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大阪市浪速区「鴎町公園」 「折口信夫生誕の地」の碑があります。 ほい駕籠を 待ちこぞり居る 人なかに おのづからわれも 待ちごゝろなる 芦原橋で
なぜ、建物越しに見える青空に心奪われていたかの意味がわかった
このブログのタイトルにもつけているように 僕は青空が好きだ。 でも、 「きれいだな」と言葉になる青空と 言葉にならず、ただ心がぱっと開ける青空がある。 その違いはなんだろうか。 建物越しに見る青空に心奪われるのである。 地上から見上げたビルの屋上越しに見える青空 新幹線の線路越しに見える青空 そして、神社の社殿の向こうに見える青空 なんで一面に広がる、遮るものもない青空ではなく、 こうやって何かの建物越しに見える青空に心奪われるのだろう? 近代化と原始の弁証法か? 神社はパワースポットだからか? とか考えていたが、折口信夫の「古代研究」*1 この一節を読んで謎が解けた。 光り充つ真昼の海に突き…