「大阪府」の一覧
雨が降っていた。畔に咲く彼岸花が水滴をまとう。いつもより花が色濃く鮮やかに見える雨降りを狙って外出してみます。BLOGでは分かりにくいですが、花には雨露が...
地域タグ:富田林市
良い天気だったので、自転車散歩で錦織公園へ行ってきました。もうセリバオウレンは咲いていると思います。フクジュソウはまだかな。セツブンソウやユキワリイチゲはなかったと思いますが他に何かあればと思いましたが、ありませんでした。公園の入り口付近です。河内の里に到着。農家にしては立派な門が造られております。え~、扉を見ております。木製の立派な扉です。この丁番の装飾金物がよろしいですなぁ。寺か神社の門のよう...
地域タグ:富田林市
12オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
12月29日 知らなかった(@ストリーマーコーヒーカンパニー)
びーちゃんの実家のご近所にガソリンスタンド?? ほぼガソリンスタンドのままですがめっちゃカッチョいい!! おまけにワンコOKなんやて 行ってみよか✊…
地域タグ:富田林市
日清戦争(明治27年1894)・日露戦争(明治37年1904)に勝利した後、明治天皇が崩御1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日)。大正時代になってすぐに第一次世界大戦が始まる。戦争は4年間にわたって続けられた。ロシア、フランス、イギリスなど連合国と、ドイツ、オーストリア、イタリアの三国同盟との戦争である。日本は日英同盟を理由に8月、ドイツに宣戦布告し、ドイツの植民地だった中国の青島に攻めこみ大国の仲間入りを果たす。主戦場から遠く離れた日本は、輸出が急増し空前の大戦景気(バブル)がおとずれる。大正時代を一口で言えば「甘く辛く、楽しく苦しい」が混在した時代だ。春やんがよく歌っていた『うめぼしのうた』である。♪二月三月花ざかり、うぐいす鳴いた春の日の楽しい時も夢のうち。五月六月実がなれば、枝からふるいお...歴史32大正――創立50周年③
地域タグ:富田林市
――日本の歴史を考えるときは〈神仏習合〉〈神仏分離〉〈神社合祀〉というのを頭に入れとかんとあかん――これもまた春やんがよく言っていた言葉である。明治という時代は神と仏の大転換期だった。古来の日本では、岩や海、大木、大岩など様々なところに宿る神(国津神・地祇)を信仰する自然崇拝があった。それと、大和朝廷が編纂した「古事記・日本書紀」の日本神話に出てくる神々(天津神・天神)を信仰する神道があった。そこに、中国から伝来した仏教が加わる。この時、仏像を巡り崇仏派(蘇我氏)と排仏派(物部氏)との争いはあったものの、しだいに、神道と仏教を同一と見なすようになる〈神仏習合〉。お寺の中に神社があり、神社に仏像を置きお経をあげても不思議でない生活が1000年も続いていた。ところが、明治政府は(神仏習合)を禁止し(明治3年)...歴史32大正――創立50周年①
地域タグ:富田林市
明治31年3月、柏原~古市間が河陽鉄道によって開業。翌年5月河南鉄道が事業を継承し古市から富田林、河内長野へと線路を延ばした。その河陽鉄道設立に際しての「河陽鉄道株式会社目論見書(明治26年)」なるものが国立公文書館に残っている。その中にある計画当初の路線図である。点線が鉄道。よく見ると現在のルートとは違う。東高野街道(一部は旧国道170号線)の東側を通っている。あるいは石川の堤防沿いに通す計画だったのかもしれない。だとすれば、川面の浜あたりに駅があったことになる。太子町や河南町、広瀬(羽曳野市)の人々の便もいいではないか。だのに・・・オジャン!そらそやなあ・・・洪水の時は危ないで!ちょっといっぷく40幻の駅
地域タグ:富田林市
明治時代の話や。明治という時代がきて日本は大きく変わった。江戸時代は、土地の持ち主は領主のお殿さんで、その下に広い土地を持つ庄屋はんがいて、それなりの土地を持つ本百姓。それと、庄屋の土地で働く水呑み百姓とに別れていた。それが明治になって地租改正というのがあって、お殿さんはが無くなった(廃藩置県)。土地はその土地の持ち主のものになったんや。ええこっちゃないかいと思うやろけど、広い土地を持つ庄屋はんが大地主になって、それなりの土地を持つ本百姓が自作農家。それと、庄屋の土地で働く水呑み百姓が小作農家と名前が変わっただけや。それどころか、米で払っていた年貢を税金、お金で払えということになったんや。米を作って年貢を払うて、残った米でしゃぶしゃぶのオカイさんすすってコーコかじって自給自足してたとこへ、税金を払えや。現...歴史31明治――大深の一寸③
地域タグ:富田林市
冬休みに入ったばかりのある日のことだった。野球をしようということになって、前の日から人数集めをして、朝の9時に墓の横にある田んぼに集合ということになっていた。川面には公園はなく、広い遊び場は田んぼしかなかった。墓の横の田んぼは稲の株を短く刈っていたし、真四角で野球するにはもってこいだった。友達ニ、三人で墓につづく細い道を歩いていると、焼き場の煙突から黄色い煙がうっすらと上がっている。「誰か死なはったんやな。見に行こか」ということになった。墓で走って転ぶと死ぬという言い伝えがあったので、ゆっくり歩いて阿弥陀堂に行き、裏の焼き場をのぞくと春やんと二人のオッチャンがいた。オンボ(隠亡)という一晩中、火の番をする役目で、年寄りが交代でやっていた。冷ましている途中だったのだろう。釜の火はほぼ消えていた。喪主からの接...歴史31明治――大深の一寸②
地域タグ:富田林市
――歴史を考える時は当時の地形・地理を頭に入れておかんとあかん――春やんがよく言っていた言葉である。地形の変化は海や川・湖などの水の影響が大きい。鎌倉時代までの大阪がそうだ。上町大地の半島より東側は河内湖(後に河内潟)だった。それが淀川や大和川が運ぶ堆積物によってゆっくりと縮小していった。そして、江戸時代の大和川の付け替え工事(1703年)によってまた大きく変化する。川面の浜の剣先舟の水運が盛んになったのも大和川の付け替え工事のお陰だ。川面は東を流れる石川によって大きく変化する。江戸時代の石川は西の河岸段丘沿いに流れていた。明治の中頃に河南橋の上流に堤防が築かれ、石川は東寄りに流れを変えた。新田開発が行われ「裏脇」と呼ぶ田畑ができた。そして、石川に河南橋が架けられて新道(府道美原太子線)が出来たことで、石...歴史31明治――大深の一寸①
地域タグ:富田林市
【登場人物】母・兄=直三・弟=兼松下手(右)から商人姿の兼松が登場。兼松久々に川面の浜に帰ってきたがな・・・、やっぱり故郷はええなあ。とはいえ、大阪に出て商売人になるんやと言うて、家飛び出してから十年。直三の兄貴も、オカンも怒ってるやろなあ・・・。上手(左)からオカンが登場。もうろくして気が付かない。母せがれ直三の船大工の腕も上がり、剣先船の注文がようさんくるようになった。ああ、けっこなこっちゃ、けっこなこっちゃ。言いながら兼松の前を行き過ぎる(左へ)。兼松も、も、もし。母は振り向いて兼松を見るが気が付かない。母はあー?兼松もしもし。母♪カメよ♪・・・あんた、カメさん!兼松ちゃうがな。わしや。母ワシかいな。兼松ちゃうがな。オレオレ、オレや。母(びっくりして)ワシやのうて詐欺(サギ)やがな!(しゃがみこんで...俄――浜の人情兄弟
地域タグ:富田林市
下手から佐助が登場。祭衣装。法被を前であわせにして紐で縛っている。佐助(くたびれた様子)ああ……今日も一日が終わった。明治になって世の中が変わったけど、わしの暮らしは相変わらずの貧乏やがな。神も仏もあるかいな。さあ、さあ、帰って屁ーこいて寝よ。舞台の下手で寝る。上手から神様が登場。白のシーツを頭からかぶり、腰で帯を結んでいる。神様おい、佐助。おい、佐助。佐助(眠そうに目をこすり、ハッと気づいて)なな、なんやお前!神様神さんや。佐助神さん?間男してるとこを丹那に見つかって逃げ出した男にしか見えん。神様あほ言うな。おまえが神も仏も無いと言うさかいに、出てきたったんや。佐助ほんまかいな。神様ほんまや。佐助、毎日精出して、正直に働いとるさかいに、ええ目、見さしたろ。佐助ええ目に……ほんまかいな。神様よう疑うやっち...俄――川面の渡し最後の日
地域タグ:富田林市
【補筆として】明治22年、川面の浜の上流に河南橋の元となる仮の橋が架けられた。同時に新道や河南橋東詰めから太子街道につながる道が開通する。仮の橋は幅1.8m、長さ200mで、途中に車のすれ違い用として幅3.6mの待避所が設けられていた。このことで川面の渡しは250年の歴史の幕を閉じることになる。渡し舟の運営は次のようなものだった。・舟の新設および修繕は川面住民の負担とし、喜志全村より多少の補助をする。・舟の使用および保管は、川面住民より、一定の期限を決め、舟仲間と称する四、五人に請け負わせる。・舟賃は舟仲間が、近隣各村の一戸につき「船米」と称して五合もしくは一升の米を徴収し、その中から舟仲間の受け負い料として一か年一石六斗を川面に納め、請負料とし、残りおよび臨時収入は舟仲間の所得とする。ただし喜志村から船...歴史30明治――川面の渡し②
地域タグ:富田林市
瓦当ての事件があってから三日ほど経った日。学校からの帰りに春やんの家の前を通ると、春やんが自転車のパンクを直していた。大工はもちろん機械や電気なども自分で修理する器用な人だった。「パンクしたんかいな」と言うと、「可難こっちゃ、ほれ見てみ!こんな釘が入とった」3センチほどの曲がり釘だった。修理は終わっていたのか、空気入れを押しながら、「ほんで、みな仲ようやってるか?」「そらそや、僕ら川面のわたしなんやから」「わたし(私)?私と違うて舟で川を渡る渡しやで!」「わかってるがな、戦艦大和ほどある船やろ!」「解ってるやないかい。可難奴っちゃなぁ」「そやそや、聞こ聞こ思てたんやけど、河南町にあったら河南橋でええねんけど、喜志にあるのに何んで河南橋というねん?」「そんなん、簡単なこっちゃ。ちょっと待っときや」と言って春...歴史30明治――川面の渡し①
地域タグ:富田林市
この船溜まりに止まっていた舟というのは、長さ20m、幅2mほどの刀みたいに細長い舟あったから「剣先舟」というてた。その剣先船が20台ほどここに止まってた。この辺りはなあ「川面の浜」というて船着き場あったんや。太子(町)や大ヶ塚・森屋などの河南町。千早赤阪村。石川の上流の富田林・甲田・錦織などで採れた米・木綿・酒・油・材木なんかがこの川面の浜に集まってくる。それを剣先舟に積んで石川を下り、大和川に入って大阪の難波まで運んでた。帰りは、塩・肥料(干鰯)・荒物・大豆(千早の高野豆腐製造用)なんかを積んで石川を上って川面の浜で下ろされたんや。ほれ、そこ(北側)に工場があるやろ。あの辺りには「みやでん(宮殿)」と呼ばれた、国会議事堂ほどもある問屋さんがあったんや。(そらウソやろと思ったが、誰も何も言わない)道を挟ん...歴史29明治――川面の浜②
地域タグ:富田林市
河南橋の近くにある建具屋さんの材木置き場の空き地で「瓦当て(かわらあて)」をしていた。10センチほどの割れた瓦を拾ってきて、地面に立てやすく、投げやすいようにコンクリートでこすって加工する。グッパーで二つのチームに分け、5、6メートルほど離れた二本の線を引き、攻撃側と守り側に別れる。守り側は線の上に瓦を立てる。攻撃側がそれを瓦で倒す。全部倒すことが出来れば次のフェーズ(段階)に移って攻撃が続けられるが、一つでも残れば攻守交替になるという遊びだ。フェーズは、足の甲から始まって、膝・股・腹・胸・肩・額・頭に瓦を乗せて当てるるという具合にグレードアップしていく。攻撃側が、片手をグーにして胸にひっつけ、その上に瓦を乗せて当てるフェーズになった。攻撃側のコウンチャンがトモヤンの瓦をねらって見事に倒した。「あかん。胸...歴史29明治――川面の浜①
地域タグ:富田林市
【富田林市】江戸時代の街並みが広がる宗教自治都市・商業都市『寺内町(じないまち)』)
今回は近鉄長野線の富田林駅から歩いてすぐのところにある『寺内町(じないまち)』をご紹介します。寺内町は、奈良県橿原市の今井町と少し雰囲気が似ています。1558~1561年に真宗の寺院を中心として堀や土塁などで防御された宗教自治都市・寺内町が形成されたそうです。江戸
地域タグ:富田林市
三年ぶりの秋祭り。同じ村に住んでいても、しばらく会ってなかった人がかなりの人数。「ひさびさやなあ。どないや?」「まあ、ぼちぼちですわ」「そうか。そらよかった。気いつけや」と年配者から言われる祭り。校区の同級生とも久しぶりの再開。「おっ、久々やないかい。元気か?」「あかん。ぼろぼろや・・・では、祭りに来てないやろ!」「そやなあ。ほなら、また!」それで互いに通じるのが祭り。都市型の大きな祭りではなく、鎮守の森の昔ながらの祭り。それだけに、祭り=地域のコミニティー=結び=連帯を感じた久々の祭り。三年ぶりではなしに、やっぱり、年に一度の秋祭り。というわけで、久しぶりの記事投稿。そして、四日ぶりに、心身ともに癒えて、五日ぶりの畑仕事。里芋、赤芽大吉、小遣い稼ぎ。ちょっといっぷく37ぶりぶり
地域タグ:富田林市
JA大阪南様よりのご依頼で制作した「みなみちゃん10㎝ミニぬいぐるみ」を動画付きでご紹介!ぬいぐるみ制作を検討中の方は是非ご覧ください
地域タグ:富田林市
オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
123オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
123オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO興正寺別院気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
12345オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
「燈路コンサートin浄谷寺」(ピアノとサックスのコラボ)123オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
123オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
12オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PROアートフィルターのトイフォト気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
12オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
12オリンパス OM-D E-M5 MarkIII M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO気に入っていただけましたら、1日1回ポチッとお願いします。にほんブログ村...
地域タグ:富田林市
俄の発祥の一つとして、〔京都島原発祥説〕がある。江戸時代、井原西鶴『好色一代男』(1682年刊)の中にある太鼓持ちたちの思いつきの遊びを記した部分を俄の最初とするものだ。――道を隔てた数件の揚屋〔あげや=遊女と遊ぶ店〕の二階へ、太鼓持ちたちがそれぞれ上がり、おのおのが窓から姿を現して趣向を競う。揚屋丸屋の二階から恵比須大黒の人形が差し出されると、柏屋からは二匹の塩焼きの小鯛が差し出され、これを見て庄左衛門が瀬戸物の焙烙(ほうらく)に釣髭を付けて出す。今度は弥七が烏帽子をかぶって顔を出せば向かいの家から十二文の包み銭が投げられるという具合だ――。物で見立てた発想をつなげていく遊びで、答は次のようになろうか。恵比須様の人形(福の神)……塩焼きの小鯛(供え物)……焙烙に釣ひげ(大黒様の顔)……烏帽子(神官)……...俄――もんさくす
地域タグ:富田林市
現在、大阪府内で俄という芸能が残っているのは南河内の一部の地域だけだ。南河内という限定された土地に、なぜ俄が残ったのか。そのヒントとなるのが物流だ。図は大阪南部の江戸時代にあった主たる街道である。河内長野市にはほとんど俄が残っていない。河内長野市は南北に通る四つの街道の合流地点で、陸路で大阪とつながっていた。対して、河内俄が残っている地域は、大和川の支流石川の水運によって大阪とつながっていた。江戸時代、喜志村には剣先舟の船着き場(喜志の浜)があった。喜志より上流は水流が強いため、喜志の浜から富田林、河南町、千早赤阪村へと物資が運搬されていた。喜志の浜から米・木綿・酒・油・材木・綿花などを積み出し、石川、大和川を経て大阪へと運び、帰りは大阪からの塩・肥料(干鰯)・荒物・大豆などを積み喜志の浜に下ろしていたの...水が運んだ俄
地域タグ:富田林市
今、あたりまえのようにレタスを植えて食べている。ところが、ちしゃ=レタスの記事を書いていて、ふと思った。わしが、レタス、いや、生野菜=サラダを初めて食べたのは、いつあったんかいなあ?そう考えると、意外と新しいのではないかと思った。江戸時代までは「掻きちしゃ=チマサンチュ」を「ぬた=酢味噌あえ」あるいは「おひたし」にして食べていた。明治以降から太平洋戦争が終わるまで、様々な西洋レタスが入ってくるが、高級洋食店でしか食べられていない。一般家庭では野菜を生で食べることはなかった。食べるとすればキャベツの千切りくらいだった。肥料に人の糞尿(人肥)を使っていたからである。大正・昭和の小説家である長与善郎が、戦後十年ちかく経ったときに、当時の農民の不満として「天秤棒でカツグ二桶の人肥は一と握りの金肥に及ばざるが如し」...畑――レタス
地域タグ:富田林市
「見知る」ではない。「キュウリをみしる」である。れっきとした正真正銘の関西弁である。辞書には〈みしる=むしる(毟る)がなまったもの。=引っ張ってちぎること〉とあった。関西圏の周りの三重県や香川県では〈みしる=むしる=魚の身をほぐすこと〉とある。違う!草はむしる。「草むしり」で正しい。しかし、野菜はみしる(収穫する)。それが正しい。「金銭をむしる」のように「むしる」には良くない意味がある。だから、野菜に関しては「みしる」でなければならない。ちなみに、焼き魚の身は「せせる」である。ひたすら草をむしり、野菜をみしった八月も、もうすぐ終わる。二上山に昇る朝日を見ながら思ったことである。畑――みしる
地域タグ:富田林市
夜中に家に帰ると、外で誰やらかが呼ぶ声がかすかにする。なにかあったのかと恐る恐る外に出たが誰もいない。耳をすましてみるとかすかな声で「おーい、おーい」という声。声はどうやら庭の方からしている。行ってみると誰もいない。しかし、確かに声はする。鬼門にあたる所が草むらになっていて、声はそこからする。しかし、人影はない。地面・・・土の中から「おーい、おーい」。怖いもの見たさで10センチほど掘ってみると・・・。人・・・。人の形をした人参だった。中国の昔話である。中国、韓国で作られる薬用人参の根は人形をしている。『李時珍』には「人参其の根の人の形の如きは神の有るなり」とある。そこから人参は万病に霊験あらたかなものとして栽培された。『兼葭堂雑録』という本に、延享四年(1748)六月にシャム人(タイ人)が日本に持ってきた...畑――人人
地域タグ:富田林市
「ハテ、ハテ、ハテ」とつなげてオチにするのが河内俄だが、三つの「ハテ」は同じ調子ではない。「ハテ?」〈小さな疑問〉「ハーテ?」〈大きな疑問〉「ハテ!わかったわい。オチ」〈感嘆〉「ハテ」とツッコミを入れてオチをつける型が初期の大阪俄にあることから、河内俄が大阪俄に伝わったと結論したが、確証があるわけではない。一歩ゆずって、「ハテ」でオチをつけた大阪俄が南河内に伝わったとも考えられる。どちらにせよ、江戸時代の元文・寛宝の頃(1740年頃)には河内俄は存在していたことになる。「ハテ」でオチを付ける〈大名俄・狂言俄〉の後に〈そりゃなんじゃ俄〉が登場する。〇白い障子紙を貼った行燈(あんどん)をすっぽりとかぶった男が三人ほど、仰向けに寝ている。一人が出てきて、「そりゃなんじゃ」とたずねると、中から「フカのかまぼこ」〈...俄――ハテ?ハーテ?ハテ!
地域タグ:富田林市
大阪俄が生まれる前から、南河内には素人による狂言を真似た芝居〈物真似狂言〉が行われていた。もちろん、南河内に限らず全国各地に存在していただろう。出雲の阿国は三十郎という狂言師を夫に持ち、それに傳介(でんすけ)という狂言師くずれの男が加わり、三人で狂言仕立ての芝居を踊りの合間に入れていたという。しかし、オチはなく、最後は座員全員の総踊りでしめくくっていた。念仏踊りや風流踊りに〈物真似狂言〉が加えられたものが〈歌舞伎〉になる。〈物真似狂言〉にオチがつくと〈にわか〉になる、河内俄の一例を紹介する。銭形平次(平)・子分の八五郎(八)・男右手から男が出てくる。真ん中で突然苦しみだす。見ると胸に包丁が刺さり血がたらたらと流れている。男は中央で一分ほど苦しみ、バタと欄干に顔を乗せて、死んだように倒れる。そこへ、平治の子...俄――ハテ!わかったわい!
地域タグ:富田林市
歴史カデゴリーの『その16室町――【番外編】』で、能楽師の世阿弥と一休和尚の話を書いた。今一度そのときの「春やんの楠家系図」を示す。伊賀上野の上嶋家本『観世系図』に、能楽の観阿弥の母は〈河内国玉櫛庄橘入道正遠の女〉とある。この〈橘入道正遠〉という人物は、『尊卑分脈』の楠家系図によれば楠正成の父の正遠である。とすれば、正遠の女(娘)は正成の妹ということになり、観阿弥は楠正成の甥にあたることになる。だとすれば、すでにその当時から、南河内では能・狂言を見る機会があったのかもしれない。南朝と縁の深い大塔村に惣谷狂言が残っているのもなんらかの因縁が感じられる。当時の狂言は、一字一句もセリフを間違えてはいけない現代の狂言とは大きく違っていた。まだ台本が存在せず、おおまかな筋立てをもとに、大部分をアドリブで演じていたよ...俄――観阿弥と楠正成
地域タグ:富田林市
遠くへ撮影に行くには時間がなかったのですが、少し出かけてみたくて。。苦手意識もり普段あまりこういう光景を撮影することは少ないのですが、この日は運動不足解消...
地域タグ:富田林市
前に使っていたパソコンのデーターを整理していると、懐かしいのが出てきた。我が町の地車新調の入魂式で上げた「口上」の原稿である。普通に上げれば5分もかからないのだが、例によって(昔は30分ほどやったことがある)、改行部分ごとに余計なアドリブが入るので、15分ほどやっただろうか。猛暑の暑気払い、疫病退散に、思い出・記録として残しておく。東西、東西と鳴り物をばうち鎮めおき、一段高こうはございまするが、不肖私ええ歳こいて、不弁舌なる口上をもって申し上げます。富田林は広いとこ東にいただく金剛山。西に長きは羽曳丘陵。平尾の峠で東を望めば、朝日が昇る二上山。南の方(かた)には喜志の宮。北の方には平・尺度。峠下れば、外環状。並んで走る近鉄電車。新家、喜志駅打ち過ぎて、商店街をちゃらちゃらと、高野街道横切れば、左に木戸山、...入魂式口上
地域タグ:富田林市
この日は大阪も冷え込んだ。本当は奈良方面に行きたかったのだが、時間的な制約もありホントの地元で撮影を・・地元とは言え、実はあまり地元で早朝の撮影をしたこと...
地域タグ:富田林市
【富田林市宮町】通称喜志の宮さん・御山がご神体の『美具久留御魂神社』裏山には古墳群も
今回は大阪府富田林市に鎮座する『美具久留御魂(みぐくるみたま)神社』をご紹介します。子供の頃縁日に訪れたことがある思い出の神社ですが、久しぶりに連れて行ってもらいました。喜志の宮さんという愛称で親しまれている美具久留御魂神社は近鉄線貴志駅が最寄りの神社で、
地域タグ:富田林市
やまみこんにちは、やまみ(@yamaminokurashi)です。 ご飯を食べ始めるとさらにお腹が減ってきて困っています。大阪府富田林市にあるラーメン屋さん「新屋台大我」に行ってきました。車での移動中に近くのご飯屋さんを調べてみると何や
地域タグ:富田林市
「私は今、壁にぶつかっている!」「仕事を進めたいけれど、邪魔が多くて全然進まない!」 みなさんは、仕事の中でぶつかる「壁」とどのように向き合っていますか?もしかしたら、「壁」に心を折られたり、向き合うことをやめた人もいるかもしれません。 私も今まで、仕事を進める中で様々な「壁」にぶつかってきました。最初は、何度も「壁」に押し潰されそうになりながら仕事を進めていました。その中で、自分なりの「壁」との向き合い方や乗り越え方を見つけることが出来ました。 では、それはどのような方法でしょうか?今回は、私が仕事で壁にぶつかった時の5つの乗り越え方について、ご紹介します。 「壁」をどのように考えるか? ま…
地域タグ:富田林市
地方公務員試験の面接対策!人物・人柄重視の面接試験で生き残るために意識してほしい4つのこととは?
「面接対策で気をつけた方が良いことはありますか?」「面接試験の時に気をつけていたことは何ですか?」 地方公務員志望の学生から、一番よく聞かれる質問の一つです。私は地方公務員になる前に公務員試験専門学校へ通い、また、現役の地方公務員との対話を通じて、面接対策として意識しておきたいことを教えてもらいました。その内容は、今でも変わらず面接試験の大切なポイントです。 では、どのようなことでしょうか?今回は、地方公務員試験の面接対策で意識してほしい4つのことについて、ご紹介します。 これからの地方公務員試験は、より面接対策が重要になる! 地方公務員試験は、年々、面接試験による人物・人柄重視となってきてい…
地域タグ:富田林市