「等身大の自分から社会を変える」とは、とりもなおさず「私の暮らしをデザインする」ことが 出発点になるということです。これまでとは違ったとらえ方をする、違った暮らし方をすることに躊躇は不要と思います。 身近なところからソーシャル・デザインを立ち上げてゆくことは誰にも可能かなと思って いるのです。
ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
「等身大の自分から社会を変える」とは、とりもなおさず「私の暮らしをデザインする」ことが 出発点になるということです。これまでとは違ったとらえ方をする、違った暮らし方をすることに躊躇は不要と思います。 身近なところからソーシャル・デザインを立ち上げてゆくことは誰にも可能かなと思って いるのです。
例年の「夏安居」(げあんご)に入りました。 仏典を読んだり、瞑想したり、お参り(お遍路)をしたりして過ごす季節です。 弘法大師の『秘密曼荼羅十住心論』と『業と運命』(佐々木現順著)を読んでいます。 佐々木現順・・この人は大谷大学の仏教学者でありながら、仏教心理学と言う新分野を切り開いた 草分け的なかたのようです。
「いかにして自分をチェンジするか」というテーマなのですが、あるところまで考えて いるうちにはっと気づきました。「自分をチェンジする必要はない」むしろ「自分のことは置いておいて先へ行こう」 ということ。 自分を変える必要はなく、シチュエーションを変えればよいということです。
都会にも田舎にも異なった時間の流れがあり、空間の広がりがあります。 どちらに偏りすぎても人はバランスを失いやすいのです。 静かで安定した里山は閉鎖的になりがちですし、にぎやかで流動的な都会はすべてを押し流して しまいがち。 パーソナルでありながらも、リアルタイムの流動性を失いたくない・・・。
わたしたちは「頭の中で解決する問題」をかかえすぎているのです。 一度、「頭の外で何かを変える」ほうが効果百倍です。 恋愛小説を百冊読むよりも一度の「ひとめぼれ」のほうが絶妙な効果があるということかな。
暮らしを自分なりにまとめるということは、ひとえに「自分らしい暮らし向き」を創る ことかなと思います。 快適・便利・合理的・効率や効果を重視する人も多いかと思いますが、やまねこは ヘルシー、スロー、シンプル、ナチュラルを重視して少し不便でも「楽しい気分」 「ゆっくり」「創意工夫」で暮らし向きをまとめたいと思っています。
ドームハウスで暮らし始めて五年目となります。 アート・ファン仲間やドームハウス仲間と交流しながら 「暮らし方をデザインする」というライフ・デザイン研究所を設立しました。「ドームハウスでライフ・デザインの魅力を発信』したいと考えています。 6年前に作ったペーパーモデルのドームハウスは「夢の種」だったのかなと思っています。
わたしたちは、いつでも「ソーシャル・トリック」をブチ壊して「現実世界」に 離脱することができます。自由と言う資産は誰にも奪い取られませんから。 社会や他人と競争する人はまず、この鏡を破壊することは不可能です。 競争原理を捨て去ることから、鏡は割られるのです。 つまり、「破鏡」から「魔法使いへの道」がはじまるのです。
五月にパワー・フィールド(結界)が完成して以来、不思議なくらい静かな暮らしが 続いています。「時間を空間化した」という印象です。 もう少し、わかりやすく表現すると『自分と言う場所を確認した』とも言えるかもしれません。 ますます、わけがわからない表現かもしれませんね。(笑)
「ストレス過剰生活から過剰ないしは欠乏した生活習慣が形成されて生活習慣病は生まれる。 ストレスがなくなっても生活習慣は維持されることが慢性化を招く。 すべてを掛け声だけ「ヘルシーに、ナチュラルに」と空念仏や無理な努力よりも 「できる改善」を淡々と根気よく少し工夫してみる。」『生活習慣の変え方』指導を受けていました。
暮らしを拡大志向でみるのではなく、再構成と創造性で見つめなおすという発想は ノマド的かなと思いました。 それにしても「年収100万円で楽しく暮らす」というタイトルはイケています。 「そんなことあり得ない」と多くの人が疑いを感じるからです。 当世若者気質の ノマドな感性が光っていますね。
スモール・ライフ、ビューティフル・ライフの提案です。 経済指標で暮らすよりも「自分の価値基準で暮らす」ほうが賢明であり、クリエティブという ことなのでしょう。 100万円で楽しく豊かに暮らす知恵を培えば、収入が改善すればさらに充実した暮らし方や 教養を培うこともできるでしょう。
多忙な春の終わりにひとまず「一段落」の静かなお休みモードでした。ひさしぶりにエコロジストのぽらんさんと珈琲トークしていました。 「人生を使い切る」ということが大切とぽらんさん。 彼が言うのは、未消化、先送り、事なかれ主義で人生のエッセンスを素通りすると定年後大きな 精神的ツケが回ってくる、ということなのでしょう。
『スルーする技術』はストレス軽減のためにはとても愉快な本です。 日本人はとても礼儀正しく、律儀なので「自分の領域に属さないことがら」にもついつい 関わってストレスを増やすことが多い。 これらにつきあっていたら精神衛生を害するか、トラブルに巻き込まれるか、金銭を失うか 疲労困憊するかいずれかです。
お年寄りにとってドームハウス というのは「音の返りが良好」なので人の声を聞き取りやすい、身近に感じる・・・それが 耳の遠い高齢者には「安心空間」ともなり、ヘルパーさんとのコミュニケーションにプラスだと 言うのです。 先生のテーマは、脳科学のモデリングとともに環境のおける『身体知』を明らか にしてゆくことだそうです。
畑を耕すということは大地と関わりあうということです。そして、作物を作るということは 「食」を自ら得るということです。 昔はお米作りが基本で、お稲荷さんという神様がつかさどっていました。 オカルティストのやまねこは時折、白狐さんと話します。お稲荷さんのお使いです。
法然に薩般若を具足して 心珠心王 刹塵に過ぎたり とは弘法大師の言葉です。 日常のひとつひとつの現象にも「ホログラフィックな心の働き」が宿っている ・・・そんな意味合いです。 緩やかな春の日がゆっくりと過ぎてゆく・・。 ホーム・センターで新しい如雨露を買いました。
スパイラル・ビジネスが始まる。 スパイラル・ビジネスに必要な知恵は「練磨された経験」と「全く新しい 発想」と相互補完関係、相互扶助関係ということだ。 そんな回り合わせのステージを合流している人たちがいる。 大切なのは自然で構築的で豊饒化するというイメージ力だ。
「運命のアクチュアリティ」のようなものを引き受けて生きるか、ただ時間が過ぎるだけ の人生を生きるかはその人の魂の器量による。 深い絶望の谷も厳しい試練の峰も、深い迷いの沼も味わい尽くして、今があるのだという 「カルマへの信頼感」のようなものが人生の果実として現れてきます。
「運命のアクチュアリティ」のようなものを引き受けて生きるか、ただ時間が過ぎるだけ の人生を生きるかはその人の魂の器量による。 深い絶望の谷も厳しい試練の峰も、深い迷いの沼も味わい尽くして、今があるのだという 「カルマへの信頼感」のようなものが人生の果実として現れてきます。
「心臓という器官はカルマと魂の器官」というのは、おそらく手術した人にはわかるだろうと 思います。 術後、「魂の変化」「人生観の変化」が深いレベルで起きるのです。 ポジティブな意識に変化してゆきますが、一気の起きるのではなく徐々にです。 何はともあれ、半年間の旅の完了・・・そんなふうに思います。
宝くじに当たった人が面白いことを言ってたらしいよ。 『僕は何不自由なく暮らせるので自由の意味と生きる意味を失ってしまった。』 自由ってなんなんだろうね。」 延々と哲学談義をする奇妙なシニアが時折コンビニ・カフェに出現する風景も ゆるやかな松山のならではかもしれません。
NHKのクローズアップ現代「あしたが見えない・・深刻化する若年女性の貧困」 という番組を観ていました。 愕然とする現状のレポート番組でした。 以前、勝ち組・負け組という言葉が流行りました。抜け出せない貧困、生活のぎりぎりの ラインの雇用状況、家庭崩壊・シングル、子育ての困難などなど若年女性の貧困がより深刻な のだそうです。
ルドルフ・シュタイナーはかつて100年前に近代科学農法が現われてきた時代に 「農業の危機と人間の精神生活の危機」を予見しながら「農業講座」を語りました。 農業が恐るべき仕方で崩壊してゆく・・とシュタイナーは訴えたのです。 その100年後にいるわたしたちは、再び「サスティナブル」と「オーガニック」の真に意味する ところを問い直すべき時代まで来ているのではないかと思います。
多くの動物は本能のプログラムに従った行動をする。 人間の多くの要素も本能に従っていることは間違いありません。 しかし、動物になく人間にだけあるものは?と聞かれたら、それは「謎」としか答えられません。 本能のプログラムを逸脱した人間独自の部分がかえって見えにくくなってしまった時代が 私たちの時代なのかもしれません。
そもそも仕事とは、生活費を稼ぐためにのみあるべきなのか? お金とは生活資金のためにのみあるのか? もう一度、お金・仕事・雇用・時間のつながりを考え直すべき時代かもしれません。タイム・イズ・マネーは合理的判断の上では正しい。 しかし、そのおかげで私たちは時として不合理な生活を強いられている。
ドームハウスの創案者であるバックミンスター フラー博士は、自分の人生を壮大な実験とみなしていました。 ゆえに彼は自身を「モルモットB」と呼んでいました。 フラー博士の膨大な『クロノファイル』と呼ばれる記録ノートは現在も解析中です。
「笑う門には福来る」という引き寄せの法則もあるのだと表現を革めましょう。 いつも笑い声が溢れる家には、自然に幸運が訪れる。 明るく朗らかにいれば幸せがやってくるという意味。また、悲しいこと・苦しいことがあっても希望を失わずにいれば幸せがやって来るということ。 「門」とは、家・家族の意。 笑いの絶えない家族には幸せが訪れます。
あまたある自己啓発本、スピリチュアルから高島易断、イワシの頭まで研鑚を積んだという オカルティストのやまねこ博士は「引き寄せの法則はある」と断言できます。 弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂ということは確かにあるのです。
高知は少しワイルドなメニューが楽しいひろめ市場は観光的にも人気スポット。 今度来るときは泊りがけで居酒屋も行きたいものです。 今回の高知の仕事は田園風景の中でした。 風渡る水田地帯のひなびた風景もいいものだなと思いました。
≪あなた自身の力を引き出して、運勢を変える7つの方法≫ 1.自分はこれからどうなりたいのか?自問する。 2.今の自分と理想の自分の差を明確にする。 3.その現実を受け入れる 4.その夢をかなえる力があると、毎日声に出す。 5.自分の夢にむかって、最適な行動を毎日続ける。 6.自分の感性を信じる。違和感があれば、方向転換。 7.やっぱり最後は感謝する。
神話と神楽の里の『森の空想ミュージアム』は、うっそうとした森の中の異空間でした。 のんびりと牛が草を食べる牧場、点在する保育園や児童施設、茶畑、友愛社本館は大正時代の 風情です。 広大な森のヴィレッジで子供たちを守り育てながら社会に送り出してゆこうという 石井十次の理想郷への思いは100年を過ぎた今も生かされているような気がしました。
ひとりひとりのクリエイティブな感性を入れる器としてのドームハウスを創案者バックミンスター フラー博士は「生活器」=Livingryリビングリーと呼びました。 それぞれのデザイン、それぞれの暮らし方を楽しむドームハウスです。
私たちは一度マスコミのあり方を再検討する必要があります。または背景にある政治的要素や 送り手の意図なども無視することはできません。 『何を取り上げ何を取り上げないか。』があらかじめ決められ『何を秘密にするか』が 検閲される社会は病的な社会です。そして、病的社会はやがて破壊的な方向に向かうものと 思います。
夢の里の丘に上がりました。 桜の花びらが散り敷く花の道です。 遠く松山市・砥部町・東温市を眺望する夢の里とべは、巨大なソーラー・プランになります。 昔、ミカン畑今は電気畑の夢の里。
『里山資本主義』の藻谷さんも団塊世代の人口の多さとその消費動向が今後の日本のキャスティング ボードを握っていると指摘しています。 やまねこはこの世代は戦前の集団主義をひきつぎながら、戦後の集団就職世代から個人主義へ 世代のブリッジだったと思います。
シニア・ライフに沿って心機一転 しようかなと思っています。人生の日曜日を生きようと思ったのです。仏教ではこれを「有暇を得る」と言います。生活をシンプルにして、自分に向かい合い 生きる課題や目的を深めようと旅に出る、あるいは「森に住まう」林住期とも言われますね。
密教・・秘密仏教は基本的には「法身説法」の世界です。法身説法とは宇宙そのものが直截な叡智を人間に伝えてくる・・・というような思想です。オカルティストは直感を磨きながら法身説法を受ける・・・これ「金剛薩多」という密教の 菩薩のあり方です。
「住宅型ドームハウス内見会」を盛況のうちに無事終えることができました。 沢山の方々にドームハウスの魅力の一端に触れていただく良き機会でした。 今回のプランは第七番目となります。 愛媛ではこれまでコミュニティ・ドームハウスが多かったのですが初めての住宅プラン となります。
畑を耕し、野菜を作り、季節の野山の幸を楽しむ。 里山暮らしもすでに五年目を迎えます。 ゆっくりと流れてゆく陽だまりの時間を味わっています。
今日は、「古典に訪ねる」です。鎌倉時代の鴨長明の『方丈記』ってご存知ですね。 乱世に隠遁して世事を語った日本古来のエッセーの発端のような著作です。 世間の移ろいゆく姿に無常観を歎じ「面影の美学」を賞揚したした正剛さんお勧めの作品。
お隣の第七ドームハウスがまもなく完成です。 内見会の案内状を準備していました。 第七ドームハウスは住宅型ドームハウスです。
オカルティズムの名著『ターシャム・オルガヌム』は 数学者・神秘学者のP.Dウスペンスキーの傑作と言われています。「奇蹟を求めて」で グルジェフのシステムを発見したウスペンスキーは生涯を「人間の意識の科学」という探究 を続けた人です。
サティシュ先生の「最高の人生をつくる授業」を読みながら「スモール・イズ・ビューティフル」 の哲学について考えていました。 というのは、先日の松岡正剛さんの講演の中で「私たち日本人は古来から小さきものへの共感 を持っています。枕草子の中で『小さき者はうつくしき』と表現されています。」という 事を言われていました。
山水ラディカル、侘び寂びアヴァンギャルドと言う松岡さんの「方法日本」はこれからの時代に 必要な視座と思います。
明日は松岡正剛さんが松山に来られるということで楽しみにしています。 やまねこが深く尊敬する「風流人」「風狂者」のひとりです。 以前、鳩山首相が総理になって早々、彼を神田の三省堂に案内していくつかの必読書を進めて いました。鳩山氏がアドバイスを求めるような隠れたる重鎮なのです.。
サティシュ・クマールの『最高の人生を創る授業』を買ってきて読んでいます。 「スモール・イズ・ビューティフル」の哲学者・経済学者のシューマッハの友人で英国 シューマッハ・カレッジの校長さん。 彼はマハトマ・ガンジーの孫弟子にあたり、平和と核廃絶のために世界中を歩いた人でもあり、 近年よく使われる「持続可能な社会」を提唱する主導者でもある。
10年前に二度目の心臓手術をしたやまねこは、以来命を助けていただいたお礼に密教的生活の モデルになろうと決意しました。病理と貧困のどん底からのスタートでした。 霊的な存在の守護を確信していたのです。 ヘルメス学を基本にオカルティストとして誠実に生きようと考えたのです。
あれやこれやの心配事は自分で作りだしているだけで、もともと「自然にまかせてOK」 なのかもしれません。 愛媛の偉大な思想家、福岡正信さんもそんな風に語っていましたね。
ゆっくりと過ごす。 あわただしいのはスケジュールではなく常に「心のあり方」ではないでしょうか。 シンプルにナチュラルに暮らして「自分の暮らしを楽しむ」ことに貪欲になろうと思います。 そうすればきっといいアイデアに出会えそうな気がするのです。 吉田兼好もマーク・トウェーンもソローもそんな風に考えたのかもしれません。
館長さんから現代アートのこぼれ話などに耳を傾けました。 山頭火を世に出した大山澄太さんやダダイストの高橋新吉の自宅を訪問した話は面白かった。 アーティストの素顔もまたアーフルな側面かな。モノ派の菅木志雄の巨石アートが「存在の重さと質感」を見せてくれる現代美術館の開館が 楽しみです。
ウォーキングを始めて4kg減量できました。あと4kg痩せれば目標クリアです。 淡々とした作業なのですが「わたしと日課としての習慣」と向かい合うということかな、 と思います。
魂の結界(パワーフィールド)と霊的な結界は先月完了かなと思いました。 あとは身体的なヘルス・ケアが大切。 治療方針を先生と話し合いました。「生活習慣を変えることはとても困難です。」 とあからさまに話してくれました。 「僕の患者の中でも完遂できる人はまれなんですよ。」 「だからこそ、やまねこさんには頑張ってほしい。」と。
あらゆるものが混在する奇妙な夢とは、おそらく変化の予兆だろうと思います。 心臓手術からはじまった新しい意識の次元が形をとりはじめるのかもしれません。 良き未来の贈り物を楽しみにしています。変化の予感からすべてははじまります。 カルマを過去の業ととらえず、未来への贈り物と捉えれば人生という試みは楽しいものに なるのです。
鉄瓶をしげしげと眺めながら 「山水、ラディカル、侘び寂びアヴァンギャルト」とつぶやいてみました。 骨董店を営みながら石手寺で仏師として仏様を彫っていた父の口癖は 「古いやつこそ新しい。新しいやつこそ古い。骨董窃盗強盗。玉石混交。」という 目利きの世界の面白さでした。
「あーすればこーなる」というガラガラポンな生き方はありません。 ひとりひとりの価値のものさしを自分で決めて自分で創造する、そしてファインな暮らしの感触 を楽しむパーソナル・クリエイティブな時代なのだと思っています。
ユスモク・クラブで作ってきた作品はどれも味わい深い木工作品。 子どもたちと作ったという「カホン」というリズム楽器は子供たちの絵があしらわれていて 楽しい。 設計のコッシーさんとユスモク倶楽部の皆さんと作った3mジオデシックドームが一番大きな 作品ということになります。
仕事を創ることをテーマにドームハウス・プロジェクトにかかって 来ました。 まもなく第七ドームハウス完成です。そして夢の里は第二メガ・ソーラーとエコ・ヴィレッジ 造りに進みます。 ライフ・デザイン研究所は夢の里の誕生と共に始まりました。 無から有を創りだす・・・それがテーマです。
思い立ったらすぐに実践。脳天気なやまねこは、ジャンバラ・プラクティスにとりかかりました。ジャンバラに水と塩をお供えして一日を始める。般若心経をとなえる。 日常作務をこなす。 とるにたらないことを淡々と続ける。 それで良しと思えたら、日々是好日ということかな。
新しいライフ・デザインは「暮らしを楽しむ、育てる、創る」がいいかなと思っています。 暦と共に暮らすこと。作物を育てること。仕事を創ること。そして仲間作りも大切。 ゆるやかな季節の変化と共に新しいコンセプトも生まれるような気がしています。「競争マインドは何も生み出さない。創造マインドが仕事を生み出すのです。」と ジェームズ・スキナーさんも言います。
五年間の旅を振り返ってみるとインドという異空間と夢の里というゆるやかな時間の流れが 不思議に共鳴していたような気がします。 それは、運命の糸をたどりながら、霊的なエネルギーに導かれてきとも思います。 そしてそのプロセスはこの二月で一度完了したのではないか新しきライフ・デザインが始まる予感に満たされています。
ライフ・ワークにゆっくりと取り掛かりたいと思います。 このスローなスピードが加速した社会の複雑性から私たちを離脱させてくれるのです。 空しい競争を捨てて、知恵のビジネスに持続可能なライフ・スタイルに変化してゆく時代と 考えています。
やまねこは、すべてをポジティブに暮らすとどうなるかという実験をしています。 何でも前向きにとらえるというトレーニングです。 雨が降っても雪が降っても前向きと考えるのです。 雨が降ったら傘が売れる、コイン・ランドリーが儲かり、雪が降ったら犬が喜び庭を駆け回る そして山猫は炬燵で丸くなると考えるのです。
今までお金のことや身なりのことはあまり考えた経験がないのです。これも聖人君子の弊害です。 健康のことを考えボディ・ヒーリングに勤しみ、お金のことを考え仕事に勤しみ、服装を整え お稲荷さんにお参りに行く・・・・なかなかフツーではないですか。 心機一転、今年はセルフ・イメージ一新です。
禅の臨済宗『臨済録』にこんな言葉があります。 随処に主となれば 立処皆みな真しんなり 臨済宗の祖である臨済義玄禅師の言行録である、『臨済録』という書物の中、示衆の一七に出てきます。どんな会社にいても、どんな仕事であっても、自分が主人公となって(積極的に)行うならば、そこでの生き様はすべて真実である、というような意味です。
岡山県の最上稲荷さんにお参りしてきました。訪れてみるととてもバワフルなお寺です。 ご神体の山が背後にあり、霊的な源泉が空に向かって開いている感じです。 『大地の生産力』とも言えるかな。このシャーマニックなパワーのせいなのかこの地は岡山有数 の穀倉地帯・農業生産地のようです。
岡山の最上稲荷さんに行ってきます。 「お稲荷さん」というと商売繁盛の神様ということになっていますが、本来は豊受大神 の宇賀の御霊ですから、「大地と稔りの神様」です。 豊かな稲の実りをもたらす天地自然の 産出力・・つまり「パワー・フィールド」を象徴しています。
オーガニック、スローライフ、里山資本主義、シンプル族、ノマドなどなど緩やかな ライフ・スタイルの中でカルチャー・クリエイティブな暮らし方を試みる人はシニアにも若者 にも双方向で広がりつつあります。
天動説か地動説か?といった近代科学至上主義からではなく、人間の宇宙観がさまざまなメタモル フォーゼを遂げてきたんだと捉えると、その変遷とダイナミックな転換ははひとつの音楽のように も思われるのです。 光の万華鏡・・ペンタキスとケプラーの太陽系立体、そしてギリシャの星界の音楽。
わたしたちは2009秋に夢の里に出会い、ドームハウスを建てることを計画したのでした。 あれから丸四年が過ぎます。 夢の里には先日、メガ・ソーラーが稼働を開始しやまねこはスタッフと共に八棟目のドームハウス のプランニングにかかっています。 夢の里と出会いドームハウスを建てることを通してライフ・ワークの基盤作りの四年間でした。
バックミンスター・フラー博士はDo More With Lessの哲学は自然界が宇宙の叡智として 秘めていると終生語り続けました。 一つの例としてミツバチの蜂蜜集めの行為が植物の受粉活動を支えていることを取り上げ ています。 そして蜂蜜集めと受粉活動の行為のベクトルは90度の方向にあるというのです。
やまねこは朝から、砥部町太陽光発電所の稼働・オープン式典の撮影をお手伝いをしていました。 事業主体の朝日ガス社長さんや砥部町長さん四電工事さん、夢の里Y社長や多くの事業者・名士の 方々が一堂に会しての記念式典の「神事」が夢の里で催されました。
自然と共に生きる・・・この基本的なライフ・スタイルはエコロジカルな思考から生まれ 食の安全やスロー・フードなどとともに見直され、有機農法として実践する人も少しずつ 根を張っていると思います。やまねこも猫の額位耕しています。
古くからの友人でオカルティスト仲間で行者さんのSさんを訪ねました。 三年ぶりの訪問でした。心臓手術をしたことやドームハウス事業のその後を報告かたがた ごあいさつに寄ってみたというわけです。 Sさんは法華経の行に熱心な方でやまねことは三十年近くの修行仲間でもあります。
お金を稼ぐための仕事、しかしそのお金は自分や人を活かし、能力を活かしてこそクォリティ を高めることができます。 ライフ・プランとライフ・デザインの摺合せを通してしか実現できない充実感、ある程度の 年齢に達すると人はクォリティを問うようになるのではないかな。 ゆえにドームハウスはそのための器、ツールを提供するものなのです
脳と心の問題は現代科学のテーマですが、わたしたちの「意識の問題」でもあるのです。 そして意識は常に『身体』という謎を発端としています。 空海の言う『金剛身』とは? そしてホログラムとしての世界とは?
『人生は価値あるものだと信じなさい。 そうすればあなたのその信念が、人生は価値あるものだとい 事実を生み出すでしょう。心が変われば行動が変わる。 行動が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。 人格が変われば運命が変わる。』「プラグマティズム」ウィリアム・ジェームズ
瀬戸内海の島々を眺めていると不思議な直観がありました。 時代の変化は競争の時代が終わり、結びの時代が始まったことを示している すでに競争は過去のものそれは分散と解体しかもたらさない
「希望を持って前に進む」というイメージを感じさせてくれるご家族でした。 どんぐり館や第七ドームハウスの工程などもご案内。しばらくプランを煮詰めてゆく 段階・・・それぞれの夢に形を与えるドームハウスのフレキシブルな受容性がどんなふうに 生成してゆくのかが楽しみです。
現代は雇用も不安定で様々な新規参入・起業ビジネスも必ずしも順境とは言えません。 こんな時代だからこそ本書や『何故ベス』が読まれているのかもしれませんね。 「やる気モチベーション」のアホな自己啓発本とは違った趣の実践論です。
もう一度、時間軸を私たちの手に取り戻す。 もう一度、おてんとうさまを拝むことを暮らしの基本にする。 スパイラルな時間は、「即身」の自然な流れとしての時間です。 時間を再発見するためにも ゆったりまるく暮らすことが仕事になるようにスローダウンしてみるのもいいのではないかな と思っています。
里山資本主義とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」 の経済システムの横にこっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという 考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続けるしくみ、いわば安全安心の ネットワークをあらかじめ用意しておこうという実践だ。
八咫烏、ナガスネヒコ、イワレヒコ、ニギハヤヒの謎は古事記神話の暗号のようなものです。 霊的なパワーも強いところなので好んで初詣にでかけています。 今年は、安心な暮らし、自由な暮らしを求めたいと願いました。 毎年を初詣からはじめる日本人はいいものだなと思います。
住まい方暮らし方の基本に帰る。 原点復帰から再構築するライフ・デザインの提案。生活はライフ・デザインのキャンバスと心得る。 球体の家は美と直観をプロダクトする。デザイン・サイエンスの理念を展開させるスパイラルなビジネス・モデルの構築。
時代は里山資本主義とエコロジカル・シフトを求める人が都会から地方へと目を向けています。 こんな時代だからこそ愛媛からのグリーンなビジネス発想も可能性が高まってゆくのではない かなとKさんと頷きあう次第です。
黄金瞑想に取り組んでいます。 これはとても簡単な瞑想法です。「私の周りを黄金の光と熱が取り巻いている」 とイメージするのです。金の卵の中にいるひな鳥のイメージでもさしつかえありません。 まばゆい光の中にいる自分をイメージするということはとりもなおさず「明るく健やかな セルフ・イメージ」を形成するということです。
夢の里ではメガ・ソーラーが完成に向けて最終工事の様子です。 新年明けから試験運転の後稼働するらしい。 第七ドームハウスも二月ごろには完成モード。 やまねこチームはスモール・ドーム・プロジェクトを立ち上げようと考えています。 ドームのアトリエ&茶室作りの実験プランです。
わたしたちが夢見る時間を過ごした子供時代の「遊び場所」がすべての 良き思い出の発端となるようにこの日常世界を「最高の世界」と見るとあらゆるものが豊かで 美しいものを打ち明けてくれるということでしょうか。
「生かすも殺すもわしらの勝手」なグローバル企業とはマネー資本主義の主体であり、 匿名性の利益至上主義のロジックで流れてゆきます。 わたしたちにできることは「内なる自由を守ること」「仲間同士で助け合うこと」 「平等で公正な正義や人権を守ること」という身近な実践だけです。
コッシーさんと来年度に取り組むパーソナル・ドームハウスについて語らっていました。やまねこは未来型のパソコン・ルーム兼茶室をイメージしているのです。 『ジオデシック・カフェ』と勝手に呼んでいます。 漆喰壁やウッドシェイク風の屋根仕上げ、白木の床でナチュラルな内装を茶室風にしつらえ 躙り口から入るドーム・カフェ。
黄金瞑想を続けています。黄金の卵の中で鳥になっています。 「また云く、「もし能くこの勝義に依って修すれば、現世に無上覚を成ずることを得」と。 また云く、「当に知るべし、自身、即ち金剛界と為る。金剛と為りぬれば、堅実にして傾壊無し。我、金剛の身と為る」と。
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「等身大の自分から社会を変える」とは、とりもなおさず「私の暮らしをデザインする」ことが 出発点になるということです。これまでとは違ったとらえ方をする、違った暮らし方をすることに躊躇は不要と思います。 身近なところからソーシャル・デザインを立ち上げてゆくことは誰にも可能かなと思って いるのです。
例年の「夏安居」(げあんご)に入りました。 仏典を読んだり、瞑想したり、お参り(お遍路)をしたりして過ごす季節です。 弘法大師の『秘密曼荼羅十住心論』と『業と運命』(佐々木現順著)を読んでいます。 佐々木現順・・この人は大谷大学の仏教学者でありながら、仏教心理学と言う新分野を切り開いた 草分け的なかたのようです。
「いかにして自分をチェンジするか」というテーマなのですが、あるところまで考えて いるうちにはっと気づきました。「自分をチェンジする必要はない」むしろ「自分のことは置いておいて先へ行こう」 ということ。 自分を変える必要はなく、シチュエーションを変えればよいということです。
都会にも田舎にも異なった時間の流れがあり、空間の広がりがあります。 どちらに偏りすぎても人はバランスを失いやすいのです。 静かで安定した里山は閉鎖的になりがちですし、にぎやかで流動的な都会はすべてを押し流して しまいがち。 パーソナルでありながらも、リアルタイムの流動性を失いたくない・・・。
わたしたちは「頭の中で解決する問題」をかかえすぎているのです。 一度、「頭の外で何かを変える」ほうが効果百倍です。 恋愛小説を百冊読むよりも一度の「ひとめぼれ」のほうが絶妙な効果があるということかな。
暮らしを自分なりにまとめるということは、ひとえに「自分らしい暮らし向き」を創る ことかなと思います。 快適・便利・合理的・効率や効果を重視する人も多いかと思いますが、やまねこは ヘルシー、スロー、シンプル、ナチュラルを重視して少し不便でも「楽しい気分」 「ゆっくり」「創意工夫」で暮らし向きをまとめたいと思っています。
ドームハウスで暮らし始めて五年目となります。 アート・ファン仲間やドームハウス仲間と交流しながら 「暮らし方をデザインする」というライフ・デザイン研究所を設立しました。「ドームハウスでライフ・デザインの魅力を発信』したいと考えています。 6年前に作ったペーパーモデルのドームハウスは「夢の種」だったのかなと思っています。
わたしたちは、いつでも「ソーシャル・トリック」をブチ壊して「現実世界」に 離脱することができます。自由と言う資産は誰にも奪い取られませんから。 社会や他人と競争する人はまず、この鏡を破壊することは不可能です。 競争原理を捨て去ることから、鏡は割られるのです。 つまり、「破鏡」から「魔法使いへの道」がはじまるのです。
五月にパワー・フィールド(結界)が完成して以来、不思議なくらい静かな暮らしが 続いています。「時間を空間化した」という印象です。 もう少し、わかりやすく表現すると『自分と言う場所を確認した』とも言えるかもしれません。 ますます、わけがわからない表現かもしれませんね。(笑)
「ストレス過剰生活から過剰ないしは欠乏した生活習慣が形成されて生活習慣病は生まれる。 ストレスがなくなっても生活習慣は維持されることが慢性化を招く。 すべてを掛け声だけ「ヘルシーに、ナチュラルに」と空念仏や無理な努力よりも 「できる改善」を淡々と根気よく少し工夫してみる。」『生活習慣の変え方』指導を受けていました。
暮らしを拡大志向でみるのではなく、再構成と創造性で見つめなおすという発想は ノマド的かなと思いました。 それにしても「年収100万円で楽しく暮らす」というタイトルはイケています。 「そんなことあり得ない」と多くの人が疑いを感じるからです。 当世若者気質の ノマドな感性が光っていますね。
スモール・ライフ、ビューティフル・ライフの提案です。 経済指標で暮らすよりも「自分の価値基準で暮らす」ほうが賢明であり、クリエティブという ことなのでしょう。 100万円で楽しく豊かに暮らす知恵を培えば、収入が改善すればさらに充実した暮らし方や 教養を培うこともできるでしょう。
多忙な春の終わりにひとまず「一段落」の静かなお休みモードでした。ひさしぶりにエコロジストのぽらんさんと珈琲トークしていました。 「人生を使い切る」ということが大切とぽらんさん。 彼が言うのは、未消化、先送り、事なかれ主義で人生のエッセンスを素通りすると定年後大きな 精神的ツケが回ってくる、ということなのでしょう。
『スルーする技術』はストレス軽減のためにはとても愉快な本です。 日本人はとても礼儀正しく、律儀なので「自分の領域に属さないことがら」にもついつい 関わってストレスを増やすことが多い。 これらにつきあっていたら精神衛生を害するか、トラブルに巻き込まれるか、金銭を失うか 疲労困憊するかいずれかです。
お年寄りにとってドームハウス というのは「音の返りが良好」なので人の声を聞き取りやすい、身近に感じる・・・それが 耳の遠い高齢者には「安心空間」ともなり、ヘルパーさんとのコミュニケーションにプラスだと 言うのです。 先生のテーマは、脳科学のモデリングとともに環境のおける『身体知』を明らか にしてゆくことだそうです。
畑を耕すということは大地と関わりあうということです。そして、作物を作るということは 「食」を自ら得るということです。 昔はお米作りが基本で、お稲荷さんという神様がつかさどっていました。 オカルティストのやまねこは時折、白狐さんと話します。お稲荷さんのお使いです。
法然に薩般若を具足して 心珠心王 刹塵に過ぎたり とは弘法大師の言葉です。 日常のひとつひとつの現象にも「ホログラフィックな心の働き」が宿っている ・・・そんな意味合いです。 緩やかな春の日がゆっくりと過ぎてゆく・・。 ホーム・センターで新しい如雨露を買いました。
スパイラル・ビジネスが始まる。 スパイラル・ビジネスに必要な知恵は「練磨された経験」と「全く新しい 発想」と相互補完関係、相互扶助関係ということだ。 そんな回り合わせのステージを合流している人たちがいる。 大切なのは自然で構築的で豊饒化するというイメージ力だ。
ドームハウスで暮らし始めてすでに三年半。「ドームハウスという暮らし方」について 考えています。 実感として丸い家は、ゆったりとして楽であるということ。 もうひとつは、熱効率が良く、光と風を楽しめるということかな。
わたしたちもまた、ひとりひとりに"ムスビの大神"の幸魂奇魂のパワーをいただいて "しあわせ"(四合わせ)になることができるということでしょう。 ゆえに出雲大社では拍手を四つうち さきみたま くしみたま まもりたまひ さきわへたまへ とお祈りすることになっています。
大社へのお参りの後に続いたのはインド・ネパール聖地巡礼、住まいさがし、夢の里との 出会い、ドームハウス建設、結婚、ドームハウス事業の展開などなど著しい運命上の 展開の五年間でした。 ですから、今回のお参りは願い事をするものではなく、神々への報告と感謝をかねての 参拝でした。
朝まだき、出雲の旅にでかけてきます。 リトリートの時間を一月あまり過ごし、メンタル・フィットネスも良き状態なので 「神結びの旅」にふさわしいと言えるかな。 サイレントなパワー・フィールドが出雲神話街道の趣です。 五年ぶりの出雲はどんな旅路になるでしょうか。
「思考生活を健全化する」というのがこの五年のテーマでした。 正しく見つめ、正しく考えるとはどういうことなのか? お釈迦様の言う「正見・正思」ということです。この二つがあって初めて人は、正しく語り 正しく行動し、正しい生活が成り立ちます。間違った思考や見方はゆがんだ生活をもたらす ことは多くの人が認めるところでしょう。
人間は意外と「球体の意味」を理解していないかな というのが感想です。 そういう意味では、フラードーム・ハウスも様々なメタモルフォーゼは可能と考えています。 フラーは「地球を学ぶオブシェクト」としてジオデシック・ドームを考案したのだと最近に なってわかってきました。
取るに足らない小さなこだわりを捨てて、一歩離れて自分を見つめる。 「納得のいかない出発点から人生を歩み始めた人が努力すればするほど、その努力の結果をみのらせることができなくなります。」 一歩進むためには二歩さがる。自分に留まる。 自分勝手と言われないために窮屈な生き方をするよりも自分中心に生きたいと願っています。
起こせば、夢の里に来てすでにまるまる四年になります。 「社長、ここにドームハウスを建てようと思いますがいかがでしょう。」 「それは、面白いね。新しい時代は誰も取り組まないことから手を付けるべきだよ。」 これは、2009年10月23日のY社長との出会いの会話です。
森と泉を資本として、孤独を資本として、相互扶助を知恵として、 シナジェティックスを羅針盤として、ミニマム・ライフをライフ・スタイルとして大地に 根差した里山資本主義の実験を続けてゆきたいと願っています。
わたしたちの生活が「流れ」の中にあるのだとしたら、その流れを制御しているのは 私たちの意識ということになります。しかし、現代は生活装置・設備がシステム・アップされ 過ぎていて、多くが自動的に流れる傾向があります。 例えば住まいの問題ならその傾向は顕著です。
アボリジニは代々「ドリームタイム」という天地創造の神話を語り継いできました。 ここでのドリームは、いわゆる「夢」ではなく、「生活する、旅をする」の意味です。 人間が旅をすれば、そこに足跡が残るのと同じように、エネルギーやスピリットが残ると信じています。
日本は、自然災害がとても多い国なのに原発という危険な施設を50基余り作ってしまったこと を真剣に考え直す時代ですね。 脱原発に大きく舵を切り、国づくりをもう一度やり直すべきではないかな。未だ収束も解決もしていない福島をかかえるわたしたちは、新しい時代に向けてすべてを 一から考え直す時と思っています。
自分に向かい合うというのは、私たちの気晴らし志向から言うと困難な作業です。 ひとつは時間をかけること。二つ目には労をいとわないこと。もうひとつは考えることを いとわないこと、と思います。 さて、問題の自己とは?私たちの内面=魂を統括しているが自我・自己と考えられます。
哲学者フランシス・ベーコンは「四つのイドラ」を挙げています。 人間が陥りやすい心の偶像=イドラですが、偏見やゆがんだ思考を指しています。テレビで見た、新聞で読んだ、噂を聞いた、不安に駆られて推測したなどなど現代は市場のイドラ や劇場のイドラが氾濫していますね。