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4年前に不参加で返信した後 急遽思い立って参加した鹿折中学校同級会・関東支部が 今年も同じ上野の中華料理店で開催されたので行ってきました。 前回の同級会は11月末にあり その4ヶ月後に北海道は コロナによる外出制限を発令して 制限は全国的に波及。 その間に 私たちは65歳を越えて前期高齢者となり「今 この時を楽しむ!!」と考えただろう11名が参加。
東日本大地震から気仙沼市・鹿折地区に生まれ者として 「3月11日 午後2時46分」に 三陸から遠い札幌で祈りを捧げることを 自分に課してました。 震災から12年目にして 本日は仕事だったので 社員食堂にある映りの悪いテレビを観ながら 2時46分に鎮魂の祈りを捧げました。 去り際 食堂に入ってきた年配男性に「気仙沼出身なので ・・・」と声をかけると その男性が 「自分も単身赴任中に仙台で被災して カーラジオでしか情報収集ができず 2週間後に津波の全容を知り 3週間後に山形経由で北海道に帰省した」と話しました。
先月末は 娘の出産と床上げまでの世話を終えたと思う間もなく その2週間後は産後の娘家族の引っ越し手伝いに追われてました。 その時期に届いた「鹿中25回生関東支部の同級会」には 疲労を理由に「欠席」と返答しました。 引っ越し手伝いもせず趣味の鉄道イベントに連日参加していた夫に 「慰労がてらに 蟹でも食べに行こう」と誘えば 風邪気味だからと断られ 私の家族は「いつも元気な私を 労わることを知らない」と思った矢先に 新天皇の”即位の儀”で使われた”大嘗宮”が一般公開されると聞いて 慌しく東京へ。 急遽の参加にもかかわらず 人生の円熟味を増した55歳で 未曾有の東日本大震災に見舞われ 最大の被災地を故…
「3月11日」の数日前 かれこれ鹿折小の入学から50年以上の親友のMちゃんから 北海道で拡大中の新型コロナウィスルの感染を心配して 電話がありました。 1年半前の胆振東部地震後に全道停電になったときも 電話を来くれて支援物資を送ってくれました。 最初に「今度は 私が心配ばかりかけてゴメンね!!」と照れた感じで近況報告。 電話をくれたMちゃんは 2011年3月11日の夜 地震にも津波にも持ち堪えた邸宅を 町が3日3晩も燃えた延焼で失いました。 Mちゃんの実家も親類も被災して ご主人の仕事の無くなり 隣県に被災移住をしました。 故郷を後にして遠くの札幌で暮らす私が その状況のMちゃんを励ましても慰…
震災後の10年から11年目の1年の間に 故郷・気仙沼は朝ドラの舞台にもなり 色んな番組でも見かけるので 復興した観光地として売り出しているみたいです。 5年前の同級会で帰ったきりで 気仙沼が画面に映る度に 知らない町を辿るよう私はテレビに見入り 生まれ育った鹿折地区が映らないかと目をこらします。 鹿折の地元知人ですら変貌が激し過ぎると嘆く故郷は 北海道に住む私には知るはずも無い町になりました。
何年経っても3月11日は 気が重くて 10年目の節目となれば特にです。 直接の被災当時者ではない私は あの日人生の分岐点を迎えた2人にだけ 連絡を入れます。