還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
特定の年代の人たちが急に増える? みんな1年に1歳ずつ歳を取っているのです
75歳以上急増という見出しの新聞記事がありました。でも、急に増えるはずはありません。
こんにちは、 暖淡堂 です。 僕は42歳(ちょうど本厄)のとき、ギックリ腰をやってしまいました。 娘に背中に乗ってもらって、腰のあたりを踏んでもらっていました。マッサージ代わりですね。 それまではなんどもやってもらっていて、問題がなかったのですが、そのときいきなり、グギッ...
定年も近いのにストレスチェックで要観察となった カウンセラーや産業医との面談の効果3つ
こんにちは、 暖淡堂 です。 僕の勤める会社では、年に1回、アンケート形式でストレスチェックを行っています。で、今年の僕の結果は。 ストレス高の状態。産業医、またはカウンセラーと要面談。確かに心穏やかな状況ではなかったので、結果には驚きませんでしたが。 高ストレスと判断さ...
どのような住居で人生の最後を迎えるか 終の住処について考える
還暦、定年まで後少し。 高齢者としての生活の見通しを立てておかないといけない年齢になりました。 高齢になっても、できるだけ自立して健康に過ごしたいものです。 自立して暮らしていくためには、どのような住宅に住むのかがポイントになりますね。 それを 終 つい の住処とするなら...
怒りやイライラは自分を守る防衛本能 定年間近でも起こる職場でのパワハラでのストレスをいかにかわすか
こんにちは、 暖淡堂 です。 みなさんの会社には役職定年というものはあるでしょうか。僕の勤めている会社には、制度としての役職定年はありませんが、実質的に役職定年といえる状況があります。 それは、職場の中で年齢が自分よりも下の人が上司、たとえば部長になったとき。その後は、職位...
定年後のお金の心配 一番気になるのは60歳から65歳までの5年間 必要な収入を見積もる時の考え方
こんにちは、 暖淡堂 です。 還暦を無事健康に迎えることができたとして、その後に会社の定年が来ます。で、定年後気になるのがお金のこと。 特に、年金受給を65歳からとすると、60歳で定年を迎えてから年金受給が始まる65歳までをどのように暮らすのかが問題になります。 定年後、...
定年後の生活を予想させる、テレワークで変わった三つの生活時間
こんにちは、暖淡堂です。 総務省統計局のメールで、面白いデータのお知らせがありました。 テレワークをするようになって、どのように生活の時間が変わったかを調査した結果がまとめられていました。 それが、ちょっと面白かったので紹介します。 総務省統計局の調査レポート テレワー...
還暦というイベントを迎えるにあたって まずは還暦までの期間を確認してみる
こんにちは。 皆様、お健やかにお暮らしでしょうか。 暖淡堂です。 あと少しで還暦を迎えます。 還暦を迎えるにあたって、いろいろと準備をしたり、これまでのことを整理したりしないといけない時期にきています。 まず、自分の還暦までの期間を整理したいと思います。 この記事を書いている時点...
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還暦前後から老後の暮らしを豊かにするための東洋、西洋、仏典などの古典の紹介。
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「臨済録」原文全文とその現代語訳を紹介しました。 仏教や禅に関する書籍ですが、純粋に東洋思想の書物としても読むことができます。 そこに書かれている言葉は、現代に生きる私たちにとって、自信を持ち、より心穏やかに暮らすための導きとなるものばかりです。 「臨済録」が、より多くの人たちに読まれることを
臨済は、自らの法を伝えた慧然に、最後の問いかけをします。 それに対し、慧然は一喝で答えます。 臨済はその答えに満足したのでしょうか。 それとも大いに不満だったのでしょうか。 自分の法は、目の見えない驢馬のところで滅んでしまう。 そう言って亡くなりました。 臨済が亡くなった後、慧然らは師の
金牛和尚は臨済の振る舞いを無礼であると咎めます。 しかし臨済はまったく構いません。 そして、さらになにか言おうとする金牛和尚に一棒を加えます。 溈山に、さてこの二人、どちらが勝ったのだろうかと問われた仰山は答えます。 勝ったとしたらどちらも勝ち、負けたとしたらどちらも負け。 勝ち負けは、こ
溈山は、古人たちの教えは電光石火のようなもの、誰も追い切れないが、そもそもそんな言葉には意味などなかったのだ、と言います。 それに対し、仰山は言います、表向きには誰も通さないが、裏ではこっそりと馬も車も通り抜けています。 言葉の上での厳しさはあっても、通り抜ける術はあるものだ。 そう言っている
明化は臨済に、どうして歩き回っているのかと尋ねます。 臨済は、ただ歩いて草鞋をすり減らそうとしているだけです。 あるいは、ただ草鞋がすり減ってしまうまで歩いているだけです、ということかもしれません。 明化はさらに問います。 それはどういうことか、と。 臨済はそれに答えるのではなく、ただつぶ
臨済は凡でもなく聖でもないところを象田に尋ねます。 それに対し象田は、まあ自分は見たままの、このままのものだよ、と答えます。 臨済は一喝して、ここに集まっている僧たちは、象田から何を学ぼうとしているのか、と言います。 その言葉の意味は、何通りかに解釈できるかと。 ここには学ぶべきものはない。
翠峰の問いかけに対して、臨済は、黄檗には特別な言葉などありません、と答えます。 そうだとしても、何か言ってごらんと翠峰はさらに問いかけます。 それで、臨済は、矢のように、あっという間に西に向かって飛び去った。 もうここには痕跡も残っていないのだ、と言います。
とても短いやり取りの中で、華厳和尚と臨済はお互いの力量を計りあっています。 そしてそれぞれを認めているのでしょう。 臨済録の中に出てくる人たちは、懸命に経典を読むことよりも、むしろ居眠りをするような状況を評価しているようです。 そこから私たちはどのようなことを読み取るべきでしょうか。
大慈和尚は臨済に答えて言います。 冬の寒さの中でも松は変わらず、千年経とうとも他のものとは同じではない。 しかし、世の中も春ともなれば、老人は花を手にもて遊ぶのだ。 それは大慈和尚のそのままの現状を言ったものかもしれません。 それに対して臨済は言います。 古くから完成された知恵といわれてい
臨済は、師である黄檗の教えを、その痕跡を見ることもできない、と言います。 それは形を変え、臨済自身の中に流れ込んだものということかもしれません。 黄檗の教えが、笛に流れ込む爽やかな風であれば、きっと清々しい音を出すはず。 その笛の音を聞いている者はどこにいるのか、と平和尚は尋ねます。 その問
剣先を交えることなく勝ちを得るにはどうしたらよいか、どうかその方便を示してほしい。 臨済はそう問います。 それに対して龍光は剣で相手に切り掛かるときのかけ声を発します。 咄嗟の方便ではなく、追い詰められたときに発する一声のように聞こえます。 臨済は遠慮することなく言います。 龍光は負けた、
住職は、仏陀のお墓に礼拝しますか、それとも祖師のお墓を先にしますか、と聞きます。 臨済は、どちらにも礼拝しない、と言って、立ち去ってしまいます。 では臨済は何をしにそこに行ったのでしょうか。 仏教や禅の修行者を縛り付けているものの張本人たちを確認しに行ったのかもしれません。 そして、それらの
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