苦しみや試練の中のうらぎりを通して、始めて人は弟子たちが復活のイエスに出会ったのだと確信し、イエスキリストの復活を信じるようになる
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になると鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 ヘブライ12-11 義とは神の基準に従って正しい行動を取ることを指します。これは自分の努力ではなく、キリストの贖いによって与えられるものです。義は私たちの内面と神との関係が回復されます。 人生の鍛錬の時は当座などというものではありません。この苦しみが一生続く、そして回復の時などやってこないと思うものです。世の中の全ての人は自分よりも優れているし、自分は最も小さいものであるというように人生に失望する時がいつまでも続きます。回復の階段を上るとい…
2024/07/06 18:59