先日 長女とその娘・雪ちゃん(5歳)の三世代で外出する機会がありました。 行き先は 郊外にある「札幌芸術の森美術館」で 道すがら孫の雪ちゃんと手を繋いでいた時に言われたのが 雪ちゃん「ばあば!! おーワン(お父さん)から聞いたんだけどね。 ドラゴンボールを7個探して集めたら 願い事が叶って 死んでも生き返ることができるんだって」 と。 その時は 「おーワンが教えてくれたんだ」と私が答えて 終わったのですが・・・。
東日本大震災で故郷が壊滅。 8年の”魂彷徨い旅”を終えて 人生もブログも”next stage”へ。
生粋感覚を活かして 第二の故郷・北海道の”美味しいもの 美しい景色 ”を綴ります。 たまに妖しい話なども・・・
2025年5月
先日 長女とその娘・雪ちゃん(5歳)の三世代で外出する機会がありました。 行き先は 郊外にある「札幌芸術の森美術館」で 道すがら孫の雪ちゃんと手を繋いでいた時に言われたのが 雪ちゃん「ばあば!! おーワン(お父さん)から聞いたんだけどね。 ドラゴンボールを7個探して集めたら 願い事が叶って 死んでも生き返ることができるんだって」 と。 その時は 「おーワンが教えてくれたんだ」と私が答えて 終わったのですが・・・。
老眼鏡の度数が上がって たぶん新旧の眼鏡をバックに入れ替えしたつもりが 何故か忘れて 仕事先に行って老眼鏡が無いことに気づきました。 「困ったなあ!!」と思ったけれど 周りの人に気づかれないように過ごすつもりが その日に限って お取引様に頂いた名刺に書かれた”メールアドレス”に連絡しなければならない事情が起きました。
ブログを始めた当初から 一途にラミーチョコへの思い入れを語っている私。 季節は4月中旬。 「ラミーチョコ好きだから 探したんだけど 売ってなかったの。 だからこのチョコを買ってきた」と言うAさん。 「そうなんだ。同じようなラミー味だけど 何故売ってないのかしらと???」と答えるBさん。 いくら北海道でも3月中には ラミーチョコが各店舗の棚から外れていたのを知る私は 「ラミーチョコって冬期限定だもの。 夏にラムレーズンが弱いかので もう売ってないですよ!!」と。 「もう さよならラミーなんだけど・・・」の言葉が 「ラミー」が季節限定であることを今知った キョトン顔の2人の前を空しく通りすぎました。
丸4年の月日が流れて Kさんとは花友として 折々にアドバイスをする関係が続いていてました。 そのKさんが 4月に入って「天使が遊ぶ庭」で花を愛でながら 自分のことポツリポツリと自分のことを話すようになりました・・・。 「認知症の母親が 施設に入所したばかりだけど 友人に誘われた沖縄旅行に行って大丈夫だろうか」の話で お気楽な私は 「アレコレ悩むなら行ったら良いよ」と。 「お母さんの病状が重症でなければ 他の身元引受人がいるんだもの大丈夫」と。 「お母さんを口実に 自分のしたいことを諦めていると 好きでないお母さんが もっと嫌いになると思うけど」とも。 「自分が楽しいことして元気になると 人にも優しくなれますよ!!」と 私なりの考えを一言添えて。
北海道の春を告げる 5月の連休が終わりました。 毎日がお休み日の私たち夫婦は 子どもたち各々世帯が 家族サービスをするだろうと気遣い ひっそりと過ごすつもりでした。 しかし 幼少時に悲しい思い出で育った”自分の家族大好きな夫”が 何を思ったのか自ら動いて 長男・長女にメールを送って「桜の樹の下で 家族の写真を撮りたい!!」と 5月5日に招集をかけたのです。
お陰様で 今年も満開の桜を 夫婦揃って見ることができました。 昨年の12月初め 自覚症状も無く心臓弁と動脈瘤の同時手術をした夫。 雪が解けて「もし あのとき手術を受けていなかったら 今年の桜を見られていたのかなあ?」と 感慨深く呟いていた夫。 まずは 一つ目の念願をクリア!!
2025年5月
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先日 長女とその娘・雪ちゃん(5歳)の三世代で外出する機会がありました。 行き先は 郊外にある「札幌芸術の森美術館」で 道すがら孫の雪ちゃんと手を繋いでいた時に言われたのが 雪ちゃん「ばあば!! おーワン(お父さん)から聞いたんだけどね。 ドラゴンボールを7個探して集めたら 願い事が叶って 死んでも生き返ることができるんだって」 と。 その時は 「おーワンが教えてくれたんだ」と私が答えて 終わったのですが・・・。
老眼鏡の度数が上がって たぶん新旧の眼鏡をバックに入れ替えしたつもりが 何故か忘れて 仕事先に行って老眼鏡が無いことに気づきました。 「困ったなあ!!」と思ったけれど 周りの人に気づかれないように過ごすつもりが その日に限って お取引様に頂いた名刺に書かれた”メールアドレス”に連絡しなければならない事情が起きました。
ブログを始めた当初から 一途にラミーチョコへの思い入れを語っている私。 季節は4月中旬。 「ラミーチョコ好きだから 探したんだけど 売ってなかったの。 だからこのチョコを買ってきた」と言うAさん。 「そうなんだ。同じようなラミー味だけど 何故売ってないのかしらと???」と答えるBさん。 いくら北海道でも3月中には ラミーチョコが各店舗の棚から外れていたのを知る私は 「ラミーチョコって冬期限定だもの。 夏にラムレーズンが弱いかので もう売ってないですよ!!」と。 「もう さよならラミーなんだけど・・・」の言葉が 「ラミー」が季節限定であることを今知った キョトン顔の2人の前を空しく通りすぎました。
丸4年の月日が流れて Kさんとは花友として 折々にアドバイスをする関係が続いていてました。 そのKさんが 4月に入って「天使が遊ぶ庭」で花を愛でながら 自分のことポツリポツリと自分のことを話すようになりました・・・。 「認知症の母親が 施設に入所したばかりだけど 友人に誘われた沖縄旅行に行って大丈夫だろうか」の話で お気楽な私は 「アレコレ悩むなら行ったら良いよ」と。 「お母さんの病状が重症でなければ 他の身元引受人がいるんだもの大丈夫」と。 「お母さんを口実に 自分のしたいことを諦めていると 好きでないお母さんが もっと嫌いになると思うけど」とも。 「自分が楽しいことして元気になると 人にも優しくなれますよ!!」と 私なりの考えを一言添えて。
北海道の春を告げる 5月の連休が終わりました。 毎日がお休み日の私たち夫婦は 子どもたち各々世帯が 家族サービスをするだろうと気遣い ひっそりと過ごすつもりでした。 しかし 幼少時に悲しい思い出で育った”自分の家族大好きな夫”が 何を思ったのか自ら動いて 長男・長女にメールを送って「桜の樹の下で 家族の写真を撮りたい!!」と 5月5日に招集をかけたのです。
お陰様で 今年も満開の桜を 夫婦揃って見ることができました。 昨年の12月初め 自覚症状も無く心臓弁と動脈瘤の同時手術をした夫。 雪が解けて「もし あのとき手術を受けていなかったら 今年の桜を見られていたのかなあ?」と 感慨深く呟いていた夫。 まずは 一つ目の念願をクリア!!
春の北海道の山菜代表は「行者ニンニク」で 修行僧が強壮のために食べていたと言われるニンニク臭のある山菜です。 この時期 道内のスーパーや八百屋さんの店頭に 一束500円くらいで並びますが 今回我が家の食卓に届けられたのは 朝早く長男がパパ仲間と山に入って取ってきたもの。 芽吹いたばかりの柔らかい「行者ニンニク」だったので 半分はその日の夕食に天ぷらに揚げて 残りの半分は 「行者のニンニク醤油漬け」に。
タイトルが 仰々しくなりましたが 2月末 私たち夫婦の憩いの場である余市と蘭島の境にあった「ドライブイン丸福」さんが閉店しました。 このお店の看板目メニューの鉄板ナポリタンを食べながら シリパ岬を眺める景色が好きで 15年近く通ってました。
60代シニア夫婦暮らしです。 心豊かに日々を暮らしているつもりでも 懐事情まで豊かとは言えない暮らしですが 元々贅沢には慣れていない田舎育ちなので 節約に頭を働かせることもなく 当たり前に質素な衣食住を心がけています。 それなのに私が「ケチらない!!」と決めているのが 朝食のパンに浸す「オリーブオイル」。
倶知安(くっちゃん)ニセコ方面に 長男が用事があるというので 私たち夫婦も車に同乗して行ってきました。 ”倶知安”と言うのは 海外の人たちからスノーパウダーのスキー場として知られ 土地価格が一気に上昇し スキーリゾート地で名を馳せた”ニセコ”の隣町です。
新任地で多忙なお母さんと 遠方仕事が増したお父さん家の一人っ・・花ちゃんは 春休み中 習い事の合間にばあば家の預かり子になってました。 昨年の夏休みには ご褒美回転寿司に行ったのですが 実はその日のメイン予定は 支所図書館で図書カードを作ることでしたが 月末の休館日でカードは作れず 「また今度!!」となってました。 花ちゃんは 習い事が多いから きっと”図書カード”のことは忘れているだろうと思っていたら 本好きになっていて「ばあばと図書カードを作りたい!!」と言って来たのです。 そう言えば 私たちのクリスマスプレゼントした図書カードで 文房具やハマっている「サバイバル〇〇シリーズ」を買ってましたが。
インテリアのコーディネーター兼接客業に20年近く就いていると ご本人が希望している。又は思い込んで望んでいることよりも 第三者目線で眺めたアドバイスの方が的を得ているときがあるのです。 案外知っているようで 知らないのが自分のこと。 3月末に私の仕事先に 別メーカーで仲の良い営業マンK山さんが 「北海道から仙台営業所に転勤して 東北六県を網羅することになった」と挨拶に来たのです。 「若手を採用しても土・日勤務のハード営業職では 直ぐやめてしまう。 年配で面接に来る人たちは 諸事情が垣間見えて採用をしていない。欠員が長引いて 二世帯分の給料を貰って 単身赴任で転勤先行く」とのこと。
ここ最近 日々の料理作りも億劫になっていて シニア暮らしへのシフト移行も兼ねて 道具を買い替えています。 先月 イタリア・”バッラリーニ”のガス専用フライパン(サイズ24㎝・重量620g・底厚3・5㍉)を購入。 表面のテフロン加工に傷を付けたくないなと思っていたら サタン・志麻さんのテレビ番組で 志麻さんが炒め物料理の際に使っていたのが「木のフライパン返し」。 「木のフライパン返し」なら傷付きにくいだろう!!と思い ”ヘラの部分が斜めカットされて 反りのあるもの”を早速買いました。
夫の心臓手術後 復活勤務した日の夕方 珍しく長男からline電話があり 出てみれば 孫・花ちゃん(7歳)が 「エーン!!エーン!!」と大音量で泣いているではありませんか。 「どうしたの?」と問いかければ 花「大好きな担任の先生が 別な学校に行ってしまう。居なくなるの~」と必死に訴えてきます。 そう言えば前に 長男夫婦が「新一年生に入学して 子ども大好きオーラを発するナミ先生のお陰で 花ちゃんが学校嫌いにならずに済んだ!!」と 口を揃えて感謝していた先生が転任する!?そりゃ大変。
夫(73歳)の難心臓手術を控えて 長男長女が近い場所に世帯を持っていても 当日手術室前で様子を見守るのは私であり その場を離れるときは必ず病院スタッフに声をかけることと言われ 全ての同意書に署名をしたのは妻の私の名前。 「仕事が忙しいので 朝病院までは送るけど」と言う 長男の連絡先は次の欄。 長男は仕事で 長女は兄を差し置けないの理由を言い それも仕方が無いことと受け止めて 夫以外の家族にエネルギーを使うつもりもなく 一人で手術を見守る覚悟でいました。
夫(73歳)が一昨年前「健康検診」で 心臓の要検査となり精密検査を受れば 年一度の経過受診と言われました。 翌秋の検診では 自覚症状は無いのに数値異常が見つかり 外科の先生から「病状は重症。治療は手術のみ」の診断が。。。 術前検査の予約が取りにくく 通常はMRI・CT等の検査で約3ケ月要し 結果次第では 更に延長はよくあることのようで 脳裏に”今回の年末年始は 大型連休のはず” ”最悪の状況を回避するには早々に"と思い 術前検査を数回に分けて予約し 検査結果にも問題が無く 約2か月間で手術に臨むめることに。
3月初め 夫の心臓と動脈瘤の同時手術から3ケ月が過ぎて 執刀医から「順調に回復している」のお墨付きを頂きました。 ことの発端は 一昨年に遡ります。 市民健康検診を受診して 心雑音があるので要検査の診断結果が送付されてきました。 これまでも何度か心雑音で引っかかってはいたのですが 根が真面目な夫は そのときも総合病院で 心臓検査を再受診。 その結果 心雑音はあるけど 年1度の経過を診て行きましょう。と言うことに。
昨年12月 長女家の孫・雪ちゃん(5歳)の発表会に行き 駐車場で開場待機をしていると 隣に長女の顔見知りママの車が止まりました。 長女曰く「雪ちゃんといつも遊ぶ 仲よしT一君のママが 助手席に乗っている。 運転しているのは ばあばのお友だち”Jちゃん”の息子・Kジ君だっ!」と言うではありませんか。 長女「後ろの席にJちゃんおばさんと T一君 その妹が乗っている」と言うので 久しぶりのJちゃんに挨拶に行けば お互いの孫たちは 前から同じ保育園に通っていたらしい。 その保育園は放課後 クラスが違っていても同年齢が一緒に遊ぶカリキュラムらしく 雪ちゃんとT一君はお気に入り同士で いつも一緒に遊んでいたようです。 それで長女もT一君ママも 知り合っていたのです。
3月11日14時46分 海辺に生まれ育った三陸の民は 14年前の苦しさや辛さを越えて 日頃の感謝と鎮魂の祈りを海に捧げていました。 気仙沼湾の入り口にある岩井埼は 東日本大震災の被害を受けた10か月後に 残った松の木が干支の子龍の形になったと話題になった場所です。
数年前より 老後に備えて生活や身の回りで使う道具の見直しをしてました。 その頃 いつも使っていた鉄のフライパンが重く感じられて 某メーカーのテフロン加工フライパン(25㎝・重量490g)を 手に持ったらとても軽く感じられて購入してました。 料理をしても 軽くて焦げ付かないフライパンが気に入っていたのですが 三口コンロの奥にある”やかん”に手を伸ばした時 フライパンの中に料理が入っているにもかかわらず ズルッとガス台の五徳から滑ったことが幾度かありました。 2年前に水回りをリフォーム時に システムキッチンにセッテングされた都市ガス台は 五徳が細くて・溝之彫りが浅いタイプでした。 リフォーム後 フライパンが横に外れるようになったのです。
札幌は 日中気温が低くて肌寒い日が続いた翌日に 突然23°の暑さになったりしています。 雪が融けてから 私は「天使が遊ぶ庭」の作業に追われて 気がつけば地元局の情報番組で 様変わりした「札幌の街の景色」を 地元の”(仮)札幌村”から観光客の気分で眺めてました。
ことの発端は 先週のPCデスクトップから 会社メールとアドレスが消えたことで 何がどうなってこうなったのかも判らず 途方にくれました。。。 どうやらWindowsの”oneドライブ”とうのを同期させて アップロードしたものだから そういうトラブルに見舞われたらしいのですが・・・。 私なりにできるで限りに ”日付けを遡ってファイルの修復”を試みたのですが 復活せずで そこに至るまでの理由も経過も知らな過ぎて 誰かに言葉で説明すらできませんでした。
ヒーラーと言ってもHさんは 元々私がスピ系のお茶会を開いたときの参加者でした。 別件相談ごとで来ていたのですが "妙に引っかかるモノがあり” 会の終了後”不穏な箇所”を具体的に伝えて 祓いを勧めた方でもあります。 その後霊感体質でもあったHさんはスピ系に目覚めて 震災時に私の故郷鹿折地区の写真を撮り JR駅「鹿折唐桑」の看板を持つカメラマンとと結婚して 北海道を離れました。
出張用の「航空券+宿泊」パックツアーをWEBでカード決済しようとしたら エラーではじかれました。 そもそも航空系のカードであり その空港会社のパックツアーを購入するためなのに 何度試みてもエラーとなり 航空便の空席も残り少なくなったので カード裏の窓口先に問い合わせして無事に購入できました。
今年のGWは 円安の影響もあり巷では「安・近・短」で楽しむ人たちが多いみたいですが シニアの私たち夫婦は「安・留・長」。 かれこれ20年以上 夏だけ使っている庭の白柵の塗装が剥げてきたので 気温20度以上が2日続いたらペンキ塗りしようとお天気待ちをしてました。 私の「天使が遊ぶ庭」は この白柵を設置しないと始まらないので・・・
札幌市内で新桜の名所となっっている新川沿いの桜並木。 2日間だけライトアップされたのですが 夜の外出は苦手なので気温の高い日の午後 初お花見に行ってきました。 道民が好む濃いピンク色のエゾヤマサクラとソメイヨシノとが 混じって植えられてます。 こちら小さな川のほとりに咲く 見事な枝ぶりの桜。 札幌のシンボル山・手稲山と桜が撮影できる場所の桜は 残念ながら散っていました。 静かな住宅地の中にある桜の名所で こちらもエゾヤマザクラとソメイヨシノの混合植え。 北海道は桜の花が終わり これから色々な花が一気に咲き始め ようやく長い冬が終わったことを実感するのです。 ランキングに参加しています。 ポチ押…
長男家の花ちゃん(7歳)は 先日小学校に入学したけど 先週の土曜日夕方から熱を出していたようです。 月曜の朝 キャンセルができない会議がある長男から「当番病院ではコロナ・インフル・溶連菌の検査結果は陰性。熱は解熱剤で下がったけれど 学校は休むので預かってほしい」の連絡があり 平熱の花ちゃんと健保書・母子手帳・お薬手帳の入ったフォルダを置いて 引継ぎ病状を語って仕事に行きました
先日 2年ぶりに”大腸検査”を受けて異常無なしの結果に 一安心しています。 2年前の年末 右脇腹の内側に痛みを感じて 評判の良い内科クリニックを受診してもレントゲン撮影で原因不明。 翌日再受診しても痛みは増すばかりで その足で泌尿科に行きCT検査をしても不明のままでした。 その際に最初に内科クリニックの先生から 5年前に大腸検査をしたきりなら「検査をしてみては!!」と勧められて この際だからと正月明けの予約を入れたのです。
長い北海道の冬を無事超えられたことに感謝して 春の陽気に誘われてドライブで フゴッペ岬へ。 シリパ岬の上に ハート型の桜の花びらが一枚浮かんでました。 東京では桜の花が散ってしまったけど 北海道では春一番に咲くクロッカスやトクサがようやく咲いたばかりです。
初孫の花ちゃんが 先日小学校に入学。 保育園のお友だちと一緒の学校なので 花ちゃんは不安よりも楽しさの方が大きく ピンクのランドセルを背負って張り切ってました。 花ちゃんの学校は 郊外の比較的のんびりした校区なので セミフォーマルな服装をした新入生のパパママたちが 我が子の姿を写真に納めている様子を 体育館の入学式には参列できた祖父母の私たち夫婦は 通り過ぎた自分たちの思い出を重ねながらほほえましく眺めてました。
目の前の雪ちゃんは「サーテイーワンのカップアイス」で 私はCMで見て食べたかった「アズキミルクフラッペ」。 するとバトル後の雪ちゃんが 小さな真珠のような涙を頬っぺに付けたまま 雪ちゃん「ばあば それね!! 蓋を取って食べるんじゃないんだよ」。 私「えっ!! 蓋を取らないの?」と。。。
本州では”桜の満開だより”も聞かれているのに 当地は今冬の降雪量が多かったせいかまだ雪が残っています。 我が家の庭もいつもより雪解けが遅く 私は1週間かけてレンガの小道をようやく掘り出しました。
仙台旅の目的は 私・娘・孫(4歳♀)3世代と老父親(94歳)との面会で 昨秋に面会可能人数が1名から2名になったと仙台の妹から知らされてから タイミングを見計らっていました。 2月末にようやく コロナやインフル感染での面会が可能となっても 15分の面会時間はそのまま。 今回の面会でネックは”ひ孫の雪ちゃん”で 病院も高齢者施設はいずも幼児の面会NGを承知で施設側にお願いし 接触できない無い場所での面会許可を得てました。 出発当日の札幌は雪で飛行機は遅れ 施設の到着は予約時刻ギリ1分前。 私の面会時間は お土産と来月の誕生日プレゼントを渡すだけの8分間。 父親と誕生日が同じ娘と交代し 娘は可愛がってくれたお礼とプレゼントを渡して7分。 ひ孫の雪ちゃんの 離れた場所から”おいとまバイバイのみ”の予定。
今回の仙台旅の目的は 私・娘・孫(4歳♀)3世代が 市内施設に入居する私の父親(94歳)と15分間の面会をするため。 出発当日の札幌は雪。 早めに着いた最寄りの空港バス停には 雪害による交通事情で「本日運行中止」の貼り紙がひっそり貼られてました。 急ぎ足で孫の手を引いて 地下鉄からJRまで乗り継いで着いた千歳空港は 機材遅れでこちらも遅延。 気がかりは デイの都合もあって週2・午後のみの面会予約で 時間的に間に合うかどうかでハラハラドキドキ。 高齢でめっきり衰えた父親と 北海道のひ孫雪ちゃんとチラッと遭遇する一期一会の瞬間は たぶん今回のみ・・・。
先日の11日は 予定を入れず家で静かに黙祷をするつもりでいました。 午後になって 長女が仕事用PCを持参して来て 保育園をおさぼりした雪ちゃんも一緒でした。 そのタイミングで長女に長男から電話があり 兄妹で「自分は仕事で行けないけど 母が暇そうだから 母を連れて行けば」となってました。 どうやら長男がセミナー講師をした際のSNS画像が おしゃれ番長と自認する長女の元友人より回って来て 「兄のメガネは顔に対してフレームが太い。 レンズが大き過ぎる!!」と評したらしいのです。
あの日から13年。 この日は私にとって忘れられない大事な日。 先日 気仙沼に住んでいる同級生と電話でオシャベリしていたら 地元に住んでいると 当たり障りの無い話でお茶飲みをすることがあるようで 遠方に住む私なら話が漏れず無いと思われていて 自分の本音を友人たちがいます。 高校時代の友人3人は 「大震災で3人とも家を流されたけど 自然が起こした災害で 人生を恨んでも仕方が無いから 明るく生きて行こう」と誓ったのに その中の1人が違う考えになってしまった。と語ってました。
長男家の結婚6年目に生まれた孫・花ちゃんは 私たち夫婦の初孫で 4月になったら小学校の新一年生になります。 昨年のうちに 机かランドセルのどちらかを入学祝いでプレゼントするつもりと伝えたら お嫁さん側で買うことになっていました。 では私たちは”お祝い金”をと申し出ると 「お金では味気ないので 『花ちゃんに入学に使う必要な品々を選ばせて それをじいじとばあばが買ってくれた!!』の体験させたい」と 言われました。
久ぶりの穏やかな日だったので 買い物がてら散歩にでかけたら こんなメッセージが 積もった雪の上に書いてありました。 雪が降っても消える。雪が融けても消える 雪に書いた儚いメッセージ。
前の記事からの続きです。 我が家の黒猫りぃちゃん”の犬版”みたいな黒ワンちゃんを連れた女性から ”収拾がつかなくなった庭へのアドバイスを頼まれたけれども インテリアのことなら多少知識はあるけど ガーデンやエクステリアは全くの素人。 それに震災後 故郷の実家が更地になった消失感から 明確なテーマを決めて園芸本やら園芸セミナーを受け その通りに花苗を植えたけれど 好きな感じに仕上がらなかった。 それならと 持てる知識(インテリア・色彩・ディスプレイ・景観)を駆使して自分の感覚が気に入るように植え直して作ったのが「天使が遊ぶ庭」。
当時コロナ禍で保育園の休園が多く 孫2人を別々または一緒に預かっていた時期だったので 庭でシャボン玉などをして遊んでいました。 そこに小さな黒いわんちゃんを連れた女性が通りがかり 立ち止まったので シャボン玉が通行の妨げになったかと思い「ゴメンナサイ」の気持ちで頭を下げると 二コリとほほ笑んで通り過ぎてくれました。 女性が連れていた黒犬ちゃんは 胸が白くて我が家の黒猫・エンゼルキャットのりぃちゃん(当16歳・♀)と大きさも同じ位で りぃちゃんの犬版みたいな感じでした。 「犬を飼うなら 私もあの子を選ぶだろうな!!」と思う程 印象深いものがありました。