chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
地方ケアマネkaki https://note.com/kakinaguri/

地方のしがない介護支援専門員、介護福祉士。 普段から専門職としての視点と一般的であろう感覚を双方大切にしています。介護職やケアマネージャーとして日々の気づきを綴ります。

Kaki
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2024/02/17

arrow_drop_down
  • その笑顔はいつだって、最高の遺産。

    「はい、チーズ!」カメラを向けるとよそ行き顔。たった今、あんなに嬉々として素敵な笑顔だったのに…。 季節が巡るごとに、一緒に梅干しを作ったり、お花見に行ったり、その時々で本人や家族に手渡す手紙や写真。いつも大切にしまわれていて、暇があればそれを眺めている姿は、日頃から傍にいる人間の一人として、とても印象に残っています。そして家族にとっても、その写真はいつかお金には代える事が出来ない財産になったりします。たった今のその瞬間が、きっと掛け替えのない誰かの宝物になるに違いありません。 笑うという行為自体が感情と密接にリンクしていて、面白いから笑うと同時に笑うから面白いという事も出来ます。

  • 認知症介護の苦難の歴史は、知っておかねば。

    現在の認知症介護では当然ともいえますが、拘束や抑制に関して、原則禁止。身体拘束ゼロが指針となっています。また高齢者のプライバシー等の人権尊重は当然守るべきものとして捉えられています。しかしながら、このような認知症介護の歴史は決して長いとは言えないものです。 日本においては、1950年に精神衛生法が施行されるまでの間、世間から隔絶され、自宅の離れに隔離するなどの事実上の"座敷牢"が存在していたのです。勿論、それまで社会に任せることも不安な状況であったことも要因であったようですが、それ以降にようやく治療に重きが置かれ始めました。 1972年になると有吉佐和子氏の「恍惚の人」が発表。この

  • 介護職として、専門人より教養人でありたい。

    日々私は、自分が世間の常識と乖離していないだろうかといつも心配になります。介護分野に携わるにあたって、専門職としての技術や知識を身につけなければならないのだと、多くの諸先輩方から指導されてきました。しかし、私は寧ろ介護という分野においては、技術よりも大切なものがあると思っている節があります。だからこそ不安になるのです。 特に介護において、やはり生活者として共に歩むという心持ちが重要になるのではないでしょうか。この場合、家族介護というものが、如何に素晴らしいものであろうかといつも考えます。というのも、実際に施設に預けるよりも家族が介護するのが一番良いという意味ではなく、家族が介護するよ

  • 認知症に限らない、人の鏡としての性質。

    「認知症は大変。」そんなことを思ってしまった事に罪悪感を覚えることも介護者にはきっとあると思います。 日々介護に携わる中で、たとえ要介護者が認知症であっても、人と人との交流であることにまったく変わりがない事を実感します。だから自分と相手との関係では、鏡とか、池やガラスに反射する風景のように、相手には少なからず、私自身の態度も映し出されているとさえも思えるのです。 きっと誰しも相手から好感を持たれれば、人は好感で返し、人からぞんざいな扱いを受ければ、それ相応に対応するでしょう。勿論、人と人との関係では相互の感情や思いが交錯し、思いが伝わらないとか、すれ違う事も多くありますが、そうした

  • ケアプランとは?こんな時どう介護するのか?

    ケアマネジャーが作成するケアプランというものをご存じでしょうか。このプランは、その人の事だけを考えて、その人の為だけに作成されます。他の人と同じようなニーズであっても、同じサービスが提供されているわけではありません。 そしてこれは、介護保険を用いたサービスが提供される際に必要になる計画書の一つなのです。簡単に言うと、本人の思いを中心に組み立てられた目標。それに向かって、本人を支える関係者が一丸となって取り組む、一人一人の役割を認識する為にも重要になる書類です。 基本的には、居宅介護サービス計画書というものがケアプランに該当するもので、本人のニーズを基礎にして"援助の方針"や"長期目

  • 死と向き合う恐怖と認知症の心

    最後まで残っている記憶というのは、とても美しく大切にしまわれた記憶だと認識します。たとえ日ごろの事は忘れてしまっていても、いつまでもハーモニカを奏でられる方がおられました。周囲の人も聞き入ってしまう程の腕前でしたが、父が奏で、そうして兄に手渡されたされたハーモニカ。 「兄は興味を失くしたから、私が勝手に覚えたの」 「あなたもやってごらんなさい。あなたならすぐにうまくなって、そしていつまでも励みになるのよ」 出征して若くして亡くなったお兄様や既に亡くなったお父様との繋がりだったのかもしれません。きっとご自身で奏でるハーモニカの音が人生の支えになり、生きてこられたのだと思います。そし

  • 家族の認知症介護、試行錯誤の結果は全て正解。

    「お互いにとってより良い介護ってなんだろう?」 時にすれ違い、感情が交錯することで生まれる衝突。認知症介護にはつきものです。 認知症になると、同じ話を何度も繰り返すとか、何度もトイレに行こうとするとか、自宅にいるのに「帰る」と言い出すとか、ご飯を食べたことを忘れるとか、汚物が箪笥に入れられているとか、物を失くし突飛なところから出てくるとか、何度も見回りを繰り返すとか、急に泣いたり怒ったり、いわゆる徘徊する、好きだった風呂が嫌いになる、そうした事がきっと増えてくるに違いありません。 介護者の側からすると、要介護者のこのような変化には少なからず戸惑いが生じます。以前の姿を知っている身

  • 介護では思いの丈のあまり、感情的になる。

    なぜ介護というものに、専門性を持たせるのだろうと思う事があります。それは、介護職のする介護と家族のする介護の本質にはきっと大きな差は無く、寧ろそこから乖離しすぎてはならないのではないかと思えるからです。 介護はその人を全人的に把握するところから始まります。その人がどうしたいのか、どうしてほしいのかを考える手がかりは、あらまし家族や馴染の関係では当然に理解している事柄でもあります。しかしながら、それとは裏腹にかえって自分の家族であるからこそ、確執が生まれる事だってありがちです。 それは身近であればあるほど、その人のことを思えばこそ起こり得る摩擦なのです。全くの赤の他人であれば許せるこ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Kakiさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Kakiさん
ブログタイトル
地方ケアマネkaki
フォロー
地方ケアマネkaki

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用