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ほとんどの掃除&片づけは綿子さんの入院中に行った。どう見てもゴミやん!と思うような物でも綿子さんの目の前で捨てることは、なかなか出来ないだろう。何かと口を挟んでくることは容易に想像できた。なので綿子さんがいない間に実行したのだった。かなりの物を捨てたがき
次に取り掛かったのが一番奥の部屋だった。この部屋はほぼ物置状態になっていた。とりあえず部屋の端に置いてあるのだがこれってもう不要では?と思えるものが大量に積んである。そのほとんどがフネさんに関係するものだった。オムツやデイサービスに持って行っていたカバンや
大掃除の続きの前にちょっとフネさんの晩年のことを。フネさんは晩年、徐々に足腰が弱っていった。一度家の中で転んでからは這って移動するようになり、そのうちほぼ寝たきりに、そして寝たきりになった。お風呂はデイサービスに行って入っていた。トイレは部屋にポータブル
やっと臭いの元を処分したが相変わらず臭い。しかし、フネさんの部屋をこのままにしておく訳にもいかないからと引き続き片づけをした。昨日も書いたが日記や写真などが出てくるとかつおさんは思い出に浸りだし、なかなか作業が進まない。けどやっぱり懐かしいよね。若い頃の
茂造さんちの大掃除をすると決意したもののどこから手を付けたらいいのやら...この時はまだ綿子さんに遠慮もあったので綿子さんの部屋は手を付けず、まずはフネさんの部屋から始めることにした。この頃、茂造さんちは異様な臭いが漂っていた。玄関に入ると臭い。もちろん二人
先週の週末は天気が良く洗濯日和だったのでフネさんのワンピースを洗った。フネさんは着道楽でお洒落さんだったのでセンスのいいワンピースやブラウス、それに着物がたくさん残されていた。フネさんが亡くなったあと形見分けをしたが皆いらないと言って持って行かなかったの