2024年6月12日 断捨離の一環として、自分の着物の処分を始めた。亡き母が用意してくれた薄いサーモンピンクの訪問着は、長襦袢、肌襦袢、裾除け、帯、紐類、足袋、帯揚げ、果ては草履まで一式そろえて我がモイケル娘にと、今回の帰国に持って行った。モイケルが「部屋の中はソラのものがいっぱいで仕舞っておくところがない」と言うので、スペースができる住まいに引っ越しするまで、所沢の妹宅でいったん預かってもらうこ...
日本語教育メモや帰国子女大学受験体験記も含め、日々の生活を通してポルトガルの魅力を綴っています。
ポルトガルに40年在住しています。二人の子どものトライリンガル教育も終了し、現在はポルトで日本語を教えています。ポルトガル人の夫と5匹の猫と暮らしています。
2023年11月30日 週日の日本語授業は大わらわということもないが、金曜日の夕方と土日はグループ授業が入る。そこで、週末は昼食支度の時間がないゆえ土日は外でのランチである。授業は夕方もあるので、そうそうゆっくりはできないが、生ビール一杯くらいは飲める。先週の土曜日には、ダウンタウンにある贔屓のレストラン「Buraco(「穴」の意味)へ行こうとなった。このレストランは、わたしがポルトに来て以来の...
2023年11月28日 昨日の続きです。石の彫刻家、新妻実(Niijima Minoru)氏について、調べてみました。東京芸術大学彫刻科を卒業した氏は、後ニューヨークで個展を開き国際的に多くの賞を受けています。ニューヨーク・コロンビア大学で教え、1958年にはニューヨーク・ストーン研究所所長になっています。1965年には、大理石を使って制作した「眼の城」という独特の作風を確立し、ニューヨーク、ポルトガルを拠点に...
2023年11月27日 キンタ・ダ・バカリョアとは少し離れたところにあるバカリョアワイン社は、ポルトガル最大のワイン生産社のひとつだと言われます。1922年に創立され、ポルトガル国内の七つのぶどう産地で採れるぶどうで生産される赤、白、ロゼ、マスカットのバカリョアワイン。その50%は主にブラジル、カナダ、フランス、スイス、アメリカに輸出されます。 見学コースは、小宮殿の後、ワインケーブを見学してワイ...
2023年11月24日今春、休暇を利用して行って来たワイナリーと荘園、小宮殿の紹介です。荘園入口セトゥーバルのアゼイタォン(Azeitã)にある「キンタ・ダ・バカリョア」。一瞬、バカリャオ(Bacalhau=ポルトガル独特の大きな干しダラ)の間違いじゃないかと思ったおですが、バカリャオに関係がありました。↑小宮殿の前には、なんと!ポルトガルの代表的な現代アーティスト、Joana Vasconcelosの作品がで~んと!わたしはこれを...
某年某月某日 ご近所の誰もが知る名物男の農夫、ジョアキンおじさんが亡くなって3年程になる。朝早くから大声で話す御仁だったのでそのせいもあろうか、この辺りがすっかり静かになって寂しいくらいです。ジョアキンおじさんが元気で野良仕事をしていた頃は、彼の畑は動物愛護協会のボランティアたちから野良猫のコロニーと呼ばれ、わたしもボランティア活動の一環として毎晩の餌時には二皿三皿運ぶこともありました。その野良猫...
2023年11月20日 しばらく前にあげた「片道切符の君」ことI氏は本日とうとう母国へ旅立ちました。長い海外生活後、70で母国へ帰りこれからしばらくの間生活基盤を築き上げることになるます。ポルトにいる彼に書く最後のメールになるだろうと思いながら、時々連絡をして欲しいこと、春には日本で再会したいこと等をしたためて、メールを送りました。こちらで希望条件のアパート物件探しから最低限の家具や電気器具、ケータ...
2023年11月17日 朝ベッドから起き上がると、側で着替えていた夫から、おはようの代わりに「誕生日おめでとう」の言葉をもらった。76回目の誕生日を迎えました。日本に住む子供たちからもメッセージがあり、孫からは「ハッピーバースデートゥーユー」の歌と共に、おもちゃで作ったバースデーケーキを掲げるビデオメッセージも届きました。しばし、我がモイケル娘と文字チャットのやりとり。ソラ坊が昨日からインフルエン...
2023年11月14日 先日、ネットで目にした記事だが見出しを読んで、ん?といぶかしげに思った。記事読後、この見出しには「キス」の前に「あいさつの」と入れた方が分かりやすいと思った次第だ。これは先だってのドイツ、ベルリンで行われたEU外相会議の集合撮影時に起きたあいさつの「キス」をめぐっての騒動だと言う。以下に記事一部をコピペする。《〝キス騒動〟は11月2日、ドイツの首都ベルリンで開催されたEU外...
2023年11月9日 朝、起きがけに空を見上げると、おぉ、久しぶりの青い空、と思いきや、あっという間に曇が広がり小雨が降り始め。3週間ほど雨が降り続いているが、今日は降ったり止んだりか。晴れ間を縫って外を歩くのもせわしいことである。さて、本日の題、今週月曜日のことです。わたしの朝食は、和食とパン食半々です。パン食の時はトースターにマーガリン、イチゴジャムを少し塗ってその上に生ハムを乗せたのが二切れ...
2023年11月8日 前回の続きです。I氏帰国の軽いショックから徐々に立ち直って参りました(笑)してみれば、わたしも40数年前にポルトガルに来たときは片道切符だったっけ、とI氏の切符の話が頭を去らず。ふいに古い歌、二―ル・セダカの「恋の片道切符」が脳内を駆け巡っているここ数日。いかにも古い(笑) 歌は後記に。興味ある方はどうぞ。♪Choo choo trainTruckin' down the trackGotta travel on itNever comin' backOo...
2023年11月6日 正に4年ぶりでダウンタウンのいつものレストランで昼食会を開いた。これまでは4人のメンバーだったのが事情あって3年前に一人抜け、I氏とOちゃん、それにわたしの3人である。3人とも講師として長年補習校に携わって来たかつての同僚同士でもある。ポルト界隈には古くから住む日本人もいるし、また、新しく住み始めた日本人も結構いるらしいのだが、この数年来、日本人社会とはほとんど接触がない我ら3...
2023年11月3日 かつては5匹いた我が家のネコたちが一匹また一匹と旅立ち、一番若かいゴロー君だけが残った。そのゴロー君も2006年の秋に拾って我が家に迎えたので、今年で17歳になる。わたしが若い時からこれまでに飼ってきた猫のなかで、ゴロー君の特徴はどの猫にもなかったおしゃべりがある。とにかくよく鳴くのである。鳴くのには理由があって、お腹空いた、ご飯ちょうだい。一緒に横になろう(こういうときはわたし...
2023年10月31日 年に少なくとも1度は夫と共に血液検査を受けています。検査結果の数値から甲状腺疾病の疑いがあり、超音波検査をしました。その後、甲状腺腫瘍の状態を診るためアイソトープ検査を受けたのはほぼ一か月前です。(https://spacesis.blog.fc2.com/blog-entry-2804.html)結果、甲状腺腫瘍で、甲状腺右に大きいしこりがあります。腫瘍も良性と悪性に分類され、悪性はいわゆる癌ですが、わたしの場合は良性の...
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2024年6月12日 断捨離の一環として、自分の着物の処分を始めた。亡き母が用意してくれた薄いサーモンピンクの訪問着は、長襦袢、肌襦袢、裾除け、帯、紐類、足袋、帯揚げ、果ては草履まで一式そろえて我がモイケル娘にと、今回の帰国に持って行った。モイケルが「部屋の中はソラのものがいっぱいで仕舞っておくところがない」と言うので、スペースができる住まいに引っ越しするまで、所沢の妹宅でいったん預かってもらうこ...
2024年6月10日サン・ベント駅とRouleiro通りの間のスペースに入ると目の前に現れるのがポルトのTime Out Marketだ。 正面の塔はポルトにある貯水タンクをモチーフにしたドウロワインとポルトワイン専用の特別なスペース。Sala de Prova(テイスティングルーム?)と呼ばれ、ここではイベントも行われるそうだ。 Wikipediaより Sala de Provaからはポルトダウンタウンを見下ろすことができる。さて、肝心のTime Out Market...
2024年6月8日 ポルトにできた「Time Out Market」へ行って来た。案内する前に、はて?Time Out Marketとはなんぞや?とその言葉に初耳のわたしである。このところ、世間には耳目を閉じて、ひたすら日本語授業に取り組んできたので、すっかり世の中の動きに疎くなっていた。疎くても生きて行けないわけではないのだが、これはちょっとまずいかも、と反省し授業準備の合間を見て少し調べてみた。Time Out はロンドンで196...
2024年6月6日 コロナ禍以後、街へは出なくなったわ、かつては借り教室でしていた日本語教室もオンライン教室にするわで、外出の機会激減し、外界の情報にすっかり疎くなっていたここ数年のわたしでした。 ポルト、ダウンタウンにあるサン・ベント駅。駅に立つとどこか行きたくなるなぁ。家を出るのは週に2,3回の車での食糧買い出し。土日は日本語教室があるため、昼食は基本外食です。土曜日は近所の行きつけのレストラ...
2024年6月4日ポルトガルのこの季節には是非案内しておきたい町がある。本日はその町の一つ、わたしも何度も訪れているオビドスの案内です。以下。リスボンから北へ向かうこと80キロにあるオビドスは「谷間の真珠」と呼ばれる中世の城壁に囲まれた人口12000人ほどの小さな町だ。5月から秋にかけては、真っ青な空と白壁の家並みにブーゲンビリアの花々が映え、訪れる人は鮮やかさに目を奪われること請け合いだ。ポルトガルで...
2024年6月3日 昨年秋に受けた眼科と甲状腺の検査だが、手術に急を要することはないと自己判断、2年ぶりの日本帰国を控えていたのでポルトに帰って来てからにしようと後に回しのですが、両方とも再度検査を行って、本日その結果が出ました。白内障については、ドライアイの目薬をしばらく使うのと、半年後に再診察を受けることになったので、今回手術は免れました!甲状腺腫瘍の方は、今朝、エコ検査をしてきたのですが、検...
2024年6月2日 2か月の日本滞在中に所沢の妹宅で和菓子とともに何度も出された「茶カテキン」。気に入って数袋ポルトに持ち帰った。お互いにもうお土産云々は止めよう、自分で買うと言うわたしに、あちこちで売っていないからと本人がよく行く店で買って来て、これくらいは土産に持って行けと妹が持たせてくれたのだ。見た感じが抹茶と似ているが、違うと言う。抹茶とこの粉末茶は原料になる茶葉が別だそうだ。実は、わたし...
2024年5月31日宝木嬢の荒れた土地を目にして茫然としたわたしだが、一方でやはりか、との気持ちも否めなかった。かつてはその家のすぐ近くにカフェやスーパーがあったし、何と言っても滞在中に我が息子を可愛がってくれた世話好きの土井さん一家を中心に、みな声をかけあい助け合っていたご近所づきあいがあった。時は流れ、宝木嬢宅を除いて古い家は見当たらず、新しい家ばかりで、お隣の玄関ベルを押すのも気が引ける感じ...
2024年5月28日 ビアハウス時代の先輩宝木さんはいずこに?3月から2か月滞在の今回の日本帰国は大まかな目的が二つあった。2022年には帰国したに拘わらず、着くなりコロナ感染してしまいその時会う予定であったが結局友人には誰一人会わずにポルトに帰ったおアホなわたしであった。よって、それらの友人たちに必ず会うこと。みな5、6年ぶりの再会だった。残念ながら、妹たちと飛行機に乗って会いに行く予定だった大...
2024年5月27日ブサコ宮殿は、日本のテレビでも何度か取り上げられていますが、建築はイタリア人のルイジ・マニニがおもだって手がけています。マニニはシントラのQuinta da Regaleira(レガレイラ館)の建築家でもあり、彼独得のゴチック、ルネサンスの建築スタイルが見られますが、ポルトガル大航海時代の栄華を語る華麗なマヌエル建築様式をも取り入れています。写真は宮殿のファサーダ、窓の周りにはポルトガル王家15...
2024年5月24日 無性に海が見たくなった昨日、午前中の日本語授業はまだ入っていないし、後は午後4時からだったので、海岸へと車を駆った。首にスカーフを巻かないとそろそろ紫外線で車の中とは言え日焼けするので、普段着にちょいと青いスカーフを首に巻いて発進である。そうだ、海岸近くFozにある園芸センターにも足を運んで花の苗を仕込んで来よう。2か月の留守中に、ベランダに置いていた紫陽花の鉢二つのうち一つは...
2024年5月21日 19日夜のニュースはポルトガルの夜空を大きな火球が横切ったとの話題でもちきりだった。下記動画はネットで拾ったものです。5月18日夜にポルトガル北西部周辺を通過した火球は、最初は隕石だと思わたが彗星の断片だったようだ。高度122kmの上空で燃え上がり、その後秒速45kmで夜空を照らしながら流れ落ち、大西洋の上空60kmで燃え尽きたと言われる。故に隕石として地上で発見される可能性は低い...
2024年5月19日 ポルトに帰って一週間経った。機内では横になって寝たものの、そこが神経質者の哀しさ(って、どこがやねんw)、枕や寝床が変わると寝ていてもうつらうつらと熟睡できない性分である。酷い時差ボケではないが、やっと、本日それから脱出できたかという感だ。仕事である日本語教室は木曜日からフル開始している。睡魔に襲われたら寝る!ということを繰り返し、授業準備も含めて、なんとか大きなズッコケなし...
2024年5月17日 スタンダールの小説ではありませんぞ。写真の如く25年来の友人ゴッチとわたしが池袋で会った今回の我らの服装がまさにそれ。 今回の帰国時の服装は黒が基調のわたし、この上に薄い黒のロングコート、黒の靴、更に黒のグラサンで、対するゴッチ、界隈では「赤い人」で知られる全身赤の服装なのである。腕時計、カバン、パソコン、もちろん赤靴赤靴下(笑)。大阪から上京してきたゴッチと池袋東口交番前で...
204年5月15日 シャワーを浴び旅の疲れを少し落として食糧買い出しにと身支度をした昨日の朝、いざ出かける段になって強烈な眠気に襲われた。イカン!このまま車を運転するのは危ないやん!と午前中の買い出しは断念して睡眠をとることにした。この二日間、夜9時には就寝し4時5時起きだったのでさもありなん。小1時間ほど寝てハイパーマーケットまで車を走らせた。我が留守中の夫は主に外食だったので冷蔵庫はほぼ空っぽな...
2024年4月27日日本はいよいよ今日からゴールデンウィークだ。運が良ければ10日間の休暇が取れる。こういう時は外国の観光客もいるだろうからどこもかしこも人がいっぱいで、むしろ都内の方が普段より空いていることもあるのではないか。 そんなわけで、とりたてて旅行などしないことにした。モイケルや息子たちと近場を訪れたりまだ会っていない友人たちに会う予定だ。その友人の一人、かつてお互いのホームページを運営し...
2024年4月23日実は、家の中でサングラスをかけている^^;この間の日曜日に我がモイケル娘宅を訪れ、一泊して月曜日午後所沢に帰って来た。雨が降りそうだったので、駅まで送りたいと言う娘と孫、ソラ坊の申し出を断り、それではアパート下までとなり、バイバイとしばらく手を振る二人を後にして総武線の駅へ向かった。歩くこと10分ほどである。お茶の水でメトロに乗り換え池袋に着いた頃だ。モイケル娘から「もしかして、...
2024年4月18日 日曜日には我が日本語教室の長年の生徒で、昨年12月、ついに日本留学の夢を果たしたKちゃんと池袋で会った。彼女は現在T大学獣医学部で研究している。我が東京息子にも声をかけて一緒にランチしてもらった。二人ともポルトガル語が恋しいのではないかと思ったからである。Kちゃんと東京息子は時折ポルトガル語で話しては笑いあっていた。在住4カ月のKちゃんからすれば大先輩に当たる息子ではある。多少の先...
2024年4月13日モイケル娘家族と彼らの住まいの駅前にある回転寿司「スシロー」とやらへ行った。回転寿司店に入るのは初めてだ。孫のソラが前に会ったとき、「おすし、だいすき。ここで食べたんだよ」と、スシローを指さして言ったもので、じゃ、次回の週末はそこへランチに連れて行こうと思っていたのである。あまり好き嫌いなくしっかり食べるソラ坊のお好みは、まぐろとポテトだそうだ(笑) わたしは出されたらまぐろ、...
2024年4月9日雨音がしきりに聞こえる。関東の今年の桜はこの雨で散るだろう。妹宅のすぐ傍には人口の小川沿いにしだれ桜が植えられてあるが、老木ゆえ今一咲き具合が寂しい。それでも時に外国人が見に来て写真をの撮っているのを見かける。ここも数年後には観光客の桜のスポットになっているかも知れない。昨日の朝は、サングラスのヒンジのねじがいつの間にかなくなっていて、使えないのでメガネやに行き、その帰り道、スー...
某月某日帰国の往復時の機内で、かつてはよく映画を見て時間をつぶしたものだが、それが自分にとってかなりの疲労の元になるのではないかと思い始め、近年では往復で2本、時にはまったく見ないこともある。数年前に機内で見た映画「日日是好日」は、ドキドキするエキサイティングな場面やクライマックス等はないが、自然の姿を汲み取るような茶道の仕草一つ一つが心に染みこんだ佳作だった。 Wikiより今は亡き樹木希林が演ずる茶...
2023年6月4日 またも、やってしまった! もう自分のアホさ加減にほとほと呆れ果てた。呆れ果てて寝込む気にもなれない。 先週土曜日は、午前中に二つあるグループ授業の後半のをキャンセルした。仮定法の説明だったので半数が欠席となると、後で授業進行に差しさわりがある。それで今回は休講にしようと提案したのであった。実を言うと今年の1月から週末も含めて授業のない日は一日もなかった。休日がなかったのであ...
某月某日ラメーゴ、Santo Estêvão(サント・エスティヴァン)山にある聖地ノッサ・セニョーラ・ドス・ルメーディオから、町並みを見下ろし、その後、車で町へ降り、レストラン「A presunteca(ア・プレズンテカ」で、軽く昼食をとることにしました。↓画像はラメーゴの町中から見上げるノッサ・セニョーラ・ドス・ルメーディオの石段。 レストランはこの向かって左側あたりの「N2」通りにあります。ラメーゴは生ハムとRaposeira(ラ...
2023年5月28日 パソコンで授業準備をしていたら、スカイプのビデオコールがなった。ビデオコールをしてくるのは我が東京息子かモイケル娘なのだが、午後にかかってくるのは珍しい。あれ?と思って応答すると、あらま、モイケル娘のケータイからのコールで画面に映ったのは部屋の壁と孫娘ソラ坊の頭だけだ(笑) どこを押せばビデオカメラでばぁばこと私につながるのか、どうやらモイケルママのやり方を見ていて覚えたらし...
2023年5月22日 「ふと思ったんだけど、ご飯を作るのって一生続くんだよなぁって」と突如我がモイケル娘が言う。あーっはっは、ほれ、気づいたかと母のわたしは内心ほくそ笑む。共稼ぎ時代は先に帰宅した方が夕飯のしたくをすると夫婦で決めていたらしいが、子どもができた今、モイケル娘は通常の勤務時間より遅く始まり早めに終われる仕事を選んだ。我が孫のソラ坊を保育園に預ける時間を少しでも短くできたらというのが理...
2023年5月19日 LGBTの自由、権利を認めるのにやぶさかではないが、昨今の様子を見ていると、これまで性別で区別して使用されて来たトイレ、公衆浴場、サウナなどにも「わたしは見た目は男ですが心的には女です」と言う人たちが侵入してきたりしそうだ。入って来られるのは嫌だと思う女性の人権はどこに?と気になる。それで、わたしなどは自民公明両党によって本日国会に提出されたと言う曖昧なその法案、ちょっと待ってよ...
2023年5月15日 朝、ベッドから降り立つ時に左足が痛んですぐには歩けない状態が3週間近く続いている。軽いマッサージを施し、痛いのを我慢してビコタンビコタン歩きはじめるとやがて痛みは和らいで歩くことはできるのだが、うっかり体の向きを急に変えようものなら、「イテテテテ」のなんのって、腹立つくらいなのである。それが2週間目に入ると、いかなのんびり者のわたしでも、ちょっとこれはいかんぞとなり、夫に話す...
2023年5月14日「なしてそったとごさ、いぐのよ?(なんでそんなとこに行くんだ?)」の役所広司の東北弁セリフを耳にして吹き出した。日本で公開中の映画「銀河鉄道の父」の予告編を見てのことです。銀河鉄道と言えば、言わずと知れた宮沢賢治の作品です。その父ですからこの映画は賢治の父親政次郎が主人公でしょうか。宮沢賢治の作品は結構手にしています。なかでもわたしの記憶によく残っているのは「やまなし」、「よだ...
2023年5月12日 5月10日は我がモイケル娘が生まれた日です。面白い子に育ったなぁと母の目で見て思います。生まれてこの方18年間をポルトで過ごし、ちょうどそれと同じ年月を日本で過ごしたことになります。今でも彼女の補習校の中三卒業式の答辞ははっきり覚えています。「わたしは日本へ行くのではありません。日本へ帰るのです。」には、ぎょえ!でした。当時わたしは父母の一人であると同時に補習校講師でもありまし...
2023年5月8日 朝早く散歩に出て、あれ?と気づいた。すぐ側のジョアキンおじさんの畑の横を通るのだが、この通りでよく目立ち鳥たちの憩いの場にもなっていた大きな木が、ない!変に見通しがよくなって、彼方の団地が目に入るのだ。え~!切り倒されたのである。もう一本の木がか弱そうにぽつねんと立っている。ジョアキンおじさんの畑の周りは少し高めの石壁で囲われているので、中の様子はよく見えないのだが、ところどこ...
2023年5月4日ゴールデンウィークを利用して日本に住んでいる子どもたちが、昨日所沢の我が妹宅にオジャマしたそうだ。西武沿線の副都心近くに住む東京息子は午前中仕事があったので夕食に、モイケル娘は娘のソラを連れて千葉から泊りがけで。妹の手作り料理に美味しい美味しいと舌鼓をうちながら、さぞかしにぎやかな昼食夕食になったことであろう。そんなところにメッセを送ったらヤボかなと思いつつ、ついモイケルに「今、...
2023年5月1日 近頃はすっかり遠ざかっているが、ボランティア活動の一環として子供向けにポルトの図書館、小学校などで影絵上映をしていた。影絵の作成は、まずストーリーを書きそれをポルトガル語に訳す。それから各場面を考えそれに合わせて影絵となる切り絵作成に取り組む。切り絵をしながら背景に合う音楽を探すのである。これがまた楽しいのだ。切り絵そのものの出来具合は素人の腕であるから知れているがBGMが入るこ...
2023年4月26日 3月下旬、我が東京息子がポルトに帰省したのを利用して親子3人で小旅行をしてきたのだが、そのとき訪れたエスピシェル岬とキョウリュウの足跡化石を紹介したい。ユーラシア大陸最西端のロカ岬(Cabo da Roca)は多くの観光客が訪れるが、リスボン近くにあるセトゥーバル半島のエスピシェル岬はあまり知られていないようだ。 後方にアラビダ自然公園を控えたエスピシェル岬には聖母マリアさまが出現したとい...
2023年4月25日 息子と娘が千葉で同居し、日本社会に溶け込もうとてまじめに仕事に取り組んでいた頃のことだ。ある日、仕事から帰ってきたモイケル娘がスカイプに顔を出し曰く、「知り合いのお母さんから誕生日のプレゼントにと佐賀牛(肉)が届いた」!!!そのお母さん、モイケル兄妹が切り詰めて生活していることをきっと慮り、栄養満点の牛肉を届けてくれたのであろう。その日の夕食は、兄妹で早速すき焼きと決め込んだ...
某月某日 桜への思い入れは、日本人独特のものだろう。そうして見ると、秋の紅葉や真っ白い雪の中に映える「寒椿」等にも、わたしたちは心惹かれるように思う。このような情景を思い浮かべるだけでもわたしの胸には美しき天然へのなんとも言われぬ懐かしさがこみ上げてくる。詩人、大岡信さんが京都嵯峨野に住む染色家、志村ふくみさんのことをかつて綴っていた。美しい桜色に染まった糸で織ったその着物のピンクは、淡いようで、...
2023年4月20日 我が父は岩手県雫石出身で、若い頃は地方競馬の騎手をしていた。家族のわたしたちを弘前に残したきり、自分は雫石に住んで好きなことをしてきた人だったが、歳をとり体重も増え、いよいよ馬に乗れないとわかったわたしが中学生になる頃に、やっとこさ、弘前に来て共に暮らすことになったのである。仕送りもなく、母、妹、わたしの親子三人は弘前の祖母の大所帯の家に同居し、ずっと苦労をしてきた母の姿を目の...
2023年4月16日 このところ、毎日の授業準備と授業とでパソコンに向かって長時間を費やしており、かなり目が疲れているんではないかと感じることがある。かつてはポルトの街をあちこち歩いて、お、こんなところにこんなものが!とか、え~っとあれはこの辺にあるんではなかったっけ?などと独り言ちながら散策していたものだが、その余裕を失ってしまった昨今ではある。初夏のようだった今日、やおらポルトのリベイラの景...
2023年4月12日 3月の始めころにGG`s(ジィジィズ=我が日本語塾の70才以上の生徒たち)の一人であるマリアさんについて書いた。その時に我が教室の最高齢者アルフレッドさんの話が出たのだが、今日は彼のその後の話だ。「 帰ってきた日本語教室のGG`s」実は3週間前から我が家に通ってきている。ドイツから帰ってすぐレッスンを始めたいと電話連絡をもらった。コロナの4年間、日本語の本を読んだり読まなかったりだった...
2023年4月7日「着いたよ」と東京息子からメッセージが入った。イスタンブール経由の昨日の午後の便で再び日本に帰ったのだが、3週間夜は殆ど家にいたためしがなし(苦笑)今日の夜8時ころに到着して明日の午後には大学のオリエンテーションがあるとのこと。もうちょっと余裕をもって云々とは思ったものの、もうそんなことを親が言う年齢でもあるまい。出かかった言葉を飲み込む。すると、ポルトを出発する前日、British Sch...
2023年4月4日 先週夕方の日本語グループ授業も終わろうかと言う時、それまで座っていたイスがガタンと音を立ててガラガラ崩れ落ち、生徒からすれば先ほどまでこうだった画面が、突如、こういう感じになったんであります。あれ?先生、どこ?ってな具合(笑) そりゃそうですよ。椅子が崩れ落ち腰かけていた自分も床に尻もちをついたものですから。背板だけ残して見事にバラバラになったイスを前に、ひゃ~、なにこれ!この...