リンゴやミカンや果実を観察してみると、面白いことがわかる。果実とは葉が種を抱き込んだ形をしていて果皮や果床部分が肥大化して果肉を形成している。いちご、りんごなど。葉が変化して、花や果実になってゆくというメタモルフォーゼの自然観です。これは、ゲーテの自然学の観察方法でルドルフ・シュタイナーは、ゲーテ自然学と言う博物学とは少し異なる「芸術的自然学」を受けついているのです。
ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
リンゴやミカンや果実を観察してみると、面白いことがわかる。果実とは葉が種を抱き込んだ形をしていて果皮や果床部分が肥大化して果肉を形成している。いちご、りんごなど。葉が変化して、花や果実になってゆくというメタモルフォーゼの自然観です。これは、ゲーテの自然学の観察方法でルドルフ・シュタイナーは、ゲーテ自然学と言う博物学とは少し異なる「芸術的自然学」を受けついているのです。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
愛媛県ひめぎんホールで建築家でゲーテアヌム理事の上松祐二先生は 『心臓思考」について語りました。 心臓思考とは脳髄思考に対置された「霊的な思考方法」ということです。
ミヒャエル・デーブスさんが、エーテル体の更新は五年サイクルだとも言っていました。 人と人の縁やエーテル的なつながりも五年ごとに大きなサイクルが巡るということかな、 と思いました。
ミヒャエル・デーブスさんの講演『意識魂の時代の幕開けに 於ける薔薇十字会の衝動』についてのレポートです。 竹下さんの通訳で、やまねこが理解できた部分についてのみ書いてみますが、なんとも深く広がり のあるデーブスさんの司祭さんとしての霊性については表現が及ばないかもしれません。
やまねこは意識のステータスをあげることが、ボジティブ・シンキングの本質だと考えています。 奇妙なことなのですが、ポジティブ・シンキングとはネガティブなものにポジティブな意味を 見出す「ものの見方」を伴っているのではないかと思うのです。
第二回目の『シュタイナーの農業講座を語る』というライフ・デザイン研究所自主講座 でした。今回は第二章を中心にお話しいただきましたが、バイオダイナミック農法の背景となる アントロポゾフィーの人間観についても人体の構造・・・特に骨格との関係や頭部・胸部・腹部 下肢のミクロモスモスについてじっくりと話されました。
ライフ・デザイン研究所『シュタイナーとバイオ・ダイナミック農法』~ 「農業講座」を読む~を無事終えることができました。四国アントロポゾフィー・クライス代表の竹下哲生さんを招いての自主講座です。 この「農業講座」はシュタイナーの最晩年・・・死の前年なのであらゆる意味で シュタイナーの思想の結実が凝縮されているらしい。
ルドルフ・シュタイナーの心理学テキスト『魂の隠れた深み』は謎の多いテキストです。「既成の心理学では、魂の問題は扱えない」とシュタイナーは言います。 また、「現代心理学は4分の1の真理である」という一定の留保も含ませつつフロイトを中心に 精神分析学のあり方を批判してゆきます。 その批判の精緻さ驚くばかりです。
三億年の昔、いったい誰が自然界の美的均整を見ていたのでしょうか。 神でしょうか、それともオウムガイなど古生代生物でしょうか。 美しさを感じる人間の顔もまた黄金比で構成されるといわれます。 自然界の形態に先だって存在する幾何学的な美や直観知をフラー博士は、宇宙エコロジー と呼びました。
南海地震が起き四国はまさに「死の灰と死の国」になるという ことです。 さてさて、やまねこは朝から高知県佐川町の佐川地質館に行ってきました。 四国アントロポゾフィー・クライスの「夏の石灰 学習会」に参加するためです。地質館のお世話人の教育委員さんから、四国の地層・化石について詳しく説明を いただきました。
講師のモローさんは、色彩画家、ゲーテ研究家として知られますが、アート・セラピスト としての活動もされています。いくつかのシュタイナー学校で美術教師を経て、2005年 から日本に住まわれて活動を続けています。画家さんから絵を描くことを教えていただくと いう体験もわたしには、はじめてでなかなか新鮮です。
冬の朝日を見て「なんて美しいんだろう」と感じた魂の熱は、わたしから立ち去ることなく、何かを残して魂を暖めてくれるようです。そして、その暖かさは「美の形象」となって、わたしたちをかなたの光へと誘います。天使? 暁から生まれた存在とは? わたしたちは、冬の朝の太陽を見つめることで、光の生命の残響を感じとることができます。
わたしたちの日々の苦悩や失敗は魂の成功・・・・精神生活の調和と安らぎへの処方箋と 考えれば、小さな失敗も克服すべき未来への贈り物と言うこともできるでしょう。 一年がまもなく去ってゆきます。希望の種を淡々と巻く作業を続けてゆきましょう。
午後から夕刻まで、四国アントロポゾフィー・クライスのメンバーの方々中心にモミの木を 囲んで「クリスマスの集い」という集まりを持ちました。讃美歌、ライヤー・ハープの演奏 代表のTさんのクリスマスに因んだお話など「祝祭としてのクリスマス」を共に過ごす ゆるやかな午後。
社会の崩壊と綻び、自殺や犯罪の多発、遺伝子操作などの 行過ぎた科学的手法や環境破壊などなど「悪魔的」と言ってもさしつかえないほどの 物質主義を見つめるとき、これらの苦悩の現実と荒廃の闇の中で、 この「パッションという映画への注目」というトレンドが「かすかな光」をもたらして いるようにように思われました。
『花火は現在のなかで、過去からきた光の中で死に 闇の中で未来へと連なっていくものを確信するがゆえに美しいのです。』 それは、あたかもシュタイナーがミカエルの気分について語っていることと奇妙に一致しています。 キリスト教文化圏では、彼岸過ぎの9月29日を『ミカエル祭』と呼び、大天使ミカエルの祝祭日 として祝います。
今回はじめて温熱療法を体験。スーパーサーモトロンという治療機械 の中に入りました。癌細胞は熱に弱いという性質に注目した治療法で、愛媛では松山西病院で受けられます。 やまねこは、セカンド・オピニオン治療として受けることにしたのでした。
グリーンズ・ドーム・プロジェクトというのは、ドームハウスというオブシェクトを生かして 「ライフ・デザインを洗練する」ということなのですが、それは健康・カルチャー・ライフモード のクォリティを高めるという意味でもあります。
現代は格差社会と言われ、経済はグローバリズムの競争主義に巻き込まれ、精神生活は危機に瀕しているといわれます。私たちの「危機の時代」にシュタイナーが向かい合ったテーマをもう一度捉え返すことが、新たなヒントをもたらしてくれるかもしれません。
これまでの食生活や生活習慣を大いに反省し、生活そのものをセラピー生活に と方針転換したのでありました。 温泉巡りをしたり、仲間とオーガニックをテーマとしたワークショップをしたり 旅を楽しんだり、グリーンス・ドームハウスのライフ・スタイルを楽しんだりしながら この楽天セラピー生活をつづけてゆきたいと思います。
オカルティストとして生きるということは、心ある道を歩もうと努めるということなのです。 これは、やまねこの人生にとって若き日の出発点であり、到達点として願うこととも言えます。 ジオデシック・ドームハウスとの出会いも、自然農法や精神世界との出会いも、これまで 歩んできた道はすべてここから始まったものと思います。
「ダダイストの新吉のアート展」、「シュタイナーの農業講座番外編」などなど春先には 楽しい企画をあたためながら、楽天セラピー生活を試みてゆこうと思います。 いつまでも病み上がりモードではいけないので、明日からは軽くエクササイズをはじめようかな。
無事退院。帰ってまいりましたよ。やまねこはうす、ドームハウス、わが母船。 めっきりと冷え込んだ一日でしたね。 十一月以来、三か月に及ぶ病院生活。途中帰宅期間もありましたが、手術後の痛みや 関節の痛みを癒しての帰宅はひさしぶりです。 じっくりと落ち着いた気分で『楽天セラピー生活』を始めたいと思います。
「遠藤の青汁」のN社長が、青汁を数日分もってきて くれました。やまねこも病院でしばらく飲んで「これはいいかな」と思ったのです。腸内環境を整え、解毒するのはベストかな。 カリウムが豊富ですから、癌細胞内のナトリウムをデトックスできます。 さらには、繊維質が多量なので便秘などにも作用します。
ドームハウスに帰宅したやまねこはいつものように薪ストーブに火を 入れます。 パチパチと薪がはじける音も燃え上がる焔も心身を癒してくれますね。 ドームハウスの空間は、全体を包み込んでくれる感触があって、心地よいものです。 ヒーリング・ドームハウスと言うコンセプトも、季節ごとの味わいがあっていいものです。
明日から、治療のための入院となりますが、「回復のために治療」という方向付けのきっかけを みなさんからいただいた気分です。自然の力、人から注がれる元気の力、自らを癒す力をこのドームハウスと言う空間に満たして 病気を癒し回復へと通路を開きたいと願うやまねこでありました。
70%モードで何事も満足するのがいいんだと安保先生は語ります。 自分の目標を七割達成でよしとする。続けたいことも七合目でやめて 先々の課題とする。これらは、総じて「自律神経系の改善」のために交感神経の緊張を 解きほぐして、副交感神経優位にする工夫なのだそうです。セルフ・ケアに取り組みはじめて「自分をゆるめる」ということを意識しています。
確かに何が起きるかは、わからないのですが「何かとてもいいことが起きそうな気がする」 と考える習慣は、明るい気分を生み出してくれます。 この習慣は、チェンジのエネルギーを現実の次元に導く「破魔矢」なのです。 精神の破魔矢を自分が希望する「大福の的」に狙いをさだめて、心身のエネルギーを集中 させましょう
ドームハウスに帰還して、一週間。平常生活らしくなってきました。 お見舞いに訪問してくれる友人が多いことにも感謝。入院前よりも来客が増えた感もあります。 このジオデシック・ドーム空間を癒しのエネルギーで満たすことという基本テーマにふさわしい 傾向かもしれません。
今年の目標は、空間の生命化というテーマであり、宇宙船地球号としてのドームハウス のプラクティカルな活用法の拡張ということ。 ひとりひとりの人間が自由に、クリエイティブに、パーソナルに楽しく暮らすアイテム としてのドームハウスの魅力と「操作マニュアル」を創出すること。 様々な試みを楽しみながら、発信してゆきたい。
癌の原因はストレスと免疫力 の低下衰退という面ではすべて一致しているという結論です。ストレスから交感神経が過剰となり 白血球内の顆粒球が活性化して、リンパ球などの抗体の力が落ちて行くと癌細胞に蝕まれやすくなる。 新潟大学の安保徹先生は、白血球の自律神経メカニズム研究の国際的な第一人者です。
やっと、やっと帰ってまいりました、懐かしのわが家のドームハウス。ありがたきはわが家かな、という気分はどなたも同じかもしれませんね。 ひさしぶりに薪ストーブに火を入れて、炉べの炬燵でゆるゆると過ごします。 病院のベッドで過ごした二か月間が逆に「夢のように過ぎて行った」ような不思議な 感覚です。
八の字の物質的・現実的な下部の円弧を完了し、クロス・ポイントを超えて、霊的な上部の 円弧の時代にすでに入っているのです。 わたしたちオカルティストにとっては、時代の役割を果たすべく「破魔矢」を放つその時が 来ているということなのでしょう。
天産自給の生活を試みたいと思うようになりました。人はもっとも深い部分で自らが寄って立つ「場所への信頼感」を必要とするというのが やまねこの持論です。 自分が生まれた故郷、家族、家庭、生きてきたプロセスなどを信頼し肯定していれば自然体で 生きられるものです。 それは「わたしという場所」なのであり場所は大地から来るものです。
日月神示を読んでいます。天変地異を予言する書のようにとられがちです が、本来は日本人の精神生活の基本をやさしく説いた「おふでさき」のようです。 「大地の支え」あっての人間生活です。大変動期に入った日本と言う国の霊的な役割が 詳しく説かれた部分もあります。
健康と食事についてルドルフ・シュタイナーは次のように語ります。「 物質の背後には、霊的なものが存在します。食べものの背後にも、霊的なものが存在します。わたしたちは、目の前にある食べものだけを食べるのではありません。わたしたちは食べものの背後に存在する霊的なものも、いっしょに食べるのです。」
『十住心論』は大部の著作なので骨が折れますが、お大師さんの真骨頂とも言える代表作です。 平安期によくもここまで思想体系化ができたものだなと感心します。 牛車で行き来していた貴族の時代です。 「空海と言う謎を読み解く」のもお遍路さんの楽しみのひとつです。
ひさしぶりに白狐どんと話していました。 よく眠るので夢に出現するのです。かれらはアストラル界が最下層なのです。 (物質界に出現できない) 「足し算で考えないで、引き算で考えるんだよ。掛け算で考えないで、割り引くことなんだ。 これがブレイク・スルーということなの。」 と狐どん。
時代のパラダイム・シフトは大きく動いてゆくでしょうが、身軽にしていればいいのでは ないかな。 確かに世相も「不安と不透明感」に満たされていますが、そんな時代だからこそ希望を よりはっきりと持つ必要があります。 自分の土俵を自分でつくる・・・そんな工夫が大切な時なのかもしれません。
弘法大師全集の『秘密曼荼羅十住心論』を思い出していました。 トンデモ世界(一般に仏教では地獄・餓鬼・畜生という世界)にいたる異生蹄羊心の描写は 詳細でマンションで例えれば500LDK位の住まいがあります。それに比して悟りまたは それに近い心は5LDKないしは1DKです。迷いの世界は多種多様ということかな。
全国で多発する地震と火山活動は、わたしたちの住む大地が「変動期」にはいったことを 示しています。 ある友人とこれからの時代のロードマップについて語らっていました。 霊的な喫水線があきらかに変化していると思われます。 これまで見えなかったこと、感じられ なかったことが誰の眼にも明らかになりつつあるのでしょう。
「いろんなことや道を歩いてきたから、死ぬに際して後悔することはないなあ。」 「それは一番大切なことだとおもうな。浄土教では陸沈というんだ。人の世に紛れて いるかいないかわからないほどに同化してゆく。ちょうどあの磨崖仏のように。 岩の中にほとけさまの笑顔だけが見える。岩に同化したほとけさま。」 山頭火の足跡をたどる九州の旅は、ほとけさまと自然と人の出会いの旅でした。
これから、年末に向かいます。 リアリティ・ワークと言うのは「頭の中」ではなく、日常のオブジェクティブな環境の中に 『自分の課題を見出す』ということです。 それもリア充のひとつなのかもしれません。
お米作りをしていますが長年のサラリーマン生活を卒業したのが10年前のことです。専業米農家に転身したのでした。 暦に従った暮らしが、大きなリズムを刻み、合間合間に野菜作りや趣味や家族のサポート。 土造り、田植え、除草、収穫、脱穀・乾燥、予約直販。 食と農を守りながら、自分の手で暮らしを紡ぎだすという、昔ながらの農家の知恵が彼の 暮らし方にも生かされているような気がしました。
秋の一日遍路の旅に行ってきました。今回は、愛媛の最南端と高知県宿毛の霊場めぐり です。三十九番 延光寺(宿毛市)四十番 観自在寺(愛南町) 四十一番 龍光寺(宇和島市) 四十二番 仏木寺(宇和島市)の四ケ寺です
四国遍路の発端となった松山市荏原町出身の衛門三郎さんの御命日の法要なのでした。 兄の読経、そして尺八の先生のYさんの演奏も奉納されました。 強欲で知られた衛門三郎が弘法大師に出会い、改心してそのあとを追って四国を巡り歩いたと 伝承が四国遍路開創の縁起だというのです。説話ではありますが、衛門三郎さんは実在の人物です。
わたしたちは、機械文明と言う破壊に頼りすぎたために存続が困難になっていることにもう一度 想いを致し、生命的な自然の技術・・・デザイン・サイエンスを再考すべきだと思います。 お遍路ライフの課題として、そんな思考方法=デザイン・サイエンスを学ぶのもいいかなと思って います。
やまねこは、最近年のせいもあって「人間にとって大切なもの」「私にとって大切なもの」は あまり売っていないことに気づきました。そして、「何が最後に残るかな」と思うのです。
やまねこも、彼らの影響なのか「死ぬ」よりも「日常生活」に向かい合っている感じ。 「お遍路の旅に出たら、どこに寄って何を食べるか?」といったオブシェクティブなテーマ に感心が向きます。「人生とは?」などいう答えの出ない問いよりも「海老天うどん」や 「たらいうどん」の方が、より具体的かつ実感できる「人生の味」なんですよ。
お隣の老人ホーム どんぐり館ではお年寄りがシェア・リビング的に暮らしています。 勿論 ヘルパーさんのケアなど介護も受けながらです。 社長のNさんの経営方針は「助け合いとシェアと生活優位のケア・ホーム」ということ。 長年のヘルパー経験からの現場の知恵を活かしているのです。 そして、何よりも「普通の暮らし方」をできるかぎりお年寄りに与えてあげることです。 ここにも循環型のビジネス・モデルがあるのです。
『ジープ島からの手紙』というDVDを見ていました。 「フジテレビ「世界の絶景100選」で1位に輝き、雑誌「ブルータス」の表紙にもなった無人島ジープ島。ミクロネシア連邦のトラック諸島の中にあり、手つかずの自然が残る無人島。 37歳で仕事を失った吉田宏司が、どうやって直径34メールの無人島に、年間1,000名が泊まりに来る地上の楽園を作り上げたのか?
「白狐どんも『時間は乗り物だ。』と言っていた。 空と海のブルーがいいね。 時間が乗り物だというのはイケている。 お稲荷さんと言う神様は白狐が乗り物なんだよ。」 ゆるゆると過ぎてゆく時間と言うのは、夢の里でも同じですが、空と海しかない風景 というのは「地球が丸い」を実感させてくれるだろうなと思います。
『ロイ・コーヒー』 さんを訪問。 小さな自家焙煎の珈琲専門店です。 アーキテクト・ピュアさんの設計とのこと。 珈琲の香ばしい香りで一杯の店内で試飲してみました。 引き立て珈琲豆の専門店とのこと。店内はシンプルなウッド調で珈琲の豆袋と焙煎機が ありました。
庭で珈琲を飲んでいると、大きな鳥が天空から 降りてきて、ドームハウスの上で円弧を描きながら数十回、回転しました。良く見るとの「イヌワシ」のようです。深山や峡谷にしかすまない鳥なので 人里の近いこのあたりでは珍しい。トンビと比べてもかなり大きく、ドームのすぐ上で 二羽の鷲が輪舞する姿は勇壮な感じでした。
ダウンシフトとは、経済至上主義から降りることで人間が本来有している幸せと安心の 価値に戻り、足るを知る営みになり、分かち合う充足を得る、懐かしくも斬新な具体的手段 です。人目を気にして窮屈に生きるよりは、内なる確信から生きる方がすばらしい。 自己信頼の哲学とダウンシフターズ仲間と新たなソーシャル・デザインに 取り組むのもいいかなと思っています。
幼いころは、材木を山から切り出して市場に売りに行ったり、牛飼い農家に奉公に出たり 大工さんに弟子入りしたり、想像を絶する苦労話ですが、まるでおとぎ話のように楽しく 語ります。 そこには、昭和と言う激動の時代の不思議な自遊空間のようなものがあったのかも しれません。
徳島の神山町に見学に行こうということになりました。都会から100名を超える移住者 を迎える「グリーン・バレー神山」はIT企業やエンジニア、アーティスト、里山移住希望の若者 が今も増えつづれているという山村です。
四国と言うアイランド・ライフと里山暮らしとドームハウス暮らしのコラボは、やまねこにとって 「ストレス・フリーな極楽ライフ」なのでは? そもそも四国と言うのは「島環境」と「グリーンズ」とスローリビングが同時な満たせるエリア なのかもしれません。
アップグレードするのは、生活の質であって量ではない。 意識が高くなるのはわたしであって人間関係ではない。 ステータス・アップとは、セレブな暮らしになることではない。 むしろ、ダウン・シフトすることだ。
アッブグレードというのは、他者からの評価ではないということ。 あくまで、自分が「身軽に自由に動ける」可動的なあり方をさしています。 自分をアップグレードと言うと、「自分の人からの評価価値を高める」と受け取る人もいると 思いますが、これは逆効果です。
自由に生きる、スルーな方向にゆく、身軽でいるということのほうが「自分の生き方」という感性 にフィットしてくると思うのです。 選考されたり、格付けされたり、抜擢されたりするよりも、淡々と「自分のワークと哲学」を 構築する方が楽しい。
いよいよ、新しい生命的時間の輪が回り始めましたね。 明確に、時代が変化したのです。 もう、過去の流れに戻ることはありません。 このことにすでに気づいている人も多いかもしれません。 テーマパークでいえばジェット・コースターの坂を完全に登り切ったということでしょうか。 現在が、坂のループの頂点のゼロ・ポイントだと思います。
ジオデシック・ドームハウスのコンセプトはサスティナブル・ライフの器を提供すること。 ユーザーさんたちに生活器としてのドームハウスのコンセプトを理解してもらうこと。 また、ソフトの次元においてはDo More with Lessとは最小コストの最大幸福の技術を誰しも内在させているということをアピールすること。
意識をアップグレードしようとする場合習慣的思考を一度離れることも必要ではないでしょうか。 私たちが旅をしたり、アートに出会ったり、イマジネーションに浸ったりするのも 「思考習慣」をチェンジするきっかけづくりという側面があります。
「正解! 嫌いな人は嫌いでいいんだ。これはシンプルな結論だね。」 かくして人は身軽になり、人に嫌われてもさしてノープロブレムな中年となってゆく。 多くの人が嫌われたくないためにどれほど莫大な精神的エネルギーを消費しているか を考えれば『嫌われてOK』で、ブレイク・スルーした方が好ましいことが判明します。
ダウンシフトの時代と思います。 サイレントでクリアーなステータスを生活の中で守ることさえできれば、前進モードになれる のです。 それは、白紙の部分を大切にするということかな・・・。 まだ、なにも書かれていない真っ白いノートを用意して、ゆっくりと考える。 あれこれと考える。ぼんやりと考える。
ふとふりかえってみて、「夢は確かに叶うんだ」と思いました。 五年前に紙の模型だったドームハウスは、現在のライフ・デザイン研究所になっています。 現在八棟目のドームハウスをプランニング中です。生命的時間の輪・・・エーテル的時間の流れの更新は、五年サイクルだということらしい。 五年を大きな節目として新たな生命的時間の輪が回り始めました。
ビジネス・コンセプトはひとつの「福の種」である。 豊かさをもたらすコンセプトから「仕事を構築する」。 その仕事は多くの人に豊かな実りをもたらすものであるならば「福の種」だと言える。 人に仕事を与える。そうすれば報酬はその人を豊かにする。 そうすれば、仕事を通じて人と人のつながりが生まれる。
お金が血液であるように福の種を撒くことも新たな仕事の創出になり得ると考えているのです。 白狐どんも言うように 「誰かが助かったり、喜んだり、生きる力を得たり、 心癒されたり、勇気を得たり、知見を深めたり、孤立感から立ち直ったり、助け合ったり そんな小さな灯りをともすこと」もまたビジネスの出発点になると思うのです。
「自分にとって大切なことだけ残して身軽になりたい。」ということかな。 年を取るごとにしがらみが増えたり、窮屈な生活になったり、頑固になってひきこもったりせず 身軽にシンプルなナチュラルになって、行雲流水のような暮らしと風流を楽しむ・・・。
はじめてドームハウス工事に取り掛かったころのことを思い出していました。 ジオデシック・ドームハウスを建てるという「夢」は、実はやまねこが学生時代から温め続けた 夢の中の夢でした。何度か夢見つつも、決して実現することのなかったことなのです。 それが、大工さんやコッシーさんとの出会いを通して、とんとん拍子に建設・完成にいたったの でした。2010年夏のことです。
オーストラリアからのお客様です。日本人の方なのですが すでに三十年近くオーストラリア在住のSさんです。前回、Sさんにお会いしたのはすでに五年前のことです。その年は海外からのゲストや学生時代の 友人が数人、立て続けに松山を訪問してひさしぶりの再会がありました。なんと今年もほぼ 同じペースで友人と再会しています。
「決断」とは、先にするものであって条件が整ってするものではない。 決断することによって、すべての条件が整ってくるものである、というのは至言かなと 思いました。 「確実にすべての条件が整ったらこうしよう」というのは決断ではなく、 後付けの言い訳に過ぎない、ということでしょう。 。
バックミンスター・フラー博士 はこの習慣を生涯続けました。大きなハンドブック手帳にすべてのアイデアやイメージ図、 日常スケジュールなどを書き込んだのです。 現在も膨大な『クロニクル』(編年資料メモ)として保管されています。 フラーの膨大な研究テーマはこのクロニクル日記から生まれてきたとされています。
『YES MAN』という映画を観ていました。 「君は今まで、自分や自分の人生にNOと言ってきた。その結果が今の君だ。だから、今度はYES!と行ってみよう。それが大きなチェンジを君にもたらす」 アメリカ版「夢をかなえるゾウ」みたいな映画です。
わたしたちが自分の仕事やコミュニティや精神生活をチェンジしてゆこうとする場合「地図」 にあたるロードマップが必要です。それは様々な気づきとアイデアと創意工夫と共同作業や 周りの人からのサポートを必要としてます。
静かに 「スパイラル・ワーク」のロードマップ作りに専念していました。
怒髪天を衝く・という言葉もありますが「愛染明王」「不動明王」「降三世明王」など 密教には「怒りの姿の仏様」が数多くあります。これは浄化された怒りで煩悩を断ち切る力の 象徴とも受け取れます。ストレス、怒り、悲しみ、苛立ち、苦悩・・・そんなマイナス感情を変化のエネルギーに チェンジする「ダビデの鍵」があるのかもしれません。
夏も終わりに近づき、まもなく月末なのでお盆明けのごあいさつ回りをしていました。
生命的時間の輪とは、日常的な意志を働かせて私と私の現実を肯定することです。 ポジティブ・シンキングとはそういうこと。 自分一人の開運ではなく、自分と周囲のすべてに福の種を撒くことかな。 「福の種を撒く」なんておめでたいことと、たぶん、人には笑われるかもしれません。 それでもいいと思っています。大丈夫、「笑う門には福来る」です。
ここまでくれば損得にこだわらず、福々しい考え方を積み重ねて福徳勘定で生きたい ものです。 インドの聖地巡礼からお四国遍路の道へ。 千死に一生を得て、お四国遍路のご縁を得て、チェンジ・マイ・ライフ。 感謝感謝の第三の人生の始まりです。
懐かしい人たちと出会ったり、亡き人の面影を忍んだりの盂蘭盆会。 お盆が明けたら、新しい暮らしが始まりそうです。 スパイラル・ワークとは何を表しているのか、明らかになるでしょう。
「朝まだき、新しいエーテル時間のはじまり。 過去は流れ去った。 リリースされた時間の輪は完結。 完結した第二の輪。 第三の時間はスパイラルな時代の始まり。 年頭にプランニングしたようにスパイラル・ワークを始めよう。
巨大な太陽光発電、夢の里のエコロジカル・ヴィレッジの試み。 里山資本主義と グリーンズ・ドームハウス。 お遍路ライフを続けながら、良き仲間たちとソーシャル・デザイン への道を進みたいものです。
アカルイミライ、「生命的な時間の輪に入る」ことが八月のテーマです。
今回の四国遍路の旅は期せずして、中央構造線の旅となりました。 生命的時間=エーテル的時間とは私たち生物が、大地の構造変動と共に辿ってきたマクロコスモス の時間なのかもしれません。自然の巨大な力に畏怖するお遍路旅となりました。 それはそれでなんだか「魂のドライブ」=禊祓いだったかもしれないなあと思うのでありました
道々お遍路の姿をしていると多くの人が頭を下げていただけるのが不思議でした。 やはりお四国なんだなと思います。 わたしたちはチェンジを求められていること、良きご縁に恵まれていることに深く感謝 しました。 そして、すべて自然にまかせよう・・・。 神々の仕組みはそうなっているんだ、との直観がありました。
私たちは再び、お遍路さんになります。五年前の八月のtomokoさんと高知に行った折の写真が出てきました。 インドから帰って半年後なので、なにやらやまねこの顔もインド風です。(もともとそうか?) シニア・ライフへの報恩感謝のおかげ参りです。
「医学で説明のつかない領域を運という」とK先生の言葉を思い出していました。 神秘学ではそれを「カルマ論」とも言います。 人間の深い領域で何と何がつながっているのか? 弘法大師さんもそんな深い謎を胸に若き日に四国の道を歩かれたのだろうと思います。良き旅、良きお礼参り のお四国になりますように。
衛門三郎さんをめぐるお遍路の発端は良く知られています。 四国遍路の始まりといわれる衛門三郎伝説です。 「お大師さん」とともに歩く同行二人の四国の道・・・遍路。 生・老・病・死という旅は「魂のドライブ」とも言えるものです。
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リンゴやミカンや果実を観察してみると、面白いことがわかる。果実とは葉が種を抱き込んだ形をしていて果皮や果床部分が肥大化して果肉を形成している。いちご、りんごなど。葉が変化して、花や果実になってゆくというメタモルフォーゼの自然観です。これは、ゲーテの自然学の観察方法でルドルフ・シュタイナーは、ゲーテ自然学と言う博物学とは少し異なる「芸術的自然学」を受けついているのです。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
愛媛県ひめぎんホールで建築家でゲーテアヌム理事の上松祐二先生は 『心臓思考」について語りました。 心臓思考とは脳髄思考に対置された「霊的な思考方法」ということです。
ミヒャエル・デーブスさんが、エーテル体の更新は五年サイクルだとも言っていました。 人と人の縁やエーテル的なつながりも五年ごとに大きなサイクルが巡るということかな、 と思いました。
ミヒャエル・デーブスさんの講演『意識魂の時代の幕開けに 於ける薔薇十字会の衝動』についてのレポートです。 竹下さんの通訳で、やまねこが理解できた部分についてのみ書いてみますが、なんとも深く広がり のあるデーブスさんの司祭さんとしての霊性については表現が及ばないかもしれません。
やまねこは意識のステータスをあげることが、ボジティブ・シンキングの本質だと考えています。 奇妙なことなのですが、ポジティブ・シンキングとはネガティブなものにポジティブな意味を 見出す「ものの見方」を伴っているのではないかと思うのです。
第二回目の『シュタイナーの農業講座を語る』というライフ・デザイン研究所自主講座 でした。今回は第二章を中心にお話しいただきましたが、バイオダイナミック農法の背景となる アントロポゾフィーの人間観についても人体の構造・・・特に骨格との関係や頭部・胸部・腹部 下肢のミクロモスモスについてじっくりと話されました。
ライフ・デザイン研究所『シュタイナーとバイオ・ダイナミック農法』~ 「農業講座」を読む~を無事終えることができました。四国アントロポゾフィー・クライス代表の竹下哲生さんを招いての自主講座です。 この「農業講座」はシュタイナーの最晩年・・・死の前年なのであらゆる意味で シュタイナーの思想の結実が凝縮されているらしい。
ルドルフ・シュタイナーの心理学テキスト『魂の隠れた深み』は謎の多いテキストです。「既成の心理学では、魂の問題は扱えない」とシュタイナーは言います。 また、「現代心理学は4分の1の真理である」という一定の留保も含ませつつフロイトを中心に 精神分析学のあり方を批判してゆきます。 その批判の精緻さ驚くばかりです。
三億年の昔、いったい誰が自然界の美的均整を見ていたのでしょうか。 神でしょうか、それともオウムガイなど古生代生物でしょうか。 美しさを感じる人間の顔もまた黄金比で構成されるといわれます。 自然界の形態に先だって存在する幾何学的な美や直観知をフラー博士は、宇宙エコロジー と呼びました。
南海地震が起き四国はまさに「死の灰と死の国」になるという ことです。 さてさて、やまねこは朝から高知県佐川町の佐川地質館に行ってきました。 四国アントロポゾフィー・クライスの「夏の石灰 学習会」に参加するためです。地質館のお世話人の教育委員さんから、四国の地層・化石について詳しく説明を いただきました。
講師のモローさんは、色彩画家、ゲーテ研究家として知られますが、アート・セラピスト としての活動もされています。いくつかのシュタイナー学校で美術教師を経て、2005年 から日本に住まわれて活動を続けています。画家さんから絵を描くことを教えていただくと いう体験もわたしには、はじめてでなかなか新鮮です。
冬の朝日を見て「なんて美しいんだろう」と感じた魂の熱は、わたしから立ち去ることなく、何かを残して魂を暖めてくれるようです。そして、その暖かさは「美の形象」となって、わたしたちをかなたの光へと誘います。天使? 暁から生まれた存在とは? わたしたちは、冬の朝の太陽を見つめることで、光の生命の残響を感じとることができます。
わたしたちの日々の苦悩や失敗は魂の成功・・・・精神生活の調和と安らぎへの処方箋と 考えれば、小さな失敗も克服すべき未来への贈り物と言うこともできるでしょう。 一年がまもなく去ってゆきます。希望の種を淡々と巻く作業を続けてゆきましょう。
午後から夕刻まで、四国アントロポゾフィー・クライスのメンバーの方々中心にモミの木を 囲んで「クリスマスの集い」という集まりを持ちました。讃美歌、ライヤー・ハープの演奏 代表のTさんのクリスマスに因んだお話など「祝祭としてのクリスマス」を共に過ごす ゆるやかな午後。
社会の崩壊と綻び、自殺や犯罪の多発、遺伝子操作などの 行過ぎた科学的手法や環境破壊などなど「悪魔的」と言ってもさしつかえないほどの 物質主義を見つめるとき、これらの苦悩の現実と荒廃の闇の中で、 この「パッションという映画への注目」というトレンドが「かすかな光」をもたらして いるようにように思われました。
『花火は現在のなかで、過去からきた光の中で死に 闇の中で未来へと連なっていくものを確信するがゆえに美しいのです。』 それは、あたかもシュタイナーがミカエルの気分について語っていることと奇妙に一致しています。 キリスト教文化圏では、彼岸過ぎの9月29日を『ミカエル祭』と呼び、大天使ミカエルの祝祭日 として祝います。
やまねこが少年時代は、万博前後で夏と言えば、扇風機と蚊取り線香の薫りに満たされていました。 「日本の夏、金鳥の夏」というものです。 3.11以降は一段とエコ・ナビ、エコ・ライフの時節ですが、今にして思えば昭和の暮らし方は 「もったいない」のエコ・ライフでした。あの頃から一応太陽光ってあったんですよ。
「ドーム・ハウス愛媛の基本コンセプトは「暮らしをデザインする」ということです。 「 住まいをデザインする、環境をデザインする、心身のデザインとしての健康、衣食住をデザインするということです。」 とドームハウス事業創生時に書きました。
シニア・ライフを意識し始めて「セルフ・フィットネス」というのが大切なんだと思っています。 「自分らしさのトレーニング」とでも言えるかもしれません。 大義名分や常識よりも自分の感性や直観を大切にするということです。少し自分勝手かもしれませんが、「自分に向かい合う」のを第一義的なテーマにしようと 思うのです。
このところ暮らしを「自分で作る」ことにウェイトをかける実験をしています。 野菜を作り、電気を作り、暮らしそのもののコンセプトを作る。 循環型生活といい、有機的生活と言い、ライフ・スタイルと言うものは「自分で描き、自分で作る」 ことが基本です。
『ほしい未来は自分で作ろう』 これは、環境サイト『Greenz』さんのソーシャル・デザイン宣言のキャッチ・コピーです。 こんなふうに呼びかけています。 「まずは「ほしい!」と意思を持って望むこと、そして「変える」のではなくいっそ「つくる」こと。 あなたの”ほしい未来”はどんなものですか?
蛇口をひねれば出る水道水を水甕から組んだ桶の水に対置し スイッチを入れるだけで使い放題の電気をオフグリッド太陽光発電にひきくらべる。 スーパーのバックづめの野菜を畑から取り入れる野菜で確かめる。 部分的であっても『大切にすること』を学べたら、それもエコ・ライフかもしれませんね。
私たちが原子炉からのエネルギーにもっぱら頼り、自分たちの宇宙船の本体や装備を燃やしてしまう愚さえ犯さなければ、『宇宙船地球号』に乗った全人間の乗客が、お互い干渉し合うこともなく、他人を犠牲にしてだれかが利益を得たりすることもなく、この船全体を満喫することは十分実現可能なことだとわかっている。『宇宙船地球号操縦マニュアル』
ドームハウスの考案者バックミンスター・フラー博士は、常々「豊かさの概念」について 語りました。私たちのテクノロジーは全人類の生命、そして自然界の富を守るのに十分な 科学力と技術力と知恵をすでに手にしていると1970年に宣言しました。 それは、全地球的なデザイン・サイエンス革命によって実現されると考えたのです。
お金がお金になる前の姿は、豊かさを与える力のようなものなんだと思います。 豊かな実りをもたらす力、喜びを与える力、分け合う心、苦労を乗り越える力そんなものが やがてお金になるのでしょう。ですから、ゆとりのある心は豊かさをすでに持っている ことになるのかもしれませんね。
夏安居なので「セルフ・チューニング」にそろそろとりかかろうかなと思っています。 昨年はシンプル化と言うことがテーマでしたが、今年は「ナチュラル」にしようと思います。 自然体、自然のままという質朴なありかたがシニアにはふさわしいと思うからです。
ミニマム・ライフを始めてすでに四年が過ぎます。ミニマム・ライフとは拡大的生活ではなく、必要にして十分な満足生活のことです。 自然と触れ合ったり、スローフードを楽しんだり、畑を耕したりというイメージで 多くの人が「スローライフ」をイメージしますが、それは見掛け上の部分であって 本質はもっと「内面的」問題かもしれませんね。
Do nothing!ということを考えているうちに「基本に帰る」というテーマに行きつき ました。今回のフェイズは昨秋の出雲大社参拝から始まっています。 その時にこんな風に直観したのでした。「リソース、リサイクル、シナジェティクスなコンバージョン。 つまり、もう一度、ゼロからはじめればいいのではないかな。」
私たちは「何かを成し遂げないといけない」 「何かをキャッチしたり、ゲットしたい。」と情報の海を探ります。そんな社会だからこそ「何もしない」ことは、最高の過激な手法になりえます。 「何もしないでいる」ことが困難なのです。 Do Nothing! あるいは Do more with Less!とつぶやいてみること。
ドームハウス暮らしも五年目に入ります。 生活空間が「丸い」ということ。 球体であるということは、「たまご型」であるということです。 やまねこは五年前に「黄金瞑想」というテーマで考えていました。 すべてが光の球体で包まれているという「イメージ瞑想法」なのですが、ドームハウス を建てようと思い立ったのは、このイメージ・トレーニングが発端です。
面倒くさいから便利さにたよる。頼るから体が弱る。生活習慣と電力は 関係がある・・・ということかな。 畑で野菜を作ったり、スモール・ソーラーで電気を作ったり、ウォーキングをしたり、野山の 食材を採集したりで「暮らしと自然をつなぐ工夫」を生活実験してゆくのが今の時代向きなの かもしれないと思っています。