龍野古城(鶏籠山城)を下山しました。せっかくなので、麓の龍野城にも立ち寄ります。 写真は西側の模擬二重櫓。その背後に見えるのが、山頂に龍野古城のある鶏籠山...
鎌倉殿の13人 第33話「修善寺」 ~時政の執権就任と頼家の最期~
源頼家が伊豆国修禅寺に送られたあと、鎌倉幕府の実権は北条時政が掌握しました。三代鎌倉殿となった源実朝は、建仁3年(1203年)9月10日、北条政子の御所...
現存天守唯一の山城、備中松山城攻城記。 その3 <三ノ丸~二ノ丸>
「その2」のつづきです。備中松山城三ノ丸から北側の石垣群を見上げます。 右の石垣上に見える土塀は現存土塀だそうで、その段の曲輪が厩曲輪です。そして何段か石...
鎌倉殿の13人 第32話「災いの種」 ~頼家の鎌倉追放と実朝政権発足、そして一幡の死~
比企の乱によって幕府内の権勢を手中にしたかに思えた北条でしたが、想定外の事態が発生します。危篤状態にあった源頼家が、奇跡的に回復したんですね。比企一族の...
現存天守唯一の山城、備中松山城攻城記。 その2 <大手門~三ノ丸>
「その1」のつづきです。ふいご峠から歩くこと約15分、見事な石垣の場所につきました。備中高松城 大手門跡にあたる巨大石垣群です。平成28年(2016年)の...
源頼朝の死後、梶原景時の変や阿野全成事件の背後で対立を深めていった北条と比企でしたが、建仁3年(1203年)9月2日、ついに決着が着くときがやってきます...
建仁3年(1203年)5月19日、源頼家は叔父の阿野全成に謀反の疑いありとして捕らえ、その後、誅殺しました。史料でわかるのは、この事実だけ。なぜ謀反の疑...
現存天守唯一の山城、備中松山城攻城記。 その1 <ふいご峠~中太鼓櫓跡>
古くから神々が住むと言われた吉備の国。現在の岡山県の中西部は、かつて備中と呼ばれ、その中心地である松山に、備中松山城がありました。備中松山城は標高430m...
鎌倉殿の13人 第29話「ままならぬ玉」 ~北条と比企の対立
今回は比企の乱の序章の回でしたね。梶原景時失脚後、北条時政と比企能員の対立はますます深まっていきます。源頼朝の存命中は鎌倉殿の舅という立場で幕府内の存在...
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龍野古城(鶏籠山城)を下山しました。せっかくなので、麓の龍野城にも立ち寄ります。 写真は西側の模擬二重櫓。その背後に見えるのが、山頂に龍野古城のある鶏籠山...
龍野古城(鶏籠山城)から紅葉谷を下山する途中に、野見宿禰と書かれた誘導板がありました。せっかくなので、行ってみることに。 しばらく進むと、「力水」と書かれ...
「その2」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア北側から、搦手道を下山します。 Ⅰ-8郭まで降りてきました。ここは主郭並みに広い曲輪です。 縄張り図を載せます。...
「その1」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア南側虎口から段曲輪を登ります。 Ⅰ-3郭切岸に、立派な石積みが残っています。 おおっ、これはスゴイ! 石積みの上...
今回は姫路の西に位置する兵庫県たつの市にある龍野城です。龍野城には、鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の時代があり、山城は鶏籠山城、朝霧城、麓の城は霞城と呼ば...
嘉吉の乱によって赤松満祐に謀殺された室町幕府6代将軍足利義教の首塚が、兵庫県加東市にある安国寺にあります。全国各地に「安国寺」という名称の寺がありますが、...
兵庫県姫路市のお城といえば、誰もが思い浮かべるのは世界文化遺産の姫路城ですが、戦国時代より前の15世紀には、姫路城の少し北西に位置する坂本城が播磨国の守護...
今回は兵庫県小野市にある河合城跡を歩きます。堀殿城ともいいます。ここも、播磨守護職の赤松氏が東播磨の拠点として築いたとされ、赤松氏一族の上月氏が城主を務め...
「その2」のつづきです。小谷城第5郭まで降りてきました。 縄張り図では、この東側に大堀切があって、西小丸と分断されています。 ここで、山頂にあった縄張り図...
「その1」のつづきです。標高は218mの小谷城城域に入りました。 麓から見えた看板。第3郭の南側に設置されています。 その看板の南側は、帯郭が東西に伸びて...
兵庫県加西市の中心市街地の北条町北側の標高218mの城山山頂に、かつて小谷城がありました。有名な北近江の小谷城は「おだに」と読みますが、ここは「こたに」と...
「その1」のつづきです。善防山城主郭まで制覇したので、次は尾根伝いに東郭を目指します。 主郭東側の虎口跡。一応、左へ曲がって右へ曲がる食い違い虎口になって...
もすぐ桜の季節になりますが、今回は2年前の桜のシーズンに訪れた善防山城を攻めます。今回も赤松氏の城です。善防山城はかつての播磨国、現在の兵庫県加西市にある...
「その2」のつづきです。石塁のあった城山城Ⅱ区からさらに南下します。 説明看板が現れました。現在地と書かれているところがこの場所です。広い削平地になってい...
「その1」のつづきです。城山城跡の北側城域に入りました。 堀切と土塁と書かれた看板があります。 まあ、たしかに堀切っちゃあ堀切かな。薄いけど。 土塁です。...
西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
「その2」のつづきです。楯岩城本丸エリアに入りました。 ここは北西段曲輪のいちばん下の曲輪です。本丸エリアは、頂上の主郭を中心に北西南の三方に段郭が伸びて...
「その1」のつづきです。楯岩城三ノ丸エリアに入りました。本丸、二ノ丸、三ノ丸といった呼び方は豊臣時代以降のものですが、麓にあった縄張り図と鳥観図にそう書い...
今回も播磨国の赤松氏の城・楯岩城を攻めます。別名「太田城」ともいいます。播磨の山城のほとんどは、赤松氏の嫡流、庶流のどこかに関連していますが、ここは、赤松...
久しぶりに大河ドラマのレビューです。第10話では花山天皇の出家事件が描かれましたね。寛和2年(968年)6月23日の丑剋(午前1時から3時)花山天皇が秘か...
いよいよ徳川家康の人生最大のピンチと言われる三方ヶ原の戦いに突入します。 元亀2年(1571年)、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、こ...
のちに「徳川四天王」のひとりに数えられる井伊直政が出てきましたね。最初、てっきり女性だと思って観ていました。実際の直政も美少年だったといいますから、少年...
金ヶ崎の戦いで京都に逃げ帰った織田信長は、その約2ヶ月後の元亀元年(15670年)6月、大軍を率いて北近江に侵攻します。その目的は、金ヶ崎の戦いの際に反...
永禄13年4月20日(1570年5月24日)、織田信長は北国に攻め入るため京都を出陣しました。『言継卿記』によると、その軍勢は3万にも及んだといいます。そ...
永禄12年(1569年)5月、今川氏真が籠る懸川城を開城させた徳川家康は、氏真夫婦を相模の北条方に引き渡しました。しかし、これは、甲斐の武田信玄と敵対す...
永禄11年(1568年)12月13日、駿河に侵攻した武田信玄の今川館攻めによって駿府を追われた今川氏真は、遠江の懸川(掛川)城に逃れました。今川館は「館...
永禄9年(1566年)12月29日、家康は姓を「松平」から「徳川」に改めました。後世のわたしたちがよく知る徳川家康の誕生です。なぜこの時期に改姓したかと...
今回のサブタイトルは「側室をどうする!」ですが、ひとまず側室の話は後まわしにして、少しだけ描かれた歴史のお勉強をしましょう。 三河一向一揆によって松平...
三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、...
永禄6年(1563年)に起きた三河一向一揆は、徳川家康の長い人生のなかで、三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並んで家康の三大危機とされる出来事です。その理由は、...
ヤマト、999、ハーロック、子供のころ夢中になって観たSF漫画の生みの親、漫画家の松本零士さんが逝ってしまいました。謹んで哀悼の意を表します。わたしの少年...
駿府で人質状態となっていた妻子を奪還した松平元康(のちの徳川家康)は、翌年の永禄6年(1563年)7月6日、名を「家康」に改めました。「元」の字は言うま...
前回に引き続き、駿府で人質状態となっている松平元康(のちの徳川家康)の妻子の奪還劇の回でしたね。前話はほとんどフィクションの回でしたか、今話は史実、通説...
昨日、作家の永井路子さんが亡くなられたという報道がありました。謹んで哀悼の意を表します。 永井さんといえば、やはり中世、特に鎌倉時代の作品ですよね。昨年の...
先日、映画『レジェンド&バタフライ』を観てきました。木村拓哉さんと綾瀬はるかさんという日本のトップスターの共演で、織田信長とその正室・濃姫を主人公とした物...
今回のサブタイトルは「瀬名奪還作戦」。今川を見限り、織田と手を結んだ松平元康(のちの徳川家康)でしたが、気がかりだったのは、妻の瀬名(築山殿)と長男の竹...
滋賀県蒲生郡日野町にかつてあった日野城は、古くは中野城と呼ばれていました。そこで、本稿では日野中野城と呼ぶことにします。日野中野城は、日野の領主・蒲生氏の...
今川氏真を見限った松平元康(のちの徳川家康)は、織田信長との連携に踏み切りました。通説によると、永禄5年(1562年)正月に元康が尾張の清州城に赴き、信...
今回は岡崎に帰った松平元康(のちの徳川家康)が、これまで通り今川に付いて織田と戦うか、あるいは、これを機に今川を見限って織田に与するかという、まさに「ど...
大高城に兵糧を運び込むという役目を成功させた松平元康(のちの徳川家康)でしたが、桶狭間の戦いによって今川義元が落命したという報せを受けると、その日の夜半...