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11年前定年退職したとき、OB会の誘いがあった、正直迷った、同調圧力みんな一緒主義を感じながらも結局入らなかった、しがらみのない組織はない、だからもう会社の延長戦にある人間関係から解放されたかった。 若いときは考え方が違ってもつきあえるもの、ビジネスの社会では当然のことだった、ただ退職すると基本的に考え方の違う人と無理してまでつきあいたくはなかった、他人の評価にふりまわされながら生きてきた現役時代、年齢とともにそれが希薄化していく、そして他者の存在も希薄化していく。 このコロナ禍で誰かと会って話すこともなくなった、特に会いたいとも思わなくなった、もうかつての人間関係に執着しない、新しい生き方を始めるのに遅いことはないと思っている今日この頃である。かつての人間関係に執着しない生き方
新聞の投稿欄に掲載された65歳男性の記事に注目した、3年前に定年退職になり会社のOB会に参加したときのことである、初めて参加したOB会、自己紹介と近況報告で「今は妻のアッシーで買い物、家事も手伝いますがいつも怒られてます、今では妻が私の上司です」といったところ、かつての上司が「情けない男だな、昔とちっとも変わらないな、家事なんか女房に任せとけばいいんだ」と見下すようなことを満座の前いわれ悔しい思いをしたことを書かれてた、そしてその上司が会を仕切る人だっただけにその後退会したという。 すでにリタイヤしてるのに日本の縦社会の悪いところである、かつての上司が元部下にえらそうにしてる、本来ならば仕事上の序列にすぎないものがなぜか人間そのものの序列になっている、中には人との関係が上下しかありえないと思っているランク...65歳男性にとって屈辱的な出来事
わが社のOBと現役の集まりが強行開催! OB会→会員に訃報のお知らせが届くことぐらいしか活動実態が無いので?訃報会とも呼ばれる。それを富豊会と言い替えると勝…