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介護と看護の日々 かいかん録 HAL文化研究所 https://lowdybhb267d.blog.fc2.com

平成14年からの両親の介護、介護離職や失業などの困難な日々を送り、両親亡き後、ようやく社会復帰が出来たと思っていたら、今度は二人の兄の病気や介護の世話をする事になり、それは現在も続いているという、大変な日々の記録や日記を綴るブログです。

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2024/11/03

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  • vol.368 老いるという事

    障害年金と駄菓子屋の収入で、しばらく平穏な日々を過ごしたしょうちゃんでした。 平穏な日々というのは本当に静かな物で、幸か不幸か、その頃しょうちゃんは静かに過ごせていたのですが、私は両親の介護が始まり、大変な時期を迎えていた頃でもありました。 両親の介護の日々は、過去にもう書きましたから割愛しますが、その頃の私は両親の事でいっぱいで、しょうちゃんの事を考える余裕は全くありませんでした。 およそ十年...

  • vol.367 過行く日々

    二度目の大手術を終えたしょうちゃんは、その後は地道ながらも平穏な日々を過ごしました。 年齢はもう50歳を過ぎ、子供を相手に駄菓子屋を営み、淡々とした日々を送っていたのでした。その間にも世の中は日進月歩の変化を遂げ、しょうちゃんはパソコンを手に入れたりもしました。 駄菓子屋の仕事は子供がいない午前中は暇なもので、卸屋に仕入れに行き、店に並べるとする事はなくなってしまうので、退屈してしまうのか、新し...

  • vol.366 退院してから

    手術後の回復が遅れ、熱が出たり、食べてはもどしたり、髪の毛が抜ける、お尻の皮膚が剥がれる・・・と、散々な目に逢ったしょうちゃんでしたが、そのため入院は三か月近くにもなり、かなり長く病院で過ごす事になったのでした。 それでも少しずつ回復し、当初は歩く事もままならないほど弱っていたしょうちゃんでしたが、退院が近付くころには看護婦たちと楽しそうに冗談を言い合って笑い転げるほど元気になっていました。 潰瘍...

  • vol.365 脱毛

    食べてはもどしを繰り返し、しょうちゃんは完全に弱っていました。 手術後、食事が出され始めてから10日近く、しょうちゃんはまともに食べる事が出来ないでいました。この時しょうちゃんの命を支えていたのは、点滴から体内に入れるわずかな栄養でしかなかったのです。 しょうちゃんは見る間に痩せていきました。 頬はこけ、顔色は青白く、動きも緩慢になってしまったのでした。お腹とお尻の二か所から開いてという、大手術...

  • vol.364 吐き気

    手術から数日が経ち、ようやく地獄のような痛みが和らいできた頃、しょうちゃんは食事が出来るようになりました。 ベッドを起こして、ベッドテーブルに置かれた食事は、重湯や流動食のような食べやすいというか、健康な人が見ればとても食欲が湧くようなものではありませんが、しょうちゃんにとっては数日ぶりの食事で、それは楽しみにしていたのです。 しかし、その食事を食べると、数分後にしょうちゃんは食べた物を全部吐き...

  • vol.363 献身

    大手術を終えた後の数日間は、しょうちゃんにとっては地獄の苦しみの日々となりました。 まともに言葉で表されるような痛みではなく、しょうちゃんはただ、呻き喘ぐばかりでした。 しょうちゃんは発熱もあり、看護婦は度々しょうちゃんの元にやって来ては熱を測り、鎮痛剤を投与し、しょうちゃんに声をかけたりしていました。 現代ならもっと苦しみの少ない処置法があるのでしょうが、当時はまだ緩和ケアという言葉すらない時...

  • vol.362 沈黙

    手術を終えたしょうちゃんは集中治療室に運ばれました。 今回の手術は腹とお尻の2か所を切っての大手術でしたから、出血も相当なものだったのでしょう。しょうちゃんは輸血されていました。 他にもたくさんの点滴がしょうちゃんの体に刺し込まれていて、口には酸素吸入もあり、それは痛々しい姿となっていました。 麻酔がまだ効いていて、しょうちゃんは微動だにせず、ただ目をつぶって寝ていました。 これから目覚めて麻...

  • vol.361 再手術

    人生は思うようにはいかない・・・夢に描いていた将来の目標が、思わぬ事で出来なくなってしまうのは珍しい事ではありません。 素晴らしい夢を見ることが出来た人は、おそらく健康な体に生まれ、健康に育って、人並みの知力体力を持つことが出来た人のなのでしょう。 しかし、生まれつき体が弱く、いつも病気ばかりして、体格も貧弱で、おまけに視力も弱く、そのために勉強もよく出来ない人が無事に育ったとして、将来にどれほど...

  • vol.360 癌

    しょうちゃんがお尻に違和感を感じるようになって1年も過ぎた頃でした。 当時しょうちゃんは駄菓子屋をやりながら、朝は新聞配達のアルバイトに行っていたのでしたが、ある朝、うちにやって来まして、どうにもお尻が痛い・・・と訴えてきました。 違和感がある・・・ではなくハッキリと痛いと言ったのです。 それまで、しょうちゃんは定期的に病院に通い、お尻にたまった物を出してもらっていたのですが、それでは間に合わなくなっ...

  • vol.359 恐怖

    お尻の違和感を感じているしょうちゃんは、私や両親の説得で検査を受ける事にしました。 しかし、そうやって検査を受ける決断をするまで、しょうちゃんはかなりの時間を要したのでした。それは無理のない事で、誰でも再び腹を切り開かれるかもしれないことになる検査を喜んでやろうなんて考える訳がありません。 恐怖と不安に苛まれながら、しかし時間とともにその違和感はだんだんと大きくなり、明らかにお尻の中に何かがある...

  • vol.358 異変

    中国旅行に行ってから新たな楽しみを見つけ、世界中を旅行したいと夢を膨らませていたしょうちゃんでしたが、その夢はついに叶う事はなくなったのでした。 ある日しょうちゃんが我が家にやって来て、どうも最近調子がおかしい・・・というのです。 その時のしょうちゃんの表情は、いつになく深刻なものでした。 しょうちゃんはもともと愚痴が多く、やって来ては「あいつがこう言った」とか「これが上手くいかない」などと愚痴ば...

  • vol.357 文通

    中国旅行にいったしょうちゃんは、上海で知り合った中国人の女性と住所の交換をしていました。 その女性は日本にあこがれていて、いつか日本に行きたいと日本語を勉強していたのでした。当時の中国は鄧小平が改革開放路線を言い始めたばかりの頃で、まだまだ貧しく、多くの人は自転車に乗っていた時代です。 実際、しょうちゃんが上海や桂林の観光地に行くと、そこには物乞いをする人たちがたくさんいて観光客に群がり、しょう...

  • vol.356 中国旅行

    H子さんと別れたしょうちゃんは、その後しばらくは新聞配達と駄菓子屋で大人しく過ごしていました。 ひとり暮らしになった事で、それまでほど必死でお金を稼ぐ必要もなくなり、むしろしょうちゃんにとっては気楽な状態でもありました。 それは様々なストレスに苛まれながら結婚生活を続ける時より、しょうちゃんにとって気が楽な時間でもありました。私たち家族はそんなしょうちゃんが、そのまま静かに過ごしていければそれが...

  • vol.355 無言の別れ

    しょうちゃんとの関係が冷え込んでしまったH子さんは、その後たびたび外泊するようになりました。 それについてしょうちゃんはどうすることも出来なかったようです。 H子さんは家事に駄菓子屋にと、きちんとやるべき事はこなしていたのです。しかし、しょうちゃんはその働きに応える事が出来なくなったのですから、外泊するなという事は出来なかったのです。 やがてH子さんの外泊は増え、数日も外泊する日もあったと言います...

  • vol.354 軋轢

    しょうちゃんとH子さんが結婚してから1年ほどが過ぎました。 人工肛門というハンディを抱えながらも、潰瘍性大腸炎の苦しみから解放されたしょうちゃんは、朝の新聞配達に、昼の工場勤めに、そして夕方から夜にかけての駄菓子屋にと、下手な健康な人よりもよほど良く働いていました。 H子さんもしょうちゃんがいない昼間には駄菓子屋を切り盛りし、子供たちを相手に頑張った後には、家事をきちんとこなして、立派に主婦として...

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