地方のしがない介護支援専門員、介護福祉士。 普段から専門職としての視点と一般的であろう感覚を双方大切にしています。介護職やケアマネージャーとして日々の気づきを綴ります。
辰年と言えば干支の中で唯一、伝説上の生き物である龍の年。まさにその役割が大きく変化するような兆しがあるように感じられました。傍目から見ると大した役割の変化ではありませんが、私にとっては大きく役割が変化した年だと思っています。 特に将来に対する責任が、じわりじわりと押し寄せてきました。 たとえば家庭に対する責任です。結婚から指折り月日を考えると長い年月を過ごしてきました。私も含めて家族が幸せであることが、何よりの幸福であることは間違いありません。そして何より家族が元気で居てくれること、頑張っている姿を見ることが生きがいであることも間違いではありません。逆に私自身がポジティブに活動して
今年は胸や腰の痛みが襲い掛かり、夜も中々眠れない日々が続いていました。やはりこの仕事は身体が資本であり、商売道具です。身体は仕事だけでは無く、人生において最も大切なもの。どれだけ健康に暮らしていけるかがこれからのキーワードにもなっています。同時に経験と知識をどれだけ増やしていけるかも重要な年になりました。 今年Amazonで購入したものを自分で振り返る記事です。 Benazcap X Large 低反発ですメモリークッション 人間工学クッション 腰痛をやわらげ 姿勢を正します オフィスチェア 車椅子 座布団 お尻が痛くならない通気性 滑り止め カバー洗える amzn
プロダクトマネジメント手法としては有名な制約理論(TOC)ですが、このような観点から考えるケアも一つの方法論として光が当てられても良いように思えます。これはイスラエルの物理学者であるエリヤフ・ゴールドラットによって打ち立てられた経営理論ですが、著書である「ザ・ゴール」において、企業にとって最終的な目標は利益であると言います。 確かに企業としての目的としては確実に利益を上げることです。しかし同時に我々のような社会保障としての側面、公的保険制度の一部を担う介護従事者にとっては、利益の追求よりももっと重要となるフレーズが"利用者の満足度"であるように感じられます。そしてこれこそが、我々にと
日本において社会保障制度が持続可能性を持ち続けるために、必要とされる課題はいくつもあります。そして、これからも常に社会全体で考えていかなければならない問題でもあります。 イギリスの公共政策学者であるジュリアン・ルグランは、「公共政策と人間: 社会保障制度の準市場改革」の中で、特に福祉国家の改革や公共サービスの提供における効率性と公平性を両立させる方法論を提示しています。彼の研究は、政府主導の中央集権的な公共サービスと、自由市場経済のどちらにも偏らない「第三の道」を模索するものであり、その中心に「準市場」の概念があります。 準市場とは、市場の競争原理を導入しながらも、政府が規制や補助
突然の話ですが、私の心には内村鑑三の「デンマルク国の話」が刻み込まれています。この本を読んだ当時、青年であった私の心には感激が身震いするような、心がしびれるほどのもので、やけに感心したのを覚えています。この話は、荒廃した母国の土地に気を植える人々の話なのです。 私にとっては生まれてこのかた、砂漠のような心に、人生においてどれだけの木を植えられるのかという話に感じたものです。 苦心して植えられた木々は、少しずつ成長していき次第に原始林となり、調和を伴って繁茂していきます。このように自生的な秩序が育まれるためには、当初は人間の努力によって、少しずつ少しずつ試行錯誤を繰り返しながら、来る
心理的安全性はあらゆる組織に共通して求められる要素であり、同時に組織にとって最も大切にされるべき要素なのです。Googleの生産性が高いチームの共通点を探す"プロジェクトアリストテレス"においても、生産性向上の柱で最も重要であるとされています。 日々、事故リスクを抱えている介護や医療の現場においては、特にこの"心理的安全性"がとても大きな意義を持ちます。アメリカの経営学者であるエイミー・C・エドモンドソンは、"みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしく居られる文化"のことをそのように定義づけしています。 これは組織論ですが、家族や施設における利用者も同様であると考えます。
昨今、持続可能性のある社会が福祉国家の大きなテーマとして、のしかかっています。特に日本においては、少子高齢化が深刻化した結果。財政問題と絡めて社会福祉も語られています。そんな時に重要な示唆を与えてくれているのが、イギリスの経済学者であるニコラス・バーの理論です。 彼は著書である「福祉の経済学」において、現代の福祉国家が抱える課題と解決方法について述べています。その研究は、21世紀において世界が直面する年金、医療、失業、介護といった福祉分野の問題点を経済学的視点から分析し、経済効率性と公平性の両立を図ることに言及されたものでした。 彼は公的年金、健康保険、失業保険、介護保険は経済的効
「今における自らの感覚に集中すること」 これこそが現代人に必要とされている大切なことだと思います。 つまり、触ったものがどんな感触であるのかについて詳細に観察することです。何か食べたことについてどのような触感で見た目で味だったのかをつぶさに観察するということです。歯磨きした時にどのような感覚があるのかを観察しながら手の動きなど全ての感覚に集中することです。 行動すべてが今ある事。時にこの今に集中する事が大事なのだと思えます。瞑想というものは、その方法論の一つです。目を閉じて静かに感覚を研ぎ澄まして感じることのようにも思えますが、実は様々な方法で瞑想することが可能になるものだと思い
人間の判断に欠かせない価値判断の能力ですが、日常生活の中であらゆる判断を行っています。イギリスの神経科学者であるバーバラ・サハキアン教授の研究によると、人は1日に最大3万5000回もの判断に迫られて生活しているということです。 そのような一つ一つの判断に対して、全て熟考するということは考えられず、少なからず直感を働かせています。そしてこのような決断方法は、行動経済学においても重要な意味を持っています。例えば買い物したいときの選択肢があったとして、価格と機能、機能と重量などといった二つを判断基準にする場合に、どのような判断が下されるでしょうか。 ここでは、アメリカにおける著名な行動経
介護に従事していると様々な場面において、相手の"話を聞く"ということの重要性を感じます。この仕事は肉体労働として一般的に認知されているように思われますし、社会的にもいわゆる3K労働者と捉えられているようにも感じています。そうした側面が大きいというのも事実ではあるのですが、一方でそれよりも円滑なコミュニケーションがとても重要なのです。 または、その人が自分の意思を相手に伝えられるかどうかに関係なく、いち早くその人のニーズを把握して、それに対応するための洞察力や観察力、そして判断力が求められる職業なのです。このことは、私自身が日夜実感しています。そうした事を考えると、人間の総合力を高めて
我々のような介護や社会福祉に携わる人が対人援助において、まずもって焦点を当てる部分が「ニーズ」の充足ではないでしょうか。このニーズの充足が、その人の日々の暮らしを支え、ひいては人生を支えることに繋がると考えられるからです。同時にこのようなミクロな視点だけでなく、社会制度や政策を構築するというマクロな視点においても求められるものが、ニーズというものです。 イギリスの社会学者であるリチャード・ティトマスは、人間のニーズを社会的視点で捉える重要性を示しました。彼は、これを単なる個人的な"欲求"や"希望"として捉えるだけでなく、社会的に認識されるべき「正当な要求」として定義しました。そしてこ
対人援助職ならば是非にでも学んでおいた方がいいであろう学問。それが行動経済学だと思っています。行動経済学は経済学に心理学を掛け合わせた学問で、人間の無意識の行動や選択についても解き明かすことができる実学だからです。そして即効力があります。自己の中で無意識に潜む他者に対する偏見などに、いち早く気付くことの出来るスキルなのです。 また自己選択することの重要性については、対人援助職についている人ならば誰でも理解しているところです。人の自己実現には必ずや日々の自己選択が潜んでいて、自己選択は直近における自己決定というニーズ充足の第一歩でもあると考えられるからです。 たとえば我々のような介護
瞑想についても記録を付けていきたいところです。瞑想は筋トレとよく似た性質を持っています。筋肉に対する負荷をかけて成長させる筋トレに対して、脳の前頭前皮質に対して働きかけるのが瞑想です。こうしたことは科学的にも証明されています。 瞑想における心象は非常に斬新な気持ちでありながら、同時に懐かしみのような抱擁のような温かい感情も抱くものでした。目を閉じ全身の感覚を研ぎ澄まし、呼吸に集中をしていくと、今というものに必然的にピントを合わせる事になります。時々、心が揺れ動くとピントが外れるのだけれど、再度ピントをフォーカスしていくといった具合。 この、"今"の"感覚"というものがとても重要であ
日本の経済学者である宇沢弘文という人は、日本的な価値観を体現している人物のように思えます。鳥取県は米子という所の出身で、戦時中の疎開でお坊さんとの交流もあり、情緒的に育まれた農村の記憶がとても重要な意味を持っているようです。実際に私も米子市に訪れた事もありますが、風情ある素晴らしい郷土を持っているという事が彼の思想に表われているようにも感じられます。 ピタゴラスの定理のように"永遠の生命を持つ真理"の継承。これが数学から経済学へ転向した宇沢が持つ思想の一つでした。そしてのちに記す社会的共通資本の考え方は、そのエッセンスであると綴っています。数学の前に医学も志したことのある彼は、医学が
正義とは何か。 アメリカの哲学者であるマイケル・サンデルは、日本でもハーバード大学で最も人気のある講義を担当している教授として話題になりました。彼の語った正義の形は、ロールズの「正義論」に対するアンチテーゼでもあります。 彼は著書である『これからの「正義」の話をしよう』の中で、功利主義、自由主義、そして美徳。大きく分けて、この3つが正義に関する哲学の大きな潮流だとしています。同時にサンデルは共同体主義の立場から、この功利主義や自由主義の問題点について指摘しました。 ●功利主義とは 功利主義は、ジェレミー・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルによって提唱された哲学的立場で、「最大
行動経済学は、経済学に心理学を掛け合わせた実証的な学問です。これにより経済学は、虚学とも捉えることのできる理論的な学問から実学へと導かれることになりました。つまり日常生活の課題解決への応用が可能になっているのです。 介護の世界において、いつも問題になるテーマがあります。それは自立支援を目的にしているはずにも関わらず、かえって本人が現在持っている既存の能力を奪ってしまう。そんなことが日常の介護現場で起こりかねないということです。人手や時間に限りがあり、安全意識が重要な課題でもある介護の世界にとって、"移動"というプロセスだけをとっても大きな課題があります。 車いすを介護者が押せば、安
いつかの日にか、自分や家族が介護が必要になることがあるかもしれません。そしてその日、その時は突然にやってくるかもしれません。今は全く考えもつかないことであったとしても、これは決して無関係であるという訳では無く、誰もが確実にいつかは当事者となる問題でもあります。 近年、多様なライフスタイルが浸透していく中で、家族介護の在り方も様々です。その中でもヤングケアラー、老々介護、ダブルケアラーというような問題が昨今特に顕在化しています。その負担の大きさを鑑みれば、介護の社会化の必要性は明らかです。 日本における少子高齢化は著しく、全人口に対する65歳以上高齢者の割合は増加の一途をたどっていま
これまでと変わらぬ景色、そして見慣れたはずの風景でさえも見え方が違うような気がする。私にはそんな経験をしたことがあります。色が濃くなったような、コントラストが強まったような。兎に角、世界がもっと美しく広いものになったような感覚です。 自分に何かの価値観が加わったことで生じた化学反応。写真がフィルムから現像されるようなイメージかもしれません。 私が知らない事も、あなたはきっと知っている。私が面白いと思えなかったことも、あなたはきっと面白いのだと思える。そして、”あなたは必ず、私がしたこともない経験をしている”のです。その素晴らしさに気づいたとき、私は他人をもっと受け入れるべきであるよ
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない。」 オーストリア大学でフロイトやアドラーに師事し、心理学を修めた精神科医でもある心理学者ヴィクトール・E・フランクル。彼は第二次世界大戦における強制収容所での体験を精神分析と共に「夜と霧」に著しました。 なんら罪もない善良な市民だったはずの人々が強制収容所送りにされる理不尽極まりない状況。その上で、健康で労働力として使える価値のある者だけが、事実上"残される"ことを許されます。残された人々も名前すらない、存在するのは自分の胸に記された番号のみ。過去何をしてきたか、そして何者であったかは一切不要とされる環境でした。 家畜よりも悪
日々5分間の努力を達成すること。これによりあらゆるスキルアップを狙えるのではないかと思っています。それにも関わらず、やりたいことが多すぎてしまうと、その5分の努力を放棄してしまっている自分がいたりするのです。最近はNoteにハマっていて、結構時間が溶けていっています。「なぜ5分の努力すら出来ないのだろう。」 このように何か一つのタスクに集中してしまえば、他のタスクやToDoが疎かになってしまうという現実について試案したいところ。 5分というのは本当に短いけれど、この5分の積み重ねが"塵も積もれば山となる"という諺からすれば、将来に大きな差になって現れる筈。やりたいことが山積していた
「昔は父も兄が出征して亡くなったから、男手が無くなって馬車馬を私が引いて働いたのよ。だから、足腰が誰よりも強くなった。仕事をするのは好きだからね。」 この方の約1世紀を生きながらえた不屈の精神力には尊敬の念に堪えません。女性であっても男性と同じ仕事を苦にせず我武者羅に働いてこられたとのこと。田畑を耕し、作物を植え、出荷する。それだけでなく、時にキビを植えて家庭で箒を作っていたそうです。そしてその箒はとても評判で売れたそうです。 高齢者の知恵というのは非常に深いものがあり、我々が勝手知らぬ生活の知恵や多くの実業の方法を知っておられます。「何でも聞いてください。何でもしてきましたから。
認知症ケアでは、日本においても革命だと言われる考え方が広まりを見せています。その考え方はフランスを由来としたユマニチュードの考え方です。私は全ての事柄に共通して、理想の理念を掲げる事は大切な事だと思っています。現実と理想の狭間で常に葛藤されてきたのが社会であり、人間なのですから。 「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」 世界人権宣言・第一条 ユマニチュードの考え方は、世界人権宣言のような個人の自由と自律の尊重こそが民主主義を支えている。強者が全てを
私の介護職としての経験論、いや人間として重要なのは、やはり挨拶です。挨拶というのは最高の飛び道具です。なぜなら私の気持ちを相手に投げ、相手がそれを受け取って投げ返す。その会話が成立するかどうか、相手の体調はどうかを見極め得る最高の道具として常に存在してきたからです。 急にこちらのしたいことや終わらせたいことを提案するのではなく、「おはようございます」というボールが返ってこない場合には、そのままでは相手がこちらを認識していないか、聞き入れる態勢に無いという事を教えてくれるからです。まず一人一人に挨拶をしていると、今日の気分が分かりますし、一日のコミュニケーションが非常に円滑です。 挨
真理を見通す力、真実への探求。これは人類が欲してやまない能力ではないでしょうか。一体全体どれが本当の事なのか分からなければ、常に疑心暗鬼になって不思議ではありません。 この場合に道標となるのは、球を捉える概念です。 ある方向からその物を捉えたとしても、球という形であるかどうかは判別できません。球体である事を理解するためには、あらゆる角度から物を捉えなくてはなりません。そうすると朧気ながら見えてきます。更に言えば、見るという行為だけでは形のみしか分かりません。そこで必要になるのは五感です。 我々人間には、視覚(見る)、聴覚(聴く)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)、触覚(感じる)が備わ
「体が資本」まさに健康というものは、誰もが最も必要とする掛け替えのないもの。健康寿命さえ高まれば、人生の幸福度や満足度を充足させ、よりよい人生を長く送ることが出来るはずです。私の願望として、たとえ命の灯が消える日時が定まっていたとしても、より長く日常生活を不安なく送れる程度に健康でありたいところです。 この考え方について、アメリカの経済学者であるマイケル・グロスマンは、健康がどのようにして人の幸福に寄与するか、またその健康を維持改善するために選択する行動についても経済学的な意思決定の観点から提示しています。 健康消費(Health Consumption):健康な身体そのものが
2か月勉強で介護福祉士/ケアマネジャー試験に一発で合格する方法
私は介護施設で働いていく中で、多くの同僚が介護福祉士やケアマネジャーの試験に泣かされているところを多く見て来ました。情熱をもって取り組み、そして仕事に励み、その結果として試験に落ちてしまう。その辛さは、私も痛感しています。あなたの知識欲と向上心は必ずや介護に必要とされる人材であることを表しています。 そしてまた、試験に必要とされる知識、そして勉強の経験は誰にとっても重要であるからこそ、このノウハウについて記しておきたいと考えています。 私は地方公立高校を卒業し、地方私立大学を卒業しましたが、決してそれまで学業が優秀な人間ではありませんでした。はっきり言って落ちこぼれです。しかし、公
歳を取れば誰しも、見た目だけでも老いを感じるものです。歳を重ねて10代の見た目であろうとするのは無理難題。そうすると必然とどのように年を重ねていくほうが良いのか、より健康で居たい、成熟した人間でありたいという願望が生まれてきます。 実は、老化というものに密接に関係しているのが糖化です。"老化とは糖化である"と言い換えても良いでしょう。なぜなら糖化は老化の促進因子だとされているからです。"体のコゲ"とも表現される糖化は、余分な糖質が体内でタンパク質と結びついて細胞を劣化させます。そうして、表面的には皮膚などに現れるシミやたるみの原因となっているのです。 老化はAGEsが蓄積されること
「これからをどう生きるか、何をしたいのか」この問いは介護に携わる者にとって、いつも重要なテーマとなり続けています。日々の言動に耳を傾け、目を凝らすこと。生活の些細な事柄からニーズであろうものを把握し、それを充足していくこと。これこそが利用者の効用を高める原動力であり、ひいてはその人らしく生きるという介護の在り方にとっての羅針盤となります。 たとえ認知症で少しずつ物事を忘れていくという段階にあっても、人の役に立ちたいという気持ちは誰もが持ち続けています。 他者の洗濯物を畳んであげたり、野菜の皮むきをしたり、苦戦する車いすを押してあげようとしたり、症状が進行していても優しく声を掛けて手
「人生は短い。」そう我々は先達から教わってきました。 短い人生において時間の短縮、効率化は人類の命題のように思えてならないところです。しかし、「人生」というと単なる「時間」という尺度では測れないものでもあります。 私たちの享受する技術は、一昔前の歴史と比べてみても見紛う水準に達しています。伝達という手段をとってみても、気軽に手のひらの中で会話が出来る時代となっているし、移動という手段をとってみても、徒歩から比べれば格段に高速化していることは明白です。 これは単に物事が効率化しているというだけでなく、以前より便利になり苦労せずして得られる豊かさの質が格段に上がっているという事の証左
医療や福祉といった分野は、縁の下の力持ちとも言え、社会基板でもあるエッセンシャルワークです。同時にたとえ機械化や自動化が進んだとしても完全に置き換わることは難しく、労働者による人的資本が中心を担い続ける必要のある労働集約的産業でもあります。この労働集約的産業が抱えた問題を提唱し、公的支援の必要性を示したのがアメリカの経済学者、ウィリアム・ボーモルでした。 社会が目まぐるしく変化していく中で、自動車や精密機器など資本集約的な産業が技術革新によってどんどんと生産効率性を向上させてきました。しかし、同時にクラシックのオーケストラで弦楽四重奏を奏でるのに必要な演奏家の数、看護師が包帯を巻くの
山本周五郎著「赤ひげ診療譚」は、小石川養生所の“赤ひげ"と呼ばれる医師と、見習い医師との魂のふれ合いを中心に、貧しさと病苦の中でも逞しい江戸庶民の姿を描いた連作短編時代小説集。実在した江戸の町医者、小川笙船をモデルにした活劇。黒澤明「赤ひげ」の原作。2012年から全国の都道府県医師会の推薦した「地域の医療現場で長年にわたり、健康を中心に地域住民の生活を支えている医師」を赤ひげ大賞として顕彰している。 医療というものにも必ず限界があります。そしてその限界を誰もが知り、認めるべきなのです。医療というと目の前の患者の傷病を治すという事だけが使命であるように捉えられがちです。確かにそれは一
私は介護職員として働く前からずっと所謂、一般的に言われるような社交的で積極的なコミュニケーション能力に秀でた人ではありませんでした。しかし、広く浅い関係性よりも、狭くとも深い関りを求めて来ました。その深い関りというのは、私の妻、家族や友人がしてくれたような関係です。 温かみがあり、たとえ一見厳しいようでいても、相手のことを真剣に考えているのだと感じさせる関係です。私はこのような関係性を互いに"尊敬"することだと感じていました。幼い頃から培った経験や元来の性格も組み合わさって、相互理解は、このような相手に対する尊敬の念の上に成り立つのではないかと考えてきたのです。 私のこのような理解
後天的な精神疾患は多くの場合、健全なる人間的反応、免疫のようなものであるように思えてなりません。そうして"現実の苦悩"や"恐怖"に直面した人間が自己を保とうとする正常な働きだと捉えるならば、その原因をどうにか解消しない限り、根源的な改善と解決は見込めないのだとも思えます。 投薬などによる症状の緩和が行えたとしても、それは一時の対処療法に過ぎず、完全な治癒とは言えないところです。むしろ、正常な心的機能を投薬によって押さえつける事によって、その機能の退化、脳の退化、感情の廃用が起こるのではないだろうかという疑問さえも湧いてきます。私はこの常態化に危惧を抱いているのです。 過去にはE・モ
きっとあなたはもう既に、多くの遺産を相続しているはずです。 その遺産とは、"知識"です。学問や読書をするという事は、世代を超えた知識を相続し、または今を生きる人からも贈与を受けるという事に他なりません。そして、その最高の財産である知識への門戸は、今や全ての人に開け放たれています。たとえ貧しくとも、この遺産は望んだ誰もが相続できるのです。 相続とは土地や金品を受け継ぐことだけが相続ではなく、叡智も相続するのです。誰もがこの集合知や経験知といった歴史を相続しています。 私たちは、ある人が一生をかけて培った経験や知識、一瞬の閃きがもたらした幸運、そうしたものを瞬時のうちに会得し、それら
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