今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
当ブログは、近年着物に興味を持つようになった着物初心者さんや若い世代向けに書いているブログです。 着物の知識・情報のメモ&お買い物&着物ファッションをアルバム風にまとめてみました。
92歳のお婆さんの話 赤=富と権力、紫=高貴な色で慶弔両用、ピンクに性的なイメージはなく、戦前は「桃色」「薄い赤」と呼んだ
前回からの続きで、92歳のお婆さんのお話です。 赤の話の続きと、紫色とピンク色のイメージについて聞いてみました。お婆さん:「私の中では、赤い垂れ物に関しては、若向きというよりも富と権力の象徴で、上流階級が着る色というイメージだよ。 垂れ物を着る人の間だけで、真っ赤な着物は若い世代が着るものというイメージがあるのは何となくわかるけどね。 赤色は目の覚めるような真っ赤は若い人が着るけど、裕福な人は年...
92歳のお婆さんの話 赤には「魔除け・厄除け」「お祝い」のイメージがある
今回も、92歳のご近所のお婆さんのお話です。 色のイメージや呉服の世界で言われている色と年齢について聞いてみました。私:「以前、お婆さんの世代は、もう色と年齢の色彩感覚は自然には持っていないというお話でしたが、呉服の時だけ特別に色と年齢という決まりごとがあるという話については、聞いたことありますか?」お婆さん:「以前も聞かれたけど、年配になったら地味にしないといけないだとか新しいのを買わない...
92歳のお婆さんの話 ドラマ『トットちゃん』からわかる田舎と都会の違い。戦時中は都会でも衣服に色彩がなかった。
今回も、92歳のご近所のお婆さんのお話です。 『トットちゃん』のドラマでは、都会と田舎の時代感覚の違いや色彩感覚の違いが、衣服でさりげなく表現されているようです。トットちゃん第21話http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?c1=&ch_userid=keigoo&prgid=55332715より 私:「『トットちゃん』の第21話で、青森に疎開する回で、東京ではみんな洋服を着ていたのに、東北ではまだ藍染の木綿着物でした。 ...
92歳のお婆さんの話 戦前は洋服のほうがオシャレだった。戦前の自転車とミシンの話。
今回は、92歳のご近所のお婆さんのお話シリーズです。(※登場人物の年齢は2018年現在で固定しています) 戦前は、裕福な家から洋装化が進み、洋服を着ている人はとてもオシャレなイメージがあったそうです。 私:「洋装が普及してきた時はどんな雰囲気でしたか?明治以降、上流階級から先に洋装になっていったと本に書かれていました。戦前は洋服のほうがオシャレなイメージでしたか?」 お婆さん:「うん、戦前は上流階級か...
友禅と水質の関係。京都のキレイな軟水がキレイな友禅を生んだ!?鮮やかで澄んだ発色は軟水から。
今回は、友禅と水の関係についてのお話です。 過去記事でも触れましたが、呉服の世界では、昭和後期~平成前半にかけて、「草木染めの渋い色こそ日本的色彩感覚だ」「地味で控えめな色柄こそ正統派の高級呉服らしい色だ」「日本人なら草木染めの淡い色・渋い色を美しいと感じるべきだ」というおかしな言説が流布されていたようです。 これについては、戦後の1970~90年代の洋服ファッションで、アースカラー(地球の自然を表す...
紗合わせの話とお買いもの@大阪 紗合わせは、着物と道行では着る時期が違う?
前回に続き、今回は紗合わせとお買いものの話です。 着物の紗合わせについては、現在は単衣と同じ扱いにしているということがわかりましたが、紗合わせの道行や羽織についても着用期間が諸説あり、着物とは着る時期が違うようです。 前記事の1970年代の『美しいキモノ』では、無双(≒紗合わせ)の羽織について、昔の良家の奥様が5月頃に着ていたという伝聞を紹介していました。 次に、大阪の店員さんに紗合わせの道行につい...
着物に伝統のあるものは少ない? 紗合わせは事実上戦後に商業的に作られたもの。着用時期は「2週間しか着れない」から「単衣と同じ」にちゃっかり変化。
今回は、「着物に伝統のあるものは少ない?」シリーズの初回で、紗合わせの着物と着用時期に関するお話です。 ↑紗合わせの着物。画像はネット上より拝借しました。 紗合わせは二重紗ともいわれ、絽と紗を二枚重ねにしたり、紗と紗を二重重ねにしたりして、透け感やモアレを楽しむ着物のことです。 近年の『美しいキモノ』によると、大正時代に極一部の人が着ていたものが東おどりで紹介され、玄人さんから一般に...
92歳のお婆さんの話 木綿着物の単衣と袷の話、白い絣は夏物のイメージがある
今回は、庶民の衣服事情と、白糸の入った絣の話について掘り下げていきます。 92歳のご近所のお婆さんによると、戦前までは、普通の家の人は袷の木綿着物を持っておらず、年中単衣でやりくりしていた人も少なくなかったそうです。私:「前回、袷の木綿着物は洗うのが大変なのと、布量が多いのでそれなりに贅沢なもので、何枚も木綿着物を持っている裕福な人が、冬場~春に袷を着るというお話でした。 袷の木綿着物は、そのまま...
今回も、92歳のご近所のお婆さんのお話です。 田舎好みと20に80着物のシリーズで少し触れましたが、着物の世界では、都会と田舎では色彩感覚が全然違い、江戸時代の封建制と奢侈禁止令の影響で、「都会=派手、田舎=地味」というのが暗黙の常識となっているようです。(詳しくは未来記事→田舎好みと20に80着物/ 農村はオシャレはご法度。労働着が中心で色のない地味な世界。 / 赤を禁じられていた農民階級、田舎の呉服屋で...
92歳のお婆さんの話 藍染の木綿着物は綿を栽培して自家織りしていた。
今回も、ご近所の92歳のお婆さんのお話です。 お婆さんが小学生6年生になるまでには田舎でも洋装化が完了していたそうですが、それまでは庶民の着物といえば藍染の木綿着物のことで、その調達は、太物屋で反物を買ったり、畑で木綿を栽培して自家織りしていた人も多かったそうです。私:「普通の家の人は藍染の木綿着物しか着れなかったということですが、木綿の着物はどこで買ったのですか?」 お婆さん:「反物で買う人は太...
92歳のお婆さんの話 親族が経営するモスリン工場と木綿の紡織工場、戦前の庶民の布事情
今回も、ご近所の92歳のお婆さんのお話です。 お婆さんの親族には、名古屋でウールの紡績工場や木綿の紡織工場を経営している方がおられたので、戦前のモスリンや木綿着物の話や庶民の布事情について伺うことができました。 お婆さんによると、戦前からウールも木綿布も主に洋服生地向けの需要が増えていて、着物向けの生産は減っていたそうですが、それでも戦前はウール着物(=着物のモスリン、ポーラ、セルは全て毛織物)や...
92歳のお婆さんの話 お母様の着物の色柄、お婆さんの世代は色と年齢の色彩感覚は自然に持っていない
前回から続き、今回も92歳のご近所のお婆さんのお話です。 大庄屋の娘だったお母様は、戦前どのような着物を着てらしたのか聞いてみました。 私:「お母様はどんな着物を着ていましたか?」 お婆さん:「母の着物は、大柄の花柄とか毬の柄が好きで、戦前の着物はとにかく華やかだったよ。 そうだねぇ、あなたの見せてくれた大正ロマンの本でいうと、この柄とかこの柄とかが母の垂れ物とそっくり。戦前の着物はとにかく華やか...
92歳のお婆さんの話 富岡製糸工場と親族の製糸工場と呉服屋の話
(前記事からの続き) お婆さんの父方の本家は、製糸工場や呉服屋やよろず屋や茶園や農業や漁業など多角的に経営していた経営者一族だったそうで、富岡製糸場の話についても教えてくださいました。お婆さん:「今はないけど、私の育った市町村には、何軒か絹糸の製糸工場があって、それは富岡製糸場で勉強して帰ってきた人が製糸工場を作ったのが始まりなんだよ。 そのうちの3軒の工場については、父方の親族が経営していたから...
92歳のお婆さんの話 大庄屋のご家系の戦前の着物の話/戦前に絹物を着れる人は極一部の人だった。
今回は、ご近所の92歳のお婆さんのお話シリーズ第一弾です。 戦前に高級呉服を着れた人は極一部の人しかいないので、戦前の高級呉服の着こなしや様子をご存じの人は少ないのですが、運良くそういう方と出会えることができました。 お婆さんは大正15年のお生まれで、愛知県の某地域一体を差配していた大庄屋のご家系の出身で、着物のことを調べるにあたり、とても有用な情報をくださいました。(※当ブログでは、登場人物の年齢...
着物で旅行する時のパッキング、コーディネート、トラベルグッズの話④ 和装小物やりくり編
今回は、旅行での洗濯や和装小物のやりくりアイデア編です。 〇帯揚げは着回せるものを選ぶ 帯揚げ・帯締めは軽いので多めに持っていっても困りませんが、帯揚げはそこまで見えないので、着回せるもので済ませるのがオススメです。 私のオススメは、白地の飛び絞りや淡い黄色や二色刷りのものです。↑飛び絞りの帯揚げ。画像はネット上より拝借しました。 まず、飛び絞りの帯揚げは、京好みの着こなしの定番で、紬~留袖(場...
着物で旅行する時のパッキング、コーディネート、トラベルグッズの話③-2 着回しコーデ編
(前回からの続き)○リバーシブルの帯で2倍着回す 次に、リバーシブルの帯は1本で2本分の活躍をしてくれるので、リバーシブルの帯で着回すという方法です。 1泊2日の旅行で、帯1本で2日間とも違うコーデに見せたい時や、一週間以上の旅行で帯をこれ以上追加したくないけれど、毎日違うコーデにしたい時にオススメです。 ↑刺し子の紬地の京袋帯。お太鼓にして写真を撮っていないので、模様の位置がズレています💦 この帯は軽...
着物で旅行する時のパッキング、コーディネート、トラベルグッズの話③-1 着回しコーデ編
今回は、着物で旅行する時の着回し術についてです。 たくさん旅行するうちに気が付いた、私の着回しコーデについてご紹介したいと思います。 基本的に、私は着物3枚に帯1本の考え方で進めていきます。(過去記事→「着物1枚に帯3本」よりも「着物3枚に帯1本」のほうがオススメ? ~和裁士さんのお話~)〇帯1本に対し、反対色(補色)・同系色・無彩色の着物3枚にする。 2泊3日~3泊4日の旅行で、着物3枚に帯1本のパッキング...
着物で旅行する時のパッキング、コーディネート、トラベルグッズの話②-3 パッキング編
(前回からの続き) チャック袋を使うパッキング術はいかがでしたか😜? 着物を雑に扱っているように見えるかもしれませんが、高級呉服とはいえどこまでいってもただの衣服ですから、着物も洋服のシルクのワンピースやブラウスと同じような感覚で扱ったほうがいいと思います。 私は買った値段が値段なので気軽に扱えるというのもありますが、欧州高級ブランドの洋服には他にもっと高価なものはたくさんありますし、着物も同じ...
着物で旅行する時のパッキング、コーディネート、トラベルグッズの話②-2 パッキング編
今回は、予め宿泊先に荷物を送る場合の、ダンボールのパッキングについてです。 先に荷物を送る場合は、重さは気にしなくていいので、重い帯や草履でも気にせずコーディネートに合わせて入れます。 スペースに余裕があるなら、かさばる総絞りの着物や輪奈ビロードのコートなども入れて、せっかくの機会なのでオシャレしましょう♪ 今回は、2泊3日~4泊5日を想定してパッキングしてみました。 着物3枚に帯1本で、オシャレ着バ...
着物で旅行する時のパッキング、コーディネート、トラベルグッズの話②-1 パッキング編
今回は、着物で旅行する時のパッキング(梱包、荷造り)のお話です。 私は着物は京都か大阪で着ることが多いので、ほとんどの場合はTさん宅に泊めていただく時の話になりますが、内容はホテル泊の旅行でもほとんど変わらないと思います。 まず、1泊2日~2泊3日の旅行の場合。 キャリーカートは小さくて軽いものがオススメです。↑布製のファンシーな軽いキャリーカート。 30㎝×45㎝×18㎝のコンパクトサイズです。 海外...
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今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...
🎍新年のご挨拶申し上げます🎍 今年は元旦から地震・事故・事件など様々なことがありました。 被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。 当ブログの新年の抱負は、昨年は更新が少し滞っていたので、今年は着物の理論のほうに力を入れ、もっと多くの記事を投稿できる一年にしたいと思います📒🖋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今年の初記事は、特にお正月らしくもないのですが、帯締めと...
今回は、麻の着物の話に続き、芭蕉布の着物の格についてです。(画像参照元:芭蕉布 - Wikipedia) 戦後の呉服の世界では、芭蕉布は帯も着物もカジュアル着着として知られ、とても高価で希少性の高い商品となっていますが、琉球王国時代は古くから王家の夏の礼装として用いられ、戦前でもフォーマル着として着られていたようです。 『図説琉球の染めと織り』によると、琉球王朝では古くから芭蕉布が存在し、王族から庶民に至る...
今回は、戦前までは麻の紋付礼装があったというお話です。 結論から先に述べると、麻についても、昔は紋付の礼装があり、夏場はフォーマルで着られていましたし、同じ麻でも上質なものは上流階級の礼装や日常着として着られ、質の劣るものは庶民が日常着・労働着として着ていたということがわかりました。 戦後の着付け教室の教本や着物雑誌を読むと、「麻は素材からして格が低い」「麻は農家が自家用に作る自然布が起源で格が...
今回も前回に続き、紬や木綿は格が低いという言説についてです。 結論から先に述べると、「紬はとにかく格が低い」というような言説は、戦後の昭和後期に高級紬ブームになった時に、高級紬のライバルであった友禅の産地が紬を下げるような言説を流布したのが原因という説があったり、歴史的には高級紬は別格に扱われていて、地域によっては正式な礼装として着られていたという事実があるようです。 紬については色々な種類があ...
今回は、前回の木綿友禅の話に続き、「紬は紬というだけで格が低い」という言説は誤解であり、戦前までは紬の礼装があり、着物の格は素材よりも紋の有無と色柄で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「紬はどこまでいっても格の低い着物(カジュアル着)だ。」「紬の訪問着は戦後に作られるようになった邪道の商品だ。紬の訪問着をフォーマルな席で着るのはおかしい。」「紬はいくら高級品でも格の低い着物だか...
今回は、「木綿は木綿というだけで格が低い」というのは誤解であり、大正時代までは木綿の礼装が作られていたし、着物の格は紋の有無と柄ゆき(裾模様・絵羽)で判断していたというお話です。 戦後の呉服の世界では、「木綿着物は着物の中でも最も格が低い」「木綿の着物はカジュアルな格だから部屋着として着たり、働く時に着るものだ」「隣人や極親しい人と会う時、近場の買い物で着る」「木綿の着物は格が低いからマフラーや...
続いて羽織のお買い物の話です。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらは、和裁士さんが小物作り(つるし飾り)用に買ったもの。 茶色でこういう小さな柄は、雀などの小鳥の素材に使えるのだそう。↑バティック調の型染めで、羽裏もアジアンテイストです。 羽裏の下の表生地の折り返しが多いので、羽織にしては生地がたくさん取れたそう。 ↑小紋の羽織、中古品、324円。 こちらも和裁士さんがリメイク用に購入。 羽織紐が...
前回に続き、羽織のお買い物の話です。↑寿光織の絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 こちらは知人のNさんが買ったもの。寿光織でこの価格はびっくりです😧 上品な糸菊が描かれていて、絵羽なので、関西の感覚だと、紬の着物ではなく、格のまあまあ高い垂れ物に合わせるべきものなのかも? 金糸・銀糸と白糸で立体的な糸菊が抽象的に表現されています。 「大小あられ」のような地紋があり、光の加減で浮き立ってオシャレ...
今回は、羽織のお買い物の話です。 今は長羽織が流行なので、昭和の短い羽織は流行遅れになりがちですが、とはいえ昔のものは良いものが多いので、そこまで短くなければ今着ても恥ずかしいわけではないと思いますし、生地や加工が良いのでリメイクにもオススメです。(過去記事→今の流行と昭和の着物のイメージあれこれ② ~着物を着るうちにわかってきたこと~)↑刺繍入りの絵羽織、未使用品、仕付け糸付き、108円。 手刺繍と...
今回は、地方の呉服屋さんでは、京都のネームバリューを都合のいい時だけ利用していたり、本当は田舎の趣味なのに、自店が京都のセンスであるかのように販売しているというお話です。 今まで呉服の世界を見ていて、着物で嫌な思いをしたり、着物離れが起きる大きな要因は、消費者と直接関わる販売現場が原因ではないか?とわかってきたため、今回は地方の呉服屋シリーズ第一弾として、愛知の田舎好みの呉服屋さんの話を例に挙げ...
今回は、はんなりという言葉は京都人でもあまり使わないという話と、地方の呉服関係者さんの中には、はんなりの意味を誤解していたり、江戸好みの着付けや趣味なのにそれが京好みだと勘違いしている人がいるのではないか?というお話です。 和裁士さんと話していて気が付いたのですが、和裁士さんが習った着付け教室では、「うちの教室でははんなりした着付けを目標にしている」と言っていたり、和裁士さんのお店の社長が、...
(前回からの続き) 呉服の世界では、伝統工芸の藍染めの浴衣だけをホンモノとし、他の安価な浴衣をニセモノとする風潮があるようですが、アパレルの世界では、藍染めの浴衣は、品揃えやカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」として分類されるということをもっと理解する必要があると思います。 紺色の浴衣は、伝統工芸の高級品だろうが、プリント印刷の安価なものだろうが、色柄のカテゴリーとしては単に「紺色の浴衣」に分...
今回は、前回の話の続きで、藍染めの浴衣に関するお話です。 昭和後期の呉服の世界では、「浴衣は藍染めが正統派で正しい浴衣で、日本人なら藍染めの浴衣を良いものだと思うべきだ」「藍染めの浴衣こそ伝統的な本物の浴衣だ」「昔ながらの紺地や白地の藍染めの浴衣こそ日本人らしい趣味だ」というような価値観が流布されていたようです。 現在でも、呉服関係者さんの発言やテレビ番組の日本の浴衣文化の紹介を見ていると、さり...
今回は、昭和後期のおかしな言説シリーズで、浴衣の格と絵羽柄についてのお話です。 浴衣についてよく耳にする話として、昭和後期の着物世界では、「絵羽の浴衣は近年作られるようになったもので、いくら絵羽でも格は低い。(=絵羽の浴衣は邪道だ)」」「浴衣を長襦袢と足袋で夏着物として着るのはいかがなものか。」「浴衣は湯上りに着るバスローブだから、昼間から着るのはおかしい。」「浴衣はオシャレ着や外出着には...
今回は、男性の和装は今でも慶事と弔事が同じ格好になるというお話です。 男性の和装の喪服について、「慶事では羽織紐と草履の鼻緒は白、弔事では黒にする。(中には半衿も足袋も黒にするという説もあり)」という言説が昭和後期に流布されていたようですが、これについても昭和後期のおかしな言説の一つのようです。 結論から先に述べると、和装では戦前までは慶事も弔事も同じ格好で、男性は白喪服の場合と黒紋付羽織袴が混...
今回は、戦後に着物の色柄が洋服ファッションの流行に合わせて一気に地味になったことと、洋服でモノトーンと黒の洗礼を受けた世代を中心に、呉服の世界で「地味なもの=上品」「シックなものこそ正統派の高級呉服らしい色柄だ」という思想を流布している可能性があるというお話です。 戦後生まれの呉服関係者さんを見ていると、「洋服感覚の着物を~」「洋服の中で浮かない色柄を~」「都会のコンクリートジャングルになじむシ...
(前回からの続き)私:「和裁士さんによると、昭和後期の着物の世界では、黄八丈は町娘が着る若向きのイメージがあるから年配は着れないとか、格子は若づくりだという説が流布されていたらしいです。 Fさんは(本場)黄八丈にどんなイメージがありますか?」 Fさん:「黄八丈は年配世代が着るものというイメージだし、黄色が若い人しか着れないという話も聞いたことない。 誰がそんなこと言ってるのかしらね?? ...
今回は、Fさんのお話シリーズの第一回です。 (過去に一度公開した記事ですが、差し障りがある箇所があったため非公開にしており、今回再掲させていただきました。) ご実家が明治初期からの呉服屋だったというFさんに、大島紬の話や戦前の宮崎県の庶民の衣生活の話を聞かせていただきました。 Fさん(2018年現在で78歳)のご実家は、お父方が江戸時代に大名の馬廻り役だった武家のご家系で、明治以降は商家に鞍替えし、...
今回は、帯締めの話に続き、帯揚げについて調べてみました。 帯揚げは、お太鼓結びが生まれた後に、帯回りの付属品・装飾品として生まれたものの、帯締めのように組紐の文化や伝統技術などの背景があるわけではないためか、帯揚げを専門的に調べた本はほとんどないようです。 時代考証家の山田順子さんによると、「文化年間(1804~1818)にお太鼓結びが考案されると、帯がずり落ちないように、帯締めだけでなく、背中の折山に...
(前記事で、「組紐の帯締めの普及は、月印という帯締めの問屋が仕掛けた」という説を載せ忘れたので追記しました。よろしければご覧ください。) 今回は、夏用の帯締め・帯揚げのお話です。 戦後の呉服の世界では、季節柄や衣更えをうるさく言っていたので、「夏には夏用の帯揚げ・帯締めにしないといけない」と思う方がおられるかもしれませんが、夏用の帯締めは衣更えのしきたりでも何でもなく、戦後の昭和後期に商業的に作ら...