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  • There it Rains

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  • 春に月に夢

    月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはものと身にして人間の是非一夢のうち春に月に夢

  • おらが道。

    知るも知らぬも進むところがおらが道、前になく後ろにできるおらが道、振り返ればなんと危うく続いたものよ。逢茶喫茶逢飯喫飯、暫時漸々修学あるのみであります。どうなることやらおらが道。さぐりかんぐりぽちぽちぽつぽつおらが道。この道を行けばどうなる、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一歩が道となる、迷わずゆけよ、ゆけばわかる。おらが道。

  • 子供ならぬ、爺さんも怒りたい。

    (sculpture/TheAngryBoy)子供の怒りは世の中にうまく順応できないことへの苛立ちからくることもある。産みの苦しさの表れであり、能の世界で謂うある種の「*披(ひら)き」かもしれない。学びなおし。年寄りになっても、吐きそうになりながら「披(ひら)き」をするはめになって怒りたくなるのもまた然りか。下記のような語録に意気地を貰いながら・・記*世阿弥が残した「初心忘れるべからず」は「始めた時の初々しい気持ちを忘れないように」という意味で理解されています。ただ、世阿弥は「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」という意味で「初心」を用いました。「初心忘れるべからず」とは「恐れず変化し続けなさい」ということです。でも自ら進んで過去の自分を断ち切るなんて、なかなかで...子供ならぬ、爺さんも怒りたい。

  • 問い。

    そもそも自分で人生の意味を問うてはいけません。自分は人生に問われている立場であり、自分が人生の答えを出さなければならないのです。―ヴィクトール・フランクル問い。

  • 忘れ去られたもの。

    そなたの信仰は空虚な物語としてしか残らず。そなたの未来の子らはそれを信ぜず。石に刻まれた言葉だけが残り、そなたの敬虔さを語るのは石だけとなる。そして人々は人生に疲れ果て、宇宙を不思議で崇拝に値するとは考えなくなるだろう・・。ー「ヘルメス文書」よりピラミッド、マチュピチュ、ストーンヘンジにナスカにクメール・・・継承されなかったことは山のようにある。忘れ去られたもの。

  • 狂歌Ⅱ(生業)

    よのなかはとまれかくまれさるまわし唄うも舞うもおなじなりわい。狂歌Ⅱ(生業)

  • 狂歌

    貧乏神どんな神かと思うてきたが、わしのこととはこりゃたまらん。狂歌

  • 経験について

    経験とは、誰もが自分の間違いにつける名称である。とは誰が言ったか。試練にさらされることで思考が研ぎ澄まされ、人生というものをより切実に理解できるようになった。と言ったのは誰だったか。間違いないのは、その人はそれを経験した人だ。ということに気付き始めた経験からそう思う。経験について

  • へたに動くな。

    (photo/originalunknown)止まったままの時計は、間違いなく日に二回は正確な時間を指す。へたに動くな。

  • 予見できない。

    利益率が伸びている間に、実は企業は義務を背負い込んでいるのだが、それが、5年、10年、20年後のコスト構造にどう影響するのかを予見するのは難しい。こんな警告を20年以上も前に受けていた。一連の想定が首尾よくいっている間に快く引き受けた義務が、状況の大きな変化によって予期せぬ負担をなし会社を破滅させかねない。こんな先行事例の警句もノートに認めてあった。にもかかわらずである。隠れ義務の予見は大変難しい。経験しないと理解できない、表面化するまで教訓を受け入れ活かすのが難しいのである。まったく。予見できない。

  • エーアイ、という時代。

    (picture/source)労力を節約する機械や装置は掃いて捨てるほどあるが、「思考を節約する」装置はもちろんのこと、「仕事を節約する」装置はいまだ誰も発明していない。しかしだ、それが実現しようとしている、もしくはそう思わせるような雰囲気に変わってきている。そんなことになれば、人々はそれを当然のこととし、思考や仕事というものに対し特別の意識を持たなくなるのではないか?。万事がずさんになり、手軽に済ますようになる。正しいことよりも都合のよいことを追いかける。考えなくなる。疑問を持たなくなる。答えは覚えていても、問題が何であったかを忘れてしまう。そして普通の人間に普通でないことを行わせた。とそれをさも人間機能の拡張のように囃す周りが増えていく。そんな気がしてならないがそれは悪夢だ。人間が創造的でクリエイテ...エーアイ、という時代。

  • 我と汝

    (picture/originalunknown)我思う。この世界は汝の世界、だから、最終的には汝自身でそのつながりを解き明かすであろうよ。いつになく。-星巡りの歌我と汝

  • 借財の言い訳

    この浮世は仮の世ともいうじゃないですか、一時の財のあるなしも仮の姿、どうでしょうここはひとつ借りる人も貸す人も、借ると思わず貸すと思わず、でどないなもんでしょう。てなわけにはいくまいなぁ。借財の言い訳

  • 動静の静動

    忙中の閑、閑中の忙。というのもある。あわただしく忙しい浮世にあっても閑(しずか)に澄ました心を忘れるな、閑(ひま)で間延びした環境にあっても鋭敏に忙しく思いは巡らせておけ。とでもいうのだろうか。忙閑の閑忙、か、などと考えていたら、どうでもよいが「ぼうかんのかんぼう」という音から「防寒の感冒」という字が浮かんだ。ここ数日は寒い日が続いてます。あったかくして風邪をひかないよう皆様お気をつけください。動静の静動

  • なまぐさい

    (picture/source)2月28日のアメリカの大統領と副大統領そしてウクライナの大統領の会談のニュースを見ました。歴史に残るであろう場面ですが、見ているうちになにかいやなものがこみ上げてきました。平和とはより強いものが弱いものたちを平定している間のことだともいいますが、どうも臭うのです。夏目漱石「硝子戸の中」にこんな言葉が出てきます。「生きるということを人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差し支えないでしょう。しかし美しいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、問題が違ってくるかも知れません」。なまぐさい

  • 実感、老人力。

    若返りたいと思いますか?と問われて、無遠慮で思慮のない未熟さに戻りたいとは思わない、と答える。年を経て得たものはありますか?と問われて、なにも無いが失くしたものはたくさんあるぞ、嫉妬とか羨望とか見栄とか性欲とか。またこれまで大したことは全くしてこなかったというぐらいの自信もある。私は、前期高齢者という老人を今実感している。これらについて文句は一切ない。実感、老人力。

  • ものとこと。

    「リンゴの落下はモノ(substance)であり現象でしかなく、「この世のあらゆる物質は互いに引っ張り合っている。地球とリンゴもそうで、地球のその力に負けてリンゴは落ちたのだ」という万有引力こそがコト(event)なのである」。学者さん風に言うとこういうことが、随筆風に言うと、「書くものを持ったら書きたくなり、鳴るものを持ったら鳴らしたくなり、金槌を持ったら釘を打ちたくなり、権力を持ったら藪から棒に使いたくなる。筆や楽器や金槌や金はモノでありそれ自体は悪くないのだが、持てば起こすのがコトへの誘惑である。モノに気を付けないと自制心の弱い人間はいらんコトをする。よくよく吟味することだ」。というような風に使えなくもない。ものとこと。

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