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アンテナショップの激戦区の銀座なんとロシアのアンテナショップが 昭和通りの「赤の広場」 とても美しい女性が経営してます。見た目だけでなく、立ち居振る舞いや雰囲…
1147年にスーズダリ公が宴会を催したのがモスクワの最初の記録。 15世紀の半ばにモスクワ大公国の首都となった。 要塞を意味するクレムリンを中心に街が発展した。 雨の赤の広場から、大統領府とレーニン廟が見えている。 レーニン廟への見学は国立歴史博物館から入る。 左は国立歴史博物館。赤煉瓦に白い屋根がちょっとかわいい。 ロシア最大級の博物館である。 古代の部族時代から現代にいたるまでの収蔵物がある。 聖ワシリイ寺院の横にあるスパスカヤ塔。 これはいいと思う写真はなぜか残っていない。 物はなんとかなるけど、思い出はとっておかないと・・・ 取り返しがつかない。 写真洗浄ボランティアの大切さがわかる。…
旅の原点について語りたい。ソビエト連邦が崩壊し、ロシアになったころ。モスクワとレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)を訪れた。当時の赤の広場。あいにくの雨。冷たい雨だったと思う。ゴールデンウィークの頃に行ったが、まだ寒かった。まだ自由に旅をするのは難しくて、手配旅行だったと思う。ある大学のドミートリーに宿泊させてもらった。学生の頃にロシア経済について調べたことがあり、興味を持っていた。ソウルオリンピック(古い!)でのソ連の選手の活躍を見ていた。勝利への執念みたいなものを感じて、どうしてそこまで?と思った。第二外国語でロシア語を選択した学生時代。専門科目より熱心に勉強していたと思う。中国人…
1991年8月ロシアがソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)と呼ばれていた頃のこと。 「ゴルバチョフ大統領が暗殺された。戦争が始まる」と噂され、街中には戦車が待機…
ソ連時代のロシア旅:ソ連時代の「赤の広場」とセスナ機で乗り入れた少年マチアス・ルスト
1991年8月ロシアがソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)と呼ばれていた頃のこと。「ゴルバチョフ大統領が暗殺された。戦争が始まる」と噂され、街中には戦車が待機、…
赤の広場に建つ「聖ワシリー大聖堂」。タマネギのようなドームがおもしろい。 ソ連(正式名:ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊してから、もうじき30年になります。1917年に世界で最初に成立した社会主義国でした。 消滅する1年前の1990年1月中旬に、仕事でモスクワに行く機会がありました。15の共和国からできていたソ連の解体は全く予想もできないまま旅行者の感覚で撮った当時のモスクワの写真をアップしました。 モスクワ郊外のシェレメチェボ空港に着陸。ソ連最大級の空港でした。 (1990年1月13日撮影=現地時間) ソ連当局に案内されたのは、オクチャブリホテル。ソ連共産党中央委員会が経営している準迎賓館…
どこの国のどんな町でも、たいてい「広場」と呼ばれる場所があります。 そして、広場では人々が自由に行き交い、時には催しものが開催されたりします。 しかし、この広…