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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

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2016/04/03

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  • 今日の歌(2023.10.30)

     祈りして口に運びし肉じゃががのど締め付ける戦火のニュース 老いの身が飢える子観ても箸を持つこの理不尽に許し乞いつつ今日の歌(2023.10.30)

  • 結婚の祝福(申命記24章)

     人が新妻を迎えたときは、その人を戦に出してはならない。何の義務も負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、迎えた妻を喜ばせなければならない。(5) 結婚に対する神の祝福が溢れている。離縁状一つで去らせることが出来る妻の存在であるが、神はその妻を喜ばせるこを夫に命じ、たとえ戦の中に在っても時を備えられた。彼らは神の祝福を喜びつ、子孫を生み育て神の民の繁栄を現わすのである。 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。(エペソ5:25.28) キリストは結婚をこのように勧めて祝福された。キリストが教会を愛された愛...結婚の祝福(申命記24章)

  • 相続地を受ける条件(申命記24章)

     新婚の妻に恥ずべき事を見つけたために気に入らなくなり、離縁状を渡して去らせたとあり、その女が再婚して再び嫌われたり、死別したりしてその家を出た後、 彼女を去らせた初めの夫は、彼女が汚された後に再び彼女を自分の妻とすることはできない。それは、主の前に忌み嫌うべきことだからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。(4) 女が汚されたのは去らせた夫に拠ることであり、彼女の何を恥として嫌い去らせたのか分からないが、再婚したいと思うほどの事柄であれば、初めの判断は身勝手なことであって、主はそのような経緯を忌み嫌らわれるとある。それは夫の権利の乱用であり、彼は神が結び合わせた結婚を汚したのである。 結婚は神の祝福であるが、このような再婚は汚れとある。ただ一度...相続地を受ける条件(申命記24章)

  • 今日の歌(2023.10.23)

     平凡な祝福 朝日は鈍色の雲を鮮やかなオレンジ色に燃やしてゆっくり青空が広がって行く厳かな夜明け「おはよう」 双葉の間からギザギザの本葉が覗いてる押し合いへし合いしている春菊をしゃがみ込んでちまちまと引っこ抜く整列した2センチの葉っぱ「ガンバレ!」 パソコンの前で音を上げる毎日毎日同じため息をついて「ダメだ。無理だ。分からない。」分からないないことを続けて17年今日の歌(2023.10.23)

  • ユダと滅び

     「御前にひれ伏すのに遅すぎることはない」と書いていたことが、ユダの滅びと重なって心に残っていたとき、キリストの十字架のことばをはっきりと思い出した。 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34) イエスの十字架がすべての罪を贖うためのものであったように、キリストが命を捧げて祈られた祈りが、ご自分を殺している者のためだけではなく、ユダを含む全人類の過去、現在、未来に至る罪の執り成しであった。 それほどに神の御子イエス・キリストが十字架で死ぬということの効力は、人類の罪をあがなって完全なものであり、完成されたものなのだ。ユダは、イエスが捕らえれて十字架刑に定められた時、初めて自分の罪の大きさに気づいた。彼はそのとき戻るべきイエスを失っており、身を寄...ユダと滅び

  • 鎌を使ってはならない(申命記23章)

     隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。隣人の麦畑の中に入ったとき、あなたは穂を手で摘んでもよい。しかし、隣人の麦畑で鎌を使ってはならない。(24~25) 神が造られた腹には限りがあるが、かごは限りなく大きくなり貪欲には限りがない。そこには幾ら取っても神にも隣人にも、満ち足りる感謝は無い。 すべての道具には用い方があり、人の益にもなれば人を滅ぼすものともなる。何処でどのように用いるか、鎌から兵器まで作り出す人に在っては、どれほどに心しなければならないことであろう。 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。(ヤコブ1:15)ユダはキリストの豊かな養いの中にありながら、御許にあってみことばを聴いて養われることは無く、彼の心は握...鎌を使ってはならない(申命記23章)

  • 誓ってはいけません(申命記23章)

     金銭の利息であれ食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。異国人からは利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが入って行って所有しようとしている地で、あなたの神、主があなたのすべての手のわざを祝福されるためである。(19~20) 神の民の中に貧しさがあってはならない。多くを持った者は乏しい人に分け与え、主の祝福に満ちて御名があがめられるためである。霊のこと魂のことはなおさらであり、キリストを真に知ることがなければ感謝もなく、永遠に至る恵みの喜びもない世と同じ様になって、いのちの貧しさに閉じ込められているなら、救いの神の豊かさをどのように伝えることができるだろう。 あなたの神、主に誓願をするとき、それを遅れずに...誓ってはいけません(申命記23章)

  • 罪が緋のように赤くても雪のように白くなる(申命記23章)

     あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。こうして、あなたの陣営は聖でなければならない。主があなたの中で恥ずべきものを見て、あなたから離れ去ることのないようにしなさい。(14) 主が救い出して敵を渡すために近しく来てくださるとある。それが神から発した戦いなら勝利を備えてくださる。そのとき陣営はきよく保たれていなければならない。眠っている間に精を漏らした者は汚れているとされ、陣営の外に便所を設け、野の排泄物は土で覆うことも記されている。それらの汚れは霊や魂ではなく体の問題である。 口に入る物はみな、腹に入り、排泄されて外に出されることが分からないのですか。しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。(マタイ15:17~18) 今、...罪が緋のように赤くても雪のように白くなる(申命記23章)

  • 今日の歌(2023.10.13)

     俳句風ふわり思い出させた金木犀 短歌ドアを開け「行ってらっしゃい」手を振りつちょっと驚く風の寒さよ今日の歌(2023.10.13)

  • キリストに在って敵のために祈る

     わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44) キリスト者が敵のために祈ることが出来るのは、その最悪の中にも神の良き計画があることを経験から知っており、すべては人の祝福となるからである。戦いの中の残酷な敵のために祈るのは、神が我らの味方であることを知っており敵をも変えるお方だからである。 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31) 祈りはまず味方のためであり、イスラエルが目の前の出来事を通して、イエス・キリストに跪いて御救に与る時と成るように、イスラエルのクリスチャンが守られ強められて用いられるようにと祈る。攻め寄せる敵がイエス・キリストに出会って変えられるように、彼らのうちに主が働いてくださるように祈る。救いは...キリストに在って敵のために祈る

  • キリストに在って敵のために祈ることが出来る(申命記23章)

     睾丸のつぶれた者、陰茎を切り取られた者は主の集会に加わってはならない。(1) 神に組み立てられた完全なからだを、偶像や人に仕えるために傷つける行為は神に逆らうことである。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」(創1:28)神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。(創9:1) 神が祝福された命のご計画は「増えよ。地に満ちよ」であり、すべて主が望んでおられる子孫の祝福を阻むような行為はみこころではないのだ。 不倫の子は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ主の集会に加わることはできない。(2) 神は、ダビデとウリヤの妻バテシェバとの間の子は生かされなか...キリストに在って敵のために祈ることが出来る(申命記23章)

  • 今日の歌(2023.10.08)

      俳句不意打ちの秋は駈け足迫る闇 短歌肌寒く布団入れ替え重ね着て脂肪も冷える八十路なりけり今日の歌(2023.10.08)

  • あれから40年

     イエス・キリストの福音に触れて40年であることに、今朝聖書を開いていて気づいた。友に連れられて、小学3年生の息子と教会を訪ねて一つのみことばに出会い、自力を使い果たしていた親子が生きるための脱出の道を見出した。 弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」(ヨハネ9:2~3) 40年間は子育ての真っ最中であり、経済的にも余裕の無い中で二人の息子の大学の学費、氷河期の中の就職、私の入院、主人の信仰から天に召されるまでの様々な出来事の中で、私はいつも主の眼差しを意識していた。すべての頼みはみことばのみだった。幸いにして人間的に頼...あれから40年

  • 男と女に創造された(申命記22章)

     人が妻を迎えて彼女のところに入ったが、彼女を嫌い、口実を設けて、「私はこの女を妻として近づいたが、処女のしるしを見なかった」と言って汚名を着せる場合、(13~14) 男は彼女が気に入らなかったので、「処女ではなかった」と言い掛かりをつけて妻にすることを拒んだのである。そこで彼女の父は、処女のしるしを示して彼女を弁護した。何だかものすごくプライベートなことが、公に用いられていて驚くがそれほどに処女性が重大な問題であったのだ。 その町の長老たちはこの男を捕らえて懲らしめ、銀百シェケルの罰金を科し、その娘の父に与えなければならない。彼がイスラエルの一人の処女に汚名を着せたからである。彼女はその男の妻としてとどまり、その男は一生、彼女を離縁することはできない。(18~19) これで女性は幸せを得たのかな・・ただ...男と女に創造された(申命記22章)

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