分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
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同胞のユダヤ人からお金をむしり取る、嫌われ者の徴税人がいた。キリストと出会って劇的な回心を遂げたザアカイの物語を、短い戯曲でお届けします。
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2023年10月22日の礼拝説教の内容です。イエスが〈ムナのたとえ〉を話す場面(ルカ19:11-27)から、聖書の御言葉を学びました。
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
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2023年9月17日の礼拝説教の内容です。イエスが〈放蕩息子のたとえ〉を話す場面(ルカ15:11-32)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年9月10日の礼拝説教の内容(後編)です。イエスが弟子の条件を説く場面(ルカ14:25-35)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年9月10日の礼拝説教の内容(前編)です。イエスが弟子の条件を説く場面(ルカ14:25-35)から、聖書の御言葉を学びました。
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
2023年9月3日の礼拝説教の内容です。イエスが「婚宴では末席に座りなさい」と説く場面(ルカ14:7-14)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年8月27日の礼拝説教の内容です。福音に啓示された神の義について教える箇所(ローマ1:16-17)から、聖書の御言葉を学びました。
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
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救いは神の一方的な恵みによる。ただ、その恵みを受け取るには決断が不可欠です。他力による救いへの第一歩とも言える「自力本願」について綴ります。
選択を誤れば地獄行きの「自由意志」は、神のエゴではなかった! 人間の選択権に隠された、神の御心と自由の意味について考えました。
神への中傷と罵倒の10か月。深刻な不信仰を経て、神のあわれみとキリストの十字架が、いかに大きなものかを知りました。
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくは「(神に)すくわれる」と書くときに、「救霊われる」と当てることがあります。神は究極的にはぼくたちの「霊」を救うのであって、必ずしも「生活上の困難」から救うわけではない、ということを強調するためです。それを、自分自身に言い聞かせるためでもあります。 ぼくの信仰のあり方や神の見方を見つめると、あくまで“ご利益”を求めている感が否めません。ここ半年の不信仰期を振り返ってみても、神を都合のいい、招き猫かなにかと勘違いしていたように思えます。これくらいのことをしてくれたら礼拝してやってもいい、という傲慢極まりない思いさえありました。 そんな不信仰に至った理由を、「愛である神が人間をみじめな境遇に生み落としたことに、矛盾を感じるようになったから」などと、ぼくはもっともらしく綴ってきました。それが本音であることは間違いないですが、もっと直接的に本音を吐くとこうです、
ハレルヤ~! 安田遜です。 信仰を失い、神に対して答えられざる疑問と、ガキっぽくも真剣な怒りを抱きはじめてから、まもなく早半年。実は、それまでにも同じような経験はちょくちょくあり、そのときの気持ちを赤裸々に綴った記事を投稿したこともあります。 それらの記事には幼稚で浅はかな、ただ感情的なだけの文句が書き連ねられていたので、あまりの恥ずかしさにことごとく撤回してしまいました。まぁ、ここ半年の記事も同じようなものなのですがσ^^; 自分のブログや日記を読み返してみると、「ぼくは信仰なんかしてなかったのかもしれないなぁ…」と感じざるを得ません。今日はそのことについて書いてみます。 ぼくが自分のそもそ…
ハレルヤ~! 安田遜です。 神への信仰を失ったことについて、いくつかの記事で綴ってきました。不信仰の理由をぼくは、聖書の内容に大きな矛盾を感じたからだと語り、全知全能の神が人間を不完全につくったことに、不平と怒りを表明してもいます。 それらのことは本音ですが、憎悪とも言える神への反発心を、自分でも異常なものだと感じています。最近、その悪感情を克服するための課題が見えてきました。それは、 自分の中に「愛」を育んで、そのままの自分を認められるようになる ということ。ぼくは自分自身を愛することができず、むしろ自己否定がすべての出発点になっているので、生きることに対して不都合ばかり感じてしまうのです。…
ハレルヤ~! 安田遜です。 キリスト教にはうんざりするほどたくさんの教派があり、ぼくはその中でも福音派に属しています。トランプさんが大統領だった時期、その支持層の一部を占めていた派閥なので、耳にしたことのある方も多いかもしれません。
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくがキリストを信じたのは、単純に信じたかったからでした。昔からスピリチュアル好きだったぼくは、神や仏もいるのだと信じて疑わず、その神仏がだれであれ加護を享うけたいと、ずっとずっと願っていたように思います。ぼくには、神が必要だったのです。
ハレルヤ~! 安田遜です。 信仰から離れたと言いながら、神について考えない日はありません。別れたはずの恋人のことを未練たらたらに思い焦がれているようで、われながら滑稽ですw でも、神の存在そのものを疑っているわけではないので、今後の天気を気にするのと同じだと言えば言えそうです。この先に超大型台風が上陸するという予報に触れるのと同様、ぼくにはある気がかりがあります、 このまま信仰が戻らなかったら、ぼくはどうなるのかな…? ノンクリスチャンの方には(もしかしたらクリスチャンの方にも)理解しがたいことかもしれませんが、ぼくは聖書の内容をすべて真理・真実だと信じています。「信じている」というより、「事…
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくには、夜ごとYouTubeで癒し系動画を観あさる、という乙女のような習慣があり、最近は、独身女子が自分のライフスタイルを紹介する動画にはまっています。そして先日、ある動画の中に、すてきな光景を見つけました―― ある女性が手間暇をかけてつくった料理。それら2、3の品々が、いちいちおしゃれなお椀や小鉢にそれぞれ盛られ、小さな丸テーブルに慎ましく並べられる。その円卓に、カーテンのスキマからひと筋の金色が差し込み、立ち上る湯気を輝かせている。 そのシーンが流れると、ぼくはなぜか瞬間的に、食前の祈りを捧げている自分の姿を想像しました。その女性はクリスチャンではない(と思う…
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくが信仰から離れたいちばんの理由は、神に関する矛盾と疑問に突き当たったからです。その疑問はだれに答えられるものでもなく、自問自答しても、思春期によくある禅問答のようで、考える意味はほとんどありません。 それでも考えてしまうのは、単純に、ぼくが思索にふけることを娯楽にしているからです。そういうことを娯楽にできてしまうほど、ぼくは暇な人間なのですw さて最近では、信仰が冷めたのには、もうひとつくらい別の理由があるような気がしています。それは、神にすがって努力を怠る自分を赦せなくなった、ということ。 この世には自分の力では及ばないことがたくさんありますが、自分の努力次第…
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくが信仰をほとんど失ってしまったのは、「神はなぜこの世を不完全につくったのか?」という、そもそも論に手を出してしまったからでした。別にわざわざそんな面倒臭いことを考えなくてもいいのですが、聖書を学んでいると、その問いは必然的に浮かんでくるものです。 そして、その疑問をひもとく第1段階でまずぶつかるのが、今回のテーマである「神に与えられた自由な選択権は、人間にとってありがたいものなのか?」というもの。 ぼくは神を讃美する気持ちを失ったものの、神の存在自体を疑ってはいません。神の全能性についても同様です。だからこそ、神がわ・ざ・と・この世界を不完全につくったことに怒り…
ハレルヤ~! 安田遜です。 信仰から離れ、当然ですが教会にも行かなくなりました。牧師先生や教会の仲間からは、ありがたいことに心配のLINEが届きます。信仰が冷めたことは伝えられず、「仕事が忙しいので、休日は体を休ませたくて…」と無難な返事をしています。 ところで、いつも冒頭に使っている「ハレルヤ」ですが、これは「神をほめ称えよ」という意味で、神を礼拝する気持ちをなくしたぼくが使うような言葉ではありません。でも、もはや決まり文句にしていますし、「ごきげんよう」くらいの気軽な挨拶として使いつづけることにします。 そういうことにまったく後ろめたさを感じなくなったのも、信仰心がなくなってしまった証拠な…
ハレルヤ~! 安田遜です。 長らくブログを休止状態にしていましたが、それは今後もしばらく続きそうです。 と言うのも、ぼくが自分の信仰のあり方に疑いを抱いているからです。いえ、正直に言うと、信仰対象であるイエス・キリスト、神に対して、本格的に疑問を抱いてしまったのです。 全知全能の愛の神が、この世界を不完全につくり、しかも、そこに生きる人間を救われる者とそうじゃない者に分けたのは、いったいどうしてなのか? ぼくはいまも変わらず、神は永遠の存在として全宇宙に君臨し、その摂理を支えている、決して揺るがない“存在たる存在”だと認識しています。そしてその神が、聖書に啓示されている、父・子・聖霊の三位一体…
2022年4月3日の礼拝説教の内容です。ヤコブとヨハネがイエスの左右の座を求める場面(マルコ10:32-45)から、聖書の御言葉を学びました。
【礼拝】キリストは悲劇のヒーロー? いや、悲劇を終わらせた救い主だ!
2022年3月27日の礼拝説教の内容です。イエスのしょく罪の死を預言している箇所(イザヤ53:1-12)から、聖書の御言葉を学びました。
2022年3月20日の礼拝説教の内容です。ペトロがイエスへの信仰を告白する場面(マルコ8:27-33)から、聖書の御言葉を学びました。
2022年3月13日の礼拝説教の内容です。イエスがベルゼブルに取りつかれていると中傷される場面(マルコ3:20-27)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年10月11日の礼拝説教の内容です。イエスがラザロの危篤を知らされる場面(ヨハネ11:1-16)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年10月4日の礼拝説教の内容です。ユダヤ人がイエスに石を投げて殺そうとする場面(ヨハネ10:31-42)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年9月27日の礼拝説教の内容です。イエスが神殿奉献記念祭で自分の神性を明言した場面(ヨハネ10:22-30)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年9月20日の礼拝説教の内容です。イエスが〈羊の囲いのたとえ〉を話す場面(ヨハネ10:1-6)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年9月13日の礼拝説教の内容です。イエスがユダヤ人を「悪魔の子」と断じる場面(ヨハネ8:37-47)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年9月6日の礼拝説教の内容です。イエスが「わたしは世の光である」と説く場面(ヨハネ8:12-20)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年8月30日の礼拝説教の内容です。イエスが姦通を犯した女性を赦す場面(ヨハネ8:3-11)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年8月23日の礼拝説教の内容です。ユダヤ人たちがイエスの正体について言い争う場面(ヨハネ7:40-52)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年8月16日の礼拝説教の内容です。イエスが兄弟たちから御業を示すように勧められる場面(ヨハネ7:1-9)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年8月9日の礼拝説教の内容です。イエスが「わたしは命のパンである」と説く場面(ヨハネ6:41-59)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年8月2日の礼拝説教の内容です。〈5000人の給食〉を体験した人々がガリラヤ湖を渡ってイエスを捜す場面(ヨハネ6:22-27)から、聖書の御言葉を学びました。
人は必ず死ぬ。聖書には、〈死〉の先に裁きがあり、またその先に死後の世界があると書かれています。だれもが避けては通れない〈死〉の本質を伝えます。
2020年2月23日の礼拝説教の内容です。イエスが5つのパンで5000人の人々を満腹にさせる場面(ヨハネ6:1-15)から、聖書の御言葉を学びました。
【礼拝】たった一つのゴールを目指し、それぞれの旅を生きよう!
2020年7月26日の礼拝説教の内容です。イエスが湖の上を歩く場面(ヨハネ6:16-21)から、聖書の御言葉を学びました。
【礼拝】アーメン。それは「命」というプレゼントを受け取る言葉
2020年7月19日の礼拝説教の内容です。イエスが裁きの権能について語る場面(ヨハネ5:19-30)から、聖書の御言葉を学びました。
続・ノンクリスチャンにおすすめしたいYouTubeチャンネル3選
聖書を知らなくても楽しめる、クリスチャンYouTubeチャンネルを紹介! クリスチャン的世界観をわかりやすく伝えている番組を集めました。
2020年7月12日の礼拝説教の内容です。イエスがカファルナウムの役人の息子を癒す場面(ヨハネ4:43-54)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年7月5日の礼拝説教の内容です。サマリア人たちがイエスを救い主と信じる場面(ヨハネ4:27-42)から、聖書の御言葉を学びました。
ハレルヤ~! 安田遜です。 ほとんど毎日、ぼくは夢を見ます(つまり熟睡できてない!)。夢を見ているとき、どんなにありえないことが起こっても、それを夢だと思わないのは不思議ですよね。 ごくたまに、夢を夢と自覚できるときがあります。十数年に一度、夢を完全にコントロールできることもあります。そういうのを、「明めい晰せき夢む」というらしいです。 ところで、先日見たある夢を、今日ふと思い出しました。その夢に感じることがあったので、今回はそれを綴っていきます。――あっ、明晰夢とか、全然関係ありませんw すごく後味の悪い夢だったのですが、自分自身の弱さと頼りなさに改めて気づかされる、なにか意味深げな夢でした…
ノンクリスチャンにおすすめしたいYouTubeチャンネル3選
聖書を知らなくても楽しめる、クリスチャンYouTubeチャンネルを紹介! キリスト教の基本の「き」をしっかりと学べる番組を集めました。
2020年6月28日の礼拝説教の内容です。イエスがサマリア人の女性に水を求める場面(ヨハネ4:5-26)から、聖書の御言葉を学びました。
【礼拝】キリストとともに生きる人生にも悲劇は起こるけれど・・・
2020年6月21日の礼拝説教の内容です。イエスと洗礼者ヨハネが別の場所でそれぞれ洗礼を授ける場面(ヨハネ3:22-36)から、聖書の御言葉を学びました。
2020年6月7日の礼拝説教の内容です。フィリポがイエスに「神を示してください」と願う場面(ヨハネ14:8-17)から、聖書の御言葉を学びました。
寝ぼけた頭に突如浮かんだあるワードに意味を見出そうとする試み
ハレルヤ~! 安田遜です。 突然なんの脈絡もなく、ある言葉や思考がポンッと思い浮かぶことはありませんか? ぼくは今日、ものすごく久しぶりにそんな経験をしました。 朝起きた瞬間に、「エニー・プア・プライズ」という言葉が、頭に浮かんできたのです。 別に夢を見ていたわけでもないのに、いったいなんのことだろうと思いました。ぼくは昔から、そういうことをスルーできません。天からのメッセージではないかと、そう考えてしまうのです(^艸^) プライズは、英語で「賞」という意味です。だからぼくは、とっさに聖書のある御言葉を思い出しました。 13…なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、…
ぼくをイエス・キリストへの信仰に導いてくださった命の恩人・Rさんについて、感謝と尊敬を込めて綴ります。
2020年4月26日の礼拝説教の内容です。失敗続きの伝道に落胆する弟子たちの前にイエスがお現われになる、3度目の顕現の場面から、聖書の御言葉を学びました。
ゆがんだ自己愛によって人を傷つけ、自分自身を苦しめていた過去。クリスチャンとして自分を愛するとはどんなことなのか、ある日の夢で教えられました。
ハレルヤ~! 安田遜です。 2020年4月12日、1年間通っているプロテスタント教会で洗礼を受けました。イースター礼拝の中で行われ、牧師先生を含めて8人が集った洗礼式のことを、今日は綴ります! 現在、世の中はコロナ禍のまっただ中。感染の拡大を防ぐため、政府は緊急事態宣言を発して、国じゅうが外出自粛に努めています。そんな中での礼拝…。 正直、かなり迷いがありました。キリスト教会は社会的責任を果たすべきだし、いちばん大切なイースターと言えども、礼拝は中止したほうがいいのではないか、と。 でもそんな状況の中で、イエス・キリストの復活を祝うための集会、そしてぼくの洗礼式が開かれたことは、やっぱり神の恵…
ハレルヤ~! 安田遜です。 4月になって、新しい年度が始まりました。喜ばしいことなのに、このカオスな状況だと、素直に祝っていいものか戸惑いますね…。予定どおり学校を再開できるのか、国会ではいろいろと話し合われているようです。 東京都では、公立高校をなんとGW明けまで休校にするのだとか! 夏までにある程度落ち着いたら、高校生と高校教師は、遅れを取り戻すために夏休みを一部返上して、学校に出ねばならなくなるかもしれません。どうなるのぉ(ノД`) あらゆる判断が正しいのかどうか、それはあとになって初めてわかることのような気もします。千里眼の完璧な判断を下せる人間はいませんから、後手に回る政府への批判は…
2020年3月22日の礼拝説教の内容です。イエスがマルタの姉妹・マリアに香油を注がれる場面(ヨハネ12:1-8)から、聖書の御言葉を学びました。
救われたいなら、まず〈罪〉を認めること。「人間はみな罪人である」という性悪説に基づく聖書には、〈罪〉の本質とその代償、どうすればゆるされるかが書かれています。
クリスチャンが熱心に宣教するのはどうして? それは、あなたに神の愛を知ってほしいから。高齢の祖父母への伝道を通して、その難しさを実感しました。
祈りって、ちゃんと聞かれてるんだ! 祈りの効果を疑っていたぼくに、神は諭すように働きかけ、正しい祈りの言葉をも教えてくれました。
亡き愛犬に魂があるのかはわからない・・・。 でも、愛犬を悼む気持ちを、神さまは必ず御心に留めてくださる。
「神はいるかどうかわからない」「信仰とは賭けだ」長老たちの言葉は、キリスト教の神について改めて考えるきっかけになりました。
「死にたい」という気持ちで覆われていた「助けて」の言葉。キリストはそれを聞き逃さず、どん底にまで降りて来て、ぼくを自殺未遂から救ってくれました。
「信仰」に意味なんてあるの? 危険じゃないの? 宗教になんとなくうさん臭さを感じていたぼくが、どうしてキリスト教を信じたのか、その理由とプロセスを綴ります。
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分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
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2023年10月22日の礼拝説教の内容です。イエスが〈ムナのたとえ〉を話す場面(ルカ19:11-27)から、聖書の御言葉を学びました。
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分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
2023年9月17日の礼拝説教の内容です。イエスが〈放蕩息子のたとえ〉を話す場面(ルカ15:11-32)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年9月10日の礼拝説教の内容(後編)です。イエスが弟子の条件を説く場面(ルカ14:25-35)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年9月10日の礼拝説教の内容(前編)です。イエスが弟子の条件を説く場面(ルカ14:25-35)から、聖書の御言葉を学びました。
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2023年9月10日の礼拝説教の内容(後編)です。イエスが弟子の条件を説く場面(ルカ14:25-35)から、聖書の御言葉を学びました。
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分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
2023年9月3日の礼拝説教の内容です。イエスが「婚宴では末席に座りなさい」と説く場面(ルカ14:7-14)から、聖書の御言葉を学びました。
2023年8月27日の礼拝説教の内容です。福音に啓示された神の義について教える箇所(ローマ1:16-17)から、聖書の御言葉を学びました。
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
分厚くて敬遠されがちな聖書からクイズを出題。とっても簡単な4択に答えて、聖書の世界に親しんでください!
救いは神の一方的な恵みによる。ただ、その恵みを受け取るには決断が不可欠です。他力による救いへの第一歩とも言える「自力本願」について綴ります。
選択を誤れば地獄行きの「自由意志」は、神のエゴではなかった! 人間の選択権に隠された、神の御心と自由の意味について考えました。
神への中傷と罵倒の10か月。深刻な不信仰を経て、神のあわれみとキリストの十字架が、いかに大きなものかを知りました。
ハレルヤ~! 安田遜です。 ぼくは「(神に)すくわれる」と書くときに、「救霊われる」と当てることがあります。神は究極的にはぼくたちの「霊」を救うのであって、必ずしも「生活上の困難」から救うわけではない、ということを強調するためです。それを、自分自身に言い聞かせるためでもあります。 ぼくの信仰のあり方や神の見方を見つめると、あくまで“ご利益”を求めている感が否めません。ここ半年の不信仰期を振り返ってみても、神を都合のいい、招き猫かなにかと勘違いしていたように思えます。これくらいのことをしてくれたら礼拝してやってもいい、という傲慢極まりない思いさえありました。 そんな不信仰に至った理由を、「愛である神が人間をみじめな境遇に生み落としたことに、矛盾を感じるようになったから」などと、ぼくはもっともらしく綴ってきました。それが本音であることは間違いないですが、もっと直接的に本音を吐くとこうです、