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アフリカ小僧、隠居日録 https://dokushocafe.hatenablog.com/

長きにわたるサラリーマン生活の後、ようやく手に入れた自由時間。 自由人になったアフリカ小僧が、読み、書き、歩いて、ブログを続けます。お時間ある時、「アフリカ小僧、隠居日録」にお立ち寄りください。

アフリカ小僧
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2023/02/10

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  • いかれ帽子屋、なんでもない日、おめでとう!

    子育て真っ最中の時、ディズニーのビデオ「不思議の国のアリス」を繰り返し子供に見せていた。一緒に見ているうちに、親もいくつかの場面を覚えてしまった。その一つが、「いかれ帽子屋」が登場する場面。 まず、名前が気に入った。「いかれ帽子屋」だ!めちゃくちゃな男で、めちゃくちゃな歌を歌う。 「何でもない日おめでとう!」を繰り返す。そしてお茶で乾杯をする。お誕生日はたった一日で、残りの364日は「なんでもない日」だ。でもいいじゃないか、なんでもない日に乾杯しよう。 乾杯好きの小僧の頭に残った、「不思議の国のアリス」の名場面は、いかれ帽子屋の「なんでもない日、おめでとう!」だ。 小僧の毎日は、それこそ「なん…

  • 雑誌と映画のクロワッサン

    前号で、モロッコの「ポール」での朝食セットを紹介した。朝食のクロワッサンとカフェオレは、平和と穏やかな暮らしの象徴であるとも書いた。小僧のホントの気持ちです。 クロワッサンに対して持っているこうしたイメージは、小僧だけのものではないようだ。その証拠に、人は雑誌や映画のタイトルに「クロワッサン」を使ってきた。 まずはご存知、雑誌「クロワッサン」だ。小僧の世代は、その誕生の時から知っている。おしゃれで健康的な読者がファンとなったし、今もそうだと思う。 2023年2月25日号は、「おうちで楽しむパン案内」、もちろんクロワッサンも取り上げられている。 「クロワッサンで朝食を」というタイトルの、パリを舞…

  • クロワッサンとカフェオレ

    前号で、パリのクロワッサンの話を書いたら、急にモロッコで食べていたクロワッサンを思い出した。 モロッコに滞在していた時、週末には、「ポール」で朝食をとることがあった。そう、今や日本でも有名な、あのフランスのパン屋「ポール」です! 近所のスーパーの二階にイートインのコーナーがあり、タイ料理屋、ハンバーガー屋とならんで、「ポール」が出店していた。 今の小僧にとっては、金額的にも贅沢品となった「ポール」のパンだが、モロッコではもう少し手軽に食べることができた。小さめのパン三つ、カフェオレ、ミネラルウォーターから成る朝食セットがお気に入りだった。パンもカフェオレもうまかった。 出来立てのクロワッサンや…

  • チーズにワイン、クロワッサン、鈴木信太郎全集 第五巻 随筆

    今回読んだ本は、グルメ本ではない。日本のフランス文学研究の先駆者、鈴木信太郎の全集第五巻(随筆)である。そもそも、鈴木信太郎とはだれか? 1895年(明治28年)東京に生まれ、1970年(昭和45年)、84才の長寿を全うしたフランス文学者である。1920年以降、フランス文学の研究者、教育者として、大学で勤務を続けた。 フランス滞在は、1925年(大正14年)、パリでの1年あまりの私費留学と、1954年(昭和29年)3か月ほどのフランスとベルギーへの公務出張である。 あらためて、鈴木信太郎のフランス滞在期間を調べて、1年半という短さに驚いた。というのは、全集第五巻に収められたフランス文学のみなら…

  • 私のパリ

    パリについて書かれた本は多い。小僧もいくつか読んできた。どれもいい本であった。なにしろ題材がパリ、間違いない。食材に金をかけた料理のようだ。 いまでこそ、「掃いて捨てるほど」あるパリ関連の本だが、1970年代にはまだまだ貴重なものであったのではなかろうか?河盛好蔵が、精力的に新聞や雑誌に自らのフランス留学やフランス関連のお話を書いたのも、そんな1970年代であった。 そもそも河盛好蔵(かわもり よしぞう)とはだれか?1902年に生まれ、2000年に97才で亡くなった長寿の文学者である。フランス文学研究者であり、評論家であり、随筆家でもあった。一言で言えば、、、いや一言で言えない多様な顔を持つ人…

  • 日仏合同対満州投資調査と「海外で戦う人々」

    1933年9月9日の東京日日新聞に、日仏合同の対満州投資調査が行われたとの記事が載っている。ネットで公開されている神戸大学経済経営研究所の新聞記事文庫のおかげで読むことができました。感謝。 満州での日本の権益を確かなものにするため、日本は国際社会の支持を取り付けるための様々な動きをしていた。その一環でフランスを巻き込むための日仏合同投資調査だったようだ。記事には次のように書かれている。 「英国が極東において反日的政策を露骨化しつつあるに反し仏国が満州おける日仏接近の実行計画を進めて来たことは頗る興味を惹きつつある」 さらに満州に対し、好意的な態度を表明するフランスの著名人として、前号で取り上げ…

  • アンドレ・モロア著「リヨテ元帥伝」、モロッコの保護領化を進めた軍人の戦略とは

    前号で、漂流怪人・きだみのるが、フランスはどのようにして保護領モロッコを治めているのか調査し、それを「モロッコ紀行」にまとめたという話を書いた。きだは、多くのフランスの軍人と面談し、彼らの発言を「モロッコ紀行」に記録した。 モロッコ各地に駐留するフランス軍の将校が共通して言っているのは、軍事力だけでモロッコを支配することはできないということだ。モロッコ人の暮らしの改善を進めることが、モロッコ支配には不可欠であるという考え方だ。 具体的には、フランスが、医療、農業、水問題などの改善事業を各地で進めていることが、「モロッコ紀行」で書かれている。いわば、軍事と民生のハイブリッドな取り組みである。モロ…

  • 嵐山光三郎著「漂流怪人・きだみのる」が、モロッコと満州の関係を教えてくれた

    山田吉彦(後の、きだみのる)著「モロッコ紀行」には、前号で取り上げた名誉領事、アンリ・クローズと山田の出会いの場面が次のように書かれている。 「商業会議所会頭の選挙戦に乗り出しているクローズ氏を市場の前の事務所に訪ねる。彼は、これを見てくれと一つの紙片を差し出す。見ると「日本の走狗クローズを倒せ」という冒頭で始まる人民戦線派のビラである」 クローズは、日本から頼まれて名誉領事になったのだが、日本とモロッコのために動くクローズを敵とみるフランス人もいたのだろう。フランス、ドイツ、米国、英国、日本など各国は、アジア、太平洋地域、アフリカなどで支配地域を拡大するため、争ったり、手を結んだりしていた時…

  • 1939年、モロッコのフランス人の日本訪問

    1933年から1937年まで、カサブランカで日本の名誉領事を務めたフランス人、アンリ・クローズは、1939年、日本を訪問した。Nippon Foreign Trade Federation(海外貿易会)の招待だった。 もともと、クローズは名誉領事に任命される前から、カサブランカで貿易商として活動していた。クローズの日本への招待は、日本政府や商社など民間企業が、モロッコとの貿易促進に役立つと考えてのことであったのだろう。そこには、4年間、名誉領事として勤めたクローズへの日本側からの感謝の気持ちもあったのかもしれない。 クローズは、まずマルセイユに渡り、そこで夫人と息子を同伴して、日本郵船の榛名丸…

  • モロッコでのフランス語

    モロッコ王国の憲法では、国語はアラビア語とベルベル語と決められている。ベルベル語というのは、北アフリカに暮らすベルベル人の言葉である。モロッコにもベルベルの人たちがいる。高速道路の表示なども、アラビア語とベルベル語で書かれている。 他方、フランス語もモロッコ国内でよく使われている。小僧は、モロッコに滞在していたことがある。その間、アラビア語もベルベル語も話せなかったが、まったく不自由しなかった。と、言うのは、モロッコではフランス語が通じるのである。 モロッコは、1912年から1956年まで44年間、フランスの保護領であった。この44年間、フランスの支配下にあった結果、モロッコにはフランス語が残…

  • シャンペンの泡の力

    気持ちいい時、シャンペンを飲む。さらに、気持ちよくなる。 祝いたい時、シャンペンを飲む。お祝いの気持ちが、さらに大きくなる。 シャンペンは、めでたいお酒です。幸せのお酒です。少なくとも、私にとっては。 ふさぎこんだり、不安な時、シャンペンは、飲みません。 前号で、「ツァリーヌ」という名のシャンペンを飲んだお話を書いた。何か、いいことがあったのか? 実は、その日、一年ぶりの健康診断の結果が、地元のかかりつけ医?から郵送されてきた。恐る恐る、診断結果を見てみれば、まずまずの結果でありました。 健康状態は完ぺきではないが、なんとかコントロールできる程度であり、前回から特段悪化もしていませんでした。 …

  • 久しぶりにシャンペン

    久しぶりにシャンペンを飲んだ。 高島屋のカタログに載っていたお買い得シャンペン3本セットの最後に残った1本。 ラベルにはツァリーヌTSARINEとあった。シュワーと泡立つシャンペンをグビッ、、う、うまい! きりっとした辛口で、ほのかに果実の香りと味がする。初めて飲んだが、実に飲みやすく、きりっとした美味さがある 19世紀、フランスのシャンペンの主要輸出先であったロシアの皇帝の称号、「ツァーリ」にちなんだ名前のようだ。 「シャンペン」ではなく、「シャンパーニュ」と言えば本場感が倍増すると感じるのは小僧だけ? 今や、国際社会で評判を落としたロシアだが、小僧は10代の終わりに、ドストエフスキーやトル…

  • 民衆蜂起を鼓舞する紙幣

    親戚の年寄りが施設に移るため、古い家の片づけをしていたら、星の王子様が刷られた旧フランス50フラン紙幣が出てきたことは、前号に書いた。 それと一緒に出てきたのが、今回紹介する100フラン紙幣である。こちらも、星の王子様紙幣と同様、ユーロ導入後回収され、今や市場では紙くずである。 1830年7月革命で蜂起する民衆を導く自由の象徴の女性とこれを描いた画家、ドラクロワ。 この紙幣もすごい。革命に蜂起した人々を導く、胸のはだけた勇敢な女性の姿を紙幣に刷っているのだ。 この100フラン紙幣から、フランスの様々なシーンで見たり、聞いたりする「自由LIBERTE、平等EGALITE、友愛FRATERNITE…

  • 星の王子様の紙幣

    かつて、フランスの紙幣に、星の王子様とアフリカの地図、作者サンテグジュペリの顔が印刷された50フラン札があった。 ユーロ紙幣の発行の後、回収されて今は使われていない。 親戚の年寄りが施設に入るというので、家の中を整理していたら、その50フラン紙幣が出てきた。 かつてフランスで使われていた星の王子様が印刷された50フラン紙幣 お国柄とは言え、おしゃれな紙幣である。 星の王子様、アフリカと地中海とヨーロッパの地図、それに星の王子様の著者、サンテグジュペリの顔が刷られている。親戚の年寄りは、フランス旅行で手に入れたこの紙幣をかわいいと思って、大事に保管してたと思われる。 それにしても、なぜフランスの…

  • 山田吉彦著「モロッコ紀行」その2、初代カサブランカ領事、勝田直吉氏

    今やモロッコには、四百人前後の邦人が滞在するようだが、山田吉彦がモロッコを旅した昭和13年(1938年)ころは果たしてどうだったのか? 「モロッコ紀行」には、現地で出会った数名の日本人のことが書かれている。そのひとりが、昭和12年(1937年)、外務省が派遣した勝田直吉領事である。日本政府が初めてモロッコに派遣した外交官である。 モロッコを訪れる日本人が少なかったためか、勝田領事は旅人、山田吉彦をカサブランカのレストランに招待し、もてなした。その時のことが、「モロッコ紀行」に記録されている。 「食事の終わり頃、勝田領事は魚介が多いここの料理にも不満そうに云うのであった。 -どうして外国人は豆腐…

  • 山田吉彦著、モロッコ紀行

    小田光雄氏は、助六あこがれの読書家でかつ古書店専門家である。その小田氏が「古本夜話」というブログで、「山田吉彦とモロッコ」という文章を書いている。 「写真も収録されていると思われる日光書院の「モロッコ紀行」は長きにわたって留意しているけれど、入手できていないし、未見のままである」 山田吉彦を知っている人は少ないが、「きだみのる」と言えば、高齢者であれば知っている人も多いだろう。同一人物である。 助六はひょんなことから、この貴重な「モロッコ紀行」を入手した。 昭和18年(1943年)12月25日、日光書院から3千部発行された「モロッコ紀行」表紙 奥付の著者略歴には、次のように記されている。 慶応…

  • 初めての写真投稿、できたでしょうか?

    今日も助六寿司を食べました。 海苔巻き、太巻き、いなり寿司からなる助六は、平凡だけど存在感あり 平凡なのに飽きない。派手じゃないのに、存在感がある。助六のようになりたいが、まだまだ修行が足りません。せめて、ブログのタイトルとニックネームに助六の名前を借りて、夢をかなえました。

  • 読書カフェ、開店

    2023年2月7日火曜日、夕方6時、読書カフェ開店しました。 店主の助六(すけろく)です。 読んだ本について、紹介、感想などを書いてゆきたいと考えています。 読書以外、散歩や町の観察なども織り込んでゆきます。 お暇な時に、お立ち寄りください。 どうぞよろしくお願いします。

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