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日時:令和5年9月1日 20時00分ごろ 住所:岐阜県揖斐川町上野 状況:クマ1頭の目撃情報 現場:岐阜県道254号藤橋池田線(揖斐川ふれあい街道) ※揖斐川特設カヌー競技場付近 ------------------------ 日時:令和5年9月2日 14時40分ごろ 住所:岐阜県高山市朝日町上ケ見 状況:成獣のクマ1頭の目撃情報 現場:飛騨川の河川内 ※のらマイカー・上ケ見公民館横バス停付近 -----------...
天正13(1585)年、内ヶ嶋氏里が佐々成政を助けるために越中に出兵し、留守となった領地に、豊臣秀吉の命を受けた越中大野の金森長近が攻め込みます。金森は同年8月、南の要衝の内牧戸城を陥落させ、氏理は急遽帰国しますが、領民もすでに金森に従っていて、降伏を迫られま
テレビ愛知の特集番組では、山城跡の南側の高台で発掘を行い、これまでに木片や馬の骨、金属片などが出土しています。ただ、発掘場所が居館の近くなら、人骨や建材が大量に出てこなければおかしいので、どうも別の場所のようです。土地を掘削するためには地権者の許可が必要
帰雲城跡と見られる山城跡を訪ねました。国道156号の近くなのですが、東側(国道側)はかなりの急斜面で、直接登るのは難しいです。山城跡のすぐ南にauの無線局とステンレスパネルタンクがあり、そこからさらに南の砂利プラント工場近くまで、車両用の山道が造られているの
白川郷埋没帰雲城調査会の会員が、帰雲川原と呼ばれた地区の山の上で遺構のようなものを見つけ、中世・近世の城郭研究を専門とする中井滋・滋賀県立大名誉教授が、竪堀や掘切の存在を確認し、山城跡であるとのお墨付きを与えたのです。標高622mの地点で、地震による山津波の
岐阜県白川村保木脇の国道156沿いには、帰雲城埋没地という看板を掲げ、帰雲城址と記された石碑や観音像、帰り雲神社の祠が整備された一角があります。帰雲城はこの場所にあったのかと誤解しそうですが、採石業を営む会社の社長が、帰雲城の武将が夢枕に立ったことから、地元
中部地方の埋蔵金伝説の中ではたぶん、前野小平治の埋蔵金と並んで有名な岐阜県白川村の帰雲城(かえりくもじょう)の埋没金をリポートします。名古屋から車で2時間半の距離で、日帰りも十分可能ですが、全国旅行支援を使って1泊2日のお宝さがしツアーに出掛けました。帰
今日は【飛騨国】の 帰雲城(向牧戸城・荻町城)について、またその周辺の白川郷も合わせて紹介したいと思います。 帰雲城は、内ヶ島氏3代(※4代とも)が室町時代から戦国時代にかけて今で言う荘