「満洲のおじさん」と呼ばれた叔父、藤原てい「流れる星は生きている」
男気 叔母のヤキモチと叔父が笑顔で照れたようにかわす言葉 満洲逃避行で死なせた2児 汚い前垂れで拭いて渡してくれたりんごや柿 タバコもお酒も飲まなかった 一人がお腹を壊している時は子供達みんなにお菓子を控えさせて、辛さを共有し我慢のやさしさを教えた 母は男兄弟が十人ほどいましたが全く会ったことのない叔父たちもいて その中で1番親しく行き来していたのが、雑貨屋をしていた「満州のおじちゃん」。 戦前の貧しい北海道で4男に生まれ育った叔父は、まだ若い時に日本が侵略国だなどということの自覚はないまま、満州ドリームを抱いて渡ったと聞きます。 本が好きだった叔父は新聞社で使い走りの職を得て、その後本屋を開…
2025/05/26 19:26