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らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。

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西住りほ
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2022/07/12

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  • 北条氏常盤亭跡(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

    北条氏常盤亭跡(→神奈川県鎌倉市常盤)は、7代執権北条政村(→政村流北条氏の祖)、6代連署北条義政(→塩田北条氏の祖)、北条時茂(ときもち→常盤北条氏の祖)・北条時範(ときのり→時茂の子)、北条範貞(のりさだ→時範の子)らの邸宅跡です。東西約700m、南北300mに及ぶ敷地で、木の柵が設置された谷戸の一段高くなっているところは常盤亭跡の中でも中心的な場所であったといいます。ここを拠点にした北条一門を常盤北条氏といい、鎌倉末...

  • 佐助稲荷神社(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

    佐助稲荷神社(→神奈川県鎌倉市佐助2丁目)は、鎌倉時代の建久年間(1190年~1199年)に鎌倉幕府を創設した源頼朝が有力御家人の畠山重忠に命じて創建したと伝わる神社です。佐助の地名は「佐殿(すけどの)頼朝を助けた」が由来といい、『新編鎌倉志』には南北朝時代の1359(延文4)年12月11日に、凶徒(→南朝勢力)退治の祈祷を佐助稲荷神社の別当三位僧都に命じた足利尊氏の古文書が、鶴岡等覚院(→現在は廃寺)にあると記されています。神...

  • 銭洗弁財天 宇賀福神社(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

    銭洗弁財天 宇賀福神社(→神奈川県鎌倉市佐助2丁目)は、1185(文治元年)4月に、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝が「霊夢」によるお告げに従い宇賀福神を祀ったことから始まる神社です。宇賀神は中世以降に信仰された財をもたらす福神で、仏教の弁財天と習合して宇賀弁財天とも呼ばれました。1257(正嘉元)年に5代執権北条時頼が霊水で銭を洗って一族の繁栄を願ったことから、北条一族の繁栄にあやかろうと銭洗いの風習が広まったと伝わりま...

  • 洲崎古戦場(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

    洲崎古戦場(→神奈川県鎌倉市寺分1丁目)は、鎌倉時代末期の1333(元弘3)年5月18日に鎌倉を攻める新田義貞の軍勢に対して、鎌倉幕府16代執権の赤橋(北条)守時は防御を命じられた巨福呂坂(こぶくろざか)切通しから出撃し、化粧坂(けわいざか)切通しを攻める新田軍主力に対峙するため洲崎で果敢な突撃を繰り返したのち、自害したと伝わる古戦場です。『太平記』の記述によれば、新田方の総大将堀口貞満(ほりぐちさだみつ)が陣容を整え波...

  • 早雲寺(神奈川県足柄下郡箱根町)を訪問しました

    金湯山 早雲寺(→神奈川県足柄下郡箱根町湯本)は、戦国時代の1521(大永元)年に小田原北条氏の2代北条氏綱が初代伊勢宗瑞(→いわゆる北条早雲)の遺命に従い、龍宝山 大徳寺(→京都府京都市北区紫野大徳寺町)の83代住職以天宗清を招いて建立した臨済宗大徳寺派寺院です。建立時期については1531(享禄4)年以降であるとする説も有力です。戦国時代には小田原北条氏の菩提寺として「関東第一の名寺」と謳われ、1542(天文11)年には勅願寺(→...

  • 鵐の窟・頼朝船出の浜(神奈川県足柄下郡真鶴町)を訪問しました

    鵐の窟(しとどのいわや→神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴)は、1180(治承4)年8月24日の石橋山合戦で平家方の大庭景親(おおばかげちか)に敗れた源頼朝が、身を潜めたものの平家方の梶原景時(かじわらかげとき)の計らいで見逃され難を逃れたという伝承をもつ史跡です。平安時代末期の鵐の窟は奥行きが130mほどあったようですが、1923(大正12)年9月1日の関東大震災による隆起により現在の奥行は11mほどです。窟の近くには「頼朝観音堂」が...

  • 真鶴貴船神社(神奈川県足柄下郡真鶴町)を訪問しました

    真鶴貴船神社(→神奈川県足柄下郡真鶴町)は、平安時代の889(寛平元)年に平井の翁という人が沖合から漂流してきた楼船の中から木像十体余りを発見し、貴ノ宮大明神として祀ったことが起源と伝わる神社です。1868(明治元)年に神仏分離令が発布され現在の社号となったようです。境内には1180(治承4)年の石橋山合戦に敗れた源頼朝が「しとどの窟」に身を潜める前に休息したと伝わる「頼朝の腰掛石」と伝わる岩が奉納されています。〖祭...

  • 高円寺(東京都杉並区)を訪問しました

    宿鳳山高円寺(→東京都杉並区高円寺南4丁目)は、小田原北条氏の統治下である戦国時代の1555(弘治元)年に、多宝山成願寺(→東京都中野区本町2丁目)の三代住職建室宗正が開基したと伝わる曹洞宗寺院です。現在の本尊は観音菩薩で、室町時代に作られた阿弥陀如来坐像も安置されています。かつてこの辺りには桃の木が多くあったことから桃園と呼ばれ、「桃堂の桃園観音」と呼ばれていたようです。高円寺は5代住職耕岳益道のときに、3代将...

  • 麻布氷川神社(東京都港区)を訪問しました

    麻布氷川神社(→東京都港区元麻布1丁目)は、社伝によると平安時代の938(天慶元)年に、清和源氏の源経基(みなもとのつねもと)が平将門の乱を平定するため東征した際に、武蔵国豊島郡谷盛浅布冠の松(→現在の麻布一本松の地)に創建したのが始まりと伝わります。ただし、源経基が武蔵介として現地に赴任して在地の検注(→荘園の土地調査)を行ったのは938(天慶元)年で、いわゆる平将門の乱は939(天慶2)年のことなので時系列に齟齬が見られ...

  • 赤坂氷川神社(東京都港区)を訪問しました

    赤坂氷川神社(→東京都港区赤坂6丁目)は、社伝によると平安時代の951(天暦5)年に東国を遊行していた蓮林僧正が一ツ木村(→現在の赤坂4丁目付近)で一夜を明かした際に見た「霊夢」により、この地に氷川明神の社殿を建てたのが始まりとされます。江戸時代中期の1716(享保元)年、紀州徳川家出身の徳川吉宗が8代将軍に就任すると、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、氷川明神の信仰が高まり、1719(享保14)年には、吉宗の命令を受け...

  • 虎ノ門金刀比羅宮(東京都港区)を訪問しました

    虎ノ門金刀比羅宮(→東京都港区虎ノ門1丁目)は、江戸時代前期の1660(万治3)年に讃岐丸亀藩主京極高和(きょうごくたかかず)が国元の象頭山に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を藩邸のあった芝・三田の地に勧請し、1679(延宝7)年に京極高豊(きょうごくたかとよ)の代に藩邸が現在地に移転したため金刀比羅宮も移転したと記されます。江戸時代後期に金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と改称しましたが、神仏分離令により1869(明治2)年に金刀...

  • 愛宕神社(東京都港区)を訪問しました

    愛宕神社(→東京都港区愛宕1丁目)は標高26mの愛宕山の山頂にあります。戦国時代の1582(天正10)小年に小田原北条氏が近江国信楽より勧請したのが始まりで、1603(慶長8)年に徳川家康によって防火の守り神とされました。1610(建長15)年には2代将軍徳川秀忠が社殿、末社、仁王門、坂下総門、別当所などを寄進したと伝わります。江戸時代を通して祭礼などには将軍家から金銭が下賜されるなど崇敬を受けました。1657(明暦3年)の明暦の大...

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