メインカテゴリーを選択しなおす
若い頃は老いるにしたがって人は色んなことが楽になるに違いないと思ってた、のどかな春の日の午後、公園のベンチにすわり、ぼんやりと遠くを眺めている老人は皆、人生を超越し、達観しているのだろうと信じていた、これは作家小池真理子氏が最近のエッセイで語った言葉である。 そして感情が和らぎ、物静かなあきらめが心身を解放し、人生は総じて優しい夕暮れの光のようなヴェールに包まれているのだろうと、だがそれは、とんでもない誤解であった、老年期と思春期の一体どこに違いがあるのだろうか?という言葉が興味深い、なぜなら私自身もそう思ってるからだ。 老年期の落ち着きはほとんどの場合、みせかけのものにすぎず、たいていの人は心の中で思春期だったころと変わらぬどうにもしかたない感受性と日々闘って生きていると結んでるが同世代として共感できる老年期と思春期の一体どこに違いがあるのだろうか?
こんにちは、リーズンです。 カレーを作るわたしです。 会社の人間関係が面倒になりセミリタイアに憧れています。 今は仕事をダウンシフトして働いています。 毎日働いていますと何かしら出来事が発生します。 出来事・・と言いますと・あまり良いことはなくて だいたいはトラブルが起きるということになりますかね。 つい最近久しぶりりに・ちょっと場が騒然とするようなトラブルがありました。 わたし自身も当事者のようになっていたので とある人から凄く怒られました。 ただわたしの感覚では当方にそこまで非はなく 相手が一方的に怒ってるだけ・・という風に捉えていました。 ですが普通・凄く怒られるのって嫌ですよね・・ 理…
詩に逃げる 現実を振り払っていく 詩に逃げる 達観したフリをする 現実を諦める だから遠くへ逃げていく 不完全なままで 言い訳はしたくないから苦しくなる 死に逃げる まだやり残した事がある 死に逃げる 意味を見つけるまでは 詩に逃げる parts(1626729,"ffffff","200","001eff",600000,"93","517","outrank","https://thoshi-ppp.hatenadiary.jp/", 2, 0, "F7F7F7", "001eff"); いつも読んで頂きありがとうございます。
「私は今年75歳になりましたが、この齢になればいつ死んでも不思議ではない、だから明日死んでも1週間後に死んでもいいという気持ちで生きてます」 これは雑誌プレジデントの特集「人生後半の時間術」のなかで漫画家の弘兼憲史氏が述べた言葉である、さらに不安や恐れを抱くのではなく、そうなったら「まあ、いいか」と一言、口にするだけで気持ちが整うという。 確かに人生後半、後悔しない人生を送るには、達観の境地が必要なのかもしれない、老年期になりよかったことに無駄なつきあいをやめてよかったことを挙げてる弘兼氏、同じ団塊の世代として「まあ、いいか」という生き方は共感できる。「まあ、いいか」という老後の生き方
読めばワーママとして「達観」できるようになる本『小さいことにくよくよするな!』
ワーママとしてだいぶ図太くなってきたと思っていても、些細な誰かの一言で傷ついたり、悩んたり・・・。 懸命日々を生きているワーママだからこそ、小さいことにくよくよすることもありますよね。 日々をモヤっと過ごす全ワーママにおすすめな本を紹介した