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「BSシネマ」『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』
『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(63)(1982.11.5.自由ヶ丘武蔵野推理劇場)東西冷戦下、アメリカの将軍が正気を失い、ソ連への核攻撃を命令。大統領や政府高官は事態を収拾しようとするが、核兵器を搭載した爆撃機は目標に向かって進んでいく。この映画は、先日見たシドニー・ルメット監督の『未知への飛行』(64)とほぼ同時期に作られている。『未知への飛行』が徹底的にシリアスなドラマとして作られているのに対し、この映画はブラックコメディとして風刺を効かせた作りになっている。そこにルメットとキューブリックの違いが感じられて面白い。実際のところ、キューブリックにこれほどまでのユーモアのセンスがあるとは思ってもみなかったし、もしチャップリンが原水爆や核戦争を皮肉った...「BSシネマ」『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』
明日、長男と「エクソシスト 信じる者」を見る約束をしたので、予行演習?として家族で「エクソシスト3」を見ました。話が繋がっていないのは分かっていますが、なんとなく流れで・・。「エクソシスト3」を見るのはたぶん3回目だと思います。とはいえ、物語の大筋は覚えているものの、細かいところは大分忘れていました。この映画は、評価が低い「エクソシスト2」を無かったことにして、「エクソシスト」の正統な続編として作られた作品です。「エクソシスト」のようにショッキングな映像の連続ではなく、ストーリー展開や雰囲気でもって怖がらせるタイプの映画です。「エクソシスト」と同じようなホラーを求めている人にはおそらくもの足り…
『タップス』(81)(1982.11.1.)小森のおばちゃまが、やけに褒めているのを耳にし、これはまた甘い青春ドラマなのかなと思っていたら、どうしてどうして、実にシリアスな一級の映画だった。おばちゃまごめんなさい。学校の閉鎖に反対する生徒たちが、武器を手に立ち上がったというだけでは、ちょっと過激な学園紛争ドラマで終わってしまうが、この映画の場合、舞台が仕官養成学校、つまり軍隊一歩手前の教育現場であり、そこで軍隊式の教育を受け、外部との接触もほとんど持たずに、閉鎖的な生活を送る若者たちが主人公となれば、話は込み入ってくる。彼らにとっては、校長でもある将軍(ジョージ・C・スコット)の言葉は神格化され、知らず知らずのうちにその言葉に縛られ、正常な判断を見失っていく。分別のある大人ならともかく、彼らはまだ若く、中...「蒲田パレス座」9『タップス』『未知への飛行』『天国の門』
『ハスラー』(61)(1974.6.14.ゴールデン洋画劇場)賭けビリヤードのプロとして生きる若者エディ(ポール・ニューマン)の挫折と苦悩を描く。若きプレーヤーとして抜群の才能を持つエディだが、大物ハスラーのミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)との勝負に敗れ大金を失ってしまう。傷心のエディは、足が不自由な女性サラ(パイパー・ローリー)と出会い、互いに引かれ合うが、金のために冷酷な胴元のバート(ジョージ・C・スコット)と手を組む。ロバート・ロッセン監督の繊細かつ緊張感あふれる演出、名手ユージン・シュフタンの繊細なモノクロ映像、ケニヨン・ホプキンスのジャズ音楽も魅力的。アカデミー撮影賞、美術賞受賞。『ハスラー2』https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ef8cc640e600...「BSシネマ」『ハスラー』
『炎の少女チャーリー』(84)(1988.9.27.ザ・ロードショー)政府の薬物実験「ロト6」を受けて超能力を得た両親の間に生まれ、パイロキネシス(自然発火)能力を持つ少女チャーリーに、軍事利用を企む謎の組織ザ・ショップの追手が迫る。スティーブン・キングの小説『ファイアスターター』を映画化。製作ディノ・デ・ラウレンティス。ジョン・カーペンターが降板し、マーク・L・レスターが監督を引き継いだ。音楽はタンジェリン・ドリーム。当時8歳のドリュー・バリモアがチャーリー役で主演。前半は父(デビッド・キース)とチャーリーの逃避行を描き、そこにアート・カーニーとルイーズ・フレッチャーの老夫婦が絡む。後半は、組織に拉致された父娘と絡む、組織の親玉役のマーティン・シーンと、特殊工作員レインバード役のジョージ・C・スコットが大芝居...『炎の少女チャーリー』新旧2作
「ロシア軍、イルカを軍事利用か」という記事を見て、マイク・ニコルズ監督のこの映画のことを思い出した。『イルカの日』https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c11f29dd0e13b412d13df5f13fbddf65「ロシア軍、イルカを軍事利用か」『イルカの日』