「心」は得ようとしても得られない。常に変化する、どこにしっかりとそれを把握することができようか。だが、その心に悟りの境地が刻まれる。だがそこに執着すれば、それはたちまち去ってしまう。去ってしまえば、かえって心に刻まれる。そんな不安定な土台である心と、禅の求める「わかった」「把握した」「つかんだ」という境地との関係を論じたものだ。
山林・畑つきの1軒家に出会い、農のある暮らしを深めている最中であったが、原発事故にあう。
東京生まれ。20代のとき岩手県で3年間農業研修生として慣行農法を学ぶ。その後、仙台の郊外に家庭菜園を借り有機農法や自然農法を実践する。平成18年より宮城県角田市で山林・畑つきの1軒家に出会い、農のある暮らしをさらに深めている最中であったが、原発事故後は仙台市内に戻る。
禅者のはたらき(-はたらきとは、それを持っていればその持ち主を機能させること。それが外に自在に発現すること)は、自由であるということ。決まった形はなく、跡を追ってもその跡がつかめない。自由であるということは、とらわれないということ。しかしおのずとのりを超えない。
『碧巌録』より 第七則 法眼答慧超 / 法眼慧超問佛(その2)
「丙丁童子来求火」という公案は、則監院が言うように、火の化身である神が、火を求めるということである。つまりは、人は皆己自身が「仏」であり、仏になる可能性を内に秘めているのに、外に「仏」を求めていることを示したものである。
『碧巌録』より 第七則 法眼答慧超 / 法眼慧超問佛(その1)
「そりゃ、おまえさんだよ」という法眼の応えは、仏は自分の中にあるということか。ここでは、仏性の問題を考えねばならない。「仏性」は、仏となる可能性のことで、男でも、女でも、生きとし生けるものはすべて仏となれる秘めた可能性を持っている。
関連する2冊の本を読んだ。(そもそもこういう貴重な書籍を研究・翻訳してくれたり出版してくれたりしている人々に感謝だ)ちくま学芸文庫『経済の文明史』(カール・ポランニー)岩波文庫『贈与論』(マルセル・モース)
フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画「道(ラ・ストラダ)」も円環する時間の中で2回目を見た。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その7)
この舜若多という虚空神の、その存在が悲しい。他からの光に照らされてはじめて存在する。そういう悲しい存在の存在を想像した、その想像力こそが尊い。仏教神話は、そういう悲しい透明な存在物を想定し得たから、人間は悲哀をまぬがれえていたのかと思う。今はそういう悲しい存在物を想定しえない。だから人間そのものが悲哀を背負っていかなければならない。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その6)
本当の智慧、苦しみを乗り越え平穏な心境にたどり着くための智慧は、以心伝心でしか伝えることができないことや、その伝え方の尊い有り様を示した問答である。機に適う一期一会の瞬間を実に色彩豊かに感動的に描いている。だが、スブーティの「わかった」は、天人の知る所となった。これではまだ不十分だ。天人にも悟られず、一切の痕跡を消すことが求められる。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その5)
正しい認識が得られれば、意識は滞留することはないということ。そうすれば、生死の境を脱却できるということ。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その4)
世界の中でモノ自体が本来を露わにしている。しかし、そこに親疎を立て分別するのが人間の認識。私たちの認識の閾値を低め、低めてモノ本来が露わになるようにしてやる。そこではモノがモノ本来の本然の姿で現れている。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その3)
「打成一片(だじょういっぺん)」という言葉がある。区別・差別を建てないものの見方だ。われわれに入ってきた外界の事物は、われわれの中で区別される。善・悪という道徳的な判断がされ区別が建てられ、好・悪という感情的な判断がなされる。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その2)
死中に活路を求めること、ぎりぎりの状態に追い込まれた死地からどう生還するか、それを教えるのが禅だ。死中に活を求めるには、思惟を働かせてはだめだという。思惟の働きは遅い。一瞬の閃電光のひらめきのように即断即決できれば、死地から生還できる行動を起こせる。
『碧巌録』より 第六則 雲門十五日 / 雲門日日好日 (その1)
「日日是好日」は禅から出た有名な句で、日常生活の中でも目にすることが多い。私は、一日一日が素晴らしい、活力あふれる清新な日のなかに生きることの心境を述べたものだと思うが、しかし、こういう句は、本当はその場その場で、その場にいる人や発話した人の機境に応じて発せられた言葉であって、その瞬間に意味があったものである。
雪峰は、砂を洗い去って米をとぐのか、米を洗い去って砂をとぐのかの、公案を胸に、修行を重ねた。徳山に参禅し、痛棒され、少し突き抜けた気がし、その心鏡を言葉に託したが、それは外からやってきたものであった。外から来たものは自己本来のものではない。
洞山の雪峰への問いは、相対的な分別についての禅の見解を、興味深い逸話で示唆してくれる。食事をするには、米を炊かねばならぬ。米を炊くには、米に混じった砂を水でゆすいで取り除かねばならぬ。米と砂を分別して、残すための米をしっかり見て、かつ不要の砂にも目を付けて、必要な米は選び、不要な砂を取り除く。
極大の世界に極小の世界は宿り、極小の世界には極大の世界が広がる。(極小と極大は融通無碍(ゆうづうむげ)に往き来する)ゆえに、極大を極小の世界にいれこむことができる。さて、その時、その世界をどう認識するのか。
禅は常に生死にかかわる所ぎりぎりのところで行われている。時に行者は、危険をも顧みず、虎のひげにさえ手をかけ、虎口に飛び込まなければならない。生死の境、そのあわいを透脱できれば死地を挽回し生地におもむける。
『碧巌録』より 第四則 徳山挟複子 / 徳山至潙山(その5)
もちろんここで言っているのは、本当に物理的に人を殺めることを言っているのではない。修行者と力量ある師である作家との問答は、命を懸けた真剣勝負なのである。
『碧巌録』より 第四則 徳山挟複子 / 徳山至潙山(その4)
「死中得活(死中に活を得る)」。この語句は禅を考えるうえで重要な契機を与えてくれる。このような語句が多く登場することは、禅が生死に渡ることを示す。
『碧巌録』より 第四則 徳山挟複子 / 徳山至潙山(その3)
龍潭和尚は、徳山が仏の化身である老婆によって提起された「過去心・現在心・未来心」の公案を、徳山自身が体得できるよう、徳山の機微に合わせて接してやったのである。この徳山の説話は、禅における「わかる=悟る」の契機とその体験を垣間見させてくれる。
『碧巌録』より 第四則 徳山挟複子 / 徳山至潙山(その2)
この問答も傑作だ。「心」の問題を取り扱っている。「点心」と「点那箇心」がひっかけてあり機知にと富む問答になっているが、徳山にとっては、おばあさんの言葉は、「心」の問題を突き詰めてくる容赦のない問いとして迫ってきたであろう。
『碧巌録』より 第四則 徳山挟複子 / 徳山至潙山(その1)
禅では、形にとらわれない、執着しない、拘泥しないということが求められる。そのためには、時にこの徳山のような激しい行動が必要だ。心は行動に現れる。行動は心を形作る。形に捉われない心は、時にこんな奇矯とも取れる行動となって現れるし、奇矯な行動はとらわれのない心の表れでもある。
禅に「向上」「向上一路」という語がよく登場する。禅が目指す究極の境地を言う語でもあるし、また一つの境地に決してとどまることをしない(たとえ、それが究極の境地であっても)禅が、常に現状を打破し現在をつき抜けていく時のやむことのない努力を表す語でもある。
言葉は、自分の心境を表したり、自分に対する境界(環境)の様を描写して名付けるものである。山河大地は、自然とそこにあり、私たちに対峙するものである。自然とそこに存在するものをどうやって我々は認識するのか。
禅では、私が世界に対峙して、その世界(境界)の見方が求められるし、そういう見方ができるように修練することが禅でもある。そのものの見方とは、世界(境界)をありのまま、ありのままに見るということだ。
趙州が禅僧たちに示して言う、「禅の究極の道に至ることは難しい事ではない。ただ、あれこれ分別して選ぶことをしないことだ。境界を判断してそれをわずかに言葉にしただけで、それは分別・判断であり、ことを明白にしたということである。
『碧巌録』より 第一則 武帝問達磨 / 達磨廓然無聖(その5)
そういうわけで禅僧の雲門は言った。「禅の働きは、火打石を打った火花のように、ひらめく雷光のようだ」。
『碧巌録』より 第一則 武帝問達磨 / 達磨廓然無聖(その4)
禅では「刀」の喩えが多くもちいられている。刀は、迷いを断ち切る象徴でもあるが、過去、こだわりを断ち切る事でもある。
『碧巌録』より 第一則 武帝問達磨 / 達磨廓然無聖(その3)
達磨大師は人から人の心へとのみ伝えることのできる心に刻まれた真実を伝え、人々の迷いを晴らすため、インドから中国へやってきた。
日日是好日おそまきながらカンヌ映画祭でも賞を受賞した『Perfect Days(パーフェクトデイズ)』を見てきた。映画を見ていたら、無性に掃除をしたくなった。掃除はいい、心を磨くことだ。主人公の平山を演じる役所広司さんの演技がいい。主人公の平山は、無口な公共トイレ掃除人だ。スカイツリーが見える浅草かどこかの古いアパートに一人で住んでいる。彼には日々のルーティンがある。持ち物もきちんといつもの場所において、いつもの順番で取っていく。なにかそういう決まりごとにこだわりがある人なのかと思う一方で、日々の決まり(清規)をきちんとこなして生活していく禅僧のようにも思える。
『碧巌録』より 第一則 武帝問達磨 / 達磨廓然無聖(その2)
仏教の信仰が厚く、仏法の保護者を任じている梁の武帝が、インドから渡来した達磨大師に問うた。「仏教の最奥義とはいかがなるものでしょう」
『碧巌録』より 第一則 武帝問達磨 / 達磨廓然無聖(その1)
『碧巌録』は禅の問答が記されたもの。その問答を吟味して、禅の本質とは何かを考察しようと考えた。 第一則の標題は「武帝問達磨 / 達磨廓然無聖」
某国国営放送を聴取していた時のことだ。ちょうど、日銀の政策会議があった時で、大学教授を招いてその解説をしてもらっていた。解説担当の大学教授は、偉大な領袖様の唱導したアベノミクスが失敗したと断罪していた。日銀が株や国債をじゃんじゃん買い入れる無茶苦茶な政策とも、大企業の内部留保だけが積み上がり労働者の賃金が目減りし、そして、物価が上がれば賃金も上昇するとしてインフレターゲットを設けたことを間違った経済理論だとも。
ロシアでプーチン大統領が選挙を圧勝した様子は、日本の民主主義を考える際にも興味深い。プーチン大統領は、圧倒的な支持率で選挙戦を勝利した。プーチン大統領からするとこれも立派な独自の民主主義政治で、民主主義的な手続きにのっとった正統な民主政治ある。
モーツァルトの器楽曲は、時に空疎に聞こえてきたりする。特に、後輩のベートーベンが、苦悩に満ちた重々しい楽曲を作っていてそれと比べたりする時は。天真爛漫に見えるモーツァルトも、スポンサーやパトロンたちを満足させねばならず、きっと世知辛いこの世の辛酸も舐めたのであろう。
男の嫉妬が描かれているのは、シェークスピアの悲劇「オセロ」だ。何と言っても悪漢イヤーゴ。彼は、自分より出世する同僚に、そして何より、美しい妻を娶る異人種の上官に嫉妬する。
オペラの主人公にはダメ男が多い。「椿姫」のアルフレードや、そしてなんといてもその代表は「カルメン」のドン・ホセだ。
SNSにデマを投稿しないでください、というのが今回の地震、原発事故についての政府からの要請だ。このような災害時に、デマを投稿するのは様々な混乱を生むだろうし、流言飛語から外国人に暴力が向けられたという過去の出来事もあるので、デマの投稿は言語道断だ。
元日にサッカーの国際親善試合が日本とタイとの間であった。サッカーの世界ランキングでは、タイが113位で、日本が17位ということだ。世界ランキングは、いろいろな要素を加味して出しているものだろうから、実力差というものがかなり正確に反映しているものなのだろう。
ソ連のタルコフスキー監督の映画だ。空想科学小説SFが原作ということ。近い時期にスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』も公開されたが、「宇宙の旅」の方は、宇宙空間や宇宙船の映像がよりリアルで凝っていたのに対し「惑星ソラリス」はそういう映像技術のところでは勝負していなくて、人間の心理や業の方を深く描いている作品として、私は「ソラリス」の方が好きだ。google.com, pub-4847171757112495, DIRECT, f08c47fec0942fa0
岸田首相が国会で野党から責められて気の毒だ。常識のある人であれば、「増税と減税は矛盾しない」なんて堂々とは言えない。言葉の上でも、論理の上からも矛盾しているのは明らかだからだ。だから、あえてこれ「増税と減税は矛盾しない」を強弁する岸田さんの声が小さくなり、自信がなさそうなのは、良心の表れであり、人間としては共感できる。
成功体験はよしあしだ。一度成功したことは忘れられなくなる。夢よもう一度、となる。1964年の東京オリンピックは当時の高度経済成長中の上り調子の日本にとっては良かったのだろう。しかし、二度目の東京オリンピックは良かったと思えない。公金はもっと国民や公共のために大切に使うところがあったはずなのに。一部の人のみが利権にあずかり、多くの国民がその恩恵にあずかることはないのに。経済よりも自然環境が大事だと分かってきたのに,わざわざ自然を破壊してまでやる価値はあったのだろうか。
イギリスのBBC放送を聞いていたら、今回のイスラエルのガザ侵攻およびハマスとの紛争については、「テロリスト」という言葉を使わないという宣言をしていた。もちろん、要人の演説や現地の人のインタビューの中で「テロリスト」という言葉が出れば、それはそのままその人の発言として報道するのだが、BBCの記者の報告やニュースを伝えたりする放送局が書く原稿の中で「テロリスト」という言葉を使わないように取り決めたということだ。
『1984年』はジョージ・オーウエルの暗黒未来小説だ。1984年の未来は、全体主義に覆われていて人々は監視されている。私は、『1984年』の映画版を見てみた。この映画の内容が怖かった。
政府の意を汲む国営放送のニュースを聞いていて驚いた。ロシアでは大統領選の前哨戦として統一地方選が行われていて、不法に占領しているウクライナ領土においても、彼の国が「選挙」と称する活動を行ったのだという。
「割合」という概念は便利だ。これを使えば目先をごまかすことができる。100リットルの水のなかに汚染物質が15リットル存在していれば、15パーセントの割合だが、その同じ汚染物質も、1000リットルの水に入れれば、1.5パーセントの割合だし、さらに10000リットルの水に入れてしまえば、0.15パーセントだ。
芸能事務所の性加害の問題について、日本政府は国連の人権調査委員会の受け入れをあっさり認めた。このことについては、私としては驚きである。なぜ、日本政府は、国連人権委員会の調査活動に反対したり妨害したりしないのであろうか。
日本政府は、国際原子力機関(IAEA)から「科学的なお墨付き」を得て、福島核発電所にたまる汚染水を国際法に違反しても海洋投棄するのだという。科学的に安全が証明されたきれいな水を海に流すことに反対する、科学を信奉しない頑迷な人々や国家に対する説得力のある根拠を日本政府は手に入れて、これで堂々と海洋投棄をすることができる。
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「心」は得ようとしても得られない。常に変化する、どこにしっかりとそれを把握することができようか。だが、その心に悟りの境地が刻まれる。だがそこに執着すれば、それはたちまち去ってしまう。去ってしまえば、かえって心に刻まれる。そんな不安定な土台である心と、禅の求める「わかった」「把握した」「つかんだ」という境地との関係を論じたものだ。
山色渓声そのものが、そのまま真実で仏の教えを語っている。われわれは自然に対して、どうやってその教えに参入していくか。もちろん自らの識閾を低くして、山色渓声がわれに流れ込むようにしなければならない。
禅が考える「自由」のあり様を述べている。「自由」は、縛るものがないこと、囚われることがないこと、たとい、それが真理であっても、真実であっても、悟りであってもだ。
少しでも擬議すれば命を失う。これが戦国武士に禅の帰依者が多かった理由でもある。
私たちは、私たちを取り巻く外界やその中に存在するあらゆるものを何かと判断したがる。だがもし、そのような心の働きが止み、分裂した意識が統一されれば、外界の存在物がありのままに、私たちに入ってきて私たちと一体となるのだ。
禅の問答は本当に受け答えになっているのだろうか。世間的な意味での受け答えにはなっていない。問いに対してずらしたり、はぐらかせたり、受け流したり。なぜだろう。そんなに力むなよ、こだわるなよ、解放されて自由になって見ろよ、ということだろう。
草花をめでることのできる良い時節は、いましかないのかもしれない。ならば、お勤めよりも、心の赴くままに時節を満喫した方がよいのかもしれぬ。一日遊んで夕方帰ってきたら、「どこに行ってました」と問い詰める者がいたとしても。
「前三三、後三三」とは、いったいどのような意味だろう。その疑念を、そのこだわりをしばらく胸に抱いたままにする。やがて、その意味が分かった、つまり、その問いと一体となったと思えたころ、もう抱いた疑問はどうでもよくなっている。
「存在」のことを考えれば、その「存在」を受け止める「心」の問題を考えないわけにはいかない。「存在」は「心」に働きかけ、「心」も感じる能力があるので、「心」は動かされざるを得ない。だが、「心」がよく澄んだ「鏡」のようであってみればどうだろう。
「どこから来た」は、恐ろしい質問ではある。ここに来る長い修練の間に、本来の「一人」にまみえたかと問うのである。まみえていたのであれば、からからと笑って、そんな質問はごめんだと、さっさと踵(きびす)を返して立ち去るであろう。
禅では、言葉で指し示せないもの、まさにそれを掴むことを修練する。その指せないもののありかを、またその方向を示すために、「これ」、「あれ」を用いる。しかしこれは高いところに登るための梯子(はしご)のようなもので、登ってしまえばそれは忘れられる。しかし、登るためには必要なものなのだ。
禅は、言句や文字的知識、文字言語にこだわるのを嫌う。一方で、その人となり、禅境、心の出来具合を表出することになる言葉、言語を重んじている。禅においては、言語に関する考察が欠かせない。
進退窮まり絶体絶命の境地、そこでひらめくのか、そこで言い得るのか、そこでひらりと転身できるのか。禅はそこを重んじる。
「言え、言え」と臨済に迫られた僧は、何を言ったらよかろうか、何を言うべきか、心の中でほんの刹那のあいだ迷いが生じたであろう。一瞬の迷いも、一瞬の停滞も許されない。臨済禅の特徴が表れている。
この説話にも臨済の厳しい禅の指導ぶりがよく表れている。仏法の大意を知ろうと、仏法の大意に近づこうとしていた定上座の中で、突然に氷解したものは何か。わかってしまえば、わかろうとしていたものはもうどうでもよい。わかろうとしていたものがなんであったかも、もうどうでもよい。確かに、わかる前と、わかった後では違う。それは定上座が体感して納得している。
「山水」は禅者の心をうつす形象でもあり、「存在」を代表させる象徴でもある。だから、「山是山、水是水」は、存在のありのままの在り方について述べていて、その存在と対峙して禅者は識閾をどんどん低くして行って、存在が己に浸透して一体となるようにする。そこで生じる認識が「わかった」なのである。
学ぶ人は、目標のところとなるまで工夫を凝らし勉強する。だが禅は、さらにそこを超えて行けという。教えを創始したブッダやそれを受け継ぐ祖師たちをも超えて、さらに徹底して向上していくというのが禅の心得。
「無」にこだわるものには「有」を、「有」にこだわるものには「無」を与え、その学人それぞれの心境や状況に応じた自由自在な応答ぶりこそが、禅匠の力量だとこの問答は言っているのだ。
「一言相契即住、一言不契即去」には、禅の在り方がよく出ている。「わかる」は言葉を超えた体験であるが、「わかる」を導いてくれるものは「言葉」なのだ。
三世の仏たち、歴代の祖師たち、もちろん彼らは「賊」などではない。だが修行者がこだわってしまったり、かかずらってしまったりすれば、彼らは修行者のかたきとなってしまう。不親切な「賊」のごとき修行者に働きかけ、こだわりやかかずり合いを奪って、ものの見方を転換して、晴れ晴れとさせてくれる者こそは、優れた師である
禅者のはたらき(-はたらきとは、それを持っていればその持ち主を機能させること。それが外に自在に発現すること)は、自由であるということ。決まった形はなく、跡を追ってもその跡がつかめない。自由であるということは、とらわれないということ。しかしおのずとのりを超えない。
「丙丁童子来求火」という公案は、則監院が言うように、火の化身である神が、火を求めるということである。つまりは、人は皆己自身が「仏」であり、仏になる可能性を内に秘めているのに、外に「仏」を求めていることを示したものである。
「そりゃ、おまえさんだよ」という法眼の応えは、仏は自分の中にあるということか。ここでは、仏性の問題を考えねばならない。「仏性」は、仏となる可能性のことで、男でも、女でも、生きとし生けるものはすべて仏となれる秘めた可能性を持っている。
関連する2冊の本を読んだ。(そもそもこういう貴重な書籍を研究・翻訳してくれたり出版してくれたりしている人々に感謝だ)ちくま学芸文庫『経済の文明史』(カール・ポランニー)岩波文庫『贈与論』(マルセル・モース)
フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画「道(ラ・ストラダ)」も円環する時間の中で2回目を見た。
この舜若多という虚空神の、その存在が悲しい。他からの光に照らされてはじめて存在する。そういう悲しい存在の存在を想像した、その想像力こそが尊い。仏教神話は、そういう悲しい透明な存在物を想定し得たから、人間は悲哀をまぬがれえていたのかと思う。今はそういう悲しい存在物を想定しえない。だから人間そのものが悲哀を背負っていかなければならない。
本当の智慧、苦しみを乗り越え平穏な心境にたどり着くための智慧は、以心伝心でしか伝えることができないことや、その伝え方の尊い有り様を示した問答である。機に適う一期一会の瞬間を実に色彩豊かに感動的に描いている。だが、スブーティの「わかった」は、天人の知る所となった。これではまだ不十分だ。天人にも悟られず、一切の痕跡を消すことが求められる。
正しい認識が得られれば、意識は滞留することはないということ。そうすれば、生死の境を脱却できるということ。
世界の中でモノ自体が本来を露わにしている。しかし、そこに親疎を立て分別するのが人間の認識。私たちの認識の閾値を低め、低めてモノ本来が露わになるようにしてやる。そこではモノがモノ本来の本然の姿で現れている。
「打成一片(だじょういっぺん)」という言葉がある。区別・差別を建てないものの見方だ。われわれに入ってきた外界の事物は、われわれの中で区別される。善・悪という道徳的な判断がされ区別が建てられ、好・悪という感情的な判断がなされる。
死中に活路を求めること、ぎりぎりの状態に追い込まれた死地からどう生還するか、それを教えるのが禅だ。死中に活を求めるには、思惟を働かせてはだめだという。思惟の働きは遅い。一瞬の閃電光のひらめきのように即断即決できれば、死地から生還できる行動を起こせる。
「日日是好日」は禅から出た有名な句で、日常生活の中でも目にすることが多い。私は、一日一日が素晴らしい、活力あふれる清新な日のなかに生きることの心境を述べたものだと思うが、しかし、こういう句は、本当はその場その場で、その場にいる人や発話した人の機境に応じて発せられた言葉であって、その瞬間に意味があったものである。
雪峰は、砂を洗い去って米をとぐのか、米を洗い去って砂をとぐのかの、公案を胸に、修行を重ねた。徳山に参禅し、痛棒され、少し突き抜けた気がし、その心鏡を言葉に託したが、それは外からやってきたものであった。外から来たものは自己本来のものではない。
洞山の雪峰への問いは、相対的な分別についての禅の見解を、興味深い逸話で示唆してくれる。食事をするには、米を炊かねばならぬ。米を炊くには、米に混じった砂を水でゆすいで取り除かねばならぬ。米と砂を分別して、残すための米をしっかり見て、かつ不要の砂にも目を付けて、必要な米は選び、不要な砂を取り除く。
極大の世界に極小の世界は宿り、極小の世界には極大の世界が広がる。(極小と極大は融通無碍(ゆうづうむげ)に往き来する)ゆえに、極大を極小の世界にいれこむことができる。さて、その時、その世界をどう認識するのか。
禅は常に生死にかかわる所ぎりぎりのところで行われている。時に行者は、危険をも顧みず、虎のひげにさえ手をかけ、虎口に飛び込まなければならない。生死の境、そのあわいを透脱できれば死地を挽回し生地におもむける。
もちろんここで言っているのは、本当に物理的に人を殺めることを言っているのではない。修行者と力量ある師である作家との問答は、命を懸けた真剣勝負なのである。
「死中得活(死中に活を得る)」。この語句は禅を考えるうえで重要な契機を与えてくれる。このような語句が多く登場することは、禅が生死に渡ることを示す。
龍潭和尚は、徳山が仏の化身である老婆によって提起された「過去心・現在心・未来心」の公案を、徳山自身が体得できるよう、徳山の機微に合わせて接してやったのである。この徳山の説話は、禅における「わかる=悟る」の契機とその体験を垣間見させてくれる。
この問答も傑作だ。「心」の問題を取り扱っている。「点心」と「点那箇心」がひっかけてあり機知にと富む問答になっているが、徳山にとっては、おばあさんの言葉は、「心」の問題を突き詰めてくる容赦のない問いとして迫ってきたであろう。