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スマホで今日の天気を確認したら、気温が10度と表示されており目を疑った。昨日は夕方からとても強い風が吹いていて寒く感じていたが、そうでもなかったようだ。昨夜、鶴岡八幡宮を通ったら、左義長の準備ができていて、その時に撮った写真を見るとあれは南風だったことがわかる。仕事のためお焚き上げを見ることができないのは残念だが、心の中で今年一年の無病息災を願う。長年、病理医をやっているとこれまでに大抵の病気は見てきたような気になるが、そんなことはない、見たことのない病気というのは山ほどあり、それらを生きているうちに全ての病気を見ることは絶対にできない。そもそも、同じ病気に括られていても、人それぞれで症状が異なるのと同じで、顕微鏡所見も異なる。この人はこの病気だから、この診断名をつけ、程度とかステージをつけ、それに応じた...同じ疾患でも病理所見はそれぞれの人毎少しずつ違う
今朝も気温は1度で、外に出たら頭が痛くなった。能登半島の被災地もますます寒くなり、雪も多くなるということを考えるとこちらの気も沈んでしまう。この辺りだって、いつ被災するとも限らず、十分な備えが必要なのは日本国中変わらない。この間の日曜美術館はレンブラントの特集だった。”夜警”を中心とした話で、登場人物のこと、細かなディテールにはさまざまな伏線が張り巡らされているということを知ることができて興味深かった。先月から読んでいる、村上春樹の”街とその不確かな壁”も、伏線だらけの序盤を乗り越え中盤に差し掛かってきて、読むスピードも少しずつ上がってきた。優れた文章を読んでいると、優れた絵画と、優れた小説というものの共通項が見える。レンブラントにしても村上春樹にしても、とてつもない画力、文章力があり、さらには十分な取材...病理診断とレンブラントと村上春樹
今日も気温は1度、連日寒い日が続く。今年初めてメールのやり取りをする人への挨拶も寒中お見舞い仕様に変えて、寒さが厳しくなってきましたが、という書き出しにするようになった。村上春樹は小説の中に夢を多用する。夢というのはなんでもありの、小説にとっては飛び道具ともいえるようなもので、使うのは簡単だが、それを読者が納得する形で収めるのは難しい。それができるのが村上春樹だが、それを使ってしまうためにノーベル賞文学賞が取れないのではないかとも思う。それでも、夢というのはその人の人格に直結しているし、荒唐無稽な設定の中に放り込まれたとしても、覚醒時の行動パターンが崩れるわけではない。それは、意識下での意識、というようなもので、覚醒時の意識から連続しているのではないだろうか。病理診断の仕事をしているとしばしば難しい症例に...夢と現と病理診断
ある方のブログに冬のバラは長持ちする、ということが写真とともに載っていたが、なるほどわがやの玄関のバラもずいぶん頑張っている。大晦日に、薔薇の好きだった義父のために園芸店で3本1束で売っていたものを買ったもので、1本を妻へのお土産にした。それ以来だからもう3週間近くになるが、2、3日前に連れてきたような姿を保っている。できたら今月いっぱいは楽しませて欲しい。今夜からテレビ朝日で病理医が主人公のドラマがスタートするというのでちょっとワクワクしている。反町隆史が主演というのも話題になりそうで、長瀬智也主演で、視聴率も高く、続編も期待していた、「フラジャイル」が共演女優さんの妊娠でそれが叶わなかったので、こんどこそ日陰の病理医が表舞台に立てたらと期待している。そんなこともあって、アクセス数が激減するのも厭わず、...顕微鏡は見るのではなく覗くもの
昨晩は小さな学会の症例検討会がWEBであり、そこでプレゼン&進行をつとめへとへとになった。この秋の大仕事、第1号。診断の取りまとめというのを参加者の意見を聞きながら行うというのはずいぶん大変だ。私よりもっとふさわしい人がいるのに、しばらくこのお役が続く。先が思いやられるが、任せられた以上は責任を果たすように努力する以外に道はない。毎日毎日何例も診断していると、難解な症例、手の掛かる症例があって手を抜きたくなることがある。不思議なのはそんなふうに、時には絶望的な気持ちになりながらも標本と格闘し、診断に辿り着こうとする。診断が無理そうなら誰かに相談(コンサルト)する。ちなみにこれができるか出来ないか(わからないことがわかるかどうか)が、病理専門医かどうかの境目になる。プロなのだから頑張るのは当たり前なのだが、...病理診断をしているとき、急に頭をよぎること
大型連休が始まった。この土日は完全オフ、このところの忙しさと気温の変動で疲れ切っていた体を休めるにはちょうどいい。庭の花木の手入れと掃除、アイロンがけなどしてゆったり過ごした。先日の日本病理学会総会でのある講演で、ある大学の病理の教授が、日本の病理医はどんな臓器の診断もこなすことができて優秀ですが、それは病理医の数が少なくて仕方なくやっていることなんです。米国では、病理医の数は豊富で、いずれかの臓器の専門家として(スペシャリティーをもって)診断しています。と話していた。そう、日本では病理医の数が少なくて、ほとんどの病理医が”何でも屋”となっている。それぞれの病理医の力量はそこそこ高いものの、専門的に何かの臓器に特化し、深化することはできない。その教授は、IT技術を使って、病理医をオールジャパンとして、コン...日本の病理医の器用貧乏と日米格差
昨日、病理診断科の検査技師さんにFISH法による検査の指示出したら、来週の予定がよくわからないので、(手のかかるFISH法の検査を)お引き受けできるかどうか・・・と応じられた。シフトが厳しいのかと思ってカレンダーを見直したら、なんと来週は4月、私はまだ先週のつもりで話をしていた。3月も今日明日でおしまい。この春の異動で、わが病理診断科はスタッフが2名入れ替わる。たしかに来週の状況はわからないので、手のかかる仕事を頼んだのは良くなかった。日付の勘違いを含め、あれこれを詫びて、来週あらためて予定を組んでもらうことにした。3月ももう終わり。時間は確実に流れている。若い頃には、この歳になればもう少し仕事は楽になっているだろうと、思っていたが、そんなことはない相変わらずの自転車操業。以前いた大学病院よりは全体の量が...仕事は探せばいくらでも出てくるもの
今日はCPC(Clinico-pathologicalconference;臨床病理検討会)がある。CPCについてはこれまでにも何度も書いてきたので、詳細は割愛するが、私の中では院内で最も重要なカンファレンスだと考えている。院内で亡くなられた方について、関係した全科が集って死に至るまでの全ての経過を検討するのだから、当然のことである。そんなわけで、今日はネクタイを持ってきた。CPCの終わりに病理医が、症例の死に至る総括を行うのだが、その時がCPCのハイライトとなる。臨床医が、疾患の発症から、診断、治療を行い、最終的に救命し得なかったのはなぜかを病理医が解剖(剖検)所見から解説するのだから、途中居眠りしていたものであっても、最後だけは聴かなくては意味がない。病理医に注目が集まるその時にだらしのない格好という...居住まいを正してCPC(臨床病理検討会)に臨む
今日もいい天気。横須賀線が西に向きを変える大船駅手前の大きなカーブから見える富士山が、少し前より黒っぽく見えるのは一度積もった雪が溶けてしまったのだろうか。などと今日も前振りから書き出してしまうと、ついいつものペースになってしまう。大体は天気から始めて、本題にはいる。本題といっても折々に思いついたこと、仕事のこと、普段から関心を持っていることについてのニュース、重大事故事件について考えたことを書いているうちにあっという間に3、40分経ってしまう。普段考えることというのは、漠然とした塊のようになっていて、それを文字化するのは病理医という仕事に通じるものがある。病理診断の診断文というのは、所見を病理医でない医師が読んでもわかるように”書かれていなくてはならない”。したがって使うのは総論的な用語までにとどめ、あ...病理医の仕事を言い換えてみると
風のほとんどない穏やかな朝。こんな日は花の写真でも並べて気楽なエントリーを書きたいところだが、昼から幹部との面接があり、そこでのプレゼンテーションのことを考えなくてはならない。私は病理診断科に所属する病理医だが、こういう外来患者を診ない部門は、中央部門とか中央診療部門とかいわれ病院のバックヤードというか屋台骨・背骨のような存在だ。病理診断科は検査科に含まれることもあるが、病理診断は医者がおこなわなくてはいけない“医行為”であるため、私の勤務先のように臨床部門に配置されていたり、半分臨床のような位置付けだったりする。中央部門としては、臨床検査、放射線科、薬剤科、栄養科などコメディカルの人が主体となっている部門が一般的だったが、最近では診療部門の垣根を超えてICU、化学療法部、臨床研究部、DMAT等々ある。こ...病院に対してわたしになにができるかを考える日