私が曹洞宗の坐禅を根本とした仏道修行を始めてから、お寺での生活を通して気が付いた事、学んだ事、坐禅を通して見い出した事、また、本を読んだり、インターネットを見たり、話を聞く等して知り得た事等を、私なりの解釈でご紹介して参ります。
愛語こそ、財が無くとも誰もができる布施であり、縁ある人々、周囲の人々を幸せにして、 自分も幸せになる方法。
愛語(あいご)というは、衆生(しゅじょう)を見(み)るに、先(ま)ず慈愛(じあい)の心(こころ)を発(おこ)し、顧愛(こあい)の言語(ごんご)を施(ほどこ)すなり。 慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶如赤子(ゆうにょしゃくし)の懐(おも)いを貯(たくわ)えて、言語(ごんご)するは愛語(あいご)なり。 徳(とく)あるは讃(ほむ)むべし、徳(とく)なきは憐(あわれ)むべし。 (修証義 道元禅師) このお...
周囲を支える人は、周囲から支えられ、周囲を喜ばせる人は、周囲から喜ばれ、周囲を愛する人は、周囲から愛される。
紀元前の古代中国では、秦の始皇帝によって中国全土が統一される以前の時代を、春秋戦国時代と呼び、斉、楚、秦、燕、韓、魏、趙という7つの国が存在し、激しい争いを繰り広げていました。そのうちの斉の国の君主である威王と、魏の国の君主である惠王とが、相互親善を目的に、狩猟をしていました。その時に、魏の惠王が、斉の威王に問いかけます。 「ところで威王、あなたは、どのような宝をお持ちですか。」 斉の威王は、 「...
男女のご縁、因縁においても、身口意(行動、言葉、心)の行いが原因となり、それに応じた結果を引き寄せる。
このお話しは、唐の時代の中国で、元和12年、第14代憲宗皇帝の時で、今からおよそ1,200年前の出来事として、言い伝えられている昔話です。唐(中国)のとある町に、信仰心が薄く、神仏を一切信じない人達ばかりが住んでいる町がありました。 その町に、毎朝、一人の美しい女性がたくさんの魚を入れた籠を手にして現われ、魚を売り歩いていました。その土地の青年達は、競い合ってその女性に近づき、籠の中の魚は、いつも、あっと...
食事の偏りが多くある人程、偏った心身が形成され、心身の不健康、不調、ひいては病気を招く。
五観の偈(ごかんのげ) 一(ひと)つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。 二(ふた)つには己(おの)れが徳行(とくぎょう)の全欠(ぜっけつ)を計(はか)って供(く)に応(おう)ず。 三(み)つには心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るるは貧等(とんとう)を宗(しゅう)とす。 四(よ)つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とする...
真の安心、安楽という心の平安、幸福は、手に入れるものではなく、心からそのように感じる事。
同じ寺院で長い間修行を積んだ二人の僧侶がいて、二人は親友でした。 二人は、二、三ヶ月のうちに相次いでこの世を去りましたが、一方は極楽浄土に生まれ変わり、もう一方は虫となって糞の中に生まれました。極楽浄土に生まれた方は、ありとあらゆる無上の喜びを味わい、至福の時間を過ごしていました。けれど彼は、「友はいったいどこへ行ったのだろう。」と考えはじめました。そこで極楽浄土をくまなく探しましたが、友は見付か...
人間として生まれる事は、一億円の宝くじに百万回連続して当たる確率と同様の、天文学的な奇跡の確率。
ある時、お釈迦様が、阿難陀(あなんだ)という弟子に、 「そなたは人間に生まれた事を、どのように思っているか。」と尋ねられました。 「大変喜んでおります。」 阿難陀様がそう答えると、お釈迦様が、重ねて尋ねられました。 「では、どれくらい喜んでいるか。」 阿難陀様は答えに窮します。すると、お釈迦様は、一つの例え話をされます。 「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。」 「その亀は、百年に一度...
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光陰(こういん)は矢(や)よりも迅(すみや)かなり、 身命(しんめい)は露(つゆ)よりも脆(もろ)し 何(いず)れの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか、過(す)ぎにし一日(いちにち)を復(ふたた)び還(かえ)し得(え)たる (修証義 道元禅師) 「光陰矢の如し(こういんやのごとし)」という言葉もありますが、これは、光陰(月日)が過ぎ去る事は、まるで飛ぶ矢のように、あっと言う間で速い、という意味...
坐禅の実施こそが、この宇宙に自分自身の全てを捧げ尽くす、最高、最上の善行。
大凡(おおよそ)因果(いんが)の道理(どうり)、歴然(れきねん)として私(わたくし)なし 造悪(ぞうあく)の者(もの)は堕(お)ち、修善(しゅぜん)の者(もの)は陞(のぼ)る 毫釐(ごうり)も忒(たが)わざるなり (修証義 道元禅師) 「修証義」とは、曹洞宗の開祖、道元禅師様が、宋(中国)での修行を終えられ、日本に帰国してから晩年までの約20年間を費やして書き残された、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう...
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