今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。
着物で旅行する時のパッキング、コーディネート、トラベルグッズの話① ~100均のトラベルグッズ~
前記事からの続きは一時中断し、GWなので、今回は着物で旅行する時のトラベルグッズについて書きたいと思います。 YouTuberさんやブロガーさんの間で、2018年頃から旅行のパッキングやコーディネートやトラベルグッズの紹介がブームになっていたので、当ブログでも下書きで書き溜めていました。 私はコロナ前は年に10回は着物で旅行をしていたので、旅行する時に持っておいたほうがいいものはわかっているほうだと思います...
田舎好みと20に80着物⑤ 八掛の色と年齢 和裁士さんのお店の色彩感覚
今回も、和裁士さんのお店の八掛の色と年齢と色彩感覚についてです。 ○八掛の色も年配は寒色系にしないといけない。 八掛の色についても、和裁士さんのお店では、30歳過ぎたら基本は暖色系の八掛は派手だからダメで、年配になったら必ず寒色系にしないといけないと習ったそうです。 ↑左から、型染め小紋、江戸小紋 和裁士さんのお店では、こういう暖色系の八掛(赤・ピンク・黄色)が使われているものは、いくら表...
田舎好みと20に80着物④ 帯揚げ・帯締めの色と年齢 和裁士さんのお店の色彩感覚
今回も、和裁士さんのお店の色と年齢の話で、帯揚げ・帯締めについてです。○年配になったら、帯締め・帯揚げまで全て寒色系にしないといけない。 和裁士さんのお店では、30歳過ぎたら年配世代は帯揚げ・帯締めは寒色系にしないといけないと習ったそうです。 例えば、帯揚げや帯締めには、ピンクや赤がちょこんとでも入ったものは年配になったら使わないし、寒色系でも鮮やかな色や淡い色はダメで渋い色にするというのが...
田舎好みと20に80着物③-2 帯の色と年齢 ~和裁士さんのお店の色彩感覚~
(前回からの続き) また、着物の世界では、「年齢を重ねて、娘時代に買った着物が派手になってきても、地味な帯を合わせて落ちつければ着こなせる」「帯が派手でも地味な着物を合わせればバランスが取れる」という意味で、「派手な帯に地味な着物、地味な着物に派手な帯」という言葉があるのですが、和裁士さんはこの言葉についても知らないそうです。 和裁士さんのお店では、着物も帯も基本的には30歳過ぎたら寒色系しか使...
田舎好みと20に80着物③-1 帯の色と年齢 ~和裁士さんのお店の色彩感覚~
今回も、和裁士さんのお店の色彩感覚と帯の色と年齢です。○帯は赤やピンクや黄色などの暖色系がちょこんと入っているだけで若向き。 和裁士さんのお店では、帯の色に関しても基本的に20代までしか暖色系の帯を使ってはいけないと習ったそうです。 例えば、母と叔母の嫁入り道具のこの綴れ帯に関しても、和裁士さんのお店では、「赤やオレンジが17歳のお譲ちゃんが着る可愛らしい色だから、昔だったら20歳前後までしか着れな...
田舎好みと20に80着物②-2 17歳のお嬢ちゃんが着る色、可愛らしい色柄、パステルカラーについて
(前回からの続き)○「昔だったら17歳のお嬢ちゃんが着る色だった」という言葉遣い 和裁士さんの言葉遣いで、「昔だったら17歳のお嬢ちゃんの着る色だった~」という言葉遣いが気になったので、ここで書いておきたいと思います。 現代の通過儀礼や学校の進級制度では、17歳という年齢に特別な区切りがあるイメージはないと思うのですが、和裁士さんの店では17歳という年齢に特別な意味や区切りを感じているようで、いつも17歳・1...
田舎好みと20に80着物③-1 暖色系は20代まで、赤を忌み嫌う ~和裁士さんのお店の色彩感覚~
今回も、和裁士さんのお店の色彩感覚についてです。 呉服の世界の色彩感覚は江戸時代の奢侈禁止令の風習を引きずっているため、現代日本人の色彩感覚とはズレていて、着物のことを知らない人には理解できないような色彩感覚が存在します。 和裁士さんの色彩感覚は、20に80着物の色彩感覚だけでなく、呉服の世界全般を通して存在する色彩感覚もありますが、とりあえず、和裁士さんのお店の20に80着物の感性を項目ごとにまとめて...
田舎好みと20に80着物②-2 和裁士さんのお店の色彩感覚 伝統芸能の色と年齢
(前回からの続き) 次に、ネットで東京・京都・大阪のブロガーさんの着物の色柄を見たり、テレビや着物雑誌で見ていると、やはり和裁士さんのお店の基準は、全国的な基準とは違うようだわかってきました。 私自身も色々な呉服屋さんで色と年齢の話を聞くうちに違和感を感じるようになりましたし、テレビや雑誌で他の女性の着こなしを見ていても、和裁士さんのお店のような着こなしはしていないのです。 例えば、江戸時代から...
田舎好みと20に80着物②-1 和裁士さんのお店の色彩感覚 母の嫁入り道具の色と年齢
今回は、和裁士さんのお店の色と年齢や色彩感覚、20に80着物のお話です。 前記事に書いたように、田舎の呉服屋さんの嫁入り支度では、一生買い替えないで済むように最初から地味なものを誂えるという「20に80着物」という基準があります。 また、田舎の色彩感覚には農村文化が強く影響しており、農村では江戸時代に衣服の色彩が紺・黒・茶しか色がなかったたため、とても地味な色彩感覚を持っているようで、田舎の呉服屋さんは...
田舎好みと20に80着物① 着物の世界には「田舎好み」なる第三軸が存在する?
今回は、田舎の呉服屋さんには田舎好みという趣味があり、嫁入り道具の色と年齢に「20に80着物」という基準を適用している場合があるというお話です。 着物について調べるうちにわかってきたことなのですが、着物の好みには「江戸好み」「京好み」だけでなく、「田舎好み」と呼ぶべき第三軸の好みがあるようなのです。 これは和裁士さんと出会わなければ知ることのできなかった情報であり、ネットにもあまり書かれておらず、当...
呉服の世界には男尊女卑と封建制が色濃く残っている?①-2 ~色と年齢の話もその一部?~
(前回からの続き) 戦後生まれの女性は、まさか着物の世界が昭和後期でも江戸・明治の封建制の風習を踏襲しているとは知らないでしょうし、男尊女卑と封建制が色濃く残ってるとは知らずに着物の世界に参入してしまうと思いますが、実はこういう世界なのです。 今までも着物に興味を持って着物の世界に参入した人はいるでしょうが、何となく違和感を感じたり、何となく薄気味悪く感じるようになり、それに気付いた人から先に着物...
呉服の世界には男尊女卑と封建制が色濃く残っている?①-1 ~色と年齢の話もその一部?~
今回は、呉服の世界には男尊女卑と封建制が色濃く残っており、色と年齢についてもその類の話ではないのか?というお話です。 私が色と年齢についてきちんと調べてみようと思ったきっかけは、Mさんに言われたことがきっかけでした。 Mさん曰く、「あなたは着物に興味を持ち始めたばかりなのに水を差すのは悪いけど、伝統芸能とかの世界を見ればわかるように、伝統的・古典的な世界は、女性の地位が低い時代の風習や価値観をそ...
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今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...
今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...
今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...
続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...
前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...
今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...
今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...
今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...
(前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...
今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。 浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...
今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...
今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...