【無礼講】この言葉がいまだに生き残っている令和日本の【ノブレス・オブリージュ】を考える
<自粛生活 要請している側と要請されている側の線引きが判らないのは好いことなのかも> 先日【コンビニ角打ち】でちょっと触れました「無礼講」という言葉についてです。30代と思しき男性サラリーマンの口から出てきた声を聞いて、 「ああ、久しぶりに聞いた。まだ生き残っている言葉なんだなあ」 と感じたんですが、改めて考えてみれば、生き残っているどころではなくて、その言葉を常に意識せざるを得ない社会なのかもなあ、という気もしてきます。 わざわざ「無礼講だから」とかね、言わないといけない空気感。そんな集まり。 言葉として口にする機会は多くないと思いますが、意識の中にはどうしようもなく存在しているのかもしれま…
2022/03/23 09:32