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石ころ https://blog.goo.ne.jp/bachan-no-1

日々の聖書通読から、聖霊のお導きによって気づかせられたことや、 新しく教えられたことなどを書いて居ます。 それは今日を生きるための知恵となり、失敗からの守りとなります。 また、不意な出来事に対して、予め備えてくださる言葉でした。

ムベ
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2016/04/03

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  • 今日の歌(2023.09.30)

     曼殊沙華田舎舞台の姉さまを思い出させる八十路過ぎても 満月と夜半の涼風窓に満ち眠りに落ちる老いの幸い今日の歌(2023.09.30)

  • 混ぜもの(申命記22章)

     ぶどう畑に二種類の種を蒔いてはならない。あなたが蒔いた種と、ぶどう畑の収穫全体とが、聖なるものとして取り分けられてしまうことのないように。(9) 蒔いた種が良い行いであろうと人の知恵であろうと、それが神から出たものでないなら人の不完全が混ざったことによって、聖い神への捧げものとはならない。主が「混ぜてはならない」と命じられるのは、罪人の目には汚れが見えないからである。 人の世では「結果良ければすべて良し」であるが、神が問うておられるのは完全なみことばへの従順である。それこそ唯一の聖なるものだからである。世では、みことばに聴き従うよりもっと効果的な方法は幾らでもある。みことばに少し人に寄り添う言葉を混ぜるだけで、多くの人に受け入れられ事はスムーズに進むものだ。 肉は霊に逆らうものであり、純粋なみことば信じ...混ぜもの(申命記22章)

  • 良い行い

     実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。(エペソ2:10) すべての人がイエス.キリストによって造られた時から、今日の良い行いはうちに備えられている。もし、私がキリストによって生きているなら、主の備えられた良い行いを生きていることになる。たとえその内容を意識していなくても・・。 良い行いとはみこころであり、主のご計画を生きることであって、キリストを告げ知らせる以上の良い行いはない。それはキリストがご自分の命と引き換えにして、準備してくださった永遠のいのちであるから。 わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むこと...良い行い

  • 血の責任(申命記22章)

    0 新しい家を建てるときは屋上に手すりを付けなさい。だれかがそこから落ちても、あなたの家が血の責任を負うことのないようにするためである。(8) これは限りある命に対して負う血の責任であるが、キリスト者が負う血の責任は、遙かに重い永遠のいのちに対するものであろう。屋上に手すりをつけるのは家主の責任であり、自分でそれを備える必要がある。しかし、キリストが流してくださった血潮によって、救われた者が負ういのちの責任は、みことばに従順することによって主が備えてくださる。人には負いきれないからである。みことばに従順するときにも聖霊の助けがある。 友人や家族の伝道さえも思うようにはならない。それは霊、魂の渇きによらなければ、飲むことができないいのちの水だから・・。「初めに神が選び・・」と言われた主の備えと聖霊の働きによ...血の責任(申命記22章)

  • 今日の歌(2023.09.23)

     彼岸花咲く頃行くと友ライン 「今です」と返信の写メ彼岸花今日の歌(2023.09.23)

  • 顔を火打石のようにする

     神である主は私を助けてくださる。それゆえ、私は侮辱されることがない。それゆえ、私は顔を火打石のようにして自分が恥を見ないことを知っている。(イザヤ50:7) 神に従順する者が傷つけられようとする時、その額は火打石のようになる。死にさえもキリスト・イエスによる勝利を持っており、主が彼らを強めて計画を成し遂げさせるので、事を妨げるものは何も無い。 火打石を打ち合えば火が出る、人に当てれば切り裂いて割礼を施す刃物ともなる。「面の皮が厚い」という言葉は恥知らずを言うが、主に在っては恥も外聞もなく、ただ、聴いたみことばに「アーメン」と言い、委ねられたことを行うのである。 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。(ヨハ...顔を火打石のようにする

  • あなたがたの日々が長く続くように(申命記22章)

     あなたの同族の者の牛または羊が迷っているのを見て、見ぬふりをしていてはならない。あなたの同族の者のところに、それを必ず連れ戻さなければならない。もしその同族の者が近くの者ではなく、あなたがその人を知らないなら、それを自分の家に連れて来て、同族の者が捜しに来るまであなたのところに置き、それから彼に返しなさい。(1~2) 「同じ民族なのだから互いに助け合いましょう。」というだけのことではなく、この命令は自分よりもずっと豊かな人を助けることもあり、「あの人よりはマシ」と思うことが救いになっている人の牛であったりもするだろう。助けるのは、それが神の愛される民のものだからであり、主を恐れて従順する信仰に拠ることである。 女は男の衣装を身に着けてはならない。また男は女の衣服を着てはならない。このようなことをする者は...あなたがたの日々が長く続くように(申命記22章)

  • エバの言葉に寄り添うサタン(創3章)

     さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」(1) 蛇は賢さをもって、神の愛の中に居るエバを誘惑した。サタンの使いである蛇がこのようなことを仕掛けるのは、神の愛を失ったものの激しい妬みからである。蛇は神の完全な愛の中に在るアダムたちを羨んで、自分たちと同じ目に合わせたいと、善悪を知る知識の木の側で待ち構えていたのである。神が警告された木に近づくことは危険である。 神の愛から切り離す方法がみことばの否定であることを、サタンは経験から知っている。天使であったサタンはみことばに従順せず、神のようになろうとして神の愛を失ったからである。エバを同じ道に引き込もうとした言葉は「神のようになる」であっ...エバの言葉に寄り添うサタン(創3章)

  • 親の愛に背く子(申命記21章)

     ある人が二人の妻を持ち、一人は愛され、もう一人は嫌われていて、愛されている者も嫌われている者もその人に男の子を産み、長子が、嫌われている妻の子である場合、その人が息子たちに財産を受け継がせる日に、長子である、その嫌われている妻の子を差し置いて、愛されている妻の子を長子として扱うことはできない。(15~16) 此処で思い浮かぶのはレアとラケル姉妹のことである。レアは父の貪欲な罠によって、望まれぬヤコブに与えられ夫の愛に渇く犠牲者であるが、親の犠牲でもある彼女を、神は祝福されて6人の息子が与えられた。 彼女は子を産むことによって、夫の愛を得たいと妹のラケルと競うが、レアは憐み深い神の愛を得ていたのである。このことに気づくなら安らぐことが出来たであろう。人の愛に渇く者は、ハラハラと見守っていてくださる神の眼差...親の愛に背く子(申命記21章)

  • 創造の目的、回復の備え(イザヤ43章)

     わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。(7) わたしのためにわたしが形造ったこの民は、わたしの栄誉を宣べ伝える。しかし、ヤコブよ、あなたはわたしを呼び求めなかった。むしろ、イスラエルよ、あなたはわたしのことで疲れ果てた。(21~22) わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(25)創造の目的、回復の備え(イザヤ43章)

  • 花嫁(申命記21章)

     奴隷であっても花嫁とする時には、その人格が妻として整えられる時間を与えて、夫には一カ月待つことを命じられた。全ての事の中で初めに主の導きに従うなら、そこには神の平和がある。 彼女をあなたの家の中に連れて行きなさい。彼女は頭を剃り、爪を切り、捕虜の衣を脱ぎ、あなたの家にいて、自分の父と母のため一か月の間、泣き悲しまなければならない。その後、あなたは彼女のところに入り、彼女の夫となり、彼女はあなたの妻となる。(12~13) 女性は自分のアイデンティティに思いを致し、その生まれに決別のための時間が与えられて嫁いで行くのである。其処には奴隷ゆえの縛りが在っても、真の神の愛と守りに出会う時である。 もしあなたが彼女を気に入らなくなったなら、彼女を自由に去らせなさい。決して金で売ってはならない。あなたはすでに彼女を...花嫁(申命記21章)

  • オリオン座み~つけた。(2023.09.09)

     3時過ぎに目が覚めて、窓を開けると冷やりとした風が流れ込んで来て、少し汗ばんだ肌にとても心地いい。夜空に目を向けたとき、立派なオリオン座を見つけた!感動してすっかり目が覚めてしまった。冬の星座と涼やかな夜風・・たぶんあれはリゲル・・これは、なんと贅沢な窓だろう・・。 今日は、久しぶりに良いお天気になりそう・・、暑い一日になるだろうけれど大丈夫。夕焼けに空が染まる頃には、また心地よい風が吹くだろうから・・、そうしたら何時ものウォーキングコースを歩こう。此処にも備えられていた静かな道を・・。帰ったら家中の窓をいっぱいに開けて、涼やかな秋風を楽しもう。やはり自然の風が好き。 でも、今年の夏は暑くて大変な中で、快適に過ごさせて頂いたのは、文明の利器エアコンと高断熱のおかげであることも事実。長生きするはずだ.・・...オリオン座み~つけた。(2023.09.09)

  • 主の御名によって祝福を宣言する者(申命記21章)

     あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられる地で、刺し殺された者が野に倒れているのが見つかり、だれが殺したのか分からない場合、あなたの長老たちとさばき人たちは出て行って、刺し殺された者から周りの町々への距離を測りなさい。(1~2) これは殺人罪を負わせられる危機、人は神の作品であり人を傷つけることは神に対しても重大な罪である。近くの者から、無罪が証明されるのは疑いが身近な者にかけられるからだ。 そして、刺し殺された者に最も近い町が分かれば、その町の長老たちは、まだ使役されたことも、くびきを負って引いたこともない雌の子牛を取りなさい。その町の長老たちはその雌の子牛を、まだ耕されたことも種を蒔かれたこともない、絶えず流れる谷川へ連れて下り、その谷で雌の子牛の首を折りなさい。(3~4) 誰のために...主の御名によって祝福を宣言する者(申命記21章)

  • 将来を守る主の命令(申命記20章)

     あなたが長い間、ある町を包囲して、これを攻め取ろうとするとき、斧を振るって、そこの木を切り倒してはならない。その木から食べるのはよいが、切り倒してはならない。まさか野の木が、あなたの前から逃げ出して包囲の中に入ってしまう人間でもあるまい。(19) 先だつみことばの確信によって事を初めても、一向に事態が動かない時がある。そのようなとき苛立って人間的な手段を講じて、手持ちの斧を力に任せて振るうなら、将来のために備えられたものを損なってしまう事がある。 私のたましいは夜回りが夜明けをまことに夜回りが夜明けを待つのにまさって主を待ちます。(詩篇130:6) キリスト者にはじりじりと身を焼くように、主の時を待たなければならないことがる。聖霊に示されたみことばに身を避けて、自分の計画について祈ることさえ口出しを禁じ...将来を守る主の命令(申命記20章)

  • 「われらの主」って誰の主

     「我が主」と「我らの主」大切なのは「我が主」私の主でなければ、我らの主ではない。その時、私は「我ら」を知らないのだから・・。「我が主、我が神」私が寂しい時、主も寂しいと気づかされた。私があなたを忘れていたから・・何億分の一であっても、神の愛は応答するもの。「われらの主」って誰の主

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