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宮城県登米市にある旧登米警察署です。1889年(明治22年)に建てられ、1968年(昭和43年)まで使用されました。白ペンキ塗り、下見板張りの建物正面に、2階をバルコニーとした玄関ポーチが大きく張り出し、上部の三角ペディメント、イオニア式の柱頭などの装飾が施されてい
佐田岬半島の付け根に当たる愛媛県八幡浜市保内町にある旧白石和太郎洋館です。川之石地区は、海運業や紡績業で栄えたところで古い町並みが残されており現在では静かになった町並みの中に、黒漆喰の外壁の擬洋風建築があります。正面玄関はこんな感じ左右の2つの窓と2階の
岩手県紫波町(しわちょう)は盛岡市と花巻市の中間に位置し、北上川の舟運や奥州街道(松前道)の中継点、南部杜氏の拠点として江戸時代から栄えたところ。紫波郡の中心として郡役所が置かれ、旧紫波郡役所庁舎が現在も残されています。郡役所としての役割を終えた後は、紫
桜で有名な弘前城周辺には多くの近代建築が残り、ミニ明治村のような様相を呈しています。明治時代に多くの洋風建築を手がけた棟梁、堀江佐吉の擬洋風建築も数多く残されていて、一まとめには紹介しきれませんので、今回はその中から旧弘前市立図書館を紹介させていただきま
旧開智学校は、明治6年(1873)5月6日に開校、昭和38年(1963)3月までの90年間続いた、日本で最も古い学校の一つ。現存する校舎は明治9年(1876)4月に建築されたもので、擬洋風建築で知られています。その当時、この地方は、教育立県
先週、いい陽気に誘われて岡山県瀬戸内市の牛窓に行ってきました。明石から自動車で約2時間、サクラは終わってしまいましたが、美しい新緑を眺めながらのドライブは快適でしたね。牛窓は日本のエーゲ海といわれるほど景色の美しいところですが、古くから風待港として栄え、
おにぎりと富士見の旅part27~旧中込学校で学び直しっ!!~ 本編の前に我が家のプチネタ。 今日のお題は「添い寝のももた1」。 …というわけで。 …
松本城から徒歩10分程で行ける「国宝旧開智学校校舎」。耐震対策工事の為、3年半もの間休館していましたが、昨年11月9日から一般公開を再開されたばかり。いいタイミングで見学できました。 「開智」の校名は、明治5年8月学制発布の前日に公布された「被仰出書」の文中にある「~人々自...
山形-長野フルーツ旅part25~山形市立郷土館で鳥肌!!2~ 本編の前に我が家のプチネタ。 今日のお題は「ももた、いつものターキーアキレス2」。 …
旧水海道小学校 教育の時代の残像 <トラキチ旅のエッセイ>第28話
しばらく以前、政治家の発言により、にわかに有名になった言葉がある。 「米百俵」 出どころは、越後長岡藩士小林虎三郎の逸話となる。 戊辰戦争における敗戦と、その被害による長岡藩の窮状を見かね、支藩である三根山藩が贈った百俵の米。 「助かった。これで糊口をしのげる」 と、喜んだ藩士らを前に、藩の大参事虎三郎は、 「これは食べない」 食ってしまってはそれで終わり。ろくに食べられないわれわれだからこそ、人を育てることにこれをつかうのだ―――。 空きっ腹をものともせず売ってしまい、学校建設の資金をこしらえたという。 以上は、明治という時代を象徴する話として知られているが、これだけではない。明治の人びとは…