私たちは「何かを成し遂げないといけない」 「何かをキャッチしたり、ゲットしたい。」と情報の海を探ります。そんな社会だからこそ「何もしない」ことは、最高の過激な手法になりえます。 「何もしないでいる」ことが困難なのです。 Do Nothing! あるいは Do more with Less!とつぶやいてみること。
ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
夏から「シンプルにいきる」をテーマにしてみました。断・捨・離を実践しようと 思ったのです。身軽な暮らし方こそ年相応かなというのがきっかけです。 『シンプルに生きる』のドミニック・ローホーさんはこんな風に提案します。
やまねこも齢五十数歳を過ぎ、人生の限界を意識する世代となり、「死に至る病」を 患い、林住期となりましたので時折、「折にふれて」シニア・ライフ・レポートを書く ことにしました。 やまねこシニアのシュールな遁世論(リトリート・アイデア)ということになるかなと思います。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
人体という「わたしの居場所」を健全化してゆく努力を「養生法」というのでしょう。 ハート思考を強めてゆくことによって、健康な身体性を回復するだけではなく、 より霊的な思考力を身体的にも隅々まで行き渡らせることができるということ。 これは、オカルティストとならではの課題ですね。
脳内の麻薬物質はとにかくも「スッキリする」方法は、できるかぎり「シンプル、ライト」 を心がけることかなと思います。 複雑化、重量化しない精神生活とはミニマムとナチュラルな暮らし方かなと思っています。 誰とも競争しないこと(勿論じぶんとも)、自分の価値観やライフ・スタイルに信念を持つこと ゆっくりと充実した暮らしを楽しむこと・
この病気は統計上は10年50%生存の病気ですが皆様の協力もあって10年を経てもまだ生きています。 15年10%生存に向けて養生に勤めるべき時期ですね。 いのちを大切にするということは自分を大切にするということです。 そして自分を大切にするとは周りを大切にするということです。
スモール・ドーム・ハウスは、サイズが小さいため専門の大工さんでなくてもキット・ハウス 的に日曜大工でセルフ・ユーズに生かせそうです。 パソコン・ルーム、アトリエ、勉強室、音響室、パーソナル・シアター、瞑想室、 子ども部屋、小さなプラネタリウムなどなど自由な「隠れ家空間」やグリーン・ハウス や庭園のガゼボなどにもいいかも。
10年車検しといてよかった。危機一髪、梗塞を起こしかけている冠動脈発見。 二番と三番だったかな。以前は六番を手術したと思います。 すぐに手術の手配ということで、しばらく心臓キュアとケアに専念します。
ドームハウスで暮らし始めてすでに三年半。「ドームハウスという暮らし方」について 考えています。 実感として丸い家は、ゆったりとして楽であるということ。 もうひとつは、熱効率が良く、光と風を楽しめるということかな。
わたしたちもまた、ひとりひとりに"ムスビの大神"の幸魂奇魂のパワーをいただいて "しあわせ"(四合わせ)になることができるということでしょう。 ゆえに出雲大社では拍手を四つうち さきみたま くしみたま まもりたまひ さきわへたまへ とお祈りすることになっています。
大社へのお参りの後に続いたのはインド・ネパール聖地巡礼、住まいさがし、夢の里との 出会い、ドームハウス建設、結婚、ドームハウス事業の展開などなど著しい運命上の 展開の五年間でした。 ですから、今回のお参りは願い事をするものではなく、神々への報告と感謝をかねての 参拝でした。
朝まだき、出雲の旅にでかけてきます。 リトリートの時間を一月あまり過ごし、メンタル・フィットネスも良き状態なので 「神結びの旅」にふさわしいと言えるかな。 サイレントなパワー・フィールドが出雲神話街道の趣です。 五年ぶりの出雲はどんな旅路になるでしょうか。
「思考生活を健全化する」というのがこの五年のテーマでした。 正しく見つめ、正しく考えるとはどういうことなのか? お釈迦様の言う「正見・正思」ということです。この二つがあって初めて人は、正しく語り 正しく行動し、正しい生活が成り立ちます。間違った思考や見方はゆがんだ生活をもたらす ことは多くの人が認めるところでしょう。
人間は意外と「球体の意味」を理解していないかな というのが感想です。 そういう意味では、フラードーム・ハウスも様々なメタモルフォーゼは可能と考えています。 フラーは「地球を学ぶオブシェクト」としてジオデシック・ドームを考案したのだと最近に なってわかってきました。
取るに足らない小さなこだわりを捨てて、一歩離れて自分を見つめる。 「納得のいかない出発点から人生を歩み始めた人が努力すればするほど、その努力の結果をみのらせることができなくなります。」 一歩進むためには二歩さがる。自分に留まる。 自分勝手と言われないために窮屈な生き方をするよりも自分中心に生きたいと願っています。
起こせば、夢の里に来てすでにまるまる四年になります。 「社長、ここにドームハウスを建てようと思いますがいかがでしょう。」 「それは、面白いね。新しい時代は誰も取り組まないことから手を付けるべきだよ。」 これは、2009年10月23日のY社長との出会いの会話です。
森と泉を資本として、孤独を資本として、相互扶助を知恵として、 シナジェティックスを羅針盤として、ミニマム・ライフをライフ・スタイルとして大地に 根差した里山資本主義の実験を続けてゆきたいと願っています。
わたしたちの生活が「流れ」の中にあるのだとしたら、その流れを制御しているのは 私たちの意識ということになります。しかし、現代は生活装置・設備がシステム・アップされ 過ぎていて、多くが自動的に流れる傾向があります。 例えば住まいの問題ならその傾向は顕著です。
アボリジニは代々「ドリームタイム」という天地創造の神話を語り継いできました。 ここでのドリームは、いわゆる「夢」ではなく、「生活する、旅をする」の意味です。 人間が旅をすれば、そこに足跡が残るのと同じように、エネルギーやスピリットが残ると信じています。
日本は、自然災害がとても多い国なのに原発という危険な施設を50基余り作ってしまったこと を真剣に考え直す時代ですね。 脱原発に大きく舵を切り、国づくりをもう一度やり直すべきではないかな。未だ収束も解決もしていない福島をかかえるわたしたちは、新しい時代に向けてすべてを 一から考え直す時と思っています。
自分に向かい合うというのは、私たちの気晴らし志向から言うと困難な作業です。 ひとつは時間をかけること。二つ目には労をいとわないこと。もうひとつは考えることを いとわないこと、と思います。 さて、問題の自己とは?私たちの内面=魂を統括しているが自我・自己と考えられます。
哲学者フランシス・ベーコンは「四つのイドラ」を挙げています。 人間が陥りやすい心の偶像=イドラですが、偏見やゆがんだ思考を指しています。テレビで見た、新聞で読んだ、噂を聞いた、不安に駆られて推測したなどなど現代は市場のイドラ や劇場のイドラが氾濫していますね。
まだまだ社会の総体はマネー資本主義が主流ではありますが、里山資本主義のような 新しいビジネスの試みはも様々な業界やライフ・モードの中で種まくように芽吹いてゆく 時代と思います。
初心禅心・・・初めて出会うときのように初めて取り組む時のように学ぶ。 初心者の心を保つことのむずかしさは、わたしたちが経験や慣れの中で失うものが多いことを 指しているのかな、と思います。「自己をならふといふは、自己を忘るるなり 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」道元
メンタル・フィットネスについて熟考。 周りを明るくする人間は、精神的健康面で パワー・フィールドを形成することができます。 やまねこが、日頃から「心霊的自己防衛」=サイキック・ディフェンスと呼ぶものです。ダイアン・フォーチュンは、このテーマで同名の主著で詳しく説いています。
西予市遊子川地区のユスモクさんの木工教室で「みんなで作るドームハウス」 二回目のワークショップです。少しずつ組みあがってゆくジオデシック構造は 圧巻でした。小さな模型で「こんな形」とは思っているのですが、その躯体の大きさに驚きの溜息 が漏れる場面もあり。みんなで作り上げたという充実感と感動がありました。
村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』の羊男と僕 について考えていました。羊男はわたしたちの内なる声とも言える役割を果たし ているような気がします。 高度資本主義の過剰なシステムによって、森に追いやられ、 生死の境で語りかける存在・・・沈黙の声のようなものとしての羊男は、「何かと何か を繋げる」ことが自分の仕事だと語ります。
満々と奥池の湧き水は枯れることはありません。空を眺めながら生活し、畑で作物を作ったり 山間でしいたけを作り、三年が過ぎ去りました。 この地に来て満四年ですが、つい昨年のような感じもします。 山の中の竜宮城とtomokoさんはいいます。ゆっくり流れているはずの夢の里の時間は 暦の上では早く流れているのかもしれません。
里山資本主義のビジネス・モデル作りは「コーポラティブ」と「持続可能性」 ということになるでしょうか。やまねこも「ドームハウスの里山資本主義」の展開のアイデアを温めています。
里山資本主義は、リーマン・ブラザーズに代表されるような「マネー資本主義」のアンチテーゼ のビジネス・スタイルです。マクロな金融工学ではなく、実体経済と里山ライフ・スタイルといった 「生活本位の経済活動」でもあります。
ワークショップで参加者の方々と「みんなで作るドームハウス」 というテーマで取り組みます。 ジオデシック構造やドームハウスの魅力を皆さんに知っていただく良き機会になればなあ、 と思っています。 これも里山資本主義のパイロット・プランということでしょうか。
五木寛之さんが言う「林住期」をどうすごすかは、ひとりひとりの課題ではあります。 人生50歳から黄金期・・というポジティブな志向が本書のテーマです。五木さんは50歳からの25年間を「成熟とジャンプの時期」と見ているようです。「新たな生きることそのものを探求、創造できるまたとない黄金期だ」というのです。
何ものにももたれかからないと孤独の楽しみが見えてきます。 良き日々の中でやすらぎ、自己変革への意欲を持つことができます。 敗北者とは自分の価値を見失った人のこと 勝利者とは自分の価値観を信頼できる人のこと
要らないものは捨離してゆく、何物にも依存しない、もたれかからないでいると人はどうなるのか? 「退屈になる」「不安になる」「焦る」「いらいらする」「気分が沈む」etc それで? 退屈やら、不安やらは「断」における不安定な心ということでしょう。 そして「捨」において「決別」が起き、「離」において風が吹くように消え去る。
やまねこは事務処理がまるで苦手で、ゴツゴツと石段を上るように 不器用にしか生きられない「社会的不適応者」のノミネート保持者だからです。 問題をスピーディにシステマティックにクールにこなす人・・とは事務処理上手なのかな といつも思っているのです。
朝起きると雪景色、数年ぶりの積雪。 もっこり、もっこり、歩くと雪の🐾足跡。 山道の運転は危険なので仕事は休んだ。下界は積雪ないようで、ここだけの雪景色。 温暖な四国では雪景色は珍しい。
多くのシニアは、現代生活の「インフォメーション」に疑いを持っています。 戦争の時代、戦後の時代のトリックを知っているからです。シニア的思考とは「全体主義は信じない」「多数決は信じない」ということです。 「ひとりひとりの思考努力によってしか私たちの社会は形成されない」ことを痛感している からです。
「実は、相談なんだけどね、お宅の金のなる木を一株わけてもらえませんか。」 と持ちかけるとさすが金持ちケンカせずおじさんはこころよく快諾してくれました。 やまねこは、バイクに「金のなる木」を積んで、近所の「さいさい市場」という 産直で野菜類を山ほど買って帰りました。といっても500円分です。
哲学仲間のYさんは、最近瀬戸内海の伯方島に寓居を得て、「島暮らし」を楽しんでいる ということで移住のお祝いに行ってきました。一日の過ごし方、島の人たちとの交流、釣り三昧 哲学と神秘学、それぞれのシニア・ライフの楽しみ・・・そぞろに来し方行く末の徒然草。 Yさんは団塊世代です。「里山資本主義」の典型かな、と思います。
何かをめざし、良きもの、楽しみ、成果を求めて努力することはいいことではあります。 しかし、「今を生きる」というテーマからそれてしまうと心は焦りと不安に陥りがちです。 とにかく、ゆっくり生きる。シンプルに生きる。要らないものは捨ててみるという工夫も いいかもしれません。
戦後「追いつけ追い越せ」で六十年を過ごしているうちに「何が豊かさ」なのか地図も羅針盤もなくしてしまったわたしたちは、時代のテーマとして「豊かさの基準線」を再び引き直すべき 時代にさしかかっています。もともとひいてあった基準線がどこにあったのかもわからなく なっているような気がします。
神々というのは一般に饒舌にしゃべることはありません。時折、ふと話すのです。 饒舌な連中は、たいてい「魑魅魍魎」です。これ、難しい漢字ですよね。 というわけで、やまねこはネクスト・ヴィジョンに向けて出雲大社詣でをめざして 頑張ろうかなと考えています。
朝から、ぶどうまつり三日目をtomokoさんと手伝っていました。 土曜日ということもあり、友人が三々五々夢の里とドームハウスを訪れ、ぶどうまつりにも 参加してくれ、珈琲を飲みながら仲間たちとドームハウスでゆっくり談笑する時間も楽しめました。
行基菩薩も円空も木喰も旅をしながら仏様を彫りました。 山頭火も旅をしながら俳句を詠みました。 とるにたらないもの、見捨てられたもの、忘れられたものに仏の姿を見つけるのもいいかも と思いました。
「成功するってことは、猿がバナナを棒で採る様なことなんだ。棒はバナナをとるためにあったわけじゃないけど バナナが採れたとき猿はあることに気づくんだ。 『こりゃいいね。よし今度からこれを使おう。』」
お金=ツール、夢=ヴィジョンです。 やまねこは「ヴィジョンはツールを生み出す。ゆえに夢があればお金は得られる。」と考えます。 丁度チンパンジーが棒を用いてバナナをとるようなものです。 ヴィジョンとは「現実を変えるもの」であって「はかなく消えるもの」ではないとすると 思考と現実の関係は変化します。新たな次元を押し開くのです。
毎年思うのですが、 夏のお盆はご先祖様をお迎えしてこの世を去った方々と共に過ごします。そして、お盆の 安らぎの中で家族のだんらんを楽しみます。 そんな時期に終戦記念日が重なっているということは何かしら不思議なことと思うのです。 やまねこは、幼い頃祖母の家で過ごしました。それは、村墓地の鎮守堂というもので 今でも松山市内に残っています。昭和三十年代の頃のことです。
西洋文化・文明の文物を取り入れたがゆえに失いつつあるものとしての「陰翳の美学」を惜しみつつ もし、西洋に逢着しなかったら500年前と変わらぬ生活をしていたかもしれない、とも語る谷崎潤一郎の ダブル・バインドは今もわたしたちの根底に残っているような気がします。
考えるとはどういうことなのか、 キーワードから一定のパターン化された「決まり文句」を導き出すことでないことは確かです。 記憶・推論パターン・ロジック・アルゴリズムの中で流れるコンピュータと人間の対話は あまりにもわたしたちに似ている。それ以上にわたしたちはなお「考えること」をテーマ とすべきかもしれませんね。
四国では、空海を親しみをこめて「お大師さん」と呼びます。 私もお遍路さんでお大師さん信仰です。 2016年~2017年、約1年かけて八十八ケ寺を回りました。 お礼参りで高野山に詣でた際、高野山阿闍梨の宮島基行先生を紹介頂き、先生より法話を聴き、10/1金剛界結縁潅頂を受け、お大師さんとご縁を結ばせて頂きました。
長年ヘルパーとして働いてきた経験を活かして 二年前にどんぐり館を開設したN社長は、ある意味でヒジネス・トレンダーです。 様々な介護現場の発想から「お年寄りが一番過ごしやすい暮らし方と環境とは何か」 という問題意識を持ってどんぐり館を開設し、経営的にもサービスのクォリティにおいても 素晴らしい成果をおさめています。
『暮僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』という本を再読 しています。
虹は何を語りかけてくれるのか・・・? そう、問いかけることによって近代科学が掬いとれなかった「美しいもの」「真実なもの」 「善なるもの」を見つめようとしていたのかもしれません。 「もっと光を」というのは、ゲーテの臨終の言葉でしたね。
従来の「仕事がない」「情報がない」「働き手がない」過疎地域にすぎないという里山の 捉え方を逆転し、過疎を逆手にとって、自然がある・相互扶助できる・ローコストで生活 できる、森と里山をエネルギーに・・という段階から、新しいビジネスの発信地に できるというパイロット事業地として再生する試みは全国の里山で試みられつつあります。
わたしたちは、田舎に生まれ田舎で育ちそして都会にあこがれて、猛烈に努力して都会で 暮らします。そして、都会で再び猛烈に努力して働いて疲れ果てて田舎暮らしにあこがれて 都会から帰ります。この勤勉さをもっと別な方向に向ければ、私たちの社会はサステイナブル にシフトしてゆけるかもしれません。
ロハス・ライフ、スローライフ、エコ・ヴィレッジ、地方の時代と言われるのは 「都市化」「中央集権」「工業化」「情報化」の都市部の対局で取り残された来た地域が日本の 7割をしめるのが里山だからです。 クールでスピード感のある都会、スローでナチュラル感のある田舎。 わたしたちは、便利と不便と喧騒と静寂の間で行き来しています。
webマガジン「サステナブル・ブランド ジャパン」で「ドームハウス愛媛」が紹介されました。
「成功したいと思うなら他人と抗ったり競争をやめることですよ。 なぜなら、人間の不幸の多くは競争心から生まれるからです。他人と抗わない人は確実に 成功します。でも、悲しいことにほとんどの人はこれができないのです。」成功するということは、その人なりのヴィジョンを実現するということです。
エネルギーを自然から生み出し、自然を保全するという循環型ビジネスは、明らかに今後の ビジネス・モデルです。 「自然から生み出す」は「自然から奪い取る」のアンチテーゼです。 同様にビジネスにおいてしくみから生まれる利益をお金のみに還元せず、より良き持続可能性 として循環させるということも大切です。
身近でコロナクラスターが起こったが、感染した本人より周りが大変だったというのが感想だ。陽性になった高齢者は食欲もありいつもと変わらず、介護している職員が疲労のためダウン寸前になっていた。これから何年か後に新型コロナウィルスに関してもっと詳しく解明されてくるだろう。その時にこの感染対策を振り返ると滑稽に映るかもしれない。
日本総研の藻谷浩介さんとNHK広島の共著『里山資本主義』を読んでいました。 巻頭に岡山県真庭市の銘建工業という製材会社のバイオマス発電のエピソードが 紹介されています。 里山資本主義は、「実体経済と里山ライフ・スタイルといった「生活本位の経済活動」 でもあります。
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私たちは「何かを成し遂げないといけない」 「何かをキャッチしたり、ゲットしたい。」と情報の海を探ります。そんな社会だからこそ「何もしない」ことは、最高の過激な手法になりえます。 「何もしないでいる」ことが困難なのです。 Do Nothing! あるいは Do more with Less!とつぶやいてみること。
ドームハウス暮らしも五年目に入ります。 生活空間が「丸い」ということ。 球体であるということは、「たまご型」であるということです。 やまねこは五年前に「黄金瞑想」というテーマで考えていました。 すべてが光の球体で包まれているという「イメージ瞑想法」なのですが、ドームハウス を建てようと思い立ったのは、このイメージ・トレーニングが発端です。
面倒くさいから便利さにたよる。頼るから体が弱る。生活習慣と電力は 関係がある・・・ということかな。 畑で野菜を作ったり、スモール・ソーラーで電気を作ったり、ウォーキングをしたり、野山の 食材を採集したりで「暮らしと自然をつなぐ工夫」を生活実験してゆくのが今の時代向きなの かもしれないと思っています。
「等身大の自分から社会を変える」とは、とりもなおさず「私の暮らしをデザインする」ことが 出発点になるということです。これまでとは違ったとらえ方をする、違った暮らし方をすることに躊躇は不要と思います。 身近なところからソーシャル・デザインを立ち上げてゆくことは誰にも可能かなと思って いるのです。
例年の「夏安居」(げあんご)に入りました。 仏典を読んだり、瞑想したり、お参り(お遍路)をしたりして過ごす季節です。 弘法大師の『秘密曼荼羅十住心論』と『業と運命』(佐々木現順著)を読んでいます。 佐々木現順・・この人は大谷大学の仏教学者でありながら、仏教心理学と言う新分野を切り開いた 草分け的なかたのようです。
「いかにして自分をチェンジするか」というテーマなのですが、あるところまで考えて いるうちにはっと気づきました。「自分をチェンジする必要はない」むしろ「自分のことは置いておいて先へ行こう」 ということ。 自分を変える必要はなく、シチュエーションを変えればよいということです。
都会にも田舎にも異なった時間の流れがあり、空間の広がりがあります。 どちらに偏りすぎても人はバランスを失いやすいのです。 静かで安定した里山は閉鎖的になりがちですし、にぎやかで流動的な都会はすべてを押し流して しまいがち。 パーソナルでありながらも、リアルタイムの流動性を失いたくない・・・。
わたしたちは「頭の中で解決する問題」をかかえすぎているのです。 一度、「頭の外で何かを変える」ほうが効果百倍です。 恋愛小説を百冊読むよりも一度の「ひとめぼれ」のほうが絶妙な効果があるということかな。
暮らしを自分なりにまとめるということは、ひとえに「自分らしい暮らし向き」を創る ことかなと思います。 快適・便利・合理的・効率や効果を重視する人も多いかと思いますが、やまねこは ヘルシー、スロー、シンプル、ナチュラルを重視して少し不便でも「楽しい気分」 「ゆっくり」「創意工夫」で暮らし向きをまとめたいと思っています。
ドームハウスで暮らし始めて五年目となります。 アート・ファン仲間やドームハウス仲間と交流しながら 「暮らし方をデザインする」というライフ・デザイン研究所を設立しました。「ドームハウスでライフ・デザインの魅力を発信』したいと考えています。 6年前に作ったペーパーモデルのドームハウスは「夢の種」だったのかなと思っています。
わたしたちは、いつでも「ソーシャル・トリック」をブチ壊して「現実世界」に 離脱することができます。自由と言う資産は誰にも奪い取られませんから。 社会や他人と競争する人はまず、この鏡を破壊することは不可能です。 競争原理を捨て去ることから、鏡は割られるのです。 つまり、「破鏡」から「魔法使いへの道」がはじまるのです。
五月にパワー・フィールド(結界)が完成して以来、不思議なくらい静かな暮らしが 続いています。「時間を空間化した」という印象です。 もう少し、わかりやすく表現すると『自分と言う場所を確認した』とも言えるかもしれません。 ますます、わけがわからない表現かもしれませんね。(笑)
「ストレス過剰生活から過剰ないしは欠乏した生活習慣が形成されて生活習慣病は生まれる。 ストレスがなくなっても生活習慣は維持されることが慢性化を招く。 すべてを掛け声だけ「ヘルシーに、ナチュラルに」と空念仏や無理な努力よりも 「できる改善」を淡々と根気よく少し工夫してみる。」『生活習慣の変え方』指導を受けていました。
暮らしを拡大志向でみるのではなく、再構成と創造性で見つめなおすという発想は ノマド的かなと思いました。 それにしても「年収100万円で楽しく暮らす」というタイトルはイケています。 「そんなことあり得ない」と多くの人が疑いを感じるからです。 当世若者気質の ノマドな感性が光っていますね。
スモール・ライフ、ビューティフル・ライフの提案です。 経済指標で暮らすよりも「自分の価値基準で暮らす」ほうが賢明であり、クリエティブという ことなのでしょう。 100万円で楽しく豊かに暮らす知恵を培えば、収入が改善すればさらに充実した暮らし方や 教養を培うこともできるでしょう。
多忙な春の終わりにひとまず「一段落」の静かなお休みモードでした。ひさしぶりにエコロジストのぽらんさんと珈琲トークしていました。 「人生を使い切る」ということが大切とぽらんさん。 彼が言うのは、未消化、先送り、事なかれ主義で人生のエッセンスを素通りすると定年後大きな 精神的ツケが回ってくる、ということなのでしょう。
『スルーする技術』はストレス軽減のためにはとても愉快な本です。 日本人はとても礼儀正しく、律儀なので「自分の領域に属さないことがら」にもついつい 関わってストレスを増やすことが多い。 これらにつきあっていたら精神衛生を害するか、トラブルに巻き込まれるか、金銭を失うか 疲労困憊するかいずれかです。
お年寄りにとってドームハウス というのは「音の返りが良好」なので人の声を聞き取りやすい、身近に感じる・・・それが 耳の遠い高齢者には「安心空間」ともなり、ヘルパーさんとのコミュニケーションにプラスだと 言うのです。 先生のテーマは、脳科学のモデリングとともに環境のおける『身体知』を明らか にしてゆくことだそうです。
夏から「シンプルにいきる」をテーマにしてみました。断・捨・離を実践しようと 思ったのです。身軽な暮らし方こそ年相応かなというのがきっかけです。 『シンプルに生きる』のドミニック・ローホーさんはこんな風に提案します。
やまねこも齢五十数歳を過ぎ、人生の限界を意識する世代となり、「死に至る病」を 患い、林住期となりましたので時折、「折にふれて」シニア・ライフ・レポートを書く ことにしました。 やまねこシニアのシュールな遁世論(リトリート・アイデア)ということになるかなと思います。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
人体という「わたしの居場所」を健全化してゆく努力を「養生法」というのでしょう。 ハート思考を強めてゆくことによって、健康な身体性を回復するだけではなく、 より霊的な思考力を身体的にも隅々まで行き渡らせることができるということ。 これは、オカルティストとならではの課題ですね。
脳内の麻薬物質はとにかくも「スッキリする」方法は、できるかぎり「シンプル、ライト」 を心がけることかなと思います。 複雑化、重量化しない精神生活とはミニマムとナチュラルな暮らし方かなと思っています。 誰とも競争しないこと(勿論じぶんとも)、自分の価値観やライフ・スタイルに信念を持つこと ゆっくりと充実した暮らしを楽しむこと・
この病気は統計上は10年50%生存の病気ですが皆様の協力もあって10年を経てもまだ生きています。 15年10%生存に向けて養生に勤めるべき時期ですね。 いのちを大切にするということは自分を大切にするということです。 そして自分を大切にするとは周りを大切にするということです。
スモール・ドーム・ハウスは、サイズが小さいため専門の大工さんでなくてもキット・ハウス 的に日曜大工でセルフ・ユーズに生かせそうです。 パソコン・ルーム、アトリエ、勉強室、音響室、パーソナル・シアター、瞑想室、 子ども部屋、小さなプラネタリウムなどなど自由な「隠れ家空間」やグリーン・ハウス や庭園のガゼボなどにもいいかも。
10年車検しといてよかった。危機一髪、梗塞を起こしかけている冠動脈発見。 二番と三番だったかな。以前は六番を手術したと思います。 すぐに手術の手配ということで、しばらく心臓キュアとケアに専念します。
ドームハウスで暮らし始めてすでに三年半。「ドームハウスという暮らし方」について 考えています。 実感として丸い家は、ゆったりとして楽であるということ。 もうひとつは、熱効率が良く、光と風を楽しめるということかな。
わたしたちもまた、ひとりひとりに"ムスビの大神"の幸魂奇魂のパワーをいただいて "しあわせ"(四合わせ)になることができるということでしょう。 ゆえに出雲大社では拍手を四つうち さきみたま くしみたま まもりたまひ さきわへたまへ とお祈りすることになっています。
大社へのお参りの後に続いたのはインド・ネパール聖地巡礼、住まいさがし、夢の里との 出会い、ドームハウス建設、結婚、ドームハウス事業の展開などなど著しい運命上の 展開の五年間でした。 ですから、今回のお参りは願い事をするものではなく、神々への報告と感謝をかねての 参拝でした。
朝まだき、出雲の旅にでかけてきます。 リトリートの時間を一月あまり過ごし、メンタル・フィットネスも良き状態なので 「神結びの旅」にふさわしいと言えるかな。 サイレントなパワー・フィールドが出雲神話街道の趣です。 五年ぶりの出雲はどんな旅路になるでしょうか。
「思考生活を健全化する」というのがこの五年のテーマでした。 正しく見つめ、正しく考えるとはどういうことなのか? お釈迦様の言う「正見・正思」ということです。この二つがあって初めて人は、正しく語り 正しく行動し、正しい生活が成り立ちます。間違った思考や見方はゆがんだ生活をもたらす ことは多くの人が認めるところでしょう。