8戦国時代、中国地方の覇者として君臨した毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城。江の川(可愛川)と多治比川にはさまれた吉田盆地の北に位置し、城域は郡山全体に...
日本卓球史上初の女子シングルスメダル獲得でも悔し涙の伊藤美誠選手。
日本女子初のオリンピック個人戦メダリストとなった伊藤美誠選手でしたが、でも開口一番は「悔しい」の言葉でしたね。同日に行われた準決勝で中国の孫穎莎に0-4と...
やりましたね、卓球混合ダブルス!日本卓球界初の金メダル!!いやぁ、昨夜はテレビの前で興奮しすぎて、終わったあとも身体が震えていました。水谷隼選手、伊藤美誠...
東京オリンピックが始まりましたね。コロナ禍での開催についてはいろんな意見があろうかと思いますが、わたし個人的には、始まった以上は楽しませてもらおうと思って...
青天を衝け 第23話「篤太夫と最後の将軍」 その3 ~江戸薩摩藩邸焼き討ち事件~
「その1」「その2」のつづきです。 王政復古のクーデターの報告を受けた徳川慶喜は、善後策に苦慮します。辞官はともかく、納地の命令は、徳川家15代当主とし...
青天を衝け 第23話「篤太夫と最後の将軍」 その2 ~小御所会議~
「その1」のつづきです。 慶応3年10月15日(1867年11月10日)、徳川慶喜から受けた大政奉還の上表を承認した朝廷でしたが、やはり慶喜が考えていた...
今回は原市之進の暗殺、大政奉還、小御所会議、江戸の薩摩藩邸焼き討ち、そして鳥羽・伏見の戦いの直前まで、一気に話が進みましたね。2話ぐらいに分けて描いてほ...
「中編」のつづきです。小谷城の支城の大嶽城跡のある標高495mの小谷山(伊部山)頂上に到着しました。 虎口跡のような場所に、木碑と説明駒札があります。説明...
続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。 中編 <山王丸~鞍部~岩尾>
「前編」で小谷城東尾根筋の中腹にある番所跡まで車で登って来ましたが、そこからの登山は、昨夏の攻城シリーズの「その2」から「その9」でガッツリ紹介したので、...
続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。 前編 <登山口~出丸~番所跡>
前稿まで令和元年(2019年)8月11日の小谷城攻めのシリーズを起稿してきましたが、本稿から翌年の令和2年(2020年)5月30日に再び攻めた続編を起稿し...
青天を衝け 第22話「篤太夫、パリへ」 ~パリ万国博覧会と四侯会議~
慶応3年正月11日(1867年2月15日)、徳川昭武の使節一行29人を乗せたフランス郵船アルフェー号が、横浜港を出港しました。このとき渋沢栄一28歳。おそ...
北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。 その11 <武家屋敷跡・城下町跡>
「その10」で小谷城攻城は完了しましたが、本稿では、山麓を少し歩いてみたいと思います。 写真は清水谷南にある芝生広場に設置された大手門の復元。まあ、ここに...
「その9」のつづきです。小谷城北部の六坊跡から清水谷を下山します。 清水谷は、大嶽城跡のある小谷山(伊部山)から南側に両腕のように左右に伸びる尾根筋の間に...
北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。 その9 <六坊跡~月所丸跡>
「その8」のつづきです。小谷城東尾根上の山頂の山王丸まで制覇したので、北側の搦手道を進みます。 ここから、急勾配の山道を慎重に降ります。 山頂から搦手道を...
青天を衝け 第21話「篤太夫、遠き道へ」 ~慶喜の将軍宣下と孝明天皇の崩御~
徳川慶喜に将軍宣下を命じる孝明天皇の内旨が勅使によって伝えられたのは、慶応2年11月27日(1867年1月2日)のことでした。これを慶喜が受け入れ、12...
北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。 その8 <馬出跡~山王丸跡>
「その7」のつづきです。浅井久政が自刃した小丸跡のさらに上には、山王丸と呼ばれる曲輪があります。 山王丸は南北4段構造になっており、その最下段は馬出が設け...
北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。 その7 <京極丸跡~小丸跡>
「その6」のつづきです。小谷城上段主郭群の京極丸跡にやってきました。ここは、小谷城を築城した浅井亮政が、本来の主家にあたる京極氏を迎え入れたと伝わる曲輪で...
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8戦国時代、中国地方の覇者として君臨した毛利氏の本拠として知られる吉田郡山城。江の川(可愛川)と多治比川にはさまれた吉田盆地の北に位置し、城域は郡山全体に...
龍野古城(鶏籠山城)を下山しました。せっかくなので、麓の龍野城にも立ち寄ります。 写真は西側の模擬二重櫓。その背後に見えるのが、山頂に龍野古城のある鶏籠山...
龍野古城(鶏籠山城)から紅葉谷を下山する途中に、野見宿禰と書かれた誘導板がありました。せっかくなので、行ってみることに。 しばらく進むと、「力水」と書かれ...
「その2」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア北側から、搦手道を下山します。 Ⅰ-8郭まで降りてきました。ここは主郭並みに広い曲輪です。 縄張り図を載せます。...
「その1」のつづきです。龍野古城Ⅰ郭エリア南側虎口から段曲輪を登ります。 Ⅰ-3郭切岸に、立派な石積みが残っています。 おおっ、これはスゴイ! 石積みの上...
今回は姫路の西に位置する兵庫県たつの市にある龍野城です。龍野城には、鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の時代があり、山城は鶏籠山城、朝霧城、麓の城は霞城と呼ば...
嘉吉の乱によって赤松満祐に謀殺された室町幕府6代将軍足利義教の首塚が、兵庫県加東市にある安国寺にあります。全国各地に「安国寺」という名称の寺がありますが、...
兵庫県姫路市のお城といえば、誰もが思い浮かべるのは世界文化遺産の姫路城ですが、戦国時代より前の15世紀には、姫路城の少し北西に位置する坂本城が播磨国の守護...
今回は兵庫県小野市にある河合城跡を歩きます。堀殿城ともいいます。ここも、播磨守護職の赤松氏が東播磨の拠点として築いたとされ、赤松氏一族の上月氏が城主を務め...
「その2」のつづきです。小谷城第5郭まで降りてきました。 縄張り図では、この東側に大堀切があって、西小丸と分断されています。 ここで、山頂にあった縄張り図...
「その1」のつづきです。標高は218mの小谷城城域に入りました。 麓から見えた看板。第3郭の南側に設置されています。 その看板の南側は、帯郭が東西に伸びて...
兵庫県加西市の中心市街地の北条町北側の標高218mの城山山頂に、かつて小谷城がありました。有名な北近江の小谷城は「おだに」と読みますが、ここは「こたに」と...
「その1」のつづきです。善防山城主郭まで制覇したので、次は尾根伝いに東郭を目指します。 主郭東側の虎口跡。一応、左へ曲がって右へ曲がる食い違い虎口になって...
もすぐ桜の季節になりますが、今回は2年前の桜のシーズンに訪れた善防山城を攻めます。今回も赤松氏の城です。善防山城はかつての播磨国、現在の兵庫県加西市にある...
「その2」のつづきです。石塁のあった城山城Ⅱ区からさらに南下します。 説明看板が現れました。現在地と書かれているところがこの場所です。広い削平地になってい...
「その1」のつづきです。城山城跡の北側城域に入りました。 堀切と土塁と書かれた看板があります。 まあ、たしかに堀切っちゃあ堀切かな。薄いけど。 土塁です。...
西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
「その2」のつづきです。楯岩城本丸エリアに入りました。 ここは北西段曲輪のいちばん下の曲輪です。本丸エリアは、頂上の主郭を中心に北西南の三方に段郭が伸びて...
「その1」のつづきです。楯岩城三ノ丸エリアに入りました。本丸、二ノ丸、三ノ丸といった呼び方は豊臣時代以降のものですが、麓にあった縄張り図と鳥観図にそう書い...
今回も播磨国の赤松氏の城・楯岩城を攻めます。別名「太田城」ともいいます。播磨の山城のほとんどは、赤松氏の嫡流、庶流のどこかに関連していますが、ここは、赤松...
三方ヶ原の戦いで徳川家康をこてんぱんにやっつけた武田信玄は、まさに破竹の勢いといえる快進撃で西上を進めますが、その途中、信玄は血を吐いて倒れ、そのまま病...
遠江を瞬く間に制圧していった武田信玄は、徳川家康の本城である浜松城を目の前にして、突如、進路を西に変えて三方ヶ原台地に上がり、そのまま浜松城を無視して三...
いよいよ徳川家康の人生最大のピンチと言われる三方ヶ原の戦いに突入します。 元亀2年(1571年)、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、こ...
のちに「徳川四天王」のひとりに数えられる井伊直政が出てきましたね。最初、てっきり女性だと思って観ていました。実際の直政も美少年だったといいますから、少年...
金ヶ崎の戦いで京都に逃げ帰った織田信長は、その約2ヶ月後の元亀元年(15670年)6月、大軍を率いて北近江に侵攻します。その目的は、金ヶ崎の戦いの際に反...
永禄13年4月20日(1570年5月24日)、織田信長は北国に攻め入るため京都を出陣しました。『言継卿記』によると、その軍勢は3万にも及んだといいます。そ...
永禄12年(1569年)5月、今川氏真が籠る懸川城を開城させた徳川家康は、氏真夫婦を相模の北条方に引き渡しました。しかし、これは、甲斐の武田信玄と敵対す...
永禄11年(1568年)12月13日、駿河に侵攻した武田信玄の今川館攻めによって駿府を追われた今川氏真は、遠江の懸川(掛川)城に逃れました。今川館は「館...
永禄9年(1566年)12月29日、家康は姓を「松平」から「徳川」に改めました。後世のわたしたちがよく知る徳川家康の誕生です。なぜこの時期に改姓したかと...
今回のサブタイトルは「側室をどうする!」ですが、ひとまず側室の話は後まわしにして、少しだけ描かれた歴史のお勉強をしましょう。 三河一向一揆によって松平...
三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、...
永禄6年(1563年)に起きた三河一向一揆は、徳川家康の長い人生のなかで、三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並んで家康の三大危機とされる出来事です。その理由は、...
ヤマト、999、ハーロック、子供のころ夢中になって観たSF漫画の生みの親、漫画家の松本零士さんが逝ってしまいました。謹んで哀悼の意を表します。わたしの少年...
駿府で人質状態となっていた妻子を奪還した松平元康(のちの徳川家康)は、翌年の永禄6年(1563年)7月6日、名を「家康」に改めました。「元」の字は言うま...
前回に引き続き、駿府で人質状態となっている松平元康(のちの徳川家康)の妻子の奪還劇の回でしたね。前話はほとんどフィクションの回でしたか、今話は史実、通説...
昨日、作家の永井路子さんが亡くなられたという報道がありました。謹んで哀悼の意を表します。 永井さんといえば、やはり中世、特に鎌倉時代の作品ですよね。昨年の...
先日、映画『レジェンド&バタフライ』を観てきました。木村拓哉さんと綾瀬はるかさんという日本のトップスターの共演で、織田信長とその正室・濃姫を主人公とした物...
今回のサブタイトルは「瀬名奪還作戦」。今川を見限り、織田と手を結んだ松平元康(のちの徳川家康)でしたが、気がかりだったのは、妻の瀬名(築山殿)と長男の竹...
滋賀県蒲生郡日野町にかつてあった日野城は、古くは中野城と呼ばれていました。そこで、本稿では日野中野城と呼ぶことにします。日野中野城は、日野の領主・蒲生氏の...
今川氏真を見限った松平元康(のちの徳川家康)は、織田信長との連携に踏み切りました。通説によると、永禄5年(1562年)正月に元康が尾張の清州城に赴き、信...