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ブルガリアのプロヴディフ旧市街の観光で、最後に見たのは、ローマ劇場です。このローマ劇場は、プロヴディフ観光の目玉とも言えるところで、私が前回、奇妙な遺跡ツアーでこの町に来た時にも、ここにだけは連れて行ってくれました。紀元2世紀にトラヤヌス帝が建てたもので、ガイドブックによると、
ブルガリアのプロヴディフ旧市街の観光の日、そろそろお昼時になりました。仮装写真店の主人が推薦してくれたRahat Tepe というレストランへ。目抜き通りのSaborna通りの突き当りで、この日の朝、訪れたネベト・テペの遺跡の麓にあります。入口は普通サイズなのですが、入ってみたら、
ブルガリアのプロヴディフ旧市街の観光に一息ついて、地味な土産物店に入ってみました。あまり整然としていない店内に、工芸品が適当に置かれている店でした。店主も朴とつとした人で、英語を話さないのかなと思ったのでしたが、私が日本人だと分かると、「以前にも日本人が来たよ」と言って
ブルガリア第二の都市、プロヴディフでの最終日は、旧市街の観光に充てました。まずは、たまたまホテルの目の前にあったので、薬局博物館に入ってみることに。なぜか、そわそわしていたおばさんが、ざっと案内してくれました。ここは19世紀後半から20世紀半ばまで、
ブルガリア第二の修道院、バチコヴォ僧院からプロヴディフに帰ってきました。バスステーションから町の中心までかなり歩いた上、バチコヴォでのバス待ちで疲れていたので、どこかで一服したい気持ちでした。それで、雰囲気の良いカフェを求めてうろうろ。遺跡を覆っている
ブルガリアのプロヴディフでの二日目は、この近所の観光名所であるバチコヴォ僧院に行くことにしていました。前日、観光案内所で11時のバスがあると聞いていたので、それに間に合うように出かけました。ホテルがある旧市街の目抜き通りSaborna通りを下り、前日歩いた
あまり知られていないようですが、ブルガリア第二の都市、プロヴディフはヨーロッパの中でも歴史的に重要な町の一つだったらしいです。有名なアレキサンダー大王のお父さんのフィリッポス2世が征服して発展した町であるため、別名をフィリッポポリスといいます。私達は、その名も
ブルガリアのプロヴディフで、ホテルに荷物を置いた後、レストランを求めて町に繰り出しました。早朝に空港で食べたクロワッサンが最後だったので、腹ペコだったのです。例によって、夫がネット検索で見つけたレストランを探しました。プロヴディフ旧市街の、
ブルガリアの第二の都市、プロヴディフで泊まったホテルは、Boutique Hotel Boris Palace という名前で、旧市街の真っただ中にあります。こじんまりしたホテルで、家族経営らしい趣。私達の部屋は、建物のてっぺんで、かなり
今年のイースターは、ブルガリアに行きました。私達は、イースター休暇には、正教の国へ旅行することに決めています。というのも、正教はイースターの時期が西欧とはずれているので、お祭りなどで着飾っていない普段の姿が見られるからです。イスラム教や仏教などの