を相続しているはずです。 その遺産とは、"知識"です。学問や読書をするという事は、世代を超えた知識を相続し、または今を生きる人からも贈与を受けるという事に他なりません。そして、その最高の財産である知識への門戸は、今や全ての人に開け放たれています。たとえ貧しくとも、この遺産は望んだ誰もが相続できるのです。 相続とは土地や金品を受け継ぐことだけが相続ではなく、叡智も相続するのです。誰もがこの集合知や経験知といった歴史を相続しています。 私たちは、ある人が一生をかけて培った経験や知識、一瞬の閃きがもたらした幸運、そうしたものを瞬時のうちに会得し、それら
「はい、チーズ!」カメラを向けるとよそ行き顔。たった今、あんなに嬉々として素敵な笑顔だったのに…。 季節が巡るごとに、一緒に梅干しを作ったり、お花見に行ったり、その時々で本人や家族に手渡す手紙や写真。いつも大切にしまわれていて、暇があればそれを眺めている姿は、日頃から傍にいる人間の一人として、とても印象に残っています。そして家族にとっても、その写真はいつかお金には代える事が出来ない財産になったりします。たった今のその瞬間が、きっと掛け替えのない誰かの宝物になるに違いありません。 笑うという行為自体が感情と密接にリンクしていて、面白いから笑うと同時に笑うから面白いという事も出来ます。
現在の認知症介護では当然ともいえますが、拘束や抑制に関して、原則禁止。身体拘束ゼロが指針となっています。また高齢者のプライバシー等の人権尊重は当然守るべきものとして捉えられています。しかしながら、このような認知症介護の歴史は決して長いとは言えないものです。 日本においては、1950年に精神衛生法が施行されるまでの間、世間から隔絶され、自宅の離れに隔離するなどの事実上の"座敷牢"が存在していたのです。勿論、それまで社会に任せることも不安な状況であったことも要因であったようですが、それ以降にようやく治療に重きが置かれ始めました。 1972年になると有吉佐和子氏の「恍惚の人」が発表。この
日々私は、自分が世間の常識と乖離していないだろうかといつも心配になります。介護分野に携わるにあたって、専門職としての技術や知識を身につけなければならないのだと、多くの諸先輩方から指導されてきました。しかし、私は寧ろ介護という分野においては、技術よりも大切なものがあると思っている節があります。だからこそ不安になるのです。 特に介護において、やはり生活者として共に歩むという心持ちが重要になるのではないでしょうか。この場合、家族介護というものが、如何に素晴らしいものであろうかといつも考えます。というのも、実際に施設に預けるよりも家族が介護するのが一番良いという意味ではなく、家族が介護するよ
「ブログリーダー」を活用して、Kakiさんをフォローしませんか?