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【腎移植】"献腎再診外来"へ行ってきた(2025年1月)希望と現実が交錯する献腎移植待機11年目
献腎移植を目指して―年に一度の再診外来でわかった選考基準の複雑さと現実的な課題とは?
神楽坂の路地裏にひっそりと佇む古民家 …ジビエのレストラン@Nico Chelsea (神楽坂)
神楽坂の路地裏の古民家一軒家… なんともしっぽりとした神楽坂っぽいトコ そこにあるのが神田の「貝呑」さんや 銀座一丁目の「IJ」さんを運営されている 「夢屋」グループのジビエのお店 行きたい行
【腎移植】"献腎再診外来"へ行ってきました(2023年1月)
献腎移植を希望する者は、公益社団法人日本臓器移植ネットワークに登録していますが、年一回、移植手術を希望する移植施設で、登録更新のための受診が必要とされています。今回はその「献腎再診外来」に行ってきたお話。
AIツールを活用した『移植腎廃絶の裏に潜む"コスト"』と題した記事。はじめに/慢性拒絶反応後の心理的問題/心理的適応に影響する因子/心理的問題に対処する方法/メンタルヘルスサービスの役割/移植片の機能不全と心理的拒絶反応/結論
AIツールを活用した『移植腎を失った後の心理的苦痛への対処法』と題した記事。はじめに-移植腎を失った後の心理的苦痛に対処するために/移植腎を失うことによる心理的影響/個人の体験と対処法/心理的苦痛を和らげる方法/結論-移植腎の喪失に対処するために
【Supported by AI】腎移植のリスク(Risks of Kidney Transplantation)
AIツールを活用した『腎移植のリスク』と題した記事。1.移植された腎臓の拒絶反応(全般的な意味での)2.感染症 3.慢性拒絶反応 4.血栓症 5.麻酔による合併症 が、ここでは挙げられています。
【腎移植と情報】私が「移植腎が"ダメになった"」と言わない理由
移植腎廃絶患者の1人として私は、移植腎が廃絶することを「移植腎が"ダメになる"」とは表現しない。「言い方なんで、どうでもよくね??」仰る通り。あくまで、私のこだわり。ただ、こだわるが故に、移植腎に対する「表現」一つ垣間見るだけで、その方の、腎移植医療の「現在地(フェーズ)」が、なんとなく分かるような…。
【腎移植と患者】"移植腎廃絶"した当時の心を、よりリアルに言語化してみる
「慢性拒絶反応」という、辛く悲しく厳しい宣告をされた腎移植患者。人生に絶望し、人目もはばからず泣き叫ぶ…そんな姿を想像されるかもしれませんが、実際私は"そんな感じ"ではなかった。「移植腎を失う=喪失感」は感じるも、「主治医に任せるしかない」他に選択肢、考える余地はない、あれこれ考える必要が、私にはなかったですかね。
【腎移植の時期】もし"今"献腎移植の連絡が来たら(正直、"今"は困る…)
現在「在宅血液透析患者」兼「献腎移植待機者」である私としては「一日でも早く、献腎移植したい!」はずなのだが、今はちょっと事情が…がん闘病中"終末期"の母にとって私の存在は唯一の救い。「今、DAISUKEが移植、ってなったら、困る!!」納得…
生体肝移植、無事完了。しかし、本当の戦いはこれから…長い長い一年がくる
この数か月ずっと気にしていた生体肝移植、無事に完了しました。しかしながら術後の方がもっと大変だったりします。レシピエントは今後、免疫抑制剤をずっと服用することになりますが、故に制約も沢山。最初の一年は特に気を付けないといけないので…その空間づくりがとっても大変です。
生体肝移植当日。頑張るのはドナー、レシピエントで家族は特にすることがない…
生体肝移植にとうとう漕ぎつけました。その当日お昼に書いた記事です。一難去ってまた一難…そういうことばかりの四か月でしたがなんとかオペです。実際当日を迎えてしまうと、次は術後の心配が非常に大きいです。術後どうするのか、何が出来るのか、それを考えるのはドナーにならなかった自分の役割でしょう。
生体肝移植をきっかけに、失った時間を取り戻す。オペ前の家族の決意とその日の記録。
生体肝移植を一週間前に控えた今、いろんな不安があったけれど、いよいよ手術になります。今回自分はドナーになりませんでしたのである意味では傍観者ですが、オペに臨むドナーとレシピエント、二人の戦いを見届けたいと思います。だからこそ、自分は術後にしっかり力になってあげたい。そう思った日の記録です。
【腎移植患者の心理】生体腎移植ドナーがガン患者となったら…レシピエントとドナーの"人生会議"
生体腎移植のドナーであった母が、ガンの告知から現在まで辿った『死の受容の五段階』について、生体腎移植のレシピエントであった私がインタビューしました。腎機能廃絶といった腎臓"死"はもちろん腎機能廃絶に伴う社会的立場や自己イメージ・自律性の『喪失』を《受容》し生き続けなければならない私と、"個体としての「死」"を《受容》してもなお生き続けている母。複雑に絡み合う心情を言語化する作業は非常に困難ではありますが現時点で出来うる形にしてみました。