メインカテゴリーを選択しなおす
台北といえば、高層ビルや集合住宅が立ち並び、やたらゴチャゴチャした印象が強いものです。それは郊外に行っても変わりません。集合住宅が密集しすぎるあまり、薄暗くなった路地なんてそこら中にあります。そんな台北首都圏にも、自然と触れ合える景勝地が点在しています。今回はその一つ、新北市新店区にある「碧潭風景区」をめぐっていきます。目次1 台北駅から新店駅へのアクセス2 碧潭風景区3 新店老街今回の散策は台北メ...
以前、花蓮県で墓地に転用された神社「抜子社」を見てきました。宗教施設に転用された神社なら、台湾の至る所にありますが、さすがに墓地になった神社跡地は多くありません。今回は墓地に転用された神社跡を求め、台北市南郊にある新北市新店区を訪れました。こちらにある旧文山神社が空軍墓地「碧潭空軍烈士公墓」に転用されているのです。旧文山神社への入口は、大きく分けて二つあります。一つ目は精忠路(北側)から入るコース...
これが台湾式レトロだ!台北植物園&欽差行台&南門町三二三を散策
台湾の首都台北はいわば「ビルの林」です。そこら中に雑居ビルやら集合住宅やらが立ち並んで、場所によっては薄暗い所も少なくありません。そんな台北には本物の林だってちゃんとあります。南門に近い台北植物園には、林に包まれた散策路があるそうです。はたして、大都会の台北で本当に森林浴ができるのでしょうか?さっそく植物園に向かいました。目次1 小南門駅から植物園入口へ2 欽差行台3 台北植物園腊葉館4 早田文蔵顕彰...
今回は台湾の中心都市で首都・台北(たいほく)にある「二二八和平公園」の様子をお送りします。この公園は、日本統治時代に台北新公園という名で整備されましたが、のちに「二・二八事件」を記念して現名に改称されました。二・二八事件について終戦後、日本領台湾を占領する形で「中国国民党」による実行支配が始まりました。やがて、国共内戦に敗れた「中華民国」(≒中国国民党)は領土を喪失して台湾に落ちのび、日本が台湾の領有権...
台湾の政治・経済の中心地をぶらり散策(台北駅~総統府~東門)
台湾の首都にして政治・経済の中心地、台北市にやってきました。今回は台北駅の南側にある、二二八和平公園の方に行きたいと思います。はじめての台湾ということで、まずは台湾「基本のき」から見ていこうと思ったのです。同公園に行く場合、台北捷運の台大医院駅で降りると便利ですが、台北市内の雰囲気になれるため、徒歩で移動しました。台北駅から予備校が密集するエリアを進むと、やがてギリシャ建築を思わせる優美な建物が見...
後火車站懐旧広場の台鐵DR2052(台北市)―流線型モドキの魔改造車
台鐵台北駅の北側(裏側)には、大通り「市民大道」が東西に走っています。台北駅北口を出たのち、市民大道に沿って西に進むと、右手に太原路という路地が見えてきます。このあたりに「後火車懐旧広場」という名の小さな広場があり、流線型車両が保存されています。後火車すなわち後火車站というのは、日本語でいう「駅裏口」を指す言葉です。どんな形態で保存されているのか、その車両の正体が何か、さっそく調べてみました。説明板...
ディーゼル機関庫&吊橋跡(新北市瑞芳区)―猴硐に残る石炭輸送の名残
台湾北部、新北市瑞芳区にある侯硐地区へとやってきました。(侯の後ろの文字は「石偏に同」)基隆河沿いを進んでいると、ディーゼル機関車の車庫なる建物を見つけました。どうやら、侯硐駅前で保存されている加藤製DLがかつて収められていた機関庫のようです。建物の中を覗いてみたところ、何もないカラッポの状態でした。機関庫周辺の様子を見て回ろうとしたところ、菁桐からやってきたDR1000形区間車(普通)八堵行きが通過しました。...
山間の商店街「内店仔」(新北市瑞芳区)―炭鉱全盛期の面影残る
台湾北部、新北市瑞芳区にある侯硐へやってきました。(侯の後ろの文字は「石偏に同」)ここには猫を見るためにやってきましたが、数時間の滞在で多くの写真を撮ることができました。予想以上に訪問物件・写真の数が膨大なため、全て紹介しきるまでに時間がかかると思いますが、どうか長い目で見てやってください。今回取り上げるのは、石炭ラッシュの時代に栄えた商店街「内店仔」。宜蘭線沿いにある細い道の両側に家が立ち並んでいます...
猴硐駅前に眠る加藤製DL(新北市瑞芳区)―台湾における石炭産業の生き証人
猴硐神社から台鐵猴硐駅前に戻ってきました。駅前の駐車場には、加藤製作所製のディーゼル機関車が保存されています。小さなDLは水色に塗られており、ウッドデッキの上に鎮座中です。写真では隠れて見えませんが、DL背後のレールはグニャリと曲げられてモニュメントのようになっています。ディーゼル機関車この4気筒6Tディーゼル機関車はディーゼルエンジンより直接起動される。エンジン・ギアなどのパーツは日本から輸入、ラジエ...
台湾北部、新北市瑞芳区にある侯硐にやってきました。(侯or猴の後の文字は「石偏に同」)基隆河を渡り、猫村や侯硐駅のある場所から対岸へ渡ります。すると、猴硐神社と書かれた看板が見えてきました。神社・・・そう、日本統治時代に建てられた日本の神社の跡が侯硐に残っています。鳥居か石段が残っているのだろうと思い、早速行くことにしました。当初の予定では侯硐滞在は50分とし、この後福隆で弁当(便當)を買って食べる計画でし...
春の暖かな午後、台北市の二二八和平公園に立ち寄りました。平日ではありましたが、比較的多くの市民が散歩したり談笑したりと、思い思いの時間を過ごしています。ここで保存されている旧台湾護国神社の神馬は、前回(12年7月)に立ち寄った際にも確認していますが、記録には収めていませんでした。まず最初に、台湾護国神社から移設されたという神馬を見に行きます。▲パイナップルを頭に載せた、台湾護国神社の神馬大直にあった護国...
瑞三整炭工場遺構・運炭橋(新北市瑞芳区)―台湾版軍艦島というべき廃墟
台湾北部、新北市瑞芳区にある猴硐地区は、今でこそ猫村として有名な観光地化されていますが、かつては台湾屈指の産炭地域でした。現在でも当時の遺構が多く残り、その一部は観光施設として保存されています。今回は猴硐のランドマークともいえる、駅と坑道を結ぶ「運炭橋」を見に行きました。▲猫村から見た運炭橋民国50年(1960年代ごろ)の末から石炭の生産量が大幅に増加し、また部分の品位に格付けされた石炭の売れ行きが滞り、...
※高架化に伴い現存しません。台湾中部にある台中市の玄関口・台中駅にやってきました。日本統治時代に建設された古いレンガ造りの駅舎があることで有名ですが、裏口の駅舎もぜひ見ておいたほうが良いと思います。駅裏口は「後站」と呼ばれています。「後站」は日本家屋造りで、どことなく日本の私鉄駅を連想させます。屋根瓦はというと、沖縄県や台湾でよく見られる波型セメント瓦になっていました。台鉄の裏口駅舎となる前は、台湾糖...
横倒しの鳥居がある...台中公園の歴史遺産(初代台中神社跡・湖心亭)
今回お送りする台中公園は、台中駅の北側にある市民憩いの場で、内部には日治時代(日本統治時代)の史跡が多数残されています。1903(明治36)年に完成した公園で、当初は「中之島公園」と呼ばれていましたが、のちに「台中公園」を経て「中山公園」に改称されました。しかし、近年再び「台中公園」に「正名化」されています。中山はいうまでもなく孫文のことを指す単語で、「中山公園」若しくは蒋介石を指す「中正公園」の名は今でも多くの公園名に...
台湾中部、台中市中心部にある台中市政府(市役所)庁舎はかつての台中州庁を転用したものです。向かい側にはもと台中市役所だった建物も残されており、台中市を代表する歴史建築のひとつとして大切にされています。▲旧台中州庁台中州は1920(大正9)年に設置され、はじめ台中市・大屯郡・豊原・東勢郡・大甲郡・彰化郡・員林郡・北斗郡・南投郡・能高郡・竹山郡などが設置されました。その範囲は現在の台中市・彰化県・南投県に相当し...
台湾中部最大の都市・台中市にやってきました。今回は台中駅を起点に、駅から歩いて数分で行ける範囲にある日本統治時代の史跡、特色ある施設を中心に見て回りたいと思います。目次1 台中駅前の土産物店街2 時代に取り残されかけた旧栄町通り3 スイーツ店に生まれ変わった宮原眼科4 緑川を通って建国市場へ台中駅前の土産物店街まず初めに、駅前から台中港方面へと伸びる台湾大道(省道12号線)を西に進みます。省道12号線は台中...
【施設紹介】台鐵台中線 台中駅(台中市中区) ※地上駅時代のレトロ駅舎
台鉄台中駅は台湾中部の大都市・台中市の玄関口として賑わっています。それだけでなく、日本統治時代の1917(大正6)年に建設された赤レンガ駅舎が、今でも現役で使用されています。設計を手掛けたのは、新竹駅・基隆駅などの設計にも携わった松崎萬長(つむなが)。残念ながら、当時の基隆駅舎は現存しませんが、新竹駅舎と台中駅舎は今も現役で使用されており、大正ロマンを今に伝えています。今回台中駅に降り立ったのは午前10時頃...
旧台北州庁=監察院のレトロ建築が美しい!早朝の台湾中枢をぶらり散策
台湾に来ると思わず、早朝から行動したくなるものです。今回は友人を連れてのパックツアー参加という形ですが、だからといって何もしないわけにはいきません。限られた自由時間を活用しようと、睡眠時間を削って早起きしました。行天宮前のホテルを出てMRTに乗り、忠孝西路界隈に出たいと思います。善道寺駅を出て台北市中心部を進むと、やがて旧台北州庁が見えてきました。現在は監察院として使用されているレトロ建築です。ここ...
台北(たいほく)市中部、かつての台湾護国神社跡地に創建された「国民革命忠烈祠」を訪れました。忠烈祠には革命・抗日戦争・国共内戦で命を落とした「中華民国」関係者が祀られていますが、彼らは基本的に中国人(例外もあり)であり、第二次大戦で命を落とした台湾人日本兵に関しては、東京の靖国神社に合祀されていることを忘れてはいけません。ただし現在では、近年に公務等で殉職した人々(台湾人も含む)も祭祀対象に挙げられています...
九份(九フン/九分/九彬)は台湾北部・新北市瑞芳区にあり、ツアー旅行ではたいてい行程に組み込まれていることから「台湾観光のメッカ」ともいえる場所です。かつては金の採掘で栄え、現在でも当時建てられた日本家屋が残っています。ジブリ映画「千と千尋の神隠し」で登場する食堂街のモデルになっているということで、台湾を訪れたことのない日本人でも知っている方は多いのではないでしょうか。その他にも、二二八事件を描いた台湾映...
旧汐止神社=忠順廟(新北市汐止区)―駅前に堂々そびえる大鳥居
台湾北部は新北市汐止区にある、旧「汐止(しおどめ)神社」の様子をお送りします。神社跡のある新北市汐止区は台北市南港区の東隣にあり、日本統治時代には台北州七星郡汐止街に属していました。「汐止」と呼ばれるようになったのは大正9(1920)年からのことで、それ以前は「水返脚」という地名でした。旧汐止神社は鳥居・石灯篭・狛犬など、遺構が数多く残されているだけでなく、台鉄縦貫線汐止駅の目の前にあるため、駅ホームから鳥居...
台北市中心部、南京東路・新生北路・林森北路・新生北路二段28巷に囲まれた場所にあるのが、市民憩いの場「林森公園」です。かつて「三橋町(みはしちょう)墓地」として日本人が葬られていましたが、戦後になり日本による台湾統治が終わったのち、国共内戦に敗れた国民党政府が本拠地を台湾へ移すと、中国本土から大量の中国人が台湾へと流入し、彼ら在台中国人によって大量のバラック小屋が建てられるようになりました。李登輝政権後半...
台湾の日常風景に触れよう!台北市民の台所「双連朝市」をぶらり散策
台北市中心部・双連地区で開かれている「双連朝市」を訪れました。こちらは士林夜市ほど観光地化されておらず、生活必需品を買い求めて市民が集う、庶民的な雰囲気が漂う場所です。台北捷運(MRT)淡水線双連駅のすぐ傍に広がっているので、朝市へのアクセスは非常に便利な方だと思います。▲台北捷運(MRT)淡水線 双連駅前の様子。右側に広がるのが双連朝市▲双連朝市の様子朝市は主に高齢の方を中心に賑わっており、中国語ではなく台語...
台湾東部、花蓮県鳳林鎮にはかつて官設移民村「林田村」が設置され、多くの内地人移民が農耕を行っていました。当時の花蓮港庁鳳林郡鳳林街大字林田一帯が林田移民村の範囲でした。大字林田の下には4つの小字(南岡・中野・北林・平林)が置かれ、その他にも本島人(台湾人)による集落「金田」があります。うち南岡は一村、中野は二村、北林は三村の異名を持っています。戦後、南岡・中野は併せて大栄、平林は林栄へと改称されましたが...
台湾東部、花蓮県鳳林鎮にはかつて官設移民村「林田村」が設置され、多くの内地人(日本人)移民が農耕を行っていました。彼ら移民にとって精神面の拠り所となったのが、中野集落(現在の二村)の南側に建立された林田神社です。戦後国民党政府によって破壊された後は、樹木に埋もれ風化するばかりでしたが、近年大規模な修復が行われ、当時の姿を大分取り戻しました。祭神北白川宮能久親王殿下大国魂命大己貴命少彦名命大祭:10月6日▲旧...
玉里駅から自強号に乗り込み、一路鳳林を目指します。蘇澳以南の台湾東部には高速道路が通っていません。そのため、今でも東部幹線(宜蘭線・台東線)は長距離利用客が多く、立席券が発行されない「タロコ」・「プユマ」・「観光号」に至っては「切符の入手が難しい」ことで有名です。今回乗り込んだ自強号も乗車率が高く、乗車時点で既に満席でした。客室内で立ったまま過ごすこと1時間、日本統治時代に置かれていた旧鳳林郡の中心地・鳳林(...
台湾東部 花蓮県玉里鎮には日本統治時代の史跡が数多く残されています。その中でも一番有名なものが、旧「玉里社」ではないでしょうか。戦後、中国国民党によって施設が破壊された後も、鳥居や石灯篭などが草木に埋もれながらも残されてきました。近年の保存活動により史跡公園として整備され、現在では境内に入りやすくなりました。神社入口に立つのは一の鳥居。周囲には民家が建っており、鳥居柱が一部、民家にめり込んでいます。...
台鐵竹田駅の木造駅舎で寛ぎ「池上一郎文庫」に出逢う(屏東県竹田郷)
高雄から列車に揺られ、屏東県竹田郷にある竹田駅へとやってきました。この駅には日本統治時代に築造された木造駅舎が残っており、その隣には日本語の書籍が数多く収められている「池上一郎文庫」があります。昔から立ち寄りたいと思っていただけに、今回ようやく訪れることができました。▲竹田駅構内立体交差化・電化工事が行われており、この工事で屏東~潮州駅間が電化され、潮州に車両基地が新設される予定です。現在、木造駅舎...
ハラワン祠跡(花蓮県玉里鎮)―変形鳥居がたつ原住民集落の神社跡
台湾東部 花蓮県玉里鎮楽合地区には、原住民アミ族が居住するハラワン(楽合)集落があり、日本統治時代に建立された神社の跡が一部残されています。ハラワン集落は省道台9線沿い、言い換えると玉里市街地から数キロ離れた場所にあります。日本統治時代当時、ハラワン集落は大字落合に属していましたが、戦後、落合は中国語で同音の楽合に改称されました。▲ハラワン集落周辺の地図▲ハラワン集落入口に立つ「楽合勇士」の像ここから集落...
台湾東部、花蓮県南部の要所・玉里にやってきました。玉里駅前から歩いて、玉里鎮東部にあるハラワン祠(神社跡)を目指してみたいと思います。玉里鎮中心部には一応歩道が設置されていますが、自動車がその上に駐車していることが多いため、他の台湾諸都市と同様に歩きづらいです。交通量はそこまで多くないものの、道を行く自動車やスクーターには気をつけるべし!中山路(玉里大通)と光復路(玉里本通)が交わる地点はロータリ...
台湾南東部の都市・台東市の中心部にやってきました。現在こそ台東駅は郊外にありますが、かつては利便性のよい市街地に存在していました。台東線と屏東線を繋ぐ南廻線の開通後、新設された卑南駅(後に台東新駅へ改称・現在の台東駅)から初代台東駅(以後、台東旧駅と表記)までの短い区間は盲腸線として残りました。この区間は2001年に廃止されましたが、現在では大半の区間が遊歩道となり、台東旧駅跡も「台東鉄道芸術村」として整...
東台湾の要所・台東市郊外をぶらり散策(台東駅~遊歩道~旧駅跡)
現在の台東駅が台東市街地から遠く離れていることに関しては、以前にも述べた通りですが、今回はどのくらい離れているか実感すべく、(無謀にも)台東駅から旧駅まで歩いて移動しました。駅から市街地へはバス(鼎東客運)が出ているので、移動される際はぜひご利用ください。駅入口から向かって右側にバス乗り場があります。結論から先に述べておきますが、約1時間かかりました。駅前通りを抜けて東46郷道(興安路)に入り、さらに省道...
台北から夜行の莒光号(急行に相当)531次に揺られ、台湾第二の都市・高雄へとやってきました。ここから屏東線に乗り換え、池上一郎文庫のある竹田駅へ向かう予定です。早朝6時ということで、文庫の開館まで時間に余裕があります。そこで、高雄市内を少しだけ見て回ることにしました。▲台鐵高雄駅一帯では地下化工事が行われており、ホームから駅本屋へは、長い連絡橋を介しての連絡となっています。▲跨線橋から高雄駅構内を眺めて高...
台湾南東部最大の都市・花蓮にやってきました。この街は日本統治時代になってから本格的な整備が始まったので、非常に日本色が強く、至る所に日本家屋があります。今回は花蓮駅を起点に、市内の史跡・名所などを巡ってみました。花蓮駅から市街地中心部へは距離があるので、移動する際はバスかレンタサイクルのどちらかが良いでしょう。今回、筆者はレンタサイクルを利用して巡りました。花蓮客運バスターミナルのすぐ横にある「ジ...
【格安きっぷで行く】台鐵台東線の復興号685次 乗車記(池上~花蓮)
池上から復興号685次(台東発樹林行き)に乗り、一路花蓮を目指して北上します。2014年1月現在、復興号の運賃割引キャンペーンが行われているので、100元で乗車することができました(台東~花蓮駅間は150元)。この復興号685次はたしか2012年7月に、侯トウ駅周辺で撮影したことがあります。撮影した当時は「もうすぐ復興号が廃止になるかも・・・」と思っていましたが、しぶとく残っているのには驚きです。▲2012年7月に撮影した復興号68...
台東県池上郷の中心部「大埔」をぶらり散策(教員宿舎~池上大旅社~駅)
台湾東部、台東県最北部にある池上郷を徒歩散策しました。今回は台鐵池上駅をスタートして、日本統治時代の教員宿舎がある福原小学校に立ち寄り、中心部(大埔地区)を散策しながら駅に戻っていきます。まだ朝早い時間帯ということで、東側からまぶしい朝日が照らしてきます。まずは駅を離れて踏切を越え、福原小学校のある駅西側に移動しました。なお、池上駅自体は東側に面しており、駅前通りを中心に市街地が広がっています。▲...
池上飯包文化故事館のブルートレインで池上弁当を実食(台東県池上郷)
台湾東部、台東県池上郷は米どころとして有名な土地です。それほど大きな町ではありませんが、ここには台湾屈指のブランドが2つあります。それが池上米と今回ご紹介する「池上弁当」です。台鐵池上駅から徒歩数分の場所に、「池上飯包文化故事館」という施設があります。ここでは名物「池上弁当(便當)」を販売しているほか、台鐵の保存車両を使用したイートインスペースも設置されており、列車旅をしている気分で弁当をいただけ...
夜行列車を利用した関係で、夜明け前の台鐵関山駅を利用する機会がありました。季節は冬真っ盛り!一応亜熱帯ですが、真冬の早朝ということで寒く、ジャケットを羽織っても震えは収まりません。さてこれからどうしよう...。予定だと、この駅始発の列車で台東まで行くことになっています。とりあえず改札を出ようじゃないですか。震えながらホームを歩いていると、横にいた老夫婦(日本語世代ではありませんでした)が「寒いの?大丈夫...
芝山巌学堂と神社跡(台北市士林区)―明治期台湾の殉職者「六士先生」眠る
日没まであと二時間ほどあったので、その僅かな時間を利用して、「芝山巌」という丘陵地帯に足を運びました。ここは、日本領台初期に日本語教育を行う学校「芝山巌学堂」が置かれた場所であり、文部省の伊沢修二氏と七人の教師が台湾人に日本語を教えていました。抗日ゲリラ征伐を行う近衛師団を率いた北白川宮能久親王殿下が、マラリアのため台南で薨去したのち、伊沢氏と教師一名は親王の遺体とともに内地へ戻りましたが、その直...
円山水神社(台北市士林区)―神秘的光景に台湾の水道史を垣間見る
台北メトロ剣潭駅にやってきました。ここは九フンと並んで、台湾観光でお馴染みの観光地となっている「士林夜市」の最寄り駅です。夜市は駅から歩いてすぐの場所にあるため、個人旅行で訪れる方も多いのではないでしょうか?今回の目的地は士林夜市ではありません。剣潭駅のすぐ傍には、台北自来水道事業処陽明分処があり、その敷地内には日本統治時代の史跡「円山水神社」「円山貯水池」が残されています。陽明分処への入口は、剣潭路と...
台湾ブームの高まりとともに、台北の下町を訪れる日本人観光客が増えてきました。パックツアーに組み込まれることは少ないですが、古い町並みとオシャレな店が多く、観光や買い物にもってこいの場所といえます。台北には大きく分けて、大稲埕(だいとうてい)・大竜峒・万華という3つの下町があります。今回は龍山寺を起点に、万華の街を散策してみました。目次1 万華という地名の由来2 龍山寺から新富市場に入る3 清代から残る...
雨降る港町・基隆市中心部をぶらり(旧神社~義重町~日新橋~基隆駅)
基隆(きいるん)市は台湾北東部にある港町であり、日本統治時代以前より、台湾防衛上重要な位置を占めてきました。日本統治時代には、台湾と当時の内地を結ぶ連絡船が発着する港町として、そして軍港としても発展を遂げてきました。今回は旧基隆神社から基隆駅までと短い距離ですが、市内を歩いてみることにします。旧基隆神社は信二路沿いに立地しており、この通りを西へ進むと基隆港に、東へ進むと基隆女子高(中文:基隆女中)に...
今回は基隆市中心部にある、旧基隆神社(基隆市忠烈祠)をめぐります。かねてより入口に建つ牌坊が気になり、実際に見てみたいと思っていました。基隆神社はもとを「基隆金刀比羅神社」といい、1912(明治45)年3月に創建されました。1915(大正4)年11月に修築が行われ、あわせて天照大神・大国魂命・大己貴命・少彦名命・北白川宮能久殿下(以上、台湾神社→台湾神宮の祭神)も合祀の対象になり、基隆神社に改称されました。また、例祭...
【台湾のつりかけ特急】臨時列車で復活!台鐵EMU100形「英國婆」乗車記(2=完)
基隆港でのラバーダック展示に合わせて、台鐵EMU100形「英国婆」を使用した臨時列車が樹林~基隆間で運行されました。休車状態からの復活に、多くのレイルファンが撮影のため、基隆駅に集結しています。彼らと一緒に写真や動画を撮りながら、EMU100形の雄姿を目に焼き付けました。▲レイルファンでにぎわう基隆駅と台鐵EMU100形列車を降りたその足でホーム端に移動すると、一帯は人で混雑していました。あまりに多くの人であふれか...
【台湾のつりかけ特急】臨時列車で復活!台鐵EMU100形「英國婆」乗車記(1)
「英国婆」という愛称名で知られる台鐵EMU100形は、数年前に定期運用から退きました。そんな中、基隆港でのラバーダック展示に合わせて、2013年冬から臨時列車に動員されています。まさかの復活運行に現地ファンは喜び、駅や沿線は連日大勢のファンで賑わっているとのこと。このような運行が今後もあるという保証はありません。大学の卒業旅行を兼ねて、EMU100形の走りを満喫しました。今回は板橋駅から乗車して、終点の基隆に向か...
西本願寺広場(台北市万華区)―バラックから蘇った寺院「西本願寺」址
かつて、台北メトロ西門駅の南側には西本願寺という日本寺院(日本統治時代まで)がありました。大きな屋根が特徴だった本堂は戦後、1975年に火災で焼失しました。その後、敷地上にバラックが建てられましたが、近年になって排除され、西本願寺があったことを記念すべく、歴史公園「西本願寺広場」に生まれ変わっています。参道址▲「参道」説明板▲旧西本願寺参道石敷きの一部は西本願寺時代のものです。欠損している部分は整備時に復...
台北市を代表する下町、万華地区にはなんとも惹かれるものがあります。町の古めかしさ、独特な香り...。どれも一度体験すると、いい意味で忘れられないものばかりです。そんな万華の魅力にひたるべく、万華駅を起点に歩いてみました。▲台鐵万華駅今回のスタート地点・万華駅は地下にあります。出入口棟は西側・東側の2か所あり、それぞれ入場専用(西側)、出場専用(東側)となっているのが特徴です。▲万華駅待合室・改札口駅前から北...
【施設紹介】台鐵縦貫線 山佳駅(新北市樹林区)―首都圏に残る木造駅舎
今回お送りする山佳駅は台湾北部、新北市樹林区にあります。台北市から比較的近い場所にあり、列車の本数も多めに設定されていますが、停車するのは各駅停車のみです。日本統治時代~戦後初期には山仔脚駅と称されていました。日本統治時代からの木造駅舎が残る駅として知られていましたが、2011年に新しい橋上駅舎が完成したことから、役目を終えた旧駅舎は史跡として保存されることになりました。▲山佳駅駅舎和をイメージしたの...
日本統治時代の台湾をよく知るうえで、花蓮市の存在は欠かせません。日本時代に建設された町割りの中に、今も多くの日本家屋が眠っています。その中には史跡登録され、資料館として活用されているものもあれば、今も現役の民家として使われている物件もあります。今回は旧花蓮港神社(花蓮県忠烈祠)を起点に、市内を散策しながら、台鐵花蓮駅まで歩いてみました。今回の散策を通して、台湾に根付く「日本」を知ることが一番の目標...
台湾東部、花蓮県花蓮市にある旧花蓮港神社を訪れました。同神社跡は戦後、中華民国政権の手によって美崙山忠烈祠に改められ現在に至ります。同神社は花蓮港庁平野区の米崙山腹にあって、台湾神社(→台湾神宮)と同じ祭神を祀っていました。1916(大正5年)4月に起工し、鎮座式は同年9月22日に行われ、1921(大正10)年3月2日には県社に指定されています。(台湾総督府編『台湾事情. 昭和18年版』台湾総督府官房情報課、1943年)ここにはち...