
俄――観阿弥と楠正成
歴史カデゴリーの『その16室町――【番外編】』で、能楽師の世阿弥と一休和尚の話を書いた。今一度そのときの「春やんの楠家系図」を示す。伊賀上野の上嶋家本『観世系図』に、能楽の観阿弥の母は〈河内国玉櫛庄橘入道正遠の女〉とある。この〈橘入道正遠〉という人物は、『尊卑分脈』の楠家系図によれば楠正成の父の正遠である。とすれば、正遠の女(娘)は正成の妹ということになり、観阿弥は楠正成の甥にあたることになる。だとすれば、すでにその当時から、南河内では能・狂言を見る機会があったのかもしれない。南朝と縁の深い大塔村に惣谷狂言が残っているのもなんらかの因縁が感じられる。当時の狂言は、一字一句もセリフを間違えてはいけない現代の狂言とは大きく違っていた。まだ台本が存在せず、おおまかな筋立てをもとに、大部分をアドリブで演じていたよ...俄――観阿弥と楠正成