ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
1件〜100件
ドームハウス愛媛も「間伐材利用促進事業」に関わっています。 ドームハウスのフレーム製作の㈲上弘さんは、間伐材利用促進事業としてこのプランを始め ました。愛媛県森林組合の促進事業として開始されたのです。 森を守り、住みやすく、コミュニティ作りに参画できるオブジェクトがドームハウスである ことをアピールするのもいいかな。
あら時代の劇的な変化がドームハウスの役割を再発見する年と考えているのです。 30年前は、一部の好事家の贅沢な趣味としての別荘ユーズとして輸入代理店の商材でした。 20年ほど前からログ・ハウス・ブームなどのセルフ・ビルド、ハーフ・ビルドのカジュアル 別荘ユーズが主流となりました。住宅ユーズが注目され始めたのはこの10年です。
わたしたちの時代は、グローバル社会であると同時に「自由の時代」でもあることを慎泰俊さんの主張 から読み取ることができます。 様々な差別といじめを生き抜いてきた彼のような人こそがこれからの社会を創ってゆくのかも しれないと思います。慎さんは、「朝鮮籍」という籍の保持者です。 そんな事情から彼にはパスポートがありません。
生きとし生けるものは助け合いと共生、というエコな視点からは頷ける関係 ですが、「生態系」なんて考えているのは人間だけではないでしょか。 自然はひたすら無心です。 そして、ありのままです。 シンブル、ナチュラル、ありのままの自然は「蜜を集める蜂のごとし」ということかな。
山頭火研究所でお遍路さんのギャラリー・ショップ『衛門三郎の里』を尋ねました。 八坂寺参道わきにあるお遍路ショップです。 店主は、友人の「金持ちケンカせずおじさん」ことIさんです。 最近の暮らし向きについて話し合っていました。 つい先だって、彼は「身軽に生きる」というテーマで断・捨・離を実践しているそうです。
団塊世代の高齢化に向けて急ピッチで介護環境が拡大してゆくのも重要ですが、どんぐり館 のようなアットホームでひとりひとりに目が行き届くシェア・ハウス型有料老人ホームも 必要な試みと思っています。N社長は、次なるシニア・ハウスのプランを暖めています。
ロハス・ヒルズ夢の里とべがメガ・ソーラー基地となり、同時進行でドームハウスや ハーブ園、介護施設、シニア・ハウス、手作り工房などロハスなステイタスを楽しみながら 二十一世紀型のエコ・ヴィレッジのスタートを切ったことを心からお祝いしたいと思います。
「断・捨・離ブーム」「シンプル族」などライフ・デザインの変化はよりミニマムに向かい ナチュラルにコーディネイトされる傾向があります。 バックミンスター・フラー博士はこのことを「Do more withless」と表現しました。 より少ないものでより多くを為すエフェメラリゼーションの哲学を提唱しました。
ヒトゲノムまで高速オートリード・システムが可能だとしたら、「個人情報が盗まれる」どころ ではなく「人間情報が盗まれ、売り買いされる社会」になるかもしれません。 恐るべきテクノロジー進化です。
「制御」という概念は、ひとつはフィードバックという生物学から導き出され、もうひとつは 「舵をとる」という航海術から導き出されています。 バックミンスター・フラーがシナジェティクスの概念を得た時、この二つが念頭にあったことは 確かと思います。
アベノミクスの本質は、国民をグローバル企業の 管理下に置くシステムであり強者の論理で社会を塗り替え、格差社会をより明確に線引きする ことなのでしょう。新自由主義という市場原理で社会を塗り替 える方法としては有効のような気がします。 困ったのは、その先にある社会はほぼ人間が住めない「冷たい社会」であるということです。
わたしたちはすでに消費者・生産者という対立の上でビジネスを考えるよりも よりフレキシブルで相互交換型のビジネスを求めています。 ある人にとってのデメリットをメリットで補完できるような補完型のビジネスやサービスを 求めているということです。
「ルドルフ・シュタイナーは1922年、放射能の脅威に対するために人間が何をしなければなら ないのかを次のように語っています。 『私たち人間が正しい形で精神的なものを受け入れ生活するとき、私たちをとりまく全ての地上の 光が命で満たされ、それを死の光(放射能)の中に注ぎ込めば地上の光はその中で活発に作用して いく』。
ベーシック・インカムを実現するためには、「社会と人が有機的につながっている」こと を国民が認め、政治や社会システムが認める必要があると思うの。 現在のような『自己責任社会』ではこの共通認識は分断されしまいます。 上からの社会保障という従来の方式を「相互扶助とシェアリング」というベーシック・インカムの 導入が望まれますね。
池田晶子さんの『魂とは何か』を読んでいます。 池田さんによると魂とは「わたしではないもの」ではない「内なる何か」なのだが つかみどころのないものであり、論理という網をすり抜けてゆく何かなのだ。 という表現で「魂の本質」を語ろうと試みます。
ライフ・デザインについて考えていました。わたしたちの生活感というのは、つまる ところ、「感性と頭」に関わっていると思います。岡倉天心が『茶の本』の中で語りかけていますが、私たちは果たして進歩したのだろうか と疑問に思います。生活に追われるうちに本当の豊かさを忘れているのではないかな。
フラーの『クリティカル・パス』を読んでいるとその果てしない発想の洪水と恐るべき探究心に 圧倒されてしまいます。 一年くらいかけてじっくりと読み解いてゆきたい「人生の航海術」の書であると同時に 「新たな時代への羅針盤」かなと思います。
現代では早い時期に家庭崩壊で社会に投げ出される人は加速度的に増えている。会社も定年前に社員を使い捨てにする。 安定的社会構造や家庭などもうないのかもしれません。 そんな社会でわたしたちは 生きぬくライフ・サイクルを再構築してゆかなけれはなりません。 孤独を最大の資本として生きること。個人の時代はもう、始まっています
今日は暮らしの航海術について考えていました。 バックミンスター・フラー博士の『宇宙船地球号 操作マニュアル』は大航海時代の海から 観た歴史から始まっています。ある意味で、現代もまた新たな大航海時代なのかもしれません。 わたしたちのライフ・スタイルも劇的な変化の波の最中にいるような気がしています。
時間と存在を分析していたアビダルマの論師たちは、「現象」というものが「時間内」にあると考えました。そして、一瞬ごとに世界は生滅流転していると捉えたのです。 刹那滅とはちょうど60ヘルツで生滅するテレビ画面のようなものです。 それを宮沢賢治は美しい詩で表現しています。 春と修羅
バックミンスター・フラー博士は「政治家に社会をまかせることは犬のしっぽに 犬の散歩を頼むようなものだ。」と名言を残しています 大著『クリティカル・パス』の中で金融資本が国家を乗っ取る 過程をあからさまに分析してみせました。 資源開発と戦争機械生産が進むごとに金融資本が国家を買収、改ざんして民営化したのだと 見ています
今、なぜシェアなのだろう。これまでの「独り占めや極端な私有」では、社会や地球は 「持続可能ではない」という反省がその背景にあるのではないか。 限られた地球資源、限られたわがいのちであることを認識し、夢や希望を、そして悲しみ さえもみんなでシェアし、希望の世紀をともにつくっていこうという思いの表れではないか。
フラー博士は、住宅を安価にクリエイティブな生活の場として提供することが急務であると 考えていました。 最小コストで住宅を手に入れることができれば、残りの生活は創造性に向けることが可能になるということなのでしょう。生活エネルギーの総体をコストと考えればわたしたちは、住まいに 莫大なエネルギーを費やしていることになります
砥部町の七折地蔵尊をお参りしました。 夢の里のY社長に以前一度案内してもらい、砥部町では霊験ありと信仰されているとの ことでした。 病気快癒を祈る七折地蔵は、梅の里として知られる砥部町七折の山間にあります。 現在では、お年寄りしかお参りすることがないような小さな祠です。
仕事は「企画と作業の構成」のプロセスであり、その結果経済活動として成り立ち ます。仕事の内実と経済生活という左右の肩をチューニングするのも必要かな。 お金を求めれば仕事は偏り、仕事を豊かに成長させれば、やがてお金を伴います。 良き仕事を続けることは生活意識としてとして健全化してゆくということでしょう。
上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』では、シングル・アゲインとなったおひとりさまの選択としてシニア向けコレクティブ・ハウス という選択肢をあげています。 共有スペースを持ちながら、プライベート空間も確保できるコレクティブ・ハウスは高福祉の北欧で生まれた住まい方です。
生活のクォリティをアップするためシンプル化について考えています。 無駄と無理をなくし、ライフ・デザインをチューン・アップしようと思うのです。衣食住と仕事、人間関係、精神生活をひとめぐりして、気づくことはやはり必要なものも 必要なことも大して多くはありません。
「死に方教室というものもあっていいと思うね。生き方教室がないように死に方教室もない 社会だからね。確実に迎える死を見つめることも生きてゆくためには必要なんじゃないのかなあ。」 うららかな夢の里のスローリビングと「死に方を考える」というテーマもまたセルフ・チューニング なのかな、と思っています。
コレクティブ・ハウジングの第一プランとなったどんぐり館は、お年寄りがともに暮らしながら介護サービスなど安心 できる住空間をサポートすることでなりたっています。 参加と共生、相互扶助を基本にした住まいづくりは、さらに発展して次なるステージに 進んで行くものと思われます。
自分にとって本当に大切なこと、 自分が一番興味を持ち、好きなこと。 価値ありと納得のできること。 などを中心に自分の暮らしをシンプル化するということは、とりもなおさず生活のクォリティ を洗練しながら上げてくことです。 禅はその心構えと実践の手引きともいえるでしょう。
人はいかにして死にいたるか?というテーマは人類普遍の課題とも言えます。 『死ぬ瞬間』や『ライフ・レッスン』で知られるキューブラー・ロスは死の二年前に 自伝的エッセイとして『人生は廻る輪のように』を書きました。 数多くの患者の死を看取った医師の自分自身の死を看取るための著作として世界中で 読まれたベスト・セラーです
わたしたちが属する大地とは、地球という宇宙の情報集蔵体とも言えますが、その大気圏は 私たちが日々見上げる大空を成しています。 地球生命圏バイオスフィアを覆い尽くす気圏としてのヌースフィア。蒼空から叡智をもたらすもの とは・・・。 わたしたちはそれを虚空蔵菩薩として理解しているのかもしれませんね。
にぎわいと活気に飢えた地域を田舎と言い、自然と静寂に飢えた地域を都会という・・。 これ、なんだかおかしくないでょうか。 都会も田舎も緑なす大地の上に営まれています。 バイオスフィアの上で暮らしていること、すべての地表はつながっていること。 夢の里で緑を観測しながら、ゆるゆると陽だまりの時間がすぎてゆきます。
ただ、ひたすら希望の種をまく。失望は失望に終わることはないこと。 「ひとりになったら、種を撒け。」とは、やまねこがかの福岡正信翁から教わったことです。 わたしもまた、病理と失望のどん底から這い上がってきた青人草のひとりにすぎません。 雑草のように生きるのも一考かなと思っています。
"私は、社会通念より自分の価値観に従って生きるほうを選びました。だから、おもしろくて充実した人生を歩んできたのだと思います。" これは、「ターシャの庭」で著名なターシャ・チューダーさんの言葉です。
合理化、コスト削減、リストラといった世知辛いビジネスよりも相互扶助によるコーポラティブ ビジネスの時代。 それは、過当競争によって相互破綻するよりも複合ビジネスや共生ビジネスの方が生き残りの 知恵を秘めているからではないかな。 高度システム社会から、エコロジカルかつエコノミーが時代のキーワードとなりつつありますね。
大山祇神社の奥の院です。ずっと探していた場所にやっとたどり着けました。 「生樹の御門」は奥の院の入り口です。 樹齢3000年の楠の幹の根元に開いた自然の空洞を門とみたて、それをくぐって奥の院へ参拝します。トトロに出てきそうですね。別の次元の通路のようなそんな神秘的な場所です。
miuさんがプチ移住でやってきました。 サステナブル(持続可能な)をテーマに記事を書いているフリーライターさん 10年前にやまねこが「ノマドライフ」の記事を書いていました。パソコンとスーツケース1個で移動しながら仕事をする生活ですがまさに、そのノマドライフの若者です。ドームハウスに興味を持ち、とんとん拍子に進みました。
都市部近隣の山間の夢の里は、街場と分離しているお蔭で静寂と自然はかぎりなく 豊かです。タヌキやイノシシやウズラやウサギと暮らしています。 さらに「やまねこ的精神生活」は、「希望的観測センター」とでも言えるものがあり 常に明るい未来が開けています。 雲ひとつない晴天の心・・・とは脳天気とも言われますがそれで良いのです
墓場で1番の金持ちになることは私には重要ではない。 夜眠るとき我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ。 スティーブ・ジョブズ 大きなお墓を建てたり、資産家として名を残すなんて馬鹿げたこと。 自分のヴィジョンをどこまで追い求めたか、どれだけクォリティの高い人生を楽しみ 創造したかのほうが大切なのです。
「お金でしあわせは買えるか?」とお金は価値の基準として計量可能なのに対して、愛とか幸せは計量不可能です。 計り知れないものとしての幸福は、秤にかけられるお金とつりあわない質的価値とも言えるかな。「いいじゃないの、しあわせならば」という歌が大昔に流行りましたが、 「いいじゃないの、金持ちならば」という歌は流行りません。
ノマド・ライフはとても有効な気がします。自分にとって大切なもの大切なことを中心に暮らしとビジネスを自由にクリエイティブに 組み立てること。 身軽で俊敏なビジネスを志向すること。 生活に潤いや工夫や洗練度を高めること。 いつも良き仲間や協力者に囲まれたビジネス・スキルを身に着けること。
『まず、ペンをとって夢を描け。』・・・心から願ったことを描き出すこと そして、描いた夢をマップにすること 地図はやがてヴィジョンになり、スケジュールになり、試行錯誤をたどりながら実現するもの。 やまねこもまた、そんな風にドームハウスを完成させたのです。
バックミンスター・フラー博士は、かやぶき屋根は実は、カヌーをひっくり返した形態なのだ と直観しました。竪穴式住居は三角形を基本としており、底面は円形も多数 発掘されています。 たぶん、当時の部族社会のあり方に適合していたのでしょう。
クォリティの高い 生活を目指そうと考えています。生活のありかたを量的判断から引き離して質的判断中心に しようと思うのです。とりあえず、「生活問題」をクォリティの観点から考える。暮らしのクオリアを観察したみたい のです。
さてさて、ドームハウスの魅力は、「丸い家で丸く暮らす」というかな、と思います。 「縄文時代の暮らし」という絵本をパラパラめくっていました。 住まいのイラストに目が行きます。なんとドームハウスではないですか。なるほど狩猟採集の時代から日本人はドームハウスに住んでいた、とも言えますね。
整体の先生によれば、加齢で骨は変形するもの。坐骨神経痛は筋肉の凝りとのこと。 電気治療と超音波治療、体の歪みの矯正を約3ヵ月続けています。 先生の勧めで「歩行浴」を3月より開始。近くの温泉「ていれぎの湯」に週に2回通っています。30分の歩行浴と温泉の湯でリハビリです。私の坐骨神経痛は改善されています。
インディアンのホピ族の予言です。 電車や車や航空機の出現、そしてネット社会の出現を指しているようです。 そして、最後に宇宙ステーションが落っこちてくるかのような言葉や海が汚染される知らせ。 わたしたちが住んでいる時代とは、ホピの父祖たち・・白人がやってくる以前から現代のアメリカ や日本を見通していたのかもしれません
やまねこは最近、彼方のものはここにある・・と思っています。 最低の現実としての日常、彼方の理想世界という対立があまりなくなりました。 日常は日常ではなく、理想は理想ではない。そして現実はありのままです。
さて、品格とは? 気配りができて礼儀正しく、気品のある様子のようでございます。 やまねこ的に言えば、趣ある生き方や礼節や精神性ってことかな。 趣のある生き方・・・山水ラディカル、侘びさびアヴァンギャルド、エコロジカルにして シナジェティックな暮らし方を求めたいものです。
少年時代は近所の川でシジミを採ったり、カワニシを採ったり、山では 椎の実やホウヅキを採って遊びました。食べ物が近所にあるというのはいいものです。 野行き、山行き、海辺行き・・・たぶん、今でもその気になればみんな休日には野菜を 作ったりはできると思います。 自然とのふれあいは、有難くも楽しく、様々な発見があります
愛媛を訪れ、内子町で町並み保存の基調講演をしたアレックス・カーさんは揶揄します。 「『人類が宇宙に移り住む時代が来たら、日本人は一番スムーズに宇宙での生活に慣れるでしょう。その理由は宇宙には、木、草、花、鳥、動物、美術、文化的な街並みなどないからです。・・・」
岡倉天心が著した『茶の本』で茶道のエッセンスを語りかけます。 茶は衛生学であって経済学である。茶はもともと「生の術」であって、「変装した道教」である。
『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 ルドルフ・シュタイナー著 魂の試金石、現実生活ガイド・ブックと思っています。 超感覚的・・というとあの世のことかな、と思うでしょうが、実はこの世のことなのです。 霊的問題について深く立ち入って、現実の中に霊性を見いた出すスピリチュアル・ガイドとして お勧めです。
10年前の臨死体験は、わたしにとってはより良き人生を考える奇跡的な体験となりました。 「自分の一生」という全体を見渡したような感慨です。 「より良き人生をめざして生きる」「世界に楽しみを求める」ことは誰しも心がけていること かもしれませんが、心のあり方ひとつでまったく変わるものですね。
形態には構造があり、エネルギーの交流が生まれるとすれば、人間もまたその構成の中に位置していると考えられます。 Body/Mind/Spritの統合体としての人間と宇宙模型としてのドームハウスが相互に作用しあうとしたらドームハウスは「癒しの空間モデル」と捉えることも可能ではないかと考えています。
家が四角いのは、「柱と梁の基本構造」が直方体を導き出す からで重力と圧縮力を用いて構築物を構成する。 ドームハウスはこの基本を逸脱している。重力・圧縮力よりも張力による構造体である。 テンセングリティという理論がジオデシック構造の背景にあり、張力体と圧縮力がバランス したところにジオデシック構造がうまれる。
我が家のある夢の里とべは山菜が豊富でイタドリもニョキニョキ伸びています。 このイタドリのすぐ傍に、肥料用の馬糞を置いていた場所があります。 昨年、採った藍の種をこの場所に蒔かせてもらいました。 山土の上に肥料たっぷり、藍は草なので野良ばいで育ってくれないかな? これ、自然農法。環境が整えば育つはずですが・・・
春霞たなびく風景の中で、小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。 街場で暮らす方々は、夢の里の静けさにまず気づきます。 静寂とサクラ・ロード、鳥の奏でる季節の音楽 ミツバチのうなり声、 春の調べはのびやかな安らぎを与えてくれますね。
菌類という生き物は、自分の仲間を増やす能力がとても高いようです。 雨が降り、数日もするとニョキニョキと生えてきます。 わたしたちも夏を超え、冬を過ごすごとにドームハウス仲間を増やしてゆきたいものです。
日常のあれやこれやで適当に先送りされている「究極の問い」とは・・・。 『なぜ私はここにいるのか』ということなのでしょう。 「厭離一切顛倒夢想」 夢から覚めて夢の日常へ。 わたしは自分のために生きているというのは、一応事実だとしても 私が出会う現象・・わたしが出会う出来事、人、世界はわたしなしにはあり得ないのです。
経済学者シュマッハーにより提唱された「small is beautifulの哲学」 というものがあります。拡大志向、大量生産・消費よりも小さく、コンパクトな 暮らし方の方が環境にも人間にも好ましいという考え方です。 シュマッハーの時代から40年を経て、多くの若者がスモールに暮らすことを定着 させる時代になってきました。
夢の里も桜が八分咲き。夢の里桜の丘は千本桜が咲き誇っています。 しずかな風景の中で「花の音楽」が聴こえてくるようです。 宮沢賢治の詩を読んでいました。賢治は自身のことを修羅と呼びます。 それは、人間世界を時折外から眺めていたからかもしれませんね。
バックミンスター フラーは、20世紀の偉大なる夢想家のひとりと呼ばれています。まるで実行力のある人物とはかけ離れた表現ですが、それは真実ではありません。フラーは常に夢を見ていましたが、それは彼の構想がまだ世間に存在しないものであり、既にあるものを超越した考えであったからです。
令和の時代に「上水道が来た!」と喜んでいる日本人も希少価値があるかもしれません。水の出が良いのにびっくりします。 濁った水が出ないので嬉しい。現代は、除菌・消毒とどこでもかしこでも神経質に言われますが、ここでは浅井戸の水での生活でした。特に病気もせず、生きてきているので私の体も図太くできているのかもしれません。
10年前に生後3か月でやってきたヤギの夢ちゃん 先月末に亡くなりました。人間で言うと100歳で大往生でした。自由に生き、意志を貫徹し、大好きな人に看取られて逝った夢ちゃんの生涯は如何なものでしょうか? 医療の進歩で人生100年と言われる時代ですが、最後まで自分の意志を持ってあの世に旅立てる人はどのくらいいるでしょうか?
リモートワークでどこにいても仕事ができるという時代、自由に住まいを移動することができるんですね。埼玉と愛媛の2拠点での生活です。 もう1人はmiuさんと10日前に松野町で知り合ったというmakomakoさん。 4/5から友人とゴミを拾いながら東海道五十三次を歩くそうな。 なんと「ワラ-チ」というサンダルで歩くと言います
やまねこは、桜の花の香りが大変好きです。 それはたぶん、春に生まれたからでしょう。 宮沢賢治の『猫の事務所』というのがありますが、釜ねこというのが出てきます。 釜の中で生まれたため釜ねこと言われるようです。 わたしは灰かぐらの中で生まれました。これホントなんですよ。
自分らしい暮らし方とは・・・? 場所的感性と住感覚はひとりひとり違うのでしょう。 多くの人は、生活の利便性から住まいを探し求めます。 また、快適性や自然環境、教育・医療・文化環境なども視野に入れます。 勿論、経済や地域的制約の枠も考えながら、より良き選択をしたいものなのでしょう。
ドームハウスのコンセプトの背景にはシナジェティックスというフラーの哲学 があります。この宇宙のすべてが自然というテクノロジーによって生まれたという考え方 です。「宇宙船地球号」という表現もまたシナジェティックスをシンボライズする言葉です。最近注目される「創発性の科学」などもフラーを発端として始まったものです。
小池龍之介さんの『超訳 ブッダの言葉』をめぐって話し合っていました。この書は、現代に生きるわたしたちが「自分へのとらわれから自由になる」という視点で お釈迦様の言葉をアレンジして「超訳」しています。2500年生き続けたブッダの言葉とは生・老・病・死という今も変わらぬ 人間の苦悩を克服する知恵なのでしょう。
日記に『感想』を書く必要はない。じぶんがその日、取った行動を客観的に記録すればそれだけで十分なのだ。(中略) 航海日誌をつけることによって、一度しかない人生という航路のなかで出会った輝きを、最後まで失わずにすむのである。ブログにジャーナリズムを求める方もいらっしゃいますが、Web日記ということで言えば、行動の客観的な記録だけでも意味を持つと思います。
昨年より、ヒーリング・ドーム・スタジオというテーマで考えています。 ドームハウスの空間的エネルギーと人間の心身のエネルギーが共振できるような ヒーリング・スタジオが愛媛にできれば、いいなと思っているのです。 スピリチュアルやヨガやフィットネス・ファンにとっても魅力的なパワー・スポットに なるかなと思っています。
ドーム・ハウス愛媛の基本コンセプトは「暮らしをデザインする」ということです。 住まいをデザインする、環境をデザインする、心身のデザインとしての健康、衣食住をデザインするということです。 健康で持続的な生活(ロハス・ライフ)とは、わたしたちの生活そのものの「地球的あり方」を志向しています。
これまでの製品を販売するというビジネスモデルから、サービスを提供しながら顧客との関係性をつくっていくビジネスモデルへ。 商品を売ろうするのではなく、顧客と商品の活用や創造性を共に作りながら、顧客との関係性 を展開する。これは、ドームハウス・プロジェクトにふさわしい考え方かなと思います。
シンプルに生きるということは「複雑に生きる」ことの対局です。 何が大切かに目覚めることなのです。 大切なものは人によって千差万別ですが、人間にとって大切なことは基本はあまり変わりません。 「自分らしい生き方と若干の生存要件」ということではないかな。
やまねこは、ここ6年間このブログを書いていますが、「ドームハウス日記」になる 前は「スローリビング日記」でした。街場の生活に疲れ切っていたころのことです。 「ゆるやかな暮らしとは何か?」をテーマとしてブログをスタートしたのです。 四国パワー・スポット研究会もそのころからでした。
アレックス・カーさんは、恐るべき日本通とでもいえる人で「ありきたりの風景の中にこそ 日本の美があるのです。そんな美を高度成長してゆく中でコンクリートで覆い隠すことに大きな 疑問を感じます。もっと日本の美意識にプライドを持ってほしいのです。」と語られました。
都会では趣味や主張やテーマを共有できる人が身近にいない・・・から始まりSNSの空隙を 何によって埋めてゆくか、はやはりインセンティブとプラクティスということになるのでしょう。 「私の役割」を「私の物語」までつないでゆく作業こそがSNSの新たなステージなのかも しれませんね。
「自分で自分がデザインできる」ということは、「生き方を自分で選ぶ」ということであり 自由に生きるということです。 様々な伝統や規制やルールやしきたりや慣習や流行や周囲の環境に惑わされず、自分の目で確かめ 選び、方向付け、プランニングする・・・・これをヴィジョン・クエストというのでしょう。
フラー博士のシナジーの具現であるジオデシック構造体が自分の職住兼用 のオフィスになるという感動をかみしめたあの頃を感慨深く思います。「自分らしさを創る」「自分の住みやすい環境をデザインする」という大地に根ざした発想を持って、当社は、ドームハウス事業を通じて皆様の「自分らしいライフデザイン」をサポートいたします。
花咲く時期を心待ちしながら、自然界の時間の流れで生活すると、脳天気と言われるほどリラックスしています。この山の高台でドームハウスライフをおくることが今の時代どうゆう意味があるのか? その答えは分からないですが、陽気暮らしであることは間違いない。
ジオデシック・ドーム・ハウスは、二種類の三角形で構成される球体を基本構造としています。この構造は、宇宙で最も安定で強固とされています。ヒーリングを考える時、宇宙の表現形式との調和や共鳴関係が大切と考えられます。 音楽が楽器からうまれるようにドームハウスはヒーリング空間ともなりうるということでしょう。
鍛錬する・・・ということに魅力を感じやすい日本人。 形から入る日本人ならではの趣味かな、と思います。形は・・・型に通じ、型を真似ることから初め、だんだん慣れて型が身につくと、今度は 型破りをします。 型がこわれて、もう一度型に戻り、礼を身につけ、作法を身につけ、何もなかったように すべてを忘れます。
より包括的な思考を中心に「住まいのイノベーション」をとらえなおすこと。 というテーマでドームハウスを捉えていました。』わたしは「生活と意識をつなぐ器」というのがドームハウスに住んだ経験から言えます。 球体の家に住んでいる・・という違和感はありません。意識の広がりがそのまま住感覚 につながっているような感じです。
FRBは通貨の発行権を全面的に掌握している。日銀をFRBと同じものになるのか? FRBはコストなしで信用を供与し抵当設定した国債をドル札(無利子小額国債)に両替して流通させる、国民は納税によってドル札を(赤字国債負担分を併せ)連邦政府に償還する、そして連邦政府は国庫からFRB株主に国債の利子を支払うカラクリだ。
人生と言うロング・アンド・ワインディング・ロードは、ふとしたことから道筋を変化 させます。 あの頃、五年前から今の暮らしは準備されていたんだなと思うと感慨深く思います。 インド旅行、四国パワースポット研究会、ドームハウス、夢の里とべなどなど 流れる川を見つめるような気分です。
ヒーリング・ドームの企画を暖めています。オデシック構造体の特性は、空間的エネルギーの集積器という側面があるのです。 構造力学的にも強固なジオデシック構造は、三角形で構成されますが、これが宇宙がとった 最も効果的なエネルギーのスタイルを表現している思われるのです。
音楽が楽器からうまれるようにドームハウスはヒーリング空間ともなりうるということでしょう。 形態には構造があり、エネルギーの交流が生まれるとすれば、人間もまたその構成の中に位置し ていると考えられます。 これがやまねこの考える「ケアとキュアのために癒し空間」をもたらして くれるヒーリング・ドームのコンセプトです。
夢の里とべのエントランスガーデンに菜の花が咲いています。 春の兆しですね。毎年、ここの菜の花の新芽でお浸しを作ります。 このガーデンは普段から野生動物くらいしか入りません。 よって、安全、新鮮な野草の食材です
「不安定な環境は不安定な心につながる」というのは、何も犬に限ったことでは ありません。わたしたちもまた、ゆるやかにのんびりと過ごしたいのですが、 社会的・人間的諸事情によって不安定になることがあります。 そんな心の動揺に時代の波が重なった時、大衆的パニックは起きやすくなります。
『道』とは、ヴィジョンの精神原理と社会原理と個人の価値観が一致したところから始まる ものです。 ゆえに『道とならざれば、道をゆくことあたわず。』と言われるのでしょう。 様々な試みやプロセスを経て、ヴィジョン・クエストの深みが立ち現れてくる営みを わたしたちは、『人生』と呼ぶのかもしれませんね。
自由教育、芸術教育で知られるシュタイナー教育は、エリート主義の反対のオーガニックかつ ゆるやかな人間観のなかで1919年の設立以来、全世界で育まれてきた。 わたしたちは、「人間にとっての本当の豊かさ」を模索すべきフェイズに 明らかに入っている。学歴、競争主義よりも、共生と知恵の 洗練をこそ求めているのではないか。
今日は久しぶりのゲストをお迎えしていました。 愛媛県松野町からお越し頂きました。埼玉と松野町と2拠点でフリーライターとして活動されている25歳の女性。 「サスティナビリティ」をキーワードに国内の様々な取り組みや人々を取材されているとのことで、今回、ドームハウス愛媛のHPやブログを見て興味を持って下さいました。
現在の社会に人並みの幸せなどという基準はどこにも見当たりません。 社会は激動の嵐に巻き込まれています。 ひとりひとりが自分の基準を持つべき時代に突入しているということなのでしょう。 それは、伝統に回帰することも許されず、集団に所属することもできず、個人が社会に 投げ出されているということを意味しています。
オーストラリアのアボリジンの考えでは、人は生まれてくるときには、ドリームタイムの 流れからやってきます。 「夢見の時間」とは、生命の種子と捉えているのです。 このエネルギーの流れに乗ることをヴィジョン・クエストと呼びます。やまねこもまた、夢見の時間からヴィジョンを紡ぎだしています。
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ドームハウス愛媛も「間伐材利用促進事業」に関わっています。 ドームハウスのフレーム製作の㈲上弘さんは、間伐材利用促進事業としてこのプランを始め ました。愛媛県森林組合の促進事業として開始されたのです。 森を守り、住みやすく、コミュニティ作りに参画できるオブジェクトがドームハウスである ことをアピールするのもいいかな。
あら時代の劇的な変化がドームハウスの役割を再発見する年と考えているのです。 30年前は、一部の好事家の贅沢な趣味としての別荘ユーズとして輸入代理店の商材でした。 20年ほど前からログ・ハウス・ブームなどのセルフ・ビルド、ハーフ・ビルドのカジュアル 別荘ユーズが主流となりました。住宅ユーズが注目され始めたのはこの10年です。
わたしたちの時代は、グローバル社会であると同時に「自由の時代」でもあることを慎泰俊さんの主張 から読み取ることができます。 様々な差別といじめを生き抜いてきた彼のような人こそがこれからの社会を創ってゆくのかも しれないと思います。慎さんは、「朝鮮籍」という籍の保持者です。 そんな事情から彼にはパスポートがありません。
生きとし生けるものは助け合いと共生、というエコな視点からは頷ける関係 ですが、「生態系」なんて考えているのは人間だけではないでしょか。 自然はひたすら無心です。 そして、ありのままです。 シンブル、ナチュラル、ありのままの自然は「蜜を集める蜂のごとし」ということかな。
山頭火研究所でお遍路さんのギャラリー・ショップ『衛門三郎の里』を尋ねました。 八坂寺参道わきにあるお遍路ショップです。 店主は、友人の「金持ちケンカせずおじさん」ことIさんです。 最近の暮らし向きについて話し合っていました。 つい先だって、彼は「身軽に生きる」というテーマで断・捨・離を実践しているそうです。
団塊世代の高齢化に向けて急ピッチで介護環境が拡大してゆくのも重要ですが、どんぐり館 のようなアットホームでひとりひとりに目が行き届くシェア・ハウス型有料老人ホームも 必要な試みと思っています。N社長は、次なるシニア・ハウスのプランを暖めています。
ロハス・ヒルズ夢の里とべがメガ・ソーラー基地となり、同時進行でドームハウスや ハーブ園、介護施設、シニア・ハウス、手作り工房などロハスなステイタスを楽しみながら 二十一世紀型のエコ・ヴィレッジのスタートを切ったことを心からお祝いしたいと思います。
「断・捨・離ブーム」「シンプル族」などライフ・デザインの変化はよりミニマムに向かい ナチュラルにコーディネイトされる傾向があります。 バックミンスター・フラー博士はこのことを「Do more withless」と表現しました。 より少ないものでより多くを為すエフェメラリゼーションの哲学を提唱しました。
ヒトゲノムまで高速オートリード・システムが可能だとしたら、「個人情報が盗まれる」どころ ではなく「人間情報が盗まれ、売り買いされる社会」になるかもしれません。 恐るべきテクノロジー進化です。
「制御」という概念は、ひとつはフィードバックという生物学から導き出され、もうひとつは 「舵をとる」という航海術から導き出されています。 バックミンスター・フラーがシナジェティクスの概念を得た時、この二つが念頭にあったことは 確かと思います。
アベノミクスの本質は、国民をグローバル企業の 管理下に置くシステムであり強者の論理で社会を塗り替え、格差社会をより明確に線引きする ことなのでしょう。新自由主義という市場原理で社会を塗り替 える方法としては有効のような気がします。 困ったのは、その先にある社会はほぼ人間が住めない「冷たい社会」であるということです。
わたしたちはすでに消費者・生産者という対立の上でビジネスを考えるよりも よりフレキシブルで相互交換型のビジネスを求めています。 ある人にとってのデメリットをメリットで補完できるような補完型のビジネスやサービスを 求めているということです。
「ルドルフ・シュタイナーは1922年、放射能の脅威に対するために人間が何をしなければなら ないのかを次のように語っています。 『私たち人間が正しい形で精神的なものを受け入れ生活するとき、私たちをとりまく全ての地上の 光が命で満たされ、それを死の光(放射能)の中に注ぎ込めば地上の光はその中で活発に作用して いく』。
ベーシック・インカムを実現するためには、「社会と人が有機的につながっている」こと を国民が認め、政治や社会システムが認める必要があると思うの。 現在のような『自己責任社会』ではこの共通認識は分断されしまいます。 上からの社会保障という従来の方式を「相互扶助とシェアリング」というベーシック・インカムの 導入が望まれますね。
池田晶子さんの『魂とは何か』を読んでいます。 池田さんによると魂とは「わたしではないもの」ではない「内なる何か」なのだが つかみどころのないものであり、論理という網をすり抜けてゆく何かなのだ。 という表現で「魂の本質」を語ろうと試みます。
ライフ・デザインについて考えていました。わたしたちの生活感というのは、つまる ところ、「感性と頭」に関わっていると思います。岡倉天心が『茶の本』の中で語りかけていますが、私たちは果たして進歩したのだろうか と疑問に思います。生活に追われるうちに本当の豊かさを忘れているのではないかな。
フラーの『クリティカル・パス』を読んでいるとその果てしない発想の洪水と恐るべき探究心に 圧倒されてしまいます。 一年くらいかけてじっくりと読み解いてゆきたい「人生の航海術」の書であると同時に 「新たな時代への羅針盤」かなと思います。