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若返りたいと思いますか?と問われて、無遠慮で思慮のない未熟さに戻りたいとは思わない、と答える。年を経て得たものはありますか?と問われて、なにも無いが失くしたものはたくさんあるぞ、嫉妬とか羨望とか見栄とか性欲とか。またこれまで大したことは全くしてこなかったというぐらいの自信もある。私は、前期高齢者という老人を今実感している。これらについて文句は一切ない。実感、老人力。
世間には情報が溢れているが、わしが何を知らないのかを教えてくれるものは皆無です。どちらかというと、知らないでいいからそのまま騙されて、みたような情報には山ほど接する。また人と接する中でこの頃なんとなく見えてきたものがあります。「状況の具体相に応じて色合いを変えていく言葉の意味」というものがあるということです。それと、「他者とはその長所とだけ付き合うこと、短所なぞと付き合っている暇はない」ということです。-汝、我を見いださない限りは、我を探し求めもすまい。-パスカルわし。という爺さん。
「離家三四月落涙百千行万事皆如夢時時仰彼蒼」菅原の道真公の五言絶句である。管公では、「こちふかばにほいおこせよ梅の花あるじなきとて春をわすれそ」など短歌も大好きである。齢(よわい)を重ねるごとにこの寂寞の風情、というものを味合うことしきりとなる。過行くもののあわれを落ち着いて許容するには、刻(とき)を重ねることに如(し)くはなさそうだ。菅公の心情幾許や。
「老人力」は赤瀬川原平が提唱した逆転の発想!明るい自然体で老いと向き合おう
前衛美術家・随筆家で作家でもある赤瀬川原平氏(1937年~2014年)が1997年に「老人力」という概念を提唱し、1998年には「老人力」という本を出版し大変話題になりました。私もこの本を買って読みました。赤瀬川原平氏は、純文学作家としては
最強寒波に備えて、長男が土間に移動させた鉢たち。長男は私の影響なのか、鉢植えのガーデニングにはまってます。仕事から帰ったら、鉢を元の場所に戻すと言っていました。なかなかたくさんあるし、仕事で疲れて帰ってきて、寒い屋外にと思って、移動だけやっちゃいました。余計なお世話かもしれません。(´∀`*;)ゞ逆に「膝が悪いのに、何でやっちゃうの」と言われる可能性もあるけど。でもまあ、長男も、やりたい作業でもないと...