2010年前後の話。モンサンミッシェルとロワールを周ってパリに戻ってきた。ツアーの最終日は終日自由行動。朝、フロントエリアの一角を貸してもらい、ツアーデスクを開催。前日に承ったディナー予約の結果、目的地への地下鉄などのアクセス等自由行動の相談をしながら、次
添乗員のドキュメントストーリー。 いいことも悪いことも、いいツアーも悪いツアーも、いい客も悪い客も満載。 業界の裏話も時々出ています。現地の美しい風景も掲載。
朝の光線で余計に美しさが際立つネーロイフィヨルド沿い。その時の気分だけできれいに見えたわけではない。後から写真で見ても、最高に美しい。「こんなことがあるのかな?」たった3時間の睡眠で目を覚ましたあと、劇的に変わったネットの天気予報を見て僕は驚いた。ホテル
「結果論ですよ。仕方ないでしょう。ドライバーさんも良かれと思ってやってくれたんだから。」その言葉に、どれくらい救われたことか。まわりのお客さんたちも頷いていたので、なおさら救われた。ヤイロでの休憩の時だ。ここまで至る過程を説明した時、この男性客の言葉
とりあえず休憩地となるヤイロまで辿り着かなければならなかった。上が本来通るはずだった道。下が実際に通った道。かなりの遠回りになった。 「失敗したかな・・・」夜の9時。少々薄暗くなってきた車窓を眺めながら、僕は焦りを感じていた。「事故現場は復旧したか
道路はまったく動く気配を見せず、二時間が過ぎた。たまに前方から車が引き返してくる。現状に見切りをつけて、別のルートを取ることに決めたようだった。僕らのドライバーは。未だ動こうととしない。というよりも、今さら動けなかったのだろう。彼ばかりに責任を負わせ
天気に恵まれていたこの日のオスロ観光は順調だった。ヴィ―ゲラン公園の彫刻群では、いつも通り怒りん坊が圧倒的に怒り、女の子が男の子を、きつい顔で仲間外れにして、お客さんたちを喜ばせていた。出口近くには、オスロのこの時期に相応しい桜が咲いていた。しかし
コロナの記録と記憶2023㉑ 消えたアクリル板と注意喚起に忙しい旅行会社
アクリル板がなくなった近所のスーパー。すっきり。昨日、自宅近くのスーパーに行ったら、妙な開放感を感じて「なんだ?」と思ったのだが、すぐに原因が分かった。今回行った北欧ツアーの前にあったアクリル板が撤去されてていた。「そうなんですよー。となくなったんです
4月から北欧ツアーに3回連続して入っていたが、締めの3本目に来ている。日本を昨日発ち、今はヘルシンキでの乗り継ぎまた時間。朝5時で快晴。北欧ツアーでは、しばらく天気に恵まれていたけれど、今回のフィヨルドでは多少の雨が予想される。はっきり言って試練だ。それでも
世界の風景 広大なフィヨルドを遊覧飛行のように楽しめるフライト
以前、ここでベルゲンのブリッケン地区そばからから出ている遊覧飛行の話を書いた。http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/6620994.html嬉しそうに風景のことばかり書いていて、肝心の乗り場情報が記載されていなかった。この時は、まだまだ書く内容が未熟で
「あれ?そう言えば今日は来ていないな。」5月9日。気付いた僕は、LINEを開いて、あるアカウントを追った。東京都-新型コロナ対策パーソナルサポート。 コロナ禍が始まって少ししてから始まった、東京都が作成した公式コロナ情報アカウント。そこで毎日チェックしてい
コペンハーゲンの市庁舎そば。ストロイエ入り口手前では、桜が見事に咲いていた。いつ見てもいいもんだ。この前の北欧ツアーにて。デンマークの首都コペンハーゲンを案内している時のこと。アマリエンボー宮殿の説明が終わり、フリータイムをとった。お客さんたちが、フレデ
コロナがいよいよ五類になった。国内で初の感染者が出てから三年三か月。長いトンネルを抜けようとしている。ニュースでは、「五類になり、なにが変わるのか?」を盛んにやっている。僕ら添乗員にとっては、なにが変わるのか?空港での作業が変わる。例えば、受付時に
今回も素晴らしいフィヨルドの風景だった。昨日、今期二度目の北欧ツアーから帰った。連休の時期しか休めない人たちのために作られた六日間の旅。現地でたった四日間しか過ごせない中、最後のプログラムにして最大のハイライトであるネーロイフィヨルドとアウランドフィヨル
こぼれ話 桜が終わった後の吉野山で盛り上がったお客さんたちの話
桜が終わった後に桜の名所を訪れるツアー。最後の目的地は、京都から出て、奈良の吉野山。前日、暇を見て現地に電話をして桜の状態を確かめた。「下、中は完全に葉桜。上は少し残っているかなあ。奥にはまだ少しあるかもしれませんわ。」そうだろうと思った。どこか一
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2010年前後の話。モンサンミッシェルとロワールを周ってパリに戻ってきた。ツアーの最終日は終日自由行動。朝、フロントエリアの一角を貸してもらい、ツアーデスクを開催。前日に承ったディナー予約の結果、目的地への地下鉄などのアクセス等自由行動の相談をしながら、次
そのツアーでは、ベルゲンでのディナーがついていなかった。食事にうるさそうなお客さんたちの舌鼓を打ってやろうと、僕はとっておきのレストランにご案内した。おすすめメニューは、クジラのカルパッチョとトナカイのステーキ。参加者9名のうち強者の方々が6名参加さ
10年前くらいだろうか。スイスツアーに年配の女性四人組が参加された。最高齢は88歳。しかも、顧客情報に「空港では車椅子利用」と記載されていた。すぐに他の参加者の情報をチェックして、コース内容も確かめた。「観光内容は、景観を楽しむのがメイン。ハイキングは
エーゲ海クルーズを終えてラブリオンの港に戻ってきた。スーツケースを受け取ってホールを抜けると知り合いのギリシャ人日本語ガイド、アンナ(仮名)が手を振っていた。「お久しぶり!」と挨拶をして、お客さんともどもバスに乗り込んで出発した。走り出して一通り案内
修理しながら辛抱強く使っていたスーツケースにとうとう別れを告げた。これまでたくさんのスーツケースと付き合ってきたが、特に思い出深いものだった。五回ツアーに行ったところでコロナ禍に入り、しばらく部屋の隅で休んでいた。添乗に出ていないと整理していない服が
事故が起こったことにより、バス会社が行っている安全対策について書こうと思う。どの案件か特定を避けるため、地名や人名は数字とアルファベットで記載する。分かる人には分かるだろうけど「●●ですよね?」的なコメントは気付き次第即削除しますからご了承ください。以
2月頃、世間を賑わせたサントリーニ島および周辺の地震。島内の学校が閉鎖して、住民が島外に避難する事態にまで発展した。また、多くのクルーズ船が4月いっぱいの抜港を決定した。余震も続き、ツアーの催行も危ぶまれたが、大半のホテルやレストラン、土産屋が「例年通
チャムルジャモスク。2019年に完成した新しいトルコ最大のモスクは、イスタンブールのアジアサイドに一際目立って建っている。日本発着のトルコツアーで、アジア側の観光が組み入れられたものは珍しいが、今回はその機会に恵まれた。バスを降りて階段を上がってモスクが
洞窟ホテル。谷間の洞窟がホテルルームになっている。添乗員部屋がある谷底から撮影。最上部まで部屋。夜は雰囲気が変わる。どの旅行会社のトルコツアーでも売りのひとつになっているカッパドキアの洞窟ホテル。実は、けっこうな添乗員泣かせの代物。写真で見るときれいな
ANA利用で行くトルコツアーの仕事をいただいた。これまでいただいたトルコの旅は、必ずトルコ航空利用だったので、とても新鮮で楽しみにしていた。なんと言ってもコロナ禍明け初めてのANAだ。最近はJALやANA利用のツアーに恵まれていなかったもんな。やはり愛すべき日系航
マラケシュからカサブランカに向かう途中、サービスエリアのカフェにて。「ノスノス(モロッコでカフェオレのこと)をいただきたいのですが、カードを使えますか?」「はい、ご利用いただけます。」キャッシュレスの波はモロッコにも来ている。ヨーロッパほどではない
「今日は時間があるからゴシック絵画も見てみましょうか。」フィレンツェが誇る美の殿堂・ウフィッツィ美術館に入るなりガイドさんが言うと、一部のお客さんは喜んで頷いただけで、他の方々は少し遠慮したそうな表情を見せた。一般的にゴシック絵画は宗教作品が多く、キリ
日光東照宮は雪の中訪れた。札幌を除けば暖かいところばかりからやってきたお客さんたちは、寒さに震えていた。それでも僕に言わせれば、お客さんたちは幸運だったと思う。時期を選びながら余裕のある行程で天気予報をチェックしておけば、晴天時の訪問は可能だ。しかし
久しぶりに国内添乗に出た。1月末にフィンランドから帰って来て、次のエジプトまで二週間空いてしまったため、若手相手の研修やレクチャーに労力を費やしながら、国内の仕事をいただいた。「あしかがフラワーパークに行くツアーがありますよ!」アサイナーがノリノリで
まず、なんと言ってもツアー選びは大切だ。フィンランドやノルウェーであればオーロラエリアで3泊欲しい。現地ガイドやオーロラに詳しい添乗員も「3泊すればだいたい一回くらいは」と口を揃える。僕個人としては4泊は欲しい。昨年のフィンランドツアーでは、4泊中の4泊
去年はこんなの見られましたっけね正直、北欧のオーロラとはあまり相性がよくない。というか、アラスカやカナダのイエローナイフといった北米方面に比べると、北欧でオーロラが見られる確率は低い。いつか、個人的に添乗員たちに統計を取ったことがある。調査協力いただい
真冬のフィンランド。メインはオーロラ鑑賞だが、今回はいろいろ観光がついていた。そのひとつがトナカイのソリ体験。二人乗りのソリに分乗して雪原をゆっくりと進む。御者さんは歩いてトナカイを誘導しているので本当にゆっくりだ。今回は参加者が奇数だったので、僕は女
いつかNHKでノートルダム大聖堂復興の特集番組をやっていた。そこでは一般人には想像もつかない作業の手間や苦労が描かれていた。一番ショックだったのは、鉛の屋根が崩れ落ちて溶けてしまったことが原因で、かなり強く汚染されてしまっていた内部の状態だった。作業員は
冬の光はヨーロッパの建築物をきれいにしてくれる。上の写真はすべてスペイン年末年始のツアーは、家族連れが多い。母親と子供か両親と子供の組み合わせが大半だが、大抵子供は娘だ。しかし、今回は男性が大半を占めた。二十代から三十代前半にかけて「子供」の立場になっ
2024年最後の仕事となったヨルダン。ヨルダン観光のシンボル。ペトラ遺跡のエル・カズネこれが岩をくりぬいたものだというのだから驚く。インディジョーンズの映画でお馴染み噂には聞いていたが、想像よりも遥かに空いていた。イスラエルがパレスチナ、ヒズボラとの戦闘
この前のツアー出発時のことだ。航空機に乗り込んで一息ついた時に気付いた。「しまった。マンションのルームキー・・・」手荷物検査場を通過する時、ポケットにそれが入っていると気づいてトレーに置いたのだが、X線を通した後に取るのを忘れてしまったことに気付いた。
東京見物の案内は思ったよりもうまくできた。日頃散歩に行ったり食事に出かけたりするところを通ったりしたので、東京に住んでいる者としての案内はうまくできたと思う。スカイツリーの麓に、あれほど大きな団体バス専用駐車場があるのは知らなかった。また、駐車スペース
当日朝、僕は最初に羽田空港の第二ターミナルに向かった。まずは10名のお客さんのお出迎えだ。「あら、今回はたったこれだけ?」集合後に目をキラキラさせて喜ぶマダム。でも、そんな都合のいいはずもなく、「いえ。この後第一ターミナルに移動してJAL便でいらした方々
「これは大変そうだな。」打ち合わせの書類を眺めながら思わずつぶやいた。「どうかしましたか?」隣に座っている若い添乗員が声をかけてくれた。彼は、添乗員ルームでたまに見かける人なのだが、国内専属で仕事をしているため、会話を交わしたのは初めてだった。「
一昨日トルコから帰ってきて、次は10日間ほど空けてクロアチア。その合間に東京見物ツアーの国内添乗をすることになった。で、準備を進めているのだが、東京の案内って難しいな。特に車窓。別に気取って言うわけではないが、ロンドンやパリのほうが簡単だぞ。アテネの車窓
とりあえず商談のチャンスは確実になくなったので、先方に電話しようとしたが繋がらない。どうやら通信インフラにも問題が発生しているようだ。この時代、メールは既にあったが海外用携帯での使用はまだそれほど浸透しておらず、この時点では連絡手段が断たれた状態であった
先日、スイス大使館で行われた取引先旅行会社のイベントに参加した。過去にその会社のスイスツアーに参加経験のある添乗員の中で、イベント実施日に日本にいる者たち五人が呼ばれた。旅行会社の販売促進に各国大使館が助力するイベントは、90年代の中頃から流行り始めて、
細身さんからの「助けて光線」がだんだんと強く太くなってきた。気が付くと背後の中肉中背レディースも何かを放ち始めていた。なんだか妙な責任を負わされているような気分になってきた。面倒くさいと思う一方で、へんちくりんなやりがいも感じていたような気もする。「
ちょっと前に参加したとある取引先での旅行イベントでの出来事。女性の四人組がいらしていた。もう参加するツアーは決まっていた。最初は他のスタッフが対応していたらしいが、非常に質問が細かいということでノルウェーによく行っている僕が呼ばれた。席につくなり一番
早朝く暗いうちにホテルを出て、打ち上げ場に着く頃にようやく薄明るくなってきた。多くの気球はまだ地面に横たわり、轟音とともに膨らませている最中だった。やがて立ち上がる。炎が上がると辺りのうっすらとした明るさはかき消されて暗闇になった気がする。搭乗したら最
今回行ったトルコツアーでは、気球での観光が含まれていた。打ち上げ場ではいくつかの旅行会社が一緒になる。搭乗する気球は違うが、A社の添乗員の僕はお客さんたちと一緒に乗った。B社の添乗員は乗らなかった。これは添乗員の意志ではなく旅行会社の方針だ。「いいなあ
久しぶりのトルコに行った。コロナ禍明けの物価高騰はどの国に行っても感じたが、個人的には今回のトルコが一番だった。ちょっと前まで円換算で300~500円程度、五つ星ホテルでも1000円少々だったビールがイスタンブール市内の普通のレストランで1200円、田舎でも800円以
いつぞやのトルコツアーでの話。朝、出発前に年配女性客に声をかけられた。「すいません。今さら言うのもなんですけど、実はシャワーと蛇口の切り替えが壊れていてシャワーをつかえませんでした。」「あら。どうしてすぐに連絡をくださらなかったんですか。」「だって
ツアーと添乗員だけで言えば、アンケートはかなりの高評価だった。スペインのハイライトを効率よく巡るコースそのものは秀作で、よほどの失敗をしなければ、参加者にはとても満足していただける内容だった。明神さんについては、七割のくらいの方は触れていなかった。いろ
「ねえ、さっき諏訪さんに何か言おうとしたでしょ?」武田さんは、目をキラキラさせている。「別に何も。」「いや、言おうとしていた。私には分かる!」分かるもなにも「でも・・・」と口に出していたのだからそりゃわかるに決まっている。「あんたは、どんな時で
「すみません、お待たせしちゃって。先にいらしてたんですね。」明神さんが、ほんの僅かでも気まずい思いをされないように配慮したつもりだった。「私の部屋のシャワーがどうしようもないポンコツでねー。ツートンさんを貸り切っちゃってごめんなさい。」武田さんも続
セビリヤにて。最後の観光を終えてホテルに着いた。この日の夕食はついていなかったので、これで解散だ。「明神さん、夕食はどうされますか?」バスからホテルの部屋に帰る前に僕はたずねた。このツアーでは、夜の自由食が三回あり、これが三回目だった。一回目は、
大聖堂の観光を満喫したお客さんたちを連れて、僕らは休憩場所の銅板細工屋に着いた。しっかり修行した職人たちが伝統工芸品を見事な腕前で手掛ける様子を、お客さんたちは興味があるフリをして見ている。トイレを使わせてもらうための「せめてもの礼儀」だった。「うちに
http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/24270164.htmlhttp://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/24294683.htmlhttp://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/24303036.html(間が空いてしまったので、過去三話分のURLを貼っておきます)==
こんなことがあるんだと思った。その方は、日本人日本語ガイドとして、韓国人グループを三回も案内したことがあるという。日本の派遣添乗員には、育成の過程がある。一般的には、最初に東南アジアやインド、トルコなど優秀な日本語ガイドがいるところで案内人の動きを学び